5分で分かる日米和親条約!開港の目的や内容は?そして日米修好通商条約へ

更新:2021.6.14

江戸幕府とアメリカ合衆国が締結した、誰もが聞いたことはある「日米和親条約」。この条約が結ばれたことで、日本は下田と函館2つの港を開港することになりました。この記事では全12ヶ条の内容を紹介するとともに、条約の目的や「不平等」といわれる理由、そしておすすめの関連本を紹介していきます。

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日米和親条約とは?江戸幕府が開国。全12ヶ条の内容も紹介

日米和親条約が結ばれたのは1854年。当時の日本は江戸幕府により統治され、外交は幕府の認めた数ヶ国のみとおこなう、いわゆる鎖国体制をとっていました。

そんな日本へ、1853年、アメリカからペリー率いる艦隊が開国と通商を求めてやって来たのです。日本は翌年の1854年に開港し、全12ヶ条からなる日米和親条約を締結し、鎖国体制は終焉を迎えました。

日米和親条約の内容は以下のとおりです。

  1. 第1条:日米間は人、場所に関わらず永久的に友好関係にあること。
     
  2. 第2条:下田と函館を開港し、アメリカは食料や燃料などの物資供給を受けることができること。
     
  3. 第3条:アメリカ船舶が難破や座礁した場合、日本は乗組員の身柄を保護し、アメリカ側に引き渡すこと。その際の費用は請求しないこと。
     
  4. 第4条:アメリカ人遭難者の権利は他の国においてと同様に自由であること。
     
  5. 第5条:下田、函館に居留するアメリカ人は、長崎に居留する他国の人々のように行動を制限されないこと。
     
  6. 第6条:他に物品のやりとりや取り決めなど必要とされる事態が発生した場合は日米間で協議すること。
     
  7. 第7条:下田、函館においては、金貨、銀貨での購買や物々交換をすることができること。
     
  8. 第8条:物品を調達する際は日本の役人が世話をすること。
     
  9. 第9条:アメリカに片務的最恵国待遇を与えること。
     
  10. 第10条:悪天候など特別な場合を除き、アメリカは下田、函館以外へ来航してはならないこと。
     
  11. 第11条:両国のどちらかが必要とした場合、締結日より18ヶ月以降たてばアメリカ政府は下田に領事を置くことができること。
  12. 第12条:両国はこの条約を守る義務があること。両国は18ヶ月以内にこの条約を批准すること。

日米和親条約が「不平等」といわれる理由

第9条に「片務的最恵国待遇」というものがあります。

これは、たとえば日本がアメリカ以外の国と条約を締結し、その条約の内容がアメリカと結んだ条約の内容よりも有利な条件だった場合、自動的にアメリカにもその有利な条件が与えられるというものです。

仮に日本が下田と函館以外の港を他国に開放した場合、それはアメリカにとって不利になるので、そのようなことが起こらないようにするためです。

しかし「片務的」、つまりこの権利はアメリカにしか与えられず、日本にその権利はありません。これが、いわゆる「不平等条約」といわれるゆえんになっています。

アメリカの2つの目的とは

当時のアメリカは太平洋航路を開拓し、東アジアとの貿易の拡充を狙っていました。そこで燃料の補給のため、日本の港が必要だったのです。燃料以外にも、水や食料などの補給も必須でした。

そしてもうひとつの理由として、アメリカが北太平洋で捕鯨をおこなっていたことがあります。産業革命が起こり、アメリカ国内では機械の潤滑油やランプなどに使用するクジラの油が大量に必要だったのです。

仮に捕鯨船が日本に漂着などした場合、国交がない状態だと不便なので、その利便性のためにもアメリカにとって日本の開国が重要でした。

日米和親条約締結までの流れ

1853年7月、フィルモア大統領に命を受けたペリー提督が、黒船艦隊を率いて浦賀沖にやって来ます。彼は大統領からの開国と通商を求める親書をもって、それを江戸幕府に要求したのです。幕府は1年の猶予を求めたため、アメリカもそれを了承し、ペリーは1度日本を離れました。

しかし、ペリーが去ってからわずか10日後に、将軍家慶が亡くなります。それを耳にしたペリーは、翌1854年2月に再来航。江戸幕府が混乱しているであろう状況を利用しようと考え、1年待たずにやって来ました。

突然の来航に幕府は驚きはしましたが、アメリカは日本の使者に船上でフランス料理を振る舞ったり、日本も大金をかけて最上級のもてなしをしたりと、日米ともに友好的な対応をしました。

そしておよそ1ヶ月の協議のすえ、日米和親条約は締結されたのです。


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日米和親条約を知るには、まずこの定番シリーズから

日本は突然やってきた黒船に脅され、開国さざるを得なかった……という従来のイメージを本書は覆します。アメリカはむしろ友好的な態度で交渉に臨んでいました。

累計500万部を突破した「逆説の日本史」シリーズ、幕末年代史編の第1部は、激動の幕末へ至る時代を知るための、必読の一冊です。

著者
井沢 元彦
出版日
2012-03-12

江戸幕府は当初、開国の交渉にやってきたアメリカに対してのらりくらりとし、その場しのぎの対応をしていました。

交渉を長引かせたり、わざと条約を誤訳したりした幕府は、終焉に向かっていきます。現代日本が同じ道をたどらぬよう、本書から学ぶことがあるはずです。

日米和親条約を史料から読み解く

本書は、アメリカ側の史料をもとに、日本の開国構想を練った中心人物の動向を描きながら、関係者の動きを追っていきます。

史料をもとにした確かな歴史を知るのにうってつけの一冊です。

著者
渡辺 惣樹
出版日
2016-06-02

さまざまな関係者の動きからアメリカの真意を探る本書。とくに開国のシナリオを練ったとされている人物の動向を描いていきます。

そこには、今日にも通じるアメリカの対日、対アジア政策の原型がありました。

圧力に屈したのは誤解?日米の外交努力を知る一冊

無能な江戸幕府の役人は、アメリカの圧力に屈して不平等条約といわれる日米和親条約を締結した……という認識は間違っていると、本書は強く主張しています。

日米の交渉の真実を暴き、誤解にもとづく歴史認識を覆そうとしています。

著者
加藤 祐三
出版日
2012-09-11

日米和親条約は、軍事的な圧力は一切なく、平和的に結ばれました。これはアジア近代史において稀有なことでした。このような平和的な交渉は日米双方の外交努力によるものであり、江戸幕府の外交能力は決して低くなかったと筆者は述べています。

日米双方の資料をもとに記述されており、フラットな視点から日米和親条約を見ることができるでしょう。

ペリーの視点から知る日米和親条約

アメリカ合衆国政府がペリー本人の監修のもと、彼の日記やノート、公文書などの文献資料を編集したものです。

ペリー自身の記述から、彼は当初、武力による圧力で外交を推し進めるべきだと考えていたことがわかります。しかしそれと同時に、好奇心旺盛な日本人を好ましく思ってもいたようです。外交をする司令長官としてのペリーと、一個人としての彼をうかがい知ることができるでしょう。

著者
M・C・ペリー
出版日
2014-08-23

ペリーから見た日本はどのようなものだったのか、彼は何を思っていたのか……本書はそんな疑問に応えてくれます。

ペリーと共に日本にやってきたヴィルヘルム・ハイネら画家による、当時の日本のスケッチも多数収録されています。喜望峰を巡り、中国や琉球を経て日本へやって来た彼らの航海記述は、遠征記としても読みごたえ充分です。

ペリーの来航により日米和親条約が締結され、日本の鎖国時代は終わりを迎えました。条約の締結にはさまざまな思惑が絡むものです。それは現代においても変わりません。日米和親条約締結を通して条約というものがどのような思惑で結ばれていくのか、ご紹介した本を読んでぜひ知ってください。

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