在日朝鮮人2世として生まれた作者、高史明。彼の作品からは、生きる意味について考えさせられます。朝鮮人としての民族の誇り、そして日本人になれないもどかしさ。戦中、戦後を生きてきた作者の、心の叫びを描いた作品群をご紹介します。
1932年、山口県下関市出身の高史明は在日朝鮮人2世の小説家です。高等小学校を中退し、社会の底辺ともいわれる貧困層の仕事を転々とします。政治活動をしながらも、朝鮮人である自分が日本で暮らすことに強い葛藤を覚えますが、そんななか親鸞の言葉に強く惹かれ、『歎異抄』についての研究を開始しました。こうして文学の道を志していきます。
1971年に『夜がときの歩みを暗くするとき』で文壇デビューを果たし、執筆業を進めます。1975年には『生きることの意味』を刊行し、日本児童文学者協会賞を受賞しました。しかし同年、ひとり息子が12歳で自殺。この事件をきっかけに、命について見つめるようになります。
翌1976年、息子の詩を集めた『ぼくは12歳』を、妻の岡百合子とともに編纂、刊行しました。
他著書に、『一粒の涙を抱きて 歎異抄との出会い』や『いのちの優しさ』、『深きいのちに目覚めて』などがあります。命と向き合い、生きることへの意味を問う作品が多く、多くの共感を集めている作家です。
1974年に刊行された本書は、戦中、そして敗戦を迎えるまでの在日朝鮮人2世として生まれた高史明の少年時代の体験をもとに描かれた小説です。
父親と兄とともに、貧しいながらも懸命に生きていた少年時代。小学校では、在日朝鮮人として差別されてきました。しかしそのなかで、本当の優しさと厳しさを教えてくれる日本人教師と出会います。
いじめや貧困、自殺未遂、暴力事件、さまざまな困難を経て生きる少年が、生きることの意味を模索していきます。
- 著者
- 高 史明
- 出版日
- 1986-01-01
在日朝鮮人として生まれた高史明が描く本作は、戦中、戦後の時代に彼らが日本でどのような生活を送っていたのかが分かる作品です。
日本語をうまく話せない父親は、日本社会と溶け込めません。貧困、民族への差別により、主人公の少年は酷くいじめられます。
そんななかでも朝鮮人としての民族の誇りを目覚めさせ、そして人として対等に接してくれる日本人教師、坂井先生と出会います。その存在に、読者は胸が熱くなるでしょう。少年は暴力的な人生に足を踏み入れもしますが、多くの人との出会いが生きる意味をもたらしてくれます。
平和で物が溢れている現代社会において、生きることの意味はなぜか希薄になるばかりです。本書を読んで、もう1度生きる意味に触れてみてください。在日朝鮮人の立場や心情、そして人生の意味を理解するのにおすすめの作品です。
在日朝鮮人作家の高史明と妻である岡百合子が、ひとり息子である岡真史の詩を編纂をして刊行した詩集です。
多感な12歳の少年の心情と鋭利な言葉、一変して思春期を思わせる微笑ましい言葉の数々がつづられています。
詩の作者である岡真史は、1975年7月に、家の近所の団地で投身自殺をしました。12歳という若さで自ら命を絶つ選択をしてしまった少年が遺した言葉の数々が、読者の胸に深く刺さります。
- 著者
- 岡 真史
- 出版日
12歳という若さで死を選んでしまった作者の心の動きが伝わってくるような、繊細な詩の数々が収められています。
詩の内容は、本当に12歳かと疑うような鋭い視点で描かれていて、その表現力に読者はたじろぐかもしれません。しかしそんな詩のなかにも、たまに見られる恋の詩や子どもらしい愛らしい表現も混ざっており、作者である12歳の少年が、読んでいる人の心のなかに、まるで弟や子どものような存在として現れます。
なぜ彼が自殺をしてしまったのか、それは今となっては分かりません。しかし彼の遺した繊細な感情とそこから派生した言葉の数々は、これからも多くの人のなかで生き続けるでしょう。
本書は、在日コリアンに対する社会的差別、レイシズムを研究した学術本です。
本書では「朝鮮人が民族的に劣っている」という古くからあるレイシズムと、「平等であるはずなのに特権を得ている」という新しいレイシズムがどのような関係にあるのかをTwitterから分析し、社会学という見識から読み解きます。
インターネットは在日コリアンへの偏見と差別に対し、どのような関わりを持っているのかについて深く言及しています。
- 著者
- 高 史明
- 出版日
- 2015-09-30
匿名性の高いインターネットには、誹謗中傷の書き込みが絶えず、それが差別を助長させる要因のひとつとも考えられるでしょう。
本書では在日コリアンへのレイシズムを学術的に分析し、統計学としてそれらのレイシズムを解明しています。一方的な主観による歴史認識や差別意識、または右翼主観や左翼主観もなく、中道的かつ学術的にまとめられた本書は、まさに在日コリアン、また現代日本人が抱える差別意識を考えていくうえで最適な本です。
日本人の本質的部分を客観的に捉えることのできる、貴重な学術本です。
本書は高史明の言葉集です。
12歳で自殺をしてしまったひとり息子を持つ著者。最愛の息子の死により、深い闇に突き落とされてしまった彼は、やがて親鸞の言葉や思想をもう1度思い出すようになります。
息子の死によって照らし出される、生きることの意味とは果たして何なのでしょうか。鬱々と現代社会を生きる若者たちへ向けたメッセージが込められた言葉集です。
- 著者
- 高 史明
- 出版日
本書は、ひとり息子を亡くした後、深い闇へ突き落とされた思いと、そしてその深い闇から生きる意味を考えてきた高史明の渾身の言葉集です。
息子を亡くした後、彼は多くの若者の言葉や意見を聴いてきたといいます。死にたいという若者たちの言葉を否定なく聴き入れ、そしてそこから、なぜ死にたいと感じるのかを共に考えていったのです。
人が死にたいという思いを巡らせた時、その人の手や足や身体のパーツひとつひとつは、生きたいと願っているのではないか……。改めて生きる意味を考えさせてくれる作品です。
1932年の戦中に、在日朝鮮人2世として朝鮮部落に生まれた金天三は、完全な朝鮮人にも日本人にもなれずにもがいていました。やがて敗戦後に周囲の状況は変わりますが、アイデンティティーを喪失したまま、抜け出せない極貧の生活に蝕まれ、次第に暴力行為に手を染めていきます。
やがて人生をやり直そうと上京。しかしその後は共産主義に傾倒し、さらなる苦難が待ち受けているのでした。
高史明の実体験をもとに描かれた小説です。
- 著者
- 高 史明
- 出版日
本書は『生きることの意味』に加筆という形で書かれた作品です。在日朝鮮人として生きてきた作者の苦悩と葛藤が、『生きることの意味』に加えてより克明に描かれています。
日本で生まれた日本人であるならばアイデンティティーを失うことはありません。在日朝鮮人の人が背負ってきた2重3重の苦悩は、日本人には到底理解がおよばない部分が存在するのでしょう。
辛く、読み進めるうちに悲しみが込みあげてきますが、特に日本人であるならば1度は読んでおいても損をしない、意味深い本であるといえます。
戦中、戦後の混乱期にいかに自分を見つめていくのか、また貧困やそこから生じる差別がいかに虚しいものであるのかが分かる作品です。
高史明の描く世界は、どれも生や死に対して真っ向から対峙したものばかりです。戦中と戦後の教育では、軍国主義から平和主義へ180度の方向転換がありました。
日本人であっても混乱を覚える状況のなか、在日朝鮮人である作者には、何重にも苦悩があったことでしょう。アイデンティティーの喪失、そして最愛の息子の死。波乱万丈な人生を生きてきた作者だからこそ、鬱々と現代日本を生きる人々の心に強烈なメッセージを届けることができるのです。