マルコム・Xについて意外と知らない7つの逸話。壮絶な人生の黒人解放指導者

更新:2021.11.9

みなさんはマルコム・Xという人物の名前を聞いたことがあるでしょうか?1960年代のアメリカで黒人差別解消のために戦った指導者のひとりです。今回は彼に関する逸話とおすすめの本をご紹介します!

ブックカルテ リンク

不良上がりの公民権運動の指導者、マルコム・Xとは?

1950年代から1960年代、アメリカでは人種差別の解消を求める公民権運動が盛んでした。 それまで白人と同じ扱いをされなかった多くの黒人が立ちあがり、指導者のもとで声をあげ続けました。

この運動を率いるリーダーのひとりが、マルコム・Xという男です。非暴力にこだわり続けたキング牧師とは反対の、過激かつ攻撃的な黒人解放指導者として有名です。

彼は1925年にネブラスカ州で生を受けました。 父親は白人に「媚びを売って」仕事をもらうようなことを良しとしない人で、一家は自給自足の生活をします。白人と距離を置き、自分たちの生き方をしようとする彼らは、白人至上主義の団体から命を狙われました。

マルコムが6歳の時、父親がとうとう人種差別主義者に惨殺されてしまいます。母は精神を病み、彼を含めた子どもたちは里子に出されました。

中学校を卒業した後はボストンに引っ越し、ナイトクラブで靴磨きの仕事を始めますが、長くは続きません。ニューヨークへ移り住むとハーレムであらゆる犯罪に手を染めます。強盗、ゆすり、売春、麻薬取引をしてギャンブルに浸る毎日。1946年、20歳で強盗罪により逮捕されました。

彼は獄中で、勉強と読書に目覚めます。きっかけは博識な受刑者との出会い、そしてイスラム教信者との出会いでした。1952年に釈放されるまで、月明りのもと語学学習をしたり、刑務所内で開かれる討論会に参加したりすることで、多くの知識を吸収していったのです。

出所後はネーション・オブ・イスラム(NOI)の活動に傾倒します。NOIは黒人の貧困救済・経済的自立を訴える団体でしたが、白人を「悪魔」と呼び批判する過激な一面がありました。 彼はメッカ巡礼や諸外国への訪問をするうちに、そのような排他的な考え方に疑問を持ち、NOIの脱退を決意します。

刑務所内で培った教養とリズミカルな言葉回しから生まれる力強い演説は、彼をスター指導者にしました。立場やスタンスはキング牧師と違っても、黒人の権利のために戦い、多くの人々を鼓舞していきます。しかし脱退したNOIに命を狙われ、1965年に暗殺されました。39歳でした。

マルコム・Xについて意外と知らない逸話7つ!

1:出生時の名前は「マルコム・リトル」

彼はリトル家の子どもとして生を受けたので、本来のファミリーネームは「リトル」でした。年を経てNOIに入る際にXという新しい姓を授けられます。NOIでは、出生時のファミリーネームは「白人から奴隷に与えられたもの」と考えられており、入団者にはXという姓が与えられる習わしだったのです。

2:若いころは「コンク」でストレートヘアにしていた

コンクとは薬剤を使って髪を真っ直ぐにする、いわゆる縮毛矯正です。彼の縮れた髪は黒人らしさそのものでしたが、若いころはそれが嫌で長い間コンクをし続けていました。後年にこのことを振り返ったマルコムは、白人らしさにあこがれて黒人のアイデンティティを見失ってしまっていた、と悔いています。

3:有名なミュージシャンと交流があった

ボストンのナイトクラブで靴磨きをしている間、彼はそこに出入りするたくさんのミュージシャンと出会うチャンスがありました。ジャズの作曲家でピアノ奏者のデューク・エリントン、ブルース歌手のジミー・ラッシングなどの有名人と、靴磨きの間に言葉を交わしています。

4:ダンスが得意だった

とあるパーティに参加した時、マルコムは突然ダンスに目覚めます。まるでスイッチが入ったかのように踊りのコツをつかんだ彼は、この時のことを「長い間抑えられていたアフリカ人の本能が解放され、ほとばしり出た」と語っています。

とくにリンディ・ホッピングというジャンルのダンスが得意で、あちこちのパーティに顔を出すようになりました。そしてナイトクラブでの靴磨きの仕事も、「靴を磨いていると音楽がなったときに踊れない」と言い辞めてしまったのです。

5:刑務所図書館中の本を読み、辞書を丸写しした

彼は刑務所に入ったとき、正確な英文を書いたりたくさんの本を読んだりすることはできませんでした。学校に通っていたころは成績優秀でしたが、その後犯罪に明け暮れていたためです。

獄中で読書というものに興味を持ってからというもの、彼は辞書を最初のページから読み始め、ついには1冊の辞書の全ページをノートに書き写します。

消灯後も毎晩、看守の回ってくる時だけ寝たふりをし、窓から差し込んでくる明かりだけで本を読み続けました。そのころの睡眠時間は3~4時間だったといいます。

6:ボクサーのモハメド・アリと親交があった

彼は生前も死後も、たくさんの人間に大きな影響を与えました。プロボクサーのモハメド・アリも生前の彼に突き動かされたひとりです。マルコムに影響を受けてNOIへ入団し、一時は義兄弟ともいうべき間柄でした。

7:.ふだんは物静かな人物だった

闊達とした演説や攻撃的な思想とは裏腹に、後年のマルコムは穏やかで上品な身のこなしをする人物でした。『マルコムX自伝』のイントロダクションには、友人が寄せた以下の文章があります。

「私の妻がマルコムと顔をあわせるのは、この運命的な日がはじめてだった。彼女がコーヒーやケーキで接待しているあいだ、マルコムは私的な生活ではいつもそうなのだが、礼儀正しい、物静かな様子で話した。」

「まるで黒豹といっしょにお茶を飲んでいるような感じだったわ」(『マルコムX自伝』より引用)

マルコム・Xが自ら語った、自身の生きざま

本書は、マルコムが生前に記した自伝です。

壮絶な幼少期の思い出、犯罪に手を染めていた20歳までの生活、そして刑務所でイスラム教に出会ってからの変わりよう、黒人指導者として……彼の人生のどこをとっても壮絶のひと言に尽きます。

著者
マルコムX
出版日
2002-03-01

特にイスラム教に感化され、勉強と読書を始めてからの変化は眼を見張るようです。「ショーペンハウアー、カント、ニーチェは当然全部読んだ。」とさらりと書いてあります。

本や学習には人を変える力があることをまざまざと感じるでしょう。全体に口語調で書かれているので、硬い文章が苦手な方でも手に取りやすくなっています。

「夢」のキングと「悪魔」のマルコム・X

本書では、公民権運動の指導者として有名なマルコムとキング牧師の2人に焦点を当て、その生き方や考え方を比較しています。

著者
上坂 昇
出版日
1994-12-16

マルコムと同じく公民権運動の指導者であり、頻繁に比較されるのが 「I have a dream.」の演説で有名なキング牧師です。一般的に、マルコムは「反白人主義者」ともいえる姿勢で時には「悪魔」とまで呼ばれた人物、キング牧師は「非暴力」をかかげ白人と黒人の融和という「夢」をもつ人物とされています。

正反対の考え方を持つ2人ですが、後年のキング牧師の思想はしだいに過激派寄りになり、一方のマルコムは穏健派へと舵を切っているのです。

両者とも暗殺されて人生を終えるという共通点もあります。2人の指導者の人生や思考を比較することで、公民権運動の困難さや意義を深く問うことができる一冊です。

演説から読み取るパワー

本書では、彼が実際にどのような言葉で人々に語りかけたのか、演説はいったいどんな様子だったのかを知ることができます。

著者
マルコム・X
出版日
1993-01-01

暗殺される約1年間のインタビューや手紙が収録されています。

黒人の権利を守ろうとするあまりに過激な思想をもっていたマルコムですが、さまざまな人との語らいや出会いによって、これまでの考え方は「反白人主義という差別主義」であったということに気づいていきます。

この本に収録されている内容は、そのような彼の考え方の変化についてもよく知ることができるものです。

力強さを失わないマルコム・Xの言葉たち

本書には、彼が実際に語った演説や手紙、インタビューが収録されています。

著者
マルコムX
出版日

決して難しい言葉は使わず、それでも人々の心に確実に訴えられるような言い回しをしていることがわかります。

深い教養に裏打ちされた力強い言葉たちは現代でも新鮮さを失わず、人々の内面を揺さぶるエネルギーを持っているのです。

厳しい生活をしていた過去を持ち、差別への怒りや悲しみを糧に黒人指導者となったマルコム・X。その言葉たちは今もなお色褪せません。彼についてまったく知らないという方も、ぜひ1冊手に取っていただきたいと思います。大きなものに立ち向かう勇気や、信念を貫く力をもらえるはずです。

また彼を成り立たせたひとつの要因は、本と学問でした。「知識は力になる、本は人を変える」を体現しているようです。彼の名言にこんなものがあります。

「People don’t realize how a man’s whole life can be changed by one book.」 
(一冊の本に人生を丸ごと変えてしまう力があることを、みんな理解していない。)

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る