カーネル・サンダースといえば、ケンタッキー・フライド・チキンのカーネルおじさんとして有名ですよね。では、その彼についてどれぐらいのことを知っているでしょうか。波瀾万丈な人生に迫る本をご紹介します。
カーネル・サンダースは、本名をハーランド・デーヴィッド・サンダースといい、1890年アメリカのインディアナ州で生まれました。
幼いころに父親が亡くなり、以後、働く母を助けるために家族の食事を用意するようになります。また長男として家計を支えるため、10歳のころから農場に働きに出ていました。学校は14歳で辞めています。
さまざまな職を経て、彼は1920年にケンタッキー州でガソリンスタンドの経営を始めました。しかし、1929年に世界的に起きた大恐慌の影響で、店を売却してしまいます。
1930年、再びガソリンスタンドを開業した彼は、その一角に小さなレストラン・コーナー「サンダース・カフェ」を設置しました。店は幹線道路に面していたため繁盛し、規模を拡大します。この成功によって、1935年、ケンタッキー州知事から「ケンタッキー・カーネル」の名誉称号を与えられました。
1939年に店舗が火災に見舞われ全焼してしまうのですが、1941年には同規模のレストランを再建しました。このころサンダースは、「オリジナル・フライドチキン」の製法を完成させます。
その後、1952年からフランチャイズを開始し、「ケンタッキー・フライドチキン」のブランドを使用するようになります。1956年、業績不振に陥っていたレストランを売却し、フランチャイズビジネスの普及に尽力。フライドチキンの調理法を伝えるため全米を巡るようになります。
1960年代にはチェーン店数も増えますが、70歳を超えたサンダースは「ケンタッキー・フライドチキン」のブランドを売却し、それ以降はチェーンの親善大使として世界中の店舗を巡りました。
1:転職につぐ転職をした
若いころのサンダースは、職を転々とします。最初の農場を1ヶ月でクビになった後、他の農場での住み込み、車掌、陸軍への入隊、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員など、40にもおよぶ職を経験しました。
2:慈善事業に熱心だった
彼は多くの慈善事業を行いました。孤児院の子供たちのためにアイスクリームをつくったり、肢体不自由児のための基金をつくったりしています。ロータリークラブにも加入しており、そのスローガン「最も奉仕する者が最大の利益を得る。我が身の前に他人に奉仕せよ」をモットーとしていたそうです。
3:短気で喧嘩っ早かった
彼が転職をくり返した理由のひとつに、ケンカによる解雇や顧客との殴りあいによる暴行罪での起訴などがあります。ガソリンスタンドを開業してからも、商売敵のガソリンスタンドのオーナーを銃で撃ってしまったこともありました。
4:自他ともに認める毒舌家だった
彼は短気なうえに口も悪く、口癖は「damned thing(この役立たず)」や「hell(馬鹿やろう)」などだったといいます。また、フランチャイズ店で決められた手順とおりに料理を作らなかった料理人に対し、「私の指示とおり料理をつくらないなら、お前の皮を剥いでやるぞ。」と言ったエピソードもあるそうです。
5:何度も破産の危機にあった
彼はガソリンスタンドをはじめ、自分で起業した事業がいくつもあります。しかし大恐慌やハイウェイの建設などにより、何度も経営が立ちいかなくなりました。オリジナルチキンを生み出したレストランも手放すことになりましたが、その後、そのチキンをフランチャイズで売るアイディアを思いつき、大成功を収めたのです。
6:彼のためだけに大学のコースができた
あるフランチャイズ・オーナーが、サンダースにリーダーシップ・クラブへの入会を推薦してくれました。しかし入会条件として大学の入学実績が必要で、彼は審査に引っかかってしまいます。
どうにかしてサンダースを入会させたかったオーナーたちは、彼のためだけに、フロリダ大学に「マーケティングに関する3日間の集中特別講座」という履修コースをつくってしまいました。このコースを履修し、彼は無事にリーダーシップ・クラブへの入会が認められたのでした。
7:日本びいきだった
親善大使として世界中の店舗を巡っていた彼は、日本にも3回訪れています。その際、「日本のケンタッキー・フライドチキンがいちばん気に入っている」と述べていたそうです。
世界的な企業、ケンタッキー・フライドチキンを作りあげたのは、彼が65歳を過ぎてから。この驚くべき事実を知っているでしょうか。
- 著者
- 藤本 隆一
- 出版日
- 2016-12-03
「世界的に有名で大きな企業を創業した」と聞くと、「若いころから同じ仕事を続け、長い時間をかけて会社を大きくした」というようなイメージを持つ方が少なくないのではないでしょうか。本書で描かれるカーネル・サンダースは、そのようなイメージを一変してしまいます。
彼がケンタッキー・フライド・チキンをフランチャイズ事業としてスタートさせたのは、なんと65歳のとき。年金生活を捨ててのことでした。無一文になってもそこから人生の再出発を果たした彼の、波瀾万丈な生涯について書かれた一冊です。
ケンタッキー・フライドチキンの創業者として成功をおさめたカーネル・サンダース。しかし、そこに至るには多くの失敗がありました。
失敗を乗り越えた彼の成功哲学に迫ります。
- 著者
- 中野 明
- 出版日
- 2012-09-07
彼は多くの失業、破産を経験しました。しかし、そこであきらめずに新たな仕事や事業に挑み続けます。どうしてそんなことが可能だったのでしょうか。
10歳のときの初めての仕事での失敗から彼は、「できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ」ということを胸に刻みます。就いた職業は多種多様でしたが、彼が仕事の流儀、ビジネス哲学として持っていたものは一貫していました。
21章からなる本書は、そんな彼が仕事をするうえで大切にしてきたことを描き出しています。彼のビジネス哲学に重点をおいた一冊です。
ケンタッキー・フライドチキンの店先に立つ像で有名なカーネルおじさんの物語。子供に知ってほしい、多くのメッセージがわかりやすく書かれています。
- 著者
- 出版日
- 2015-02-10
偉人の伝記は、どこか遠い世界のお話になりがちです。しかしカーネルおじさんであれば、老若男女問わず知っている人は多いはず。特に子供にとって、身近にあるものへの興味は知識を深める絶好のチャンスです。
多くの人が目にしたことのある、店先に立つカーネルおじさんの像。その親しみのある存在が、どのような人生を歩んできたのか。児童書として書かれているので読みやすく、大人も一緒に楽しめる一冊です。
みんな大好きなフライドチキンが完成するまでの、サンダースの驚きの人生を紹介します。
- 著者
- 中尾 明
- 出版日
彼の「びっくり人生」を10章に分けて書いています。苦労した幼少期と青年期、転機となったガソリンスタンドの経営を始めたころ、65歳での挑戦、そして親善大使として活躍した晩年……それぞれのストーリーのなかにサンダースの考え方がしっかり描かれていて、読みごたえのある本です。
また優しく語りかけるようなタイトルは、子供でも手に取りやすいのではないでしょうか。児童文学をフィールドに活躍する著者が、小学校高学年向けに書いた、読みやすい作品になっています。
いかがでしたか?あの優しそうな顔からは想像できない、波瀾万丈な人生ですね。でも、だからこそ美味しいフライドチキンが世界中の人に愛されているのかもしれません。