ベトナム戦争は、ベトナムだけでなくアメリカやソ連など、各国の思惑がまじりあう複雑な背景から生じた戦争でした。世界中の国々に大きな影響を及ぼしたこの戦争をわかりやすく解説し、おすすめの本をご紹介します。
この戦争は「宣戦布告なき戦争」であったため、始まった日を明確に決めることができません。 一般的に開戦は1955年とされ、1975年4月30日に終結しました。
当時北と南に分かれていたベトナムで起きた内戦ですが、主な内容としては「北ベトナム軍」と、「南ベトナム軍・アメリカ軍」の戦いでした。
北ベトナム側の兵士数はのべ126万人、対する南ベトナム軍・アメリカ軍は200万人が戦争に参加したといわれており、約20年のうちに大量の死者・行方不明者を出した壮絶な戦争です。
ベトナム戦争を理解するには、当時のベトナムの状況をつかみましょう。
ベトナムは、1887年からフランスの植民地となっていました。
ヨーロッパでは1939年から第二次世界大戦が始まり、翌年にはにフランスがドイツに降伏。それまでフランス領インドシナと呼ばれていた現在のベトナム、カンボジア、ラオスには、日本軍が進駐することになりました。これを「仏印進駐」といいます。
ところがその後、1945年に第二次世界大戦は終結し、日本は敗戦を迎えます。日本軍が去ったベトナムではホー・チ・ミンが独立宣言をおこない、「ベトナム民主共和国」が誕生しました。
新しい国としてスタートしたかに見えたベトナムでしたが、フランスが再び支配を狙います。ベトナム南部に傀儡政権からなる国を成立させました。ホー・チ・ミンら北ベトナムの代表は、フランスが自国に介入するこの状況を解決しようと交渉をしましたが、結果は決裂。フランス軍と北ベトナムが争う第一次インドシナ戦争がおこりました。
8年間にわたるこの戦争は大量の犠牲者を出し、1954年にフランス軍の敗北で終わりました。このとき、北緯17度線を停戦ラインとして一時的にベトナムを南北に分けたままにし、その後統一を図っていくことになっていたのです。
南ベトナムではゴ・ディン・ジエムという人物がアメリカの支援を受け、自らが大統領となって南ベトナムを「ベトナム共和国」という国にしました。
そして北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)は統一後の体制を争うようになっていきます。
北ベトナムからは南ベトナムの解放を名分とした「南ベトナム解放民族戦線」、通称「ベトコン」が誕生し、南ベトナムへの攻撃が始まりました。これが1960年12月のことです。
1961年には当時アメリカ大統領だったジョン・F・ケネディが、ベトナム共和国に援軍を派遣。この時は一部の軍派遣のみの支援でしたが、1964年、北ベトナム軍がアメリカ軍の駆逐艦に攻撃をしかけた「トンキン湾事件」以降、アメリカは本格的に軍事介入を始めました。
1965年の2月7日にアメリカ軍が北ベトナムに北爆を開始し、ベトナム戦争は壮絶さを増していったのです。
1961年からベトナム共和国に援軍を派遣したアメリカが、翌年の1962年ころから開始したのが、「ランチハンド作戦」というものです。
上空から「枯葉剤」を散布し、表向きは病気を媒介する虫を駆除するというものでしたが、実際はベトコンが潜む森林をなくし、同時に食物を育てる土地も破壊するというものでした。
さまざまな薬剤が使用されましたが、もっとも大量に用いられたのは「オレンジ剤」というものです。ダイオキシンなどを含み非常に毒性が強く、動物実験の際には奇形を生じさせる性質があることがわかっています。
数年経つと、ベトナム国内で出産異常の報告が激増。下半身がつながった結合双生児として生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」は日本でも有名でしょう。終戦から40年以上経つ現在でも、世代をまたいで奇形の子どもが誕生する報告もされており、枯葉剤の影響はまだまだ続いています。
ベトナム戦争は第二次世界大戦以降に顕在した「資本主義・自由主義陣営」と「共産主義・社会主義陣営」の対立、つまりアメリカとソビエト連邦の間に起きていた「冷戦」が背景にある戦争でした。
南ベトナムにはアメリカ軍の積極的な介入に加え、韓国やオーストラリアなどの資本主義国が援助をおこないます。
対して北ベトナムへはソ連や中国が物資支援や軍事顧問団の派遣をおこないました。しかし、ベトナム戦争が本格化してしばらくたつと、ソ連と中国の関係も悪くなり、北ベトナムへの支援競争の様相を呈します。
表面的には「北ベトナム」対「南ベトナム・アメリカ軍」の戦いでしたが、本質的には「共産主義」対「資本主義」の戦争だったのです。
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アメリカ軍による大規模な北ベトナムへの空爆や、北ベトナム軍が有利となったジャングルでのゲリラ戦は、両軍ともに多数の死傷者を出しました。その様子は世界中で報道され、あまりの凄惨さに各国で反戦運動が勃発します。
アメリカでは自国の軍を投入してから3年以上も成果がなく、死者ばかりが増えていくことに反感が強まっていきました。エスカレートしていく戦争をやめない政府への批判も強まり、アメリカ国内の世論が分裂してくようになります。
1968年に北ベトナム軍による一斉攻撃(テト攻勢)でアメリカ軍が大打撃を被ると、同年中に北への空爆全面停止を宣言。1973年の1月に和平のためのパリ協定が調印されてアメリカ軍が撤退し、後の1975年4月、南ベトナム政府は無条件降伏しました。
およそ20年に及んだ戦争は、北ベトナムが南を併合する形で終結したのです。
北ベトナム側の推定戦死者数は117万7千人、南ベトナム側は28万5千人。そして南北合わせた民間人の死者数は458万人以上にのぼりました。
戦争の期間が長く、背景も複雑なベトナム戦争について全体的に把握したいなら、まずはこちらがおすすめです。
- 著者
- 三野 正洋
- 出版日
- 2008-08-01
北ベトナム側と南ベトナム側、どちらかに偏った記述にならないよう、注意を払って記述されています。
アメリカ軍は大量の近代兵器を投入したにもかかわらず、戦果を挙げられないまま撤退することになりました。戦死者数も北ベトナム側がずっと多いのに、なぜ南ベトナム・アメリカ軍は北に勝てなかったのでしょうか。
本書では具体的な数字やデータを追いながら、ベトナム戦争の実態を把握することができます。
本書は戦争を中心として語られた22の物語が収録された短編集です。
著者は実際にベトナム戦争に従軍した経験を持ちます。村上春樹が翻訳をしたことでも有名です。
- 著者
- ティム・オブライエン
- 出版日
戦争をテーマにした小説を読むなら、こちらの一冊は欠かせません。
争いは人々の生活や心に大きな影響を与えます。同じ人間であっても互いに銃を向け、命を奪い蹂躙する状況は、けっして普通とはいえません。そんななかで兵士たちは何を思うのか、本当の戦争とはいったい何なのか、何のための戦争なのか……。
本書はフィクションであると断られてはいるものの、著者の兵士としての経験が反映されています。現実の戦いに身を投じた人にしか書けない小説です。
ノンフィクション作家の開高健が朝日新聞社特派員だった頃、実際にベトナムから毎週送稿し続けたルポタージュをまとめた一冊です。
- 著者
- 開高 健
- 出版日
開高は実際に南ベトナム側に従軍し、生命の危機にさらされながら文章を書き続けました。
戦地に身を投じ取材を続けた彼の文章には、とても迫力があります。加えて、開高と行動を共にした秋元啓一カメラマンの写真が臨場感を掻き立てており、何度でも読み返したくなる内容です。
戦争に参加するということはどういうことなのかを考えさせられるでしょう。また、「ベトナム人の7つの顔」の章では、壮絶な戦場に巻き込まれたベトナム人について、ジャーナリストの目線で書かれています。
ベトナム戦争に限らず、近現代の戦争ルポタージュとして大変価値のある一冊です。
著者のニック・タースはジャーナリストとして戦争犯罪を調査し、「ベトナム戦争について書かれた最も重要な本」とも評された本書を書きあげました。
発刊以来各国で大きな反響があり、優れた調査報道に贈られる「ライデナワー賞」を受賞しています。
- 著者
- ニック・タース
- 出版日
- 2015-10-02
ベトナム人の生存者、アメリカの帰還兵や内部告発者らへのインタビュー、膨大な量の資料調査をとおして、アメリカの戦争犯罪を浮き彫りにしています。
アメリカ軍では、本書のタイトルのとおり「動くものは敵兵であろうと、無関係の民間人であろうと、すべて殺して構わない」という作戦を実行していました。アメリカ軍の1部隊が非武装の民間人約500人を虐殺した、ソンミ村虐殺事件はその最たるものです。
ソンミ村だけでなく、ベトナムのあちこちで同じくらい凄惨な武力行使がされていたことや、それを軍上部がアメリカ国民に対しどのように隠ぺいしてきたのかなど、ベトナム戦争においてアメリカ軍のしてきたことが明確につづられてます。
ベトナム戦争に関係する資料や本は多くありますが、それらを目にするたびに本当の戦争の恐ろしさを感じさせられます。時には耳をふさぎたくなるような話もあります。
しかし、実際にこれはどんな戦争だったのか、どれくらいの人が巻き込まれたのか思いを馳せ、資料をとおして戦争の悲惨さを考えることは、現代の国際社会においては必要なことではないでしょうか?過去にあった戦争として終わらせるだけでなく、つらい歴史に今一度目を向けることは、これから起きてしまうかもしれない争いを防ぐヒントになると思います。
学校で習う歴史だけではなく、多くの人に改めて戦争の真実を知っていただきたいです。