徳川3代将軍の家光は、名君とも暴君ともいわれる賛否両論が絶えない人物です。徳川の地位を固め、鎖国を完成させたかたわらで、実は男性好きでコンプレックスの固まり、不安神経症、さらには出生の疑惑まで……。この記事ではそんな彼の生涯と出自の秘密、知っておきたい意外な逸話、そしておすすめの関連本などをご紹介していきます。
初代将軍家康を祖父にもち、3代目にして江戸幕府の基盤を固めたといわれる徳川家光。1604年に生まれました。幼名は、家康と同じ「竹千代」とつけられました。1620年に元服し、家光とあらためます。
1623年に父の秀忠が隠居し、本丸へ。ただ秀忠はその後も政治の実権を握り続けていたので、家光が手腕を発揮するのは父が亡くなってからになります。
まず彼は、将軍を公方(くぼう)として最高権力者の地位に確立。そして老中、若年寄、奉行、大目付などの制度をつくり、各地の重要な拠点には親藩・譜代大名を置くなどの政権固めの策を講じました。
さらに武家諸法度を改定して参勤交代を義務付け、諸藩に対して戸幕府の存在を明確に意識させました。また、日光東照宮の大規模な改修工事をおこなった人物としても知られています。
もっとも大きな功績は、鎖国政策です。家康の時代から始まった鎖国を、彼の父の秀忠が道筋をつくり、家光が完成させました。オランダ、中国、朝鮮、琉球以外の国との交流や貿易を制限した国策で、日本の鎖国はこの後200年以上も続くことになります。
家光は歴代の将軍のなかでも、現役の将軍の正室から生まれた唯一の人間です。いわゆる御台所が生んだサラブレッド。ところが、生まれてまもなく母親から引き離されて乳母に育てられました。母親は織田信長の姪にあたるお江。そして乳母は春日局なので、豪華キャストが揃っています。
親子関係の不仲は有名な話で、お江は家光の忠長を可愛がっており、父親の秀忠も彼には冷たく接して後継者に忠長を考えていたほどでした。
実の両親から嫌われて育った家光。これには、出生の秘密があるという説があります。彼の実は彼の本当の母はお江でなく春日局で、父親は何と家康だったといわれているのです。
俗説ではありますが当時から噂になっていたこともあり、たくさんの歴史学者も注目しています。もし本当であれば歴史上のもっとも大きなスキャンダルですね。
ひとつの根拠としては、家光のお守り袋の中に「二世権現、二世将軍」と書かれた紙が入っていたそう。本来であれば秀忠が2世で、家光は3世のはずです。もしも彼が家康と春日局の子どもであれば、秀忠とお江の態度も納得がいきますが……真実は定かではありません。
1:男色家で、浮気した彼氏を切り捨てていた?
家光は子どもの頃から男色家だったらしく、女性への興味はあまりありませんでした。16歳の時には、関係のあった小姓の坂部五右衛門を切り捨てています。このきっかけは坂部が他の男と浮気していたからという説があり、本当であればかなり怖い話です……。
また、お気に入りの小姓を贔屓して出世させるものの、彼に子どもができようものなら容赦なく領地を没収したという話も残っています。
女性に魅力を感じない家光は、正室を迎えても世継ぎには恵まれせん。そこで困った春日局が、考えた挙句に作りあげたのが、あの大奥なのです。
2:大奥でも大苦戦。最後は男装で家光を誘惑︎
春日局は自分の地位を守りたいという気持ちもあり、あの手、この手で家光の世継ぎ誕生の策を講じます。
彼のために1000人もの若い女性を集め、まさにハーレムのような夢の世界をつくります。それでも家光は興味を示さなかったそう。
そこで春日局は、お振という女性に男装をさせて家光を誘惑させます。その苦労の甲斐もあり、彼とお振とのあいだにやっとのことで第1子が誕生しました。
このお振、実は石田光成のひ孫にあたる女性で、春日局が目をつけただけにボーイッシュな美女だったと言われています。
2人のあいだに生まれた子は残念ながら女の子。お振も体調を崩して亡くなってしまうのです。世継ぎ誕生は遠ざかり、家光は周囲の者を心配させましたが、晩年になると女性に対しての考え方も変わったのか何人かの側室をもうけ、後の家綱と綱吉が生まれました。
3:大名たちに喝!「生まれながらにして将軍である」
家光は、いわゆる戦を知らない将軍でした。周りの大名たちは彼のことを「親の七光りのお坊ちゃん」くらいにしか思っていません。そこで、大名たちとの初顔合わせの場で「自分は生まれながらにして将軍である」と高々と宣言して威厳を示したという逸話があります。
大名たちに将軍にしてもらったわけではなく、気に食わないなら戦を仕掛けてこいと言い放ち、彼らの鼻をへし折りました。
4:鎖国の決断は日本が軍事大国だったから?
鎖国は家康がきっかけを作り、秀忠が基盤を築き、家光が完成させた徳川3代による大政策です。もともとはキリスト教の布教によって国が乗っ取られると危惧したことから始まったというのが定説ですが、実はそれだけでなく、さまざまな国内事情と海外情勢が複雑に絡み合っていたようです。
一説によれば、日本の軍事力と鎖国が関係しているといわれています。当時はアメリカもまだ建国しておらず、日本は世界でも有数の軍事大国でした。戦国時代が終わって間もない頃なので当然かもしれませんが、他国との戦になっても戦える自信があったのでしょう。
その一方で、他国と貿易をすることで自国の軍事力が外国に流れてしまうのを危惧していたのではないかと考えられているのです。
もともと病弱だった家光。幼いころからしばしば病床に伏せていました。また「不安神経症」だったという説も数多く残っており、歴史学者で作家の山本博文もこの説を唱えています。
不安神経症とは、極端な不安状態が明確な理由もなく起こり、その状態が長期にわたって続くこと。現代では「パニック障害」や「全般性不安障害」とも呼ばれています。
彼が不安神経症になるきっかけは、両親からの愛情不足だといわれていて、幼少期からすでに兆候があったそう。
前述した「自分は生まれながらにして将軍である宣言」も、戦を知らない身で将軍になり、自分を馬鹿にしているであろう大名たちの前にこれから出ていくという場面では、大変な不安と恐怖に襲われたことが予想でき、そんな精神状態があの言葉になったのかもしれません。
また彼は執拗にキリシタンを弾圧していて、積極的な鎖国政策などからも、諸外国からの攻撃や侵略に対する異様な恐怖心は「不安神経症」が原因だと考えられています。
そんな家光の死因は、脳卒中だといわれています。1651年4月、献上品を眺めていたところ急に震えが止まらなくなり、そのまま意識を失いました。以前から歩行障害なども生じていたそうです。
鎖国にいたる道筋を現代の社会の状況に照らし合わせながら説明した一冊です。「内向き」傾向といわれる現代と徳川家光の時代を比べています。当時の海外情勢や幕府の勢力関係、目まぐるしく動く外交方針のなかで、いかにして政治的決断を下していったのでしょうか。
本書では16世紀から17世紀にかけての東アジア情勢や家光の政治手腕、島原の乱とそれが及ばす影響、幕府や藩、朝廷との関わり、さらには諸外国からの脅威などに焦点を当てています。
そして、家光のもつ個性があの大政策「鎖国」とどのように関わっていたのかを追求しているのです。鎖国の本質は果たしてどこにあるのか、歴史学者で著書も多い山本博文が解き明かしていきます。
- 著者
- 山本 博文
- 出版日
- 2017-06-06
本書は、徳川家光の鎖国までの道のりを、現代に照らし合わした独特の切り口と着眼点で書かれています。当時のアジア情勢や国内外の諸事情などが詳しく説明されているので、背景をイメージしやすくわかりやすい解説です。
徳川3代が関わった鎖国への道のりは険しく、最終的な政策の完成を家光が担うわけですが、その重圧に耐えることはかなりの苦悩があったことが本書でも書かれています。
家光の不安神経症を山本は著書のなかでも何度か書いていますが、歴史を淡々と追うだけでなく、どこか温かみのある人間味を感じられるものとなっています。
生まれながらの将軍としての家光の生涯を描いた、歴史小説です。徳川家康を祖父に持ち、秀忠と江の息子として生まれる家光。弟の忠長を可愛がりついには彼を後継者にすることを考える両親のもとで、家光は育ちます。そんななか、忠長の自害を期に、1634年に家光はついに京入りを果たしました。
さまざまな柵のなかで将軍としての地位を固めながら、島原・天草の大乱を迎え、本領を発揮していくのです。また、世継ぎの問題に直面し、自らの役目をいかに果たしていくか苦悩していきます。やがては、かつての重臣たちを失った家光を、慶安の乱という大陰謀の危機が迫ります。
- 著者
- 山岡 荘八
- 出版日
- 1987-04-30
山岡荘八作品といえば『徳川家康』が代表作ですが、そちらを読んだ読者が本書も読んでみたくなるケースが多いようです。ほどよい脚色で人としての家光が描かれおり、家康や秀忠との狭間のなかで成長する姿は物語としても満足度の高い作品になっています。
山岡作品の真骨頂である、豪快な人物としての家光が描かれています。歴史上の背景ももちろんしっかりしていますが、物語としての緊迫感や登場人物の心情なども書かれており、濃厚な人間ドラマしても仕あがっているのです。山場はたくさんありますが、天草の乱や鎖国に関するエピソード、側室問題に苦しむ家光の姿は、全体の物語を特に盛りあげてくれます。
本書では徳川家光の思想と行動を分析しながら、江戸幕府の本質的な性質も解き明かしていきます。
生い立ちをめぐる境遇のなかで家光がどのように育ち、何を考え、将軍という立場になった時に何をなそうとしたのか?幕府の権威を示す、さまざまな改革や強烈なキリシタン対策など、彼の思想と行動の真髄に迫ります。
オランダ商館長の日記をもとに家光の人物像を探っていく本書。外国人の視点から客観的に真実を捉え、人間として、将軍としての家光の姿を映し出していきます。また、家光の病気についても本書では触れており、その病状や回復への兆しなどについても書かれているのです。
さまざまな要素を総合して江戸幕府と家光の真実の姿を追求した一冊となっています。
- 著者
- 野村 玄
- 出版日
- 2013-09-10
日本人だけではなく、外国人の視点からシビアに客観的な真実を捉えようとするところに、研究者としてのセンスを感じられるでしょう。
生い立ちや病気に関する観点から家光の性格や思想を分析していますが、徳川の地位や権威を確立させ江戸幕府の絶対的な地位を示そうとする政策の根拠が書かれています。将軍として国を動かすトップの考え方がいかにして形成されてきたのか、歴史学者としての緻密な研究成果が集約されています。
果たして家光は名君だったのか、暴君だったのか。その答えが、この一冊にあるかもしれません。
「徳川家光」という人物を豪快に描いたコミック作品。幼いころの生い立ちから、将軍職に就き数々の政策を成し遂げる姿を描いています。竹千代(家光の幼名)とお福のシーン、家光上洛で大名たちを圧倒するシーン、そして島原の乱や鎖国という歴史的な一場面まで楽しみながら読むことができるでしょう。
登場人物も、家光はもちろん、家康、秀忠、お江、忠長、春日局という主要人物のほか、伊達政宗、藤堂高虎、稲葉正成など実在した歴史上の人物も多数登場します。
また、歴史をより知るための豆知識が解説として付いているので、漫画を楽しんだ後はさらに知識を深めることができます。
- 著者
- ["すぎた とおる", "中島 健志", "加来 耕三"]
- 出版日
- 2011-12-15
家康や春日局の存在が家光を助け、将軍への道をいかに歩んで来たかがコミックを通じて描かれます。子どもたちにもわかりやすい内容になっており、大人が読んでも新しい発見ができる一冊です。
「生まれながらの将軍」のあのシーンでは、大名たちを圧倒する場面が痛快に書かれており、ひとつの見せ場として楽しませてくれます。
また、家康、春日局、秀忠というお馴染みの人物も表情豊かに描かれており、文章だけでなくコミック手法によってその人物を身近に表現しています。読みやすいという最大の特徴を活かし、歴史物としてだけでなく、漫画としても十分に楽しめるところが素晴らしい作品です。
鎖国は政策として賛否両論もありますが、哲学者のカントは著作『永遠平和のために』で鎖国政策を評価しています。家康、秀忠、家光の3代将軍がいかに悩み、決断したのか。鎖国は江戸幕府を語るにおいて、絶対欠かせない珠玉のエピソードなのです。