哲学者ショーペンハウアーは数多くの名言を残し、ニーチェなど後の哲学者だけでなくワーグナー、トルストイなど多くの芸術家、作家、学者に影響を与えました。実存主義の先駆者ともいわれる彼にまつわる逸話をおすすめの本とともに紹介します。
1788年にバルト海沿岸の商業貿易都市ダンツィヒで生まれたアルトゥル・ショーペンハウアーは、商人であった父親の影響で、子供の頃からヨーロッパ各国を旅していました。
彼もその父親の希望に沿って商人の道を志し修行を始めますが、1806年に父親が死亡した後、作家であった母親の支持を得て修行をやめ、ゲッティンゲン大学、ベルリン大学で学ぶことになりました。
1819年に『意思と表象としての世界』を出版します。出版社宛の手紙には強い自信があふれ「私のこの著作は一個の新しい哲学体系です」と述べています。
その後、ベルリン大学で講師を始めますが、聴講者が少なく成功しませんでした。そして病気を患った後、失意と挫折の日々を送ることになりますが、晩年はフランクフルトに移って著作活動を続けます。
そして、晩年のエッセイ集『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余録と補遺)』が注目されることになり、彼の思想が一躍世に広まることになったのです。
「誰もが自分自身の視野の限界を、世界の限界だと思い込んでいる」とは、彼の思想の一端を表す名言のひとつですが、彼の思想にはドイツ観念哲学、インドのウパニシャッド哲学、仏教思想という3つの基盤があり、それらの思想をもとに1819年の著作『意思と表層としての世界』をまとめあげました。
西洋哲学に初めて東洋思想を取り入れた人物、それがショーペンハウアーなのです。
1:ゲーテの家に招かれた
彼の母親と親交のあったゲーテは、彼の学位論文を読んでその才能を認め、自宅に招いて哲学上のあらゆる問題を熱心に論議しました。そして、「他の連中とは語り合うだけだが、ショーペンハウアーとは哲学する」という言葉を残しています。
2:作家の母親とはライバル関係にあった
ゲーテが彼を有望視したことで、母親と息子の関係は悪化し、お互いの本に対して非難、批判をして争い「お前の本は初版本がそっくりそのまま売れ残る」とまで母親に言われました。1814年にそんな母親の元を去った彼は、その後二度と母親と会うことはありませんでした。
3:大学での講義はわずか1回だけだった
1820年ベルリン大学講師に採用されたショーペンハウアーは、自分の講義を、当時最高の人気を誇ったヘーゲルの講義と同じ時間に開講しますが、受講者はわずか8名しかおらず、プライドの高い彼は大学講師を諦めてしまいます。これが最初で最後の講義となったのです。
4:ワーグナーから一方的に敬愛された
ショーペンハウアーの著作『意思と表層としての世界』を読んだ作曲家のワーグナーは深い感銘を受け、その後の作劇に彼の意志否定の思想の影響が大きく表れていくことになります。自身の楽劇詩『ニーベルングの指環』を自筆の献辞付きで彼の元へ送りますが、モーツァルトを生涯愛した彼はワーグナーに会うことはなく、その音楽に対しても関心を持ちませんでした。
5:毎日食後にフルートを吹いていた
若い頃からモーツァルトの音楽を好んで聞き、その信奉者でもあった彼は、楽譜を自由に読みこなすなど音楽の才能も持ち合わせており、フルートを毎日食後に演奏するという習慣があったそうです。著作に収められている「音楽の形而上学について」では彼の音楽哲学が語られています。
6:彼の肖像画をトルストイは自分の書斎に飾っていた
『戦争と平和』で知られるロシアの文豪トルストイは、その執筆中に彼の著作と出会い、自分が彼によって、さらに深く、鋭く考察していくようになったことに感激して、その大作を書き上げたのです。トルストイの書斎にたったひとつ飾られた壁掛画、それがショーペンハウアーの肖像画だったことは、彼の影響を強く受けていたことを物語っています。
7:主著ではなく晩年のエッセイ集がベストセラーになった
ショーペンハウアーの主著『意思と表層としての世界』の注釈ともいえるのが多くのエッセイを集めて1851年に刊行された『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余録と補遺)』がベストセラーとなりました。
今回取り上げる作品なども、そのなかに含まれているものです。この作品を執筆した後、彼は「私のこの世における使命は終わった」と述べていますが、まさに彼の集大成といえる本作は、たちまちベストセラーとなったのです。
この本は彼のベストセラーである『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余録と補遺)』に掲載されている3つの作品の翻訳本です。「読書について」のほか、「自分の頭で考える」「著述と文体について」が取りあげられ、各作品はテーマのうえで相互に結びついています。
- 著者
- アルトゥール ショーペンハウアー
- 出版日
- 2013-05-14
彼は、「どのような本を読むべきか」「どのように文書を書くべきか」という誰もが関心を示す問いに対して、「自分の頭で考える」ことが大切だと説いてます。
しかし、これは単なる多読では意味はなく、
「本を読んでも、自分の血となり肉となることができるのは、反芻し、じっくり考えたことだけだ」(『読書について』から引用)
とも述べているように、上述の「自分の頭で考える」ことの重要性を示唆しているのです。
本書は一流の著述家で読書人でもあった彼が、われわれ読者に対して、読書のノウハウを提供してくれる読書法入門書なのです。
彼のエッセイ集『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余録と補遺)』に掲載されている「処世術箴言」の翻訳本です。
われわれに人生の意義を説き、幸福とは何か、人の求める幸福はどこにあるのか、ということを教えてくれるでしょう。
- 著者
- ショーペンハウアー
- 出版日
- 1958-03-12
「人生において幸福はあるはずもなく、それは人間の迷妄であるが、なかなかそうは悟れるものではない」と彼は述べていますが、これは一体どういうことなのでしょう。幸福は本当にないのでしょうか?
このような考えを導く人生論とともに、ことわざ、格言、詩文を引用し、辛口のユーモアと風刺を取り入れながら平易な表現で話が展開されていきます。古典的ではあっても読みやすい文章は、彼が一流の文章家もあることを物語っているのです。
本書では、彼の根本的な哲学思想が随所に表れていますが、そのなかでも「人生が幸福になるか不幸になるか、それは自分の気持ちの持ち方で変わる」など幸福に対する数多くの彼の考えが示されています。
この本は上述の2つの書と同様に、彼のエッセイ集『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余録と補遺)』のなかから「知性について」など5作品を集めたものです。
彼自身も言及しているように、若くして書き上げた主著『意思と表象としての世界』より、晩年にコツコツと書き上げたエッセイ集に収録されているものの方がはるかに読みやすくなっています。
- 著者
- ショーペンハウエル
- 出版日
哲学書は難解で堅苦しく読みにくいと思われがちですが、ショーペンハウアー哲学の最大の特色は、その「わかり易さ」にあると言ってもいいでしょう。概念でなく直観を重んじる彼の哲学は、詩的な表現を多く用いながらも、その記述が具体的になっているのです。
分かりやすい表現の例として、次のような記述を紹介します。
「知性も同じ事項を打ちつづき考えていると、それについてもう何も発見したり、理解したりすることができなくなる。」「自分でおこなった貴重な省察は、できるだけ早く書きとめておくべきでる。われわれは自分の体験でさえ時には忘れてしまうのである。」(『知性について 他四篇』から引用)
彼の哲学の凝縮版ともいうべき本書は、上述の2つの書とともに、彼の哲学を理解するための入門書といえるでしょう。
この本は世界の思想家を取り上げた「Century Books-人と思想」シリーズの1冊です。
彼の生涯とその思想を解説した2部構成になっており、多くの芸術家や作家などに影響を与えたこともエピソードを交えて記述されています。
- 著者
- 遠山 義孝
- 出版日
1部では、彼の生涯を丁寧にたどっています。商人の家庭での出生から少年期のヨーロッパ周遊、大学時代を含む多くの都市への転居の数々、ゲーテとの出会いと母親との確執、そして主著『意志と表層としての世界』の刊行へと続きます。
さらにベルリン大学講師時代におけるヘーゲルとの講義戦争での惨敗、そしてフランクフルト定住以後の著作活動、晩年のベストセラー『パレルガ・ウント・パラリポメナ(余録と補遺)』の刊行にいたるまで、彼の哲学思想の背景を知ることができるでしょう。
一方の2部は、彼の思想について、分かりやすく解きほぐした解説がなされています。哲学者としての先輩であるカント、後輩であるニーチェの哲学についての要約もあり、哲学思想の流れをとらえることもできるでしょう。
哲学者ショーペンハウアーの思想とその背景にある彼の生涯と人物像がわかる1冊です。
今回ご紹介したのは、現実の多くの問題や自然と人生に対する彼の見解を示した作品です。人生を考えるヒントになるこれらの本を、その解説書もあわせてぜひ読んでみてはどうでしょう。