始皇帝にまつわる7つの逸話!中国統一を成し遂げた秦の王を知る本も紹介

更新:2021.11.9

「秦の始皇帝」の名前は世界史の授業で必ず1度は耳にしているのではないでしょうか。中国統一という偉業を成し遂げた人物ですが、皆さんは彼の人生や偉業についてどれくらいご存知でしょうか?今回は秦の始皇帝についての逸話とおすすめの本をまとめました。

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人質の子から中国の支配者に。秦の始皇帝とは?

秦は紀元前に中国に存在した国のひとつです。群雄割拠の春秋戦国時代を生き残り、紀元前221年に初めて中国全土を統一しました。複数の国をまとめ統一を果たした秦の国王こそ、始皇帝という人物です。

始皇帝は、幼名を政(せい)といいました。紀元前259年に生を受けましたが、この時は秦ではなく、隣国の趙の首都・邯鄲で生まれています。父の子楚(しそ)は秦の王族ではありましたが、妾腹の子であり20人以上も兄弟がいたため、趙へ人質に出されていたのです。

政が6歳の時、当時の秦王であった実の曽祖父が、人質がいるにもかかわらず趙を攻撃してきます。捕らえられていた政は命の危険を感じて逃亡し、かろうじて生き延びました。

紀元前249年、祖父が秦の王に即位しますが、不幸にも即位の3日後に死去。父が荘襄王(そうじょうおう)として王座につきます。その父も3年で死去し、政は13歳で秦の支配者になるのですが、はじめのうちは父の宰相であった呂不韋(りょふい)が実権を握っていました。

紀元前238年、政が22歳の時に呂不韋が失脚。実権を取り戻した彼は、破竹の勢いで周囲の国々を滅ぼしていきます。紀元前221年、38歳の時に斉を滅ぼして中国の統一を果たしました。

このとき彼は、各国の支配者が名乗っていた「王」という位ではなく、すべての国の支配者を意味する「皇帝」という位をつくります。中国全土を統一した初めての皇帝であることから「始皇帝」と自らを称すようになりました。

始皇帝はそれまでの支配体制を大きく変え、中央集権国家を作りあげました。全土に郡県制をしき、通貨や計測単位、書体の統一をおこなうことで、それまでバラバラだった制度をまとめます。また、万里の長城に手を入れ、北方の遊牧民族からの守りを固めました。

一方で焚書や坑儒をおこない、自分に従わない人間を粛正する暴君であったとも伝えられています。

幾たびにもおける暗殺を逃れてきましたが、最後には病気になり、紀元前210年9月10日、49歳で死去します。王座についていたのはわずか11年でした。そして彼の死後、秦の覇権は長く続かず4年後には滅亡してしまったのです。

人質の子から大国の王にまでなった始皇帝の数奇な運命と、生涯で成し遂げた数々の偉業は、現代でも多くの人を惹きつけてやみません。

始皇帝をより良く知るための7つの逸話!

1:「皇帝」という位は「三皇五帝」からとられた

「三皇」とは中国の神話にある3人の神様、「五帝」とは同じく神話上の5人の聖人を指します。「三皇五帝」は理想の君主の代名詞とされていましたが、政はそれにあやかり、また上回ろうという気持ちで「皇帝」という位をつくりました。

2:王族の子ではなかったという説がある

政の母親は、父・荘襄王(子楚)の宰相だった呂不韋の愛妾であった女性です。子楚が趙に捕らわれていたときに、取り入ってきた彼女を見初めたのだといいます。

この女性が子楚のもとに嫁ぐ際、すでに身ごもっていたという説があり、それが真実だとすると政は王族の血を引いていないということになります。この真相ははっきりせず、今でも謎のままです。

3:五行思想に傾倒していた

当時の中国でまだ新しい学問だった「五行思想」を政治に取り入れていました。五行思想は「万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなる」と考える、自然哲学の一種です。この思想をもとに、儀礼用の服や皇帝の旗の色を決めるなどしていました。

4:万里の長城を作り始めたわけではない

万里の長城といえば、中国とその北に存在した遊牧民族を隔てるために作られた、世界最大規模の構造物です。始皇帝といえば万里の長城、というイメージもありますが、実は長城自体は秦が始まる前から存在していました。

北方の遊牧民族から国を守るという役割は同じでしたが、中国統一前のいくつかの国家がそれぞれに作ったもので、それほど長くはなかったのです。彼はバラバラの長城をつなげ、とてつもない長さの巨大構造物に再構築をしました。

5:不老不死を求め続けた

老いること、死ぬことのない体に強くあこがれていた始皇帝は部下に対して、「伝説の山・蓬莱山を見つけ出し、1000歳になるという仙人を連れてこい」という命令を出しています。 また、当時不死の効果があるとされていた水銀入りの薬を飲んでいました。水銀は現在では猛毒と知られていますが、当時は秘薬のひとつとして認識されていたようです。 

6:病死後もその死は隠された

始皇帝という巨大なリーダーの死が混乱をもたらすことを恐れた臣下たちは、その死を隠すことに必死でした。死の直後からも彼がまるで生きているように振る舞い、その遺体を運ぶときには周囲に大量の魚を運ぶ車をつけて死臭がばれないようにしたそうです。しかしそれを延々と続けるわけにもいかず、彼の死から2ヶ月も経ったころに、ようやく二世皇帝が即位しました。 

7:70万人以上の人々が墓の制作に関わった

永遠の命を求めた始皇帝は死してなお権力者であろうとしました。彼の墓には色彩の施された実物大の兵士が約8000体、戦車や馬が数百体埋められています。また、司馬遷の「史記」には「水銀の川が流れ、天井には宝石がきらめき、侵入者を射殺する装置が作られている」と記されており、多くの人の手によって豪華な墓が作られました。

ひとりの人間としての始皇帝を書き出す

初心者の方にも、またすでに始皇帝のことをある程度知っている方にもおすすめできるのが『人間・始皇帝』です。しっかりとした資料に基づき、彼の人としての姿が記述されています。

著者
鶴間 和幸
出版日
2015-09-19

伝説的な英雄としてではなく、ひとりの人間としてリアリティのある始皇帝の姿を書き出している本です。

8章構成ですが、それぞれの章のタイトルに彼の年齢が表記されていため、具体的に人生のどんなタイミングで何をしたのかが掴みやすいつくりになっています。自分自身の年齢と比べながら読んでみると、その偉大さや壮絶さを実感できますよ。

最後に関係する人物の紹介、参考資料や文献、年表がたっぷりついていますので、もっと詳しく勉強したい人にぴったりの一冊でもあります。

歴史小説から始皇帝にふれる

本書は始皇帝をテーマにした歴史小説です。専門書ではなく、まず物語で彼のことを知りたいという方におすすめです。

著者
塚本 青史
出版日
2009-08-12

専門的な本が苦手な方はまず、彼の一生を小説で読んでみませんか?

著者は三国志の呂布や曹操、光武帝や仲達など、中国史をテーマにした歴史小説を多く書いている作家です。過度にドラマティックな表現は避け、人らしい始皇帝と、現実感のある秦の国を描いています。もはや伝説的な人物となっている彼も、実際に存在して時代を生きた人なのだと考えさせられます。

入門書として最適な一冊

入門書という観点でおすすめなのが『秦の始皇帝』です。平易な文章と図版で綴られていますので、彼について初めて勉強するのに最適です。

著者
陳 舜臣
出版日
2003-08-10

全体的にとても読みやすい印象で、始皇帝についてだけでなく、中国史の勉強を始めたいという方にもおすすめできます。

文章の構成や語り口がやさしく、文庫本でページ数もそれほど多くないので、歴史本に苦手意識のある方でも手に取りやすい一冊です。まずこの本を読んでみて、興味が出たらより専門的な本に入るのも良いでしょう。

充実したイラストで始皇帝の偉業をたどる

本書は豊富なイラストとともに彼の人生を追うことができる一冊です。歴史の授業は教科書より資料集が好きだった!という方におすすめできます。

著者
出版日
2014-01-09

図や写真が多く、ビジュアル的に始皇帝を理解する手助けをしてくれます。

とくに役立つのが地図。春秋戦国時代の中国地方国家は漢字一文字のものが多く、読んでいるうちに混乱してきてしまいませんか?本書では、地図や行軍の方向が示されているので、その都度確認しながら内容を理解することができます。

始皇帝は世界史の勉強で必ず名前が出てくる……というだけではなく、彼の残した万里の長城や始皇帝陵は世界有数の観光名所となっていますよね。有名な人物ではありますが、その人としての生きざままで知っている人は少ないのではないでしょうか?

中国全土の統一を史上初めて成し遂げた彼は、現代の中国の土台をつくったといっても過言ではありません。出生時の境遇は厳しいものでありましたが、そこから大国のトップにまでなった彼の人生はもはや伝説となっています。偉大な英雄の人生にふれることができる本を、ぜひ1度手に取ってみてください。

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