戦争や恐慌が続いた波乱の時代に、モノづくりの力で世界を切り開いた豊田喜一郎。「世界のトヨタ」、そして日本の自動車産業の発展は、彼の存在なしに語ることはできません。発明家の父をもち、自身も発明・開発に明け暮れたその生涯を描いた本を紹介します。
世界を代表する自動車メーカーとして、トヨタの名前を知らない人はいないでしょう。しかしそのトヨタが、もともとは織機メーカーだったことを知っている人はどれくらいいるでしょうか。
トヨタ自動車の創業は1937年。当時国内の自動車市場はフォードやGMなど、アメリカ企業に席巻されていました。その圧倒的な技術力と資本力を前に、三井や三菱といった大財閥さえ参入を尻込みしていたほどです。そんな時代に紡績業から事業転換を図り、敢然と国産自動車の生産に打って出たのが、豊田喜一郎だったのです。
喜一郎は、1894年に静岡県で生まれました。父は「発明王」と呼ばれ、日本初となる自動織機を発明していた豊田佐吉。彼の背中を見て育った喜一郎は、幼いころから口数が少なく、暇があると紙に設計図のようなものを描いていたといわれています。
そんな彼が機械について本格的に勉強をはじめたのは、仙台の第二高等学校工科に進んでから。その後東京大学工学部に入り熱力学や機構学を学んだ後、父の会社「豊田紡織」に入社します。
発明の苦しみを知る佐吉から「経営に専念するように」と口酸っぱく言われていた喜一郎でしたが、生来のモノづくりへの情熱を抑えることはできませんでした。最初は寝る間も惜しみたったひとりで、やがて息子の熱意に負けた佐吉と共に、新製品の開発に取り組みます。そして1925年、2人は念願の完全自動織機「無停止杼換式豊田自動織機」を完成させたのです。
手動に比べ生産性も品質も格段に向上させるこの自動織機のインパクトはすさまじく、販売も絶好調。しかし1929年、7年ぶりに欧米を訪れた喜一郎は、かつて栄華を誇っていた本場イギリスの紡績業の衰退ぶりに愕然としてしまいます。
一方でその出張中に目を引いたのが、アメリカで大衆の足として定着していた自動車でした。すると彼は帰国後すぐに工場の片隅に研究所を設置し、数人を除き幹部にも秘密で、自動車の開発を始めたのです。
「日本人の頭と腕で国産大衆車をつくる」。彼の新たな計画は、戦争が近づき人員も材料も不足するなか、誰の目からも無謀に見えました。
しかし1936年、ついに「トヨダAA型乗用車」が完成。翌年、トヨタ自動車工業株式会社を創業し副社長に就任すると、当時日本最大の自動車工場・挙母工場を設立するなどし、1952年に57歳の若さでなくなるまでグローバル企業トヨタの基礎を築きました。
トヨタの強さの源泉であるトヨタ生産方式。豊田喜一郎考案の「ジャスト・イン・タイム」に基づいたその革新的な生産方式は、1990年代には海外でも注目され、アメリカのフォードやGMも工場を立て直したといわれています。
本書では、豊田喜一郎の生涯をたどりながら、そのトヨタ生産方式の誕生が克明に描かれています。彼の独創的なひらめきの数々に魅了される一冊です。
- 著者
- 野口均
- 出版日
- 2016-01-20
自動車製造をはじめた喜一郎は、あるジレンマを抱えていたといいます。それは、大量生産をすればするほど1台当たりの生産コストは下がるものの、改良が必要になった場合にコストが激増してしまうことでした。改良のたびに、どうしても大量の在庫部品を捨てざるをえなかったのです。
その問題を改善するために考えついたのが「ジャスト・イン・タイム」でした。あらかじめ同じ部品を一挙に大量製造するのではなく、毎日、複数品種を必要な分だけつくること。ランニングストックも減り、倉庫も必要ありません。それはコストダウンだけでなく、品質改良をも容易にする、画期的な考え方でした。
当時、まだ自動車事業に参入したばかりのトヨタが、巨大な資本をもつアメリカ企業に対抗するために生みだした独自の生産方式。それは、やがて半世紀以上の時を経て、海を越え、アメリカに導入されるようになりました。
本書には、小型車やトラックではなく、いきなりフォードやGMなど巨大な競合のいる大衆自動車を選んだ理由を語る、喜一郎の次のような言葉が引用されています。
「当然儲かる事業を当然な方法でやってゆくよりも、誰れも余りやらない又やり難い事業をものにして見る所に人生の面白みがあるもので、出来なくて倒れたら自分の力が足りないのだ、潔く腹を切ったら良いではないか、出来るところまでやって見よう、どうせやるなら世人の一番六ヶ敷(むつか)しいと云ふ大衆乗用車を作って見ようと云ふ立場からやり掛ったのです」(『カイゼン魂 トヨタを創った男豊田喜一郎』より引用)
独創的な発想を生むために何よりも大切なのは、このようなダイナミックな好奇心、そして死にものぐるいで成功させようとする必死の覚悟なのかもしれません。
豊田喜一郎は「雑談は無益なばかりでなく有害である」と断じ、開発や研究、その他仕事以外のことについてはほとんど口を開かなかったといわれています。そのため第三者視点で書かれた評伝では、あれほど起伏に富んだ人生を送りながら、本人の心情については証言も乏しく、あまり触れられることがありません。
そんな秘められた喜一郎の内面に、小説という形で迫っているのが本書です。自らを「俺」と呼び、胸の内で荒ぶる感情を叩きつける姿に、評伝からイメージされる無口で素朴な印象とはかなり異なった相貌が浮かびあがってきます。
- 著者
- 木本 正次
- 出版日
「(機械の議論をしたって俺に負けるくせに……)大学時代にも、そう考えて父を無理にも軽蔑したことがあった。発明王だなんだって言われていても、根が無学で、系統立っては何も判ってはいないではないかーーと」(『豊田喜一郎―夜明けへの挑戦』より引用)
このように、ことあるごとに父・佐吉への反発心をむき出しにする喜一郎。その激しさに、父と子2人、手と手をとりあって発明に励んだという美しいイメージがいとも簡単に吹き飛んでいってしまいます。そしてそれは、父に対してだけではありません。自動車事業への参入を認めない幹部たちや、父の死後、二人三脚で会社を経営していた義理の弟にさえ、彼の苛立ちは止まることはないのです。
もちろんこれらの心理描写は作者の憶測にすぎず、フィクションにのみ許されたものであることは事実でしょう。とはいえ喜一郎は、数々の困難に襲われながらも、長く重苦しい戦いを戦い抜き、壮挙を成し遂げた人物。無口だったといっても、感情の起伏なく淡々と日々を過ごしていたわけはないはずです。
同じくグローバル企業の創業者でありながら、松下幸之助や本田宗一郎、盛田昭夫らと比べると、なぜか印象のうすい豊田喜一郎。それは恐らく、これまで彼の人となりについてあまり言及されてこなかったからではないでしょうか。そんな彼のイメージを払拭するという意味で、ユニークな試みの一冊です。
スティーブ・ジョブズやココ・シャネルらと並んで、「世界を切り開いた世界の10人」シリーズの一冊として発行された本書。子供向けに書かれていますが、写真や年表など豊富な資料もついていて、大人の方でも参考になるでしょう。
ここに描かれているのは、豊田佐吉・喜一郎親子2人のストーリー。ようやく完成した試作第1号車を運転する喜一郎が、工場を出て、佐吉が眠る墓地へ向かう場面で幕を開けます。
- 著者
- 出版日
- 2014-02-03
本書を読んで驚かされるのは、2人がとてもよく似ていること。友人から「むっつり佐吉」と呼ばれていた佐吉と、ひとりで設計図ばかり書いていた喜一郎。どちらも口数少なく内気な少年でした。それだけではありません。決して口には出さないものの、2人はともに胸の内に壮大な「志」を秘めていたのです。
「男に生まれたからには、何かお国のためになることをせねば」(『豊田佐吉と喜一郎』より引用)
発明のとりこになった佐吉は、父の大工仕事を引き継がず、織機を発明しました。自動車に魅せられた喜一郎は、佐吉が築いた織機メーカーの成功を投げうって自動車開発の道へと進みました。
しかも2人とも、はじめは知識も経験も一切なし、まさにゼロからのスタートだったのです。でも、「これだ!」と決めたら一直線。昼夜を問わず研究に没頭し、周りから何を言われようと、成功するまで諦めることはありませんでした。
冒頭、佐吉に試作車完成の墓前報告を済ませた喜一郎は、そのまま運転を続け、東京へと向かいます。そして箱根の山をなんとか越えると、喜びのあまり、会社に1通の電報を送ったそうです。
「タダイマ ハコネヲ コユ」(『豊田佐吉と喜一郎』より引用)
自分が生んだ製品が世界を切り開くーー。そんなモノづくりの夢にあふれた一冊です。
もともとトヨタの社内や関係者に配布する目的で書かれたという本書。それだけに、喜一郎直筆のノートや社内資料、当時の新聞、業界紙など、貴重な史料をふんだんに参照しながら、彼の生涯が詳らかに紹介されています。
なかでも興味深いのは、ほかの本ではあまり言及されていない、マーケティングや事業戦略など、彼の技術者意外の手腕にも多く光が当てられているところです。
- 著者
- ["和田 一夫", "由井 常彦", "トヨタ自動車歴史文化部"]
- 出版日
自動織機完成後に開いた、自社工場でのマーケティング戦略や、戦時中で雇用に制限がかかるなか、以前よりも少ない人員で労働時間を増やすことなく質の高い生産を可能にしたマネジメント方法、ほかにも試作車のお披露目展覧会や、「ジャスト・イン・タイム」の導入など、経営者としての喜一郎の魅力を知ることができます。
「『事業を向こうみずにやる(略)よほどアホー』とか『よほど、うぬぼれの強い人間か、または世人におだてられて向こうみずによる人間』」(『豊田喜一郎伝』より引用)
独創的すぎるアイデアで周囲に反対されてばかりいた喜一郎は、自らをこのように自虐的に評していました。しかし本当に向こうみずなだけでは、人はついてこないでしょう。
当時世界一といわれた自動織機を完成させながら、成功体験に酔うことなく見事な事業転換を果たし、新たな成功を手にした豊田喜一郎。その冷静な戦略家としての一面を、本書で堪能してみてください。
どんなに困難で不利な状況でも、独自のアイデアで道を切り開いてきた豊田喜一郎。彼の人生は、読者に「夢中になること」と「考え続けること」の大切さを教えてくれます。ぜひ気になったものから手にとってみてください。