小室直樹は、大学教授などを歴任した社会学者、評論家です。秀才の誉れ高い一方で、その言動が変わっているのはいつものこと。テレビでの過激発言で記憶されている方もいるでしょう。しかしその著書はというと、意外にも本質的で正統なのものも多くあります。
1932年に東京で生まれた小室は、5歳の時に父を亡くし、母方の故郷である福島の会津に移ります。生活は苦しく、厳しい環境のもとで育ちました。
会津高等学校に進むと、後の政治家となる渡部恒三らと同級になり、その交際は生涯続きました。学業に大変熱心で、本でも辞書でも丸暗記するように精読し、なおかつ覚えるだけでなく整理し体系化して、理解することに秀でていたようです。
また、彼の守備範囲は数学、物理学をはじめ統計学、社会学、人類学、経済学、政治学と多ジャンルに及びます。そして、それらの正統的本質を学ぶに留まらず、新しい領域の開拓にも果敢でした。
京都大学に進むとその志望を経済学に決め、当時優秀な教授と学生を集めていた大阪大学大学院で、理論経済学を主に学びます。
推薦を受け奨学金でのアメリカ留学を果たしますが、定収入がなく食うもままならなかった小室は、お祭り騒ぎのように好景気に沸いているアメリカを実際に見て、その天と地の差に思うところがあったようです。
まずミシガン大学大学院、次いでマサチューセッツ工科大学大学院、ハーバード大学大学院で研究を続けます。
理論経済学を修めにいったのですが、彼の関心は広がり、結果としてはやや経済学と距離を置き、社会学、政治学、心理学に興味を惹かれつつ帰国するに至りました。
帰国後は、東京大学大学院の法学政治学研究科に入学し、そこでも社会学や政治学、心理学などを学び、1972年、40歳で法学博士号を取得しました。
小室は執筆や講演など、まだ無名であったにもかかわらず大抜擢が続き、徐々にその地位を確立していきます。大学の教授を歴任し、その門下にも錚々たる面子が並びました。著述活動も盛んで、ベストセラーを連発します。
彼に対する周囲の評価としては、秀才ぶりもさることながら、その変わった行動が学生の頃から有名でした。メディアでは過激な発言を厭わず、クレームはいつものこと。その一方、一部ではカリスマ的尊敬を集め、小室教や小室ファンといわれる人も増えたそうです。
2010年、学問に身を捧げ、日本の発展を願い続けた生涯を終えました。
論理を使いこなす秘訣は、モデルを作ってみること。社会科学でいうモデルとは、論理の結晶であり、本質的なものだけを抜き出したもののことです。モデルを自在に使えるようになれば、相手に自分の考えを伝えることも、会社経営を合理化することも、国を指導することもできるようになるといいます。
近代国家の原理と古典派経済学モデルにはじまり、ケインズ経済学モデル、ヴェーバーにみる宗教モデル、資本主義の精神、そして日本政治や歴史モデルなど、どの章からでも興味のあるところから読めるようになっています。
- 著者
- 小室 直樹
- 出版日
モデルはモデルであり、それがそのまま不動の真理のことを指すのではありません。それを理解していないと、時にトラブルが起きます。ソヴィエト崩壊も、宗教戦争も、これが要因だといいます。確かに、一部の発言をあげつらって全体の結論かのように見做すことはトラブルのもとです。
欧米の卓抜したモデルを並べていますが、最後の2章は日本の政治モデルと国史モデルを掲げていて、最後の2章から読むのもおすすめだそう。
と、言うからには、やはりその前の4章までが、小室の主要な論なのではなかろうかとも思えます。あくまでモデルとして挙げてあるとはいえ、経済学の話が続きながら、4章の最後には話が宗教にまで及びます。最終的には、読者が自由に、素晴らしいモデルを作れることを目指して書かれているようです。
広く一般向けで、読者に語り掛けるような口調です。経済学を学ぶ人はもちろん、そうでない人にも読みやすく配慮されています。これも、モデル構築力のなせるワザなのかもしれません。
2002年に発表された本作。2001年に起きた同時多発テロ事件以来、すぐにイスラム関係の本が多く出版されました。しかしそれらのなかに、イスラムの本質を明白にできたものがあっただろうか、と小室は問うています。
イスラム世界の本質は、経験談やレポートでは足りず、比較宗教学、宗教社会学的にイスラム教を研究してはじめて明らかになると彼は主張します。
日本人は、アジアの歴史、ヨーロッパの歴史を知っていても、中東の歴史を知っている人は少数です。そして、宗教に疎い。アメリカとイスラムの衝突は、宗教の、あるいは一神教どうしの衝突なのです。
宗教の理解なくしては、世界を理解できません。
- 著者
- 小室 直樹
- 出版日
- 2002-03-01
小室は日本人を「宗教オンチ」と言っています。我々日本人の多くは、宗教が違っても同じ人間だろう、という程度にしか考えていないのではないでしょうか。宗教が違えば行動様式も違うということを、根本では理解できていないかもしれません。これでは押し寄せる国際化の波に、トラブルが起こるのも時間の問題です。
日本人が1番知らない「イスラム」について知れば、おのずと世界の宗教に通ずる効用が期待できます。ユダヤ教もキリスト教も分かってくるというわけです。そして、キリスト教とイスラム教を比較してみれば、アメリカとイスラムの対立の理解にもつながるでしょう。
そのため本書は、実はキリスト教入門書でもあり、宗教史入門書にもなり得ます。文章はかなり噛み砕いてあり、多角的で広範囲に渡っていて、興味深く読めるよう書かれています。面白く読んでいるうちに、各国の慣習や文化や歴史を知れるでしょう。
さまざまなジャンルにおいての「数学的発想」を紹介しています。
その基本として、まず、解は存在するのか否か、という問題。これを、マゼラン、月面着陸、小野小町など多岐に渡る例を挙げて、存在問題について解説します。
そして、日本人に足りない数学的思考とは何か、を考えます。法、契約、規範において、日本社会に不足する精神を洗い出していくのです。
陥りやすい論理矛盾についての解説では、仏教や宗教を絡めながら、そのイデオロギーの骨子を解説。そして著者は最後に、日本には本当の論争がない、と主張します。
- 著者
- 小室 直樹
- 出版日
- 2005-04-01
タイトルこそ数学についてですが、読んでいるうちに易しく、そして本格的にロジカルシンキングを学べる一冊です。その軸のひとつが数学的思考ということであって、学べることは数学そのものだけではありません。
数学の論理は常識を超えたものである、と小室は解説しています。たとえば、前提が間違っていれば帰結は何を言っても正しい、などこのような例がいくつか挙げられていて、読みどころのひとつになっています。そしてこのような例を読んでいるうちに、最初に提示された難題の意味が理解できてしまうのが本書なのです。
1981年の著作を改訂したものということもあり、言い回しなどは独特ではあるものの、小室の博学ぶりと発想力で、面白さは色褪せません。数学アレルギーを持っているような人も、1度試してみて損はない内容です。
『小室直樹の資本主義原論』(1997年)と『日本人のための経済原論』(1998年)の合本として、2015年に出版されました。第1部が資本主義原論、第2部が経済原論という構成です。
小室は、経済官僚は少しも経済を理解していないといいます。そこで彼はこの合本をとおして、一般人である読者を経済学者にしてしまおう、と計画したようです。そんなことが可能なのでしょうか。
経済学には解るコツがある、と小室はその秘訣を語りはじめます。
- 著者
- 小室 直樹
- 出版日
- 2015-05-29
テキストのような説明口調ではなく、感情やジョークを多分に含んだ語り口調で、同種の書籍のなかでもかなり読みやすいものではないでしょうか。
何よりまず説明が分かりやすく、端的です。普通の人は、断定的な言い方をするときは相当の注意を払い、なるべく避けるものですが、小室は語弊を恐れず言い切ってくれるので、読みやすさが段違いになっています。
たとえば、経済のエッセンスは、市場、その分析である、とまずは言い切ります。そして時折問答形式を盛り込んで疑問を提示し、読者が頑張らなくとも、自然と次に目がいくように書かれているのです。
経済学を理解することは資本主義市場を理解することである、と小室は言っています。そういう意味もあってこの順での合本に至ったのでしょう。特に前半は、経済に詳しくない人にとってもかなり読みやすく書かれており、そこを焦らずしっかり読むことで後半に備えるのが良いでしょう。
不況、犯罪、教育の崩壊……日本が抱えるいくつもの問題は、原因を辿るとすべて憲法の問題にいきつきます。つまり、憲法がちゃんと作動していないから、色んなことが機能不全に陥っているのです。
では、なぜそうなったのか。その理由が憲法学にあります。しかし大学で教わる憲法学は無味乾燥で、とても興味を持てるものじゃない……。
そこで小室教授が立ちあがりました。憲法学は、本来はとても面白くエキサイティングなものなのです。
- 著者
- 小室 直樹
- 出版日
- 2006-03-01
第1章から過激な内容です。まず、日本国憲法は死んでいるそう。しかしその説明を聞くと、なるほど一理あると首肯してしまいます。
次に護憲派と改憲派について言及しますが、ここで小室がどちらかの立場をとることはありません。
この本では、編集者のシマジくんという人物が聞き手、質問者、受講者となり、小室教授の主張を受け止めます。シマジくんは小室に対して、過激な改憲論で話題を呼び書籍が売れることを期待していたのですが、小室はそんな単純な要求には応じないのです。
どう考えるかはこの本を読んだ後、読者が自分で決めてほしいと彼は望んでいます。小室はいつも、読者が自分自身で考えられるようになるための構成を意識しているようです。興味を持ち、自ら学ぶ気持ちを持ってほしいという彼の願いは、その著作のさまざまな工夫から伝わってきます。
小室の著書は、読者になんとかして現状の問題に危機感を持ってもらい、かつ自分で学べる人になってほしいという思いをありありと感じます。きっとそれが、自分が日本のためにできることであるという、強い思いがあったのではないでしょうか。