5分でわかる日米修好通商条約!「不平等」といわれた内容や理由を解説!

更新:2021.3.2

幕末期に結ばれた日米修好通商条約。「不平等条約」として有名ですが、これをきっかけに、日本の近代化が急速に進むことにもなりました。日本の行く末に大きく影響したこの条約について、内容や「不平等」といわれる理由、改正されるまでの道のりなどを解説していきます。あわせておすすめの関連本もご紹介するので、さらに詳しく学びたい方はそちらもご覧ください。

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日米修好通商条約とは

1858年に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた、日本最初の通商条約が、「日米修好通商条約」です。

当時の日本は、1854年にペリーが来航して結んだ「日米和親条約」で開国をしたばかり。しかしこの時は下田と函館の2つを開港してアメリカの船や人の立ち寄りは許可していたものの、貿易自体はしていませんでした。

そこへアメリカ総領事として下田に着任していたハリスが、通商条約の締結を要求・説得してきたことで調印されました。

日本側は天皇の許しを待たずに江戸幕府が勝手に調印したため、14代将軍徳川家茂の署名がなされています。

日米修好通商条約の主な内容。不平等といわれる理由

主な内容としては、外交代表の交換のほかに、3つが挙げられます。

1:下田、函館に加えて、新たに4つの港を開港し、その港へ外国人居留地を設定する

横浜、長崎、新潟、神戸を開港し、自由貿易をおこなうことが定められています。また江戸と大阪の2つの港も、居留はできないものの取引のために立ち寄ることができるようになりました。

幕府の希望によって、日本からの米や麦の輸出はなし、軍事用の物資は幕府にのみ販売するなどの内容が追加されています。

2:領事裁判権の承認

領事裁判権とは、日本国内で外国人が罪を犯した時に、日本の法律ではなく、その外国人の出身国の領事が自国の法律で裁くというものです。

つまり、治外法権。自国に帰ってから裁かれるため、甘い判決が出ることや、日本にいる被害者への補償が十分にされないことも多かったそうです。

3:関税自主権の放棄

関税自主権放棄とは、他国の商品を日本が輸入して売る際に、その商品にかける関税額を日本で決められなくなるというものです。

通常、関税というのは国内の産業を保護する目的でかけられます。産業革命で工業化していた欧米の製品が安い値段のままで入ってくれば、日本の産業は衰退を招く恐れがありました。

ただこの条約の付則で定められた関税率は、食料や建材などは5%でしたが、それ以外は20%、酒類においては35%という高関税でした。

日米修好通商条約が不平等な内容といわれる理由

この条約がいわゆる「不平等条約」といわれるのは、関税自主権の放棄と領事裁判権承認があるからです。

幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結びますが、アメリカと結んだ日米修好通商条約に限っては、日本とヨーロッパ各国との間に揉め事が発生した際にアメリカが仲介をする、という文言が入っていました。

また、日米和親条約にあった日本のアメリカに対する「片務的最恵国待遇」(関税などについて、他国に対する優遇措置と同様の措置をすることを約束するもの)はそのまま継続されています。

日米修好通商条約の締結までの流れ。無視された大老・井伊直弼。

1854年に締結された日米和親条約により、日本初の総領事として赴任したハリスは、当初から自由貿易を受け入れさせるための通商条約の締結を計画していました。

1857年には江戸城にやってきて、将軍・徳川家定に謁見し国書を渡すなどし、ハリスの強硬な姿勢にそれまで消極的だった幕府も応じざるを得ない雰囲気になります。

そこで老中の堀田正睦(ほったまさよし)は、下田奉行の井上清直(いのうえきよなお)と目付の岩瀬忠震(いわせただなり)に全権をわたし、条約の交渉を開始しました。

アメリカ側は自国に優位な交渉ができるよう、条約草案を作成。それをもとに15回もの交渉がおこなわれました。正睦は天皇から条約締結の勅許を得ようと試みますが、孝明天皇は拒否。公家たちからも座り込みをしてまで抵抗され、失敗に終わります。

しかしハリスは引き下がりません。清と戦争中のイギリスを例に挙げ、欧米列国による日本への侵略を防ぐためにもアメリカとの条約を締結すべきだと迫りました。

正睦は困ってしまいますが、ここへさらに追い打ちをかけるように、天皇の勅許を第一とする井伊直弼(いいなおすけ)が大老に就任します。「勅許を得るまで調印延期するよう努力せよ」という直弼と、「機を逸する前に調印を」とする老中たちの板挟みになってしまいました。

この溝は埋まらないまま、1858年7月29日、直弼の意向を無視した井上清直と岩瀬忠震が、USSポーハタン号の艦上で条約調印に踏み切りました。

日米修好通商条約調印からわずか4日後に、正睦は老中を罷免。清直、忠震もその後左遷されています。


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日米修好通商条約が改正されるまでの流れ。50年以上の道のり。

1866年、欧米列国は弱体化した江戸幕府に圧力をかけ、関税率を5%に固定する「改税約書」への調印を求めます。これにより、安価な外国商品が日本に流入し、貿易不均衡が生じました。

関税自主権の放棄をはじめとする条約の不平等な内容もさることながら、日本国内では、これらの条約が朝廷の許しを得ていない点が特に問題視されていました。

1867年の明治維新で誕生した新政府は、条約を締結した欧米列国に対して、条約改正をしたい旨の声明を発します。

1871年、明治政府の中枢であった岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らを中心とした「岩倉使節団」が欧米へ向けて出発しました。不平等条約改正をおこなうことと、海外文明の情況を視察することが目的でしたが、改正には失敗。視察により、列国の国力を思い知ることになります。

1879年から外務卿を務めた井上馨は、1886年に条約締結国を東京に招き、条約改正のための会議を開きました。また、各国に対して日本の欧化を示すために、鹿鳴館などの洋風建築を建て、西洋式の舞踏会を開催します。

会議では、イギリスが領事裁判権の撤廃について反対、判事の半数以上を外国人にせよという妥協案が出されます。イギリスの言い分は、日本は法制度が整っていないから、ということでした。

そんななか、紀伊半島沖でイギリスの貨物船ノルマントン号が沈没。イギリス人船長と船員が避難するなか、一緒に乗船していた日本人は救出されませんでした。

しかしこのような事実があったにも関わらず、神戸にあるイギリス領事館でおこなわれた裁判において、イギリス人船長は責任を問われなかったのです。

この判決に日本の人々は激怒。イギリスの出した妥協案にもより激しい反発が起こり、これを受けて条約改正会議は無期限延期、井上馨は辞任しました。

その後、外相となった大隈重信は列国との交渉を個別交渉に切り替えます。また、1889年には大日本帝国憲法が完成し、公布されました。これによって、法整備がようやく整ったのです。

それから9日後、アメリカが改正条約に調印をしましたが、最高裁判所にあたる大審院においては外国人判事の任用を認めるという内容のもので不平等のままだったため、国内からは反発の声があがりました。

この頃、イギリスとロシアがアジア各地で利権争いをくり広げていました。勢いを増すロシアを止めるために、イギリスは日本に近づこうと歩みよりはじめます。外相となった陸奥宗光がイギリスとの交渉をすすめ、1894年に領事裁判権の撤廃をもり込んだ条約を調印します。他国もそれに続きました。

1904年に始まった日露戦争において日本が勝利し、ポーツマス条約などで国際的地位が高まった後の1911年に関税自主権の回復を含めた条約改正がなされ、ここに不平等条約は改正されたのです。締結から改正までに53年ほどかかりました。

日米修好通商条約の締結をめぐる詳細がわかる

明治から昭和初期にかけて活躍したジャーナリストであり歴史家の、徳富蘇峰の著作です。

人脈を生かして手に入れた珍しい資料をもとに、日米修好通商条約締結までの交渉の詳細、そしてそのドラマが生き生きとした文章で描かれています。

著者
徳富 蘇峰
出版日

不平等条約として語られることが多いですが、それまで通商条約を結んだことのなかった日本にとって、この条約の締結がいかに困難なものだったのか、そしてそれをどう乗り越えたのかについて理解することができるでしょう。

日米修好通商条約の条項それぞれについて、アメリカと日本双方の記録をもとに交渉経過を再現しています。

ハリスの誠意、幕府の交渉担当者たちの苦労と努力、そしてその仕事ぶりを感じられます。日米修好通商条約についてまるごと詳細にわかる名著です。

通説が覆る!?これまでとは違った視点から読み解く幕末

ドラマに歴史小説、さまざまな形で語りつくされてきた幕末期。本書ではこの時代のキーパーソンに焦点をあてて、その奥に潜む真相を伝えていきます。あなたの知っていた歴史が覆されるでしょう。

著者
井沢 元彦
出版日
2016-04-06

安政の大獄の本当の理由、そして孝明天皇が条約締結を拒んだ本当の理由などについて考察されています。

著者の分析や考察により、これまで私たちが学んできた歴史が鮮やかに覆ります。どれも考察なので、すべてが正しいというわけではありません。ただ、読み物としてだけでも十分に迫力と説得力があって面白く、またこの混沌とした時代の出来事を体系的に理解できるため、幕末から明治維新までの流れについて理解するのにおすすめの一冊です。

日米修好通商条約を締結したころ、アメリカでは何が起きていたのか

開国を迫り、日米修好通商条約締結した後、日本の歴史の表舞台にアメリカはほとんど登場しなくなります。その後に登場するのは日本が日露戦争に突入してからのこと。

一体その頃、アメリカでは何が起こっていたのでしょうか?

著者
渡辺惣樹
出版日
2011-10-22

アメリカが抱えていた問題や日本に求めていたもの、なぜあの時期に開国を迫ったのか、そして開国以降どのような出来事を経て太平洋戦争へ至ったのかを理解できるでしょう。

歴史の授業でも、明治期の日本は取りあげられても、同時並行的にアメリカで何が起きていたかに焦点を当てることはほとんどなかったのではないでしょうか。

アメリカ側の歴史を知ることによって、日本側から見ただけでは分からなかった真実が見えてくる一冊です。

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