2016年にこの世を去ったボクシング史上の偉人、モハメド・アリ。第二次世界大戦後の激動の時代に、彼が世界に示した生きざまを垣間見ることができる作品をご紹介します。
モハメド・アリは1942年にアメリカで生まれ、カシアス・マーセラス・クレイと名づけられました。「モハメド・アリ」と名乗るのはもう少し後のことです。
ボクシング選手として有名ですが、そのきっかけは幼少期に自転車を盗まれ、駆け込んだ警察官がボクシングをしていたことでした。犯人に鉄拳を加える名目で、その警察官がトレーナーを務めるジムに通いだします。
入門して2ヶ月ほどでアマチュア選手としてデビューすることになり、1960年、18歳の時にはローマオリンピックにライトヘビー級で出場。見事金メダルを獲得しました。
同年にプロへと転向。イスラム教の信者であることを公表して、「モハメド・アリ」と改名します。
その後プロ選手として順調に勝ち進み、「WBAWBC統一世界ヘビー級王座」を奪取。しかし、ベトナム戦争が激化していくなかで反戦を訴え続けた結果、無敗のまま王座剥奪という社会的制裁を受けます。
公民権運動などへ積極的に貢献していたことから、約3年半もの間、試合をさせてもらえませんでしたが、復帰後は実力で王座奪還を成し遂げました。
引退後はパーキンソン病を患い、公式の場に出ることは少なくなりましたが、1996年のアトランタオリンピックでは聖火台に点火する役目をつとめました。2016年に、74歳で亡くなりました。
1:金メダルは無くしただけだった
彼の有名なエピソードとして、「オリンピックで獲得した金メダルを持ってレストランに入った時に、白人でないことを理由に入店を断られたことがきっかけでプロになることを決意し、メダルを川に投げ捨てた」というものがありますが、これは嘘であることが本人の口から明らかにされました。
アリいわく、メダルを無くしてしまったが、そうは言えずに後付けのエピソードをつけた、とのことでした。
2:アントニオ猪木との対戦
あまりにも有名な話ですが、日本のプロレスラーであるアントニオ猪木と対戦した記録が残っています。
1976年6月26日、日本武道館で「格闘技世界一決定戦」が開催され、プロレス対ボクシングという異種格闘技戦が開催されました。
試合は時間切れ引き分けに終わりましたが、2人の関係はその後も続き、アリは自身の結婚式に猪木を招待したといわれています。また猪木の現役引退興行には、アリがスペシャルゲストとしてリング上にあがりました。
1:ベトナム戦争の徴兵に反対した
1960年代後半、アメリカはベトナムでの軍事介入を本格化させていきます。
アリは陸軍知能テストで78点と徴兵基準を下回っていたため、徴兵の対象からは当初除外されていましたが、しだいに多くの兵員を必要とした軍部は徴兵基準の大幅な引き下げをしはじめ、彼もいつ徴兵対象となってもおかしくはない状況でした。
しかしアリは、「俺はあいつらベトコンたちに何の恨みもないんだよ」と、報道陣に対して真っ向から主張し、徴兵を明確に拒否。当時はアメリカ国内での反戦世論は大きいものではなく、アリは公式なボクシング試合を禁止されるなどメディアや世論の圧力に耐え、選手生命を投げ打って反戦に身を投じました。
2:湾岸戦争で活躍した
1990年に勃発した湾岸戦争で、イラクで人質となった日本人の解放にアントニオ猪木が大きく貢献した話は有名ですよね。
そこにはアメリカ人の人質もいて、彼らの救出には、アリがイラクまで出向いて直接交渉をし、解放に大きく貢献しました。
3:宗教の垣根を越えた棺の付添い人
2016年にアリが死去し、葬儀を執りおこなうにあたり「棺の付添い人」のひとりをハリウッド俳優のウィル・スミスが務めることになりました。
ウィルは映画「ALI アリ」で主人公のモハメド・アリ役を演じており、その縁から選ばれたようです。彼自身はプロテスタントの出身で、アリはイスラム教徒でしたが、宗教の垣根を越えた葬儀にする計画を生前から立てていたといわれています。
ボクサーとしてだけでなく、さまざまな形で生きた軌跡を遺したモハメド・アリ。
人種差別やベトナム戦争など激動の時代を生きた彼の半生と、彼のような人が生まれた時代構造を紐解いている一冊です。
- 著者
- トマス・ハウザー
- 出版日
- 2005-04-15
彼の生涯のなかでも、特に1960年代にフォーカスをあてて、アリ本人を含む多くのインタビューが集約されています。
栄光と挫折をくり返した彼の人生を見つめてみませんか?
人種差別や戦争などの苦難と向き合ってきたアリ。
本作には、そのなかで培われた思想や物の見方を表す数々の言葉が記されています。
- 著者
- 出版日
- 2017-05-31
「人生はボクシングに似ている。問題は倒れることではなく、立ち上がろうとしないことだ」(『モハメド・アリ語録』より引用)
ボクシングで数々の勝利を飾りながらも、出場権を剥奪されるなど時代の逆風に幾度となく押しつぶされそうになった彼の口から生まれた言葉です。
ベトナム戦争の際には徴兵を拒否するなど、さまざまなフィールドで彼が世間に発信した言葉は、現代の読者も魅了するでしょう。
作家でジャーナリストであるデイビッド・レムニックが、ボクシング、人種差別、反戦などをとおしてアリの人物像を描いた作品です。
- 著者
- デイビッド レムニック
- 出版日
全16章、総ページ数は500にものぼる本書には、アリの半生だけにとどまらず、時代が彼に与え続けた試練とそれに立ち向かい続けた記録が記された、膨大な取材に基づいて記した
資料と史料を兼ね備えた作品となっています。
アリを主役にした書籍は多数ありますが、彼と向き合った人物にフォーカスをあてた書籍はそう多くはありません。
本書は、アリと対戦したボクサーたちのインタビューが集約されている貴重な作品です。
- 著者
- スティーブン ブラント
- 出版日
フォアマン、フレージャー、ホームズなど、彼とリング上で対決した人々が「モハメド・アリ」という人物をどう見ていたのかがわかる、ユニークな内容です。
アントニオ猪木も対戦したひとりとして記されています。日本人の読者から見ても「遠い世界の人」ではなく、彼をより身近な人間として捕らえることができるでしょう。
モハメド・アリは、ただのボクサーで終わらず、アメリカ国内外に大きな影響を及ぼし、今日のスポーツ選手が政治的な発言をできる礎を築いた人物でもありました。
彼の生きざまは今後も多くの人の興味を引き続けることでしょう。