社会主義とは?資本主義や共産主義との違いを解説。米原万里の本も紹介

社会主義とは?日本は何主義?

社会主義という言葉には、広義と狭義の2通りの意味が存在する。

1、生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。空想的社会主義・共産主義・社会民主主義など。
2、マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。1917年のロシア革命により、1922年に世界初の社会主義国家としてソビエト社会主義共和国連邦が成立したが、硬直化した官僚体制への不満などから1991年に崩壊した。(出典:goo国語辞書)

日本はもっとも成功した社会主義国家だ、といわれることがあるが、その場合の「社会主義」とは、広義の社会主義のひとつといわれる社会民主主義的な意味である。

社会民主主義的な考え方は北欧などでも取り入れられており、上記2のようなマルクス主義とは色彩を異にする。

本記事では、社会民主主義のような細かいところの説明はさておき、資本主義との対比において社会主義を説明していく。

社会主義と資本主義。問題点は?

封建主義の時代、人々は自由と平等を求め、市民革命・産業革命を起こした。こうした封建主義からの脱却と近代化を経て、資本主義が確立した。では資本主義社会とはどのようなものか。

生産手段を資本として私有する資本家が、自己の労働力以外に売るものを持たない労働者から労働力を商品として買い、それを上回る価値を持つ商品を生産して利潤を得る経済構造。(出典:goo国語辞書)

たとえばパンを作ろうという時、パン職人が粉からパン生地を練り、焼きあげまでをおこなうのではなく、お金持ちがパン工場を作り、労働者を雇って労働させ、パンを大量生産、販売して儲けるのが資本主義だ。

資本主義社会においては、財産を誰でも自由に所持・使用することができる。これを私有財産制度という。そして、誰もが財産を増やすために競いあい、利己的に行動することが認められている。

利己的な行動が認められるのは、個人が自分の利益のために行動することが、結局は社会全体の幸福につながると考えられているからだ。

「自分の利益を追求することによって、社会の利益を増進しようと真に意図する場合よりも、もっと有効に社会の利益を増進することもしばしばあるのである。」(アダム=スミス『国富論』より引用)

資本主義社会のもとで人々は自由に競いあい、その結果として生産性の向上や技術向上の促進などを実現させ、社会に繁栄をもたらした。その一方で、資本主義はある大きな弊害も生みだした。

それは、富める資本家と貧しい労働者という階級格差だ。

先ほどの例でいうと、資本家はパン工場を独占的に所有し大きな利益を集める一方で、パン工場で働く労働者は財産を持たないため、工場での仕事が生活の糧であり、必然的に資本家に対して弱い立場になってしまう。それをいいことに資本家から悪条件で働かされ貧困に陥り、社会問題となったのだ。

また資本主義は恐慌を発生させ、失業問題を生み出すとも考えられた。

階級格差・貧困・恐慌といった社会問題が起きる社会は、もはや自由・平等とはいいがたい。

そこで、「より良い社会を作るための方法はないだろうか?」ということを考え始める人が増えてきた。

そういう人たちが辿りついたのが、社会主義の考え方だった。社会主義とは、生産手段を社会が共有して、生産された富を働きに応じて皆に分配するという考え方だ。

パン工場を社会全体の共有物にして、工場から出る利益は働きに応じて各労働者に還元される。こうすれば資本主義社会で起きたような問題は解消され、社会はよりよくなると考えられたのだ。

そして多くの国がこの社会主義に同意した。1922年に世界で初の社会主義国家であるソビエト連邦が成立したのを皮切りに、世界の各地で社会主義国家が成立していった。

しかし、社会主義にも難点があった。

まず、資本主義社会と違って競争しなくても良いために、働く意欲が減退し、生産性が低下してしまう。

また、富の生産や分配を国が管理するということは、国はそれだけ大きな権力を持たなければならず、強大な権力を動かす独裁者の誕生につながりやすい。国家権力を動かす官僚の職についた者のなかには、強大な権力を自分のために使い、特権的な暮らしをする者も相次いだ。

社会主義の仕組みは、人間の欲や怠惰さといったことを想定していなかったために、うまく回らなかった。

こうしたことから行き詰まったソ連は1991年に崩壊し、それに伴い世界における社会主義勢力は力を失っていった。

社会主義と共産主義、旧ソ連の社会主義

社会主義と共産主義の違いはなんだろうか。

社会主義は、「各人が能力に応じて労働し、労働に応じて分配する」というものであるが、その社会が成熟すると最終的に現れるのが、「各人が能力に応じて労働し、必要に応じて分配する」社会である。

共産主義は、私有財産制を廃止して、すべての生産手段及び財産を社会全体の共有物にするべきだとする。つまり、個人が富を独り占めすることはできず、社会に存在する富はすべて、社会の皆で必要に応じて分けあう。そうすれば皆が平等に富を得ることができ、富をめぐる争いも生まれなくなるため、平和になるという夢のような社会を理想とした。

実際に共産主義を完全に達成した国家は存在しない。旧ソ連の社会主義は最終的に共産主義社会に行き着くことを目標とする体制だったが、その前に崩壊した。

社会主義国の現状

社会主義国家は現在も存在する。ただしその多くは、一部に自由経済を取り入れるなど、改革がなされているようだ。

たとえば中国は、政治的には中国共産党が実権を握っているため社会主義国といえるが、経済面では、経済の活性化のために市場経済を取り入れている。

中国は、建国当初から1970年代まで、ソ連にならって政府が経済の大部分を統制していた。しかし、経済が停滞し国内に貧困が蔓延ったことを受け、1970年代後半から改革がなされ、市場経済がとられるようになった。その結果、1990年代前半には経済成長が軌道に乗り、現在に至るまで大きな発展をみせている。

同じく社会主義国であるベトナムやベラルーシでも、類似した経済政策がとられている。

米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』からみる社会主義

社会主義国に対して、なんとなく「怖い」「よくわからない」イメージを抱いている日本人は多いのではないだろうか。

とはいえ、グローバル化によって、元社会主義国や、社会主義国家とされる国の出身者と関わる機会も今後あるかもしれない。

旧ソ連圏や社会主義に興味のない人が、そうしたテーマに親しみをもつ最初のきっかけとして、米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』をおすすめしたい。

著者
米原 万里
出版日
2004-06-25
「人体の器官には、ある条件下で6倍に膨張するものがあります。それはなんという器官でしょう。ターニャ、答えなさい。」
「先生、あたし、恥ずかしくて答えられません。私の両親は、とても厳格なんですよ。おじいちゃまの名に決して恥じないよう、はしたない言動は慎むようにいつも父母に言い含められていますもの。」
「よろしい。ではヤスミンカ、同じ質問に答えてください。」
「はい。突然明るいところが暗くなったような条件下の瞳孔です。」
「ターニャ、あなたに三つのことを申し上げておきましょう。第一に、あなたは宿題をやってきませんでしたね。第二に、とても厳格な家庭教育を受けておいでとのことだけど、そのおつむに浮かぶ事柄が上品とは言い難いのは偉大なお祖父さまのおかげかしら。第三に、もしほんとうにそう思っているのなら、そのうち必ずガッカリしますよ。」(『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』より引用)

インターネット上でも有名なこのジョークの元ネタ、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』は、著者である米原万里の体験をもとに書かれたノンフィクションエッセイだ。

米原は、日本共産党常任幹部会委員の子として生まれた。父親の仕事の都合で9歳から14歳までを東欧の社会主義国チェコスロバキアで過ごし、首都プラハにある、外国共産党幹部の子弟専用の学校に通っていた。

その後は日本に戻り、ペレストロイカ・ソ連崩壊の時代にロシア語通訳として、要人の随行通訳担当やテレビ出演など、華々しく活躍した。社会主義が大きな力を持っていた時代に、生涯ソ連圏に関わり続けた稀有な経歴を持つ女性作家だ。

米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』あらすじ

1960年、日本共産党員の子弟として、ヨーロッパの小国チェコスロバキアにある、ソ連大使館付属学校に通うことになったマリ。言葉の違いにもすぐに慣れ、友人もできた。

特に仲良くなった友人が3人いた。

まず、ギリシャ人のリッツァ。スポーツ万能で容姿端麗な一方、勉強がとても苦手で、特に数学は天才的にできない。

女性経験が豊富な兄から常日頃ふんだんに知識を仕入れているようで、恋愛方面の知識は誰よりも豊富だ。将来の夢は映画女優だという。ギリシャから亡命した共産主義者の娘で、故国ギリシャの「抜けるような青空」に憧れている。

それから、ルーマニア人のアーニャ。ノッソリした振る舞いから、あだ名は「雌牛」である。物事を大げさに言う癖があり、クラスメイトから嘘つきだと思われている。

でも、とても友達思いで優しい子なので、嘘つきなところも含め愛されている。故国ルーマニアの共産主義に誇りを持っており、何かにつけて共産主義を礼賛している。

最後に、ユーゴスラビア人のヤスミンカだ。成績優秀でクラスでは尊敬されている一方、クールで近寄りがたい雰囲気を持っている。

絵の才能にも秀でており、尊敬する人物は北斎である。なぜかマリに興味があるようだ。

3人の友人に囲まれ、マリはチェコスロバキアで充実した学校生活を送り、5年後の14歳になった頃、父親の仕事の都合でプラハを後にし、日本に帰った。

そして、30年後。

日本でロシア語通訳者となっていたマリの耳に、凄惨なユーゴスラビア紛争のニュースが入ってくる。

ユーゴスラビア人のヤスミンカはどうなったのだろうか。それに、他の友人たちは?社会主義、共産主義が大きく揺れ動いた時代を乗り越え、無事でいるのだろうか?

かつて住んだプラハに足を運ぶも、すでに学校はなくなり、周囲の様子も一変していた。放課後に友人たちと通った駄菓子屋も、無くなっていた。

いてもたってもいられず、マリはかつての友人たちを探し始めるのだった……。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の魅力

「本書は二〇世紀後半の激動の東ヨーロッパ史を個人の視点であざやかに切りとった歴史の証言の書でもあります。個人史の本も、現代史の本も、個別に存在してはいるものの、両者をみごとに融合させたという点で、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』はまれに見るすぐれたドキュメンタリー作品に仕上がったのでした。」(『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川文庫版解説より引用)

解説のこの部分だけを読むとなんだかマジメな本のように思えるが、その実、巧みなユーモアと読みやすい文章で読者を惹きつけ、あっという間に読ませてしまう本だ。

『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』の魅力は大きく3つある。

1つ目は、1960年代の共産主義国や、共産主義に親しんで育った子供たちの様子を著者の視点から知ることができる点。

そして2つ目は、ユーモアを交えたエッセイである点だ。

米原はユニークな人で、他の著作のタイトルを見ても『パンツの面目ふんどしの沽券』『打ちのめされるようなすごい本』『ガセネッタ&シモネッタ』などおもしろいものが多い。

さらに3つ目は、読み終わった後にどこか考えさせられるような、引っ掛かりがある点だ。

住んだことのない故国への憧れをつのらせる少女の愛国心や、社会主義の理想と現実、民族感情というものの割り切れなさ……読者それぞれに引っ掛かるポイントがあるはずだ。

また、本書を読んで興味を持ったら、著者の妹で共にソ連大使館付属学校に通っていた井上ユリによる著作『姉・米原万里』もおすすめしたい。チェコスロバキアの学校に通っていた頃のエピソードや、共産主義者だった父との子供時代の思い出などが、妹の視点から描かれている。

社会主義や、社会主義国家について知ることは、我々が住む日本について改めて考えるきっかけにもなるのではないだろうか。米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』で社会主義を体感しつつ、今一度皆さんの暮らしやこれからの国のあり方について、見つめなおしてもらえれば幸いだ。

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