2002年3月に北九州市小倉北区で事件が発覚した。およそ6年間に渡って監禁・殺害を繰り返した犯罪史上稀に見る凶悪犯罪で、第一審で検察側は「鬼の所業」と容疑者を激しく非難した。 そんな残虐で非人道的な事件であるにも関わらず、報道規制によってあまり認識されていないこの事件を『消された一家』という本を通して考察していきたい。
その男は「天才殺人鬼」であった。
マンションの一室に男性とその娘を監禁し、多額の金を巻き上げると同時に、通電や食事・睡眠・排泄制限などの虐待を加えた。やがて家畜のごとく、男性を衰弱死させた。その後、今度は七人家族を同じ部屋に監禁し、やはり通電やさまざまな制限を加え、奴隷のごとく扱った。七人家族とは、その男の内縁の妻、妻の父親、母親、妹夫婦、甥、姪だった。
そして――。
男は、家族同士の殺し合いを命じた。まったく抵抗も逃走もせず、一家はその指示に従い、一人また一人と殺し合いで数を減らしていった。遺体はバラバラに解体された。男はまるでチェスの駒を進めるかのように、その都度、殺す者と殺される者を指示するだけで、自らの手はまったく汚さなかった。
ついに、男の妻ひとりを残して、一家は全滅した。(『消された一家』より引用)
- 著者
- 豊田 正義
- 出版日
- 2009-01-28
これは『消された一家』の冒頭の文章だが、ここからわかるように、主犯の男は一連の殺人事件において1度も自身で殺害行為をしていない。
計7名の殺害はすべてマインドコントロール下にあった身内らに行わせたのだ。
これが他の重大殺人事件とは違うところであり、この事件の核とも言えるところである。しかし、それほどまで強固な支配関係をどうやって築いていったのだろうか。
男の名前は松永太。1961年に北九州市小倉北区に生まれ、実家は畳屋。小学校の全学年でほとんどの科目でオール5の評価をとり、学級委員長や生徒会役員を務め、中学校1年生時には校内の弁論大会で3年生を差し置いて優勝し、バレー部のキャプテンも務めた。
学生時代から金儲けの話と女遊びが大好きで、学校ではしょっちゅう株や投資の話をし、高校では不順異性交遊が発覚して男子校に転校している。
高校を卒業した後は、父の畳屋を継ぎ、家業を布団販売業に転換。株式会社ワールドとして、1992年に詐欺罪と脅迫罪で指名手配されるまで高額で布団を売りつける詐欺商法を繰り返す。
このワールド時代に事件共犯者である緒方純子と結婚する。そして、彼女は次第に松永に支配されていく。
松永は、当初は純子に優しく対応していたが、彼女が昔交際していた男友達の話をしたことをきっかけに暴力を振るうようになる。純子を言いくるめ、知人男性を殺害させ、そのことを緒方一家に伝えることで、体裁や名誉を気にする緒方家を手中に収めた。
そして食事・睡眠・排泄・外出など様々な生活制限を強要し、閉鎖空間で自分を頂点とした序列制度を作った。序列が下位の者は、どんなに些細な理由でも松永の気分次第で「通電」された。
この通電というのは、相手をコントロールするのに非常に有効な虐待方法だった。原点は松永が経営する会社に在籍していた工業高校の電気科を卒業した従業員から得た知識で、電気ショックを虐待に使用できるよう改良したものである。裸にした電気コードの先にクリップをつけて身体に挟み、瞬間的に電流を流す方法が用いられた。
激痛が走って目の前は真っ白になり、患部は火傷を起こし、酷い時には水膨れになる。通電する部位は様々で、手足から顔・乳首・性器まで対象だった。
通電を受けた者の証言によると
「1秒でものすごい衝撃と激痛を感じ、意識が遠のいて目の前が真っ暗になり、このままどうなるかという恐怖感があった。」(緒方純子)
「顔面への通電で判断力を失い、何も考えられなくなったことがある。生きていくのが嫌になり、生きていたいという意欲がそがれた。」(緒方純子)
「乳首に通電されるとちぎれるような痛みがあり、心臓がバクバクッとして胸にドンという電気の衝撃があり、仰向けに倒れたことがあった。眉毛への通電では、目の前に火花が散って真っ白になりそのまま失神した。」(監禁女性)
とあるから、拷問としての効果が絶大だったことは想像に容易いだろう。
通電を続けられた被害者たちは、「学習性無力感」という状態に陥っていたと考えられる。これは、心理学者のレノア・ウォーカー博士が唱えた説だ。
実験的に檻に閉じ込めた人間や犬に電気ショックを与え続けると、当初は逃げ出そうとしていても、次第にそれが不可能だと学習して無抵抗になっていく。しまいには檻を開けても檻から出なくなるのだ。
現にこの事件は、何度も警察に電話するチャンスがあったにも関わらず、被害者たちはそれをせずに殺されてしまった。完全に学習性無力感の症状と一致しているのだ。
松永が行ったマインドコントロールの手段には、通電のほかに文書がある。彼は数々の「事実関係確認書」を作り、なかには弱みや虐待を盾にして被害者に作らせたものもあった。主に以下のようなものがある。
1:被害者が文書の中身を将来実行するもの
被害者に、松永の利益になる無理難題の実行を約束させるもの。文書の中身を実行しなければならないと自ら思わせるように仕向けた。
2:被害者が過去の弱みを告白するもの
文書に署名したことを理由に被害者の弱みを握り、松永自身は責任を逃れられるように仕向けた。文書の中身が真実でなくても真実だと思い込ませて、逃亡や通報を抑止していた。
3:松永が将来、文書の中身を実行すると思われるもの
被害者に、松永が文書の中身を将来実行するかのように思わせた。
以上の通電・文書によって被害者の心は松永に支配され、事件の発覚がこれほどまで遅くなったのだ。
裁判では、共犯者の純子の刑罰について論争が起きた。というのも、松永にコントロールされていたとはいえ、ひとりで外出する機会もあったのだから、彼女が本心から逃走を図ろうと思っていたらもっと早期に事件が発覚していたのではないか、犠牲者がここまで膨れ上がることもなかったのではないか、という話だ。
心理学的観点からすれば、学習性無力感に陥り、かつ文書で弱みを握られていた彼女が逃げ出すのは至難の業だったと考えられる。
しかし、彼女が徹頭徹尾松永の殺人に加担していたのは言うまでもない。裁判で純子は、第一審では松永と同じく死刑を求刑されたが、第二審では弁護団が彼女の心理鑑定を提出したこともあり無期懲役判決となった。
「これほどの凶悪事件なのだから、当時は長期にわたって報道されたのだろう」と多くの人が思うかもしれないが、実際のところ、この事件はほとんど詳細を報道されることはなかった。
なぜだろうか?
理由は単純で、あまりに事件が残虐すぎて、報道規制がかけられたからだ。
ただ私は、この報道規制がマスコミのありかたについて考えるきっかけに思えてならない。本来メディアとは、ありのままの情報を提供するものである。戦時中の日本軍がすべての情報を流さず敗戦してしまった教訓を生かすべきになのにも関わらず、報道がないためにこの事件の素性を知る人は少ない。
確かに残虐で報道に規制がかかるのも理解できるが、それでも知りたい人がいるならば情報を提供するのがマスコミなのではないだろうか。そう異議を唱えたい。
この事件の刑事部長として捜査に携わった小賦義一は、事件の教訓として
・犯罪者の企図に気づく目を養うこと
・性善説を信じないこと
・主人の留守宅は特に注意すること
・結婚前に相手の素性を確かめること
・執拗な暴力には警察に訴えること
・身内の犯罪者は早く自首させること
・犯罪人格者とは早く別れさせること
・不審な出来事は警察に通報すること
(『北九州連続殺人事件の教訓』より引用)
をあげている。
起こってしまった事件はどうすることもできないが、事件から得られるこうした教訓は今後に役立てるべきだ。
この事件はここで述べた以上に混沌としている。純子以外の人間も、緒方一家が全滅するまで虐待を受け続け、松永にコントロールされてしまう。
報道はあまりされなかったものの、この事件を扱った書籍は多数出版された。『消された一家』もそのひとつで、マインドコントロールの一言一句が事細かく記されているので、事件について知りたい方に強く勧めたい。