インスタントラーメンは日本初の大発明品だと知っていますか?安藤百福はまさに生みの親であり、世界中に広めた名経営者です。そんな彼の波乱万丈で苦難の続いた経営者人生と、やがて成功を収め、晩年に至るまでを読み解けるおすすめ本をご紹介します。
カップヌードルは、スーパーやコンビニエンスストアで、時には自動販売機でも売っている人気商品です。
お湯を入れて3分待てばおいしいラーメンが食べられる、というこの画期的な商品を発明したのは日清食品でした。そして、日清食品の創業者として知られるのが、安藤百福(あんどうももふく)なのです。
1910年に現在の台湾で生まれた安藤は、メリヤスを販売する会社を22歳で設立し、大成功を収めていました。しかしその後、日本は太平洋戦争に突入し敗戦をむかえ混乱をきわめます。
その戦後の日本を救うべく、安藤はさまざまな紆余曲折を経て、日本の食文化を変えたといっても過言ではないラーメンを生み出しました。それは、「魔法のラーメン」とも呼ばれた世界初の即席めん「チキンラーメン」です。お湯さえあればおいしいラーメンが食べられるという、それまでまったくなかったアイデアが実現されたものでした。
チキンラーメンは問屋に注文が殺到するほどの大人気となりましたが、安藤百福はそれに満足せず、さらにカップヌードルを生み出すことになるのです。
チキンラーメン、そしてカップヌードルはいかに生み出されたのでしょうか。また、安藤はどのような苦難を経て夢のようなラーメンを世に送りだしたのでしょうか。
戦後日本の食文化を支え、世界にも愛されるカップヌードルを生み出した「ミスターヌードル」こと安藤百福の人生はまさに苦難の連続だったのです。経営者としての歩みは決して平坦ではありませんでした。それでも今日のように日清食品を世界的企業にまで成長させた安藤の経営、そして生き方とはどのようなものだったのでしょうか。
彼の生きざまに迫る、おすすめの書籍をご紹介します。
安藤百福の人生は決して順風満帆なものではありませんでした。戦時中、そして戦後の日本で何度も不運に見舞われ大変な困難に遭遇しつつも、常に挑戦することを諦めずに邁進していったのです。
本書では、彼の人生がどのようなものだったのかを垣間見ることができます。
第1部は、安藤が22歳でメリヤスを製造販売する会社を立ち上げたところからはじまります。若き経営者であった安藤は会社を成功させ、その他にもいくつかの商売を立ち上げていくのです。
- 著者
- 安藤百福発明記念館
- 出版日
- 2013-11-22
しかし成功ばかりではありませんでした。戦時中には、軍事用部品を製造する会社を共同経営していた知人に図られて憲兵隊に囚われ、拷問まで受けています。空襲で工場が焼けたこともありました。また、戦後は脱税容疑をかけられて巣鴨プリズンに収監されたこともあったのです。
幸いにもその件は無罪放免となるのですが、その後理事長として就任した信用組合は倒産。莫大な負債を抱えて無一文になってしまいます。貧困生活から這いあがるために一念発起してとりかかったのが、安藤百福が長年あたためてきたアイデア「お湯があれば家庭ですぐに食べられるラーメン」の研究だったのです。
このアイデアを実現したのが「チキンラーメン」であり、開発に成功して日清食品を立ちあげたとき、安藤は48歳でした。いわば遅咲きの経営者だったといってもいいでしょう。
このように本書では、インスタントラーメン誕生の秘話にとどまらない安藤の壮絶な人生を知ることができます。
また第2部では安藤百福の数々の格言、第3部では年の始に1年の計をしたためることを習慣にしていた安藤の「年頭所感」がまとめられています。安藤の経営哲学、人生哲学について学びたい人にもおすすめの一冊です。
本書では、まず日本経済新聞の名物コラム「私の履歴書」で掲載された安藤百福による自叙伝がまとめられています。
今ではジャンクフードというイメージが強いインスタントラーメンですが、その元祖であるチキンラーメンはそもそも健康食品として位置づけられていました。
- 著者
- 安藤 百福
- 出版日
- 2008-08-01
安藤百福は「食足世平」という自らの造語を日清食品の企業理念として掲げました。「食足りて世は平らか」という意味です。疲弊する戦後日本の人々に、衛生的で手間がかからず保存のできる食べ物を届けたい、衣食よりもまず食が大切である……と安藤のそんな思いが強くこめられた商品なのです。
このようにして本書の前半では安藤の人生と、チキンラーメンやカップヌードルなどインスタントラーメンの開発に至るまでの背景などが描かれていきます。
さらに後半には、安藤が麺の故郷を求めて中国を旅した際の紀行文が掲載されています。彼は経営の第一線を退いてから10年以上にわたって中国で麺類を食べ歩いたのだそうです。その一部が写真とともに本書で解説されています。安藤の麺に対するあくなき探究心を垣間見ることができますので、一読の価値ありといえるでしょう。
本書の単行本刊行は2002年であり、コラムが紙面に掲載されたのは2001年、安藤百福が91歳のときでした。麺の食べ歩きを始めたのは実に70代後半からのことだといいます。とんでもないバイタリティです。若い頃から晩年に至るまで、努力と探求を決して諦めない安藤の生き方を知ることができる一冊です。
安藤百福は2007年1月に96歳で亡くなりました。その翌月に緊急出版されたのが本書です。
本書はいわゆる安藤百福の語録となっています。なぜ没後すぐに出版できたのかというと、実は1988年に社内で、安藤の言葉のなかで記憶に残っているものについてアンケートをとり集計して「語録」として社内販売をしていました。それを再編集し出版したのが本書というわけです。
- 著者
- 安藤 百福
- 出版日
- 2007-02-01
1ページをたっぷり使って、安藤百福が実際に発したという含蓄のある言葉が数行で、大きな文字で書かれています。まさに語録、というつくりになっているのでいつどのような場面で、どのような思いで安藤がその言葉を発したのかについては多く知ることはできません。
その点については物足りなく思う読者もいるかもしれませんが、言葉の深みは本物です。
「皆でやろうということは、誰もやらない」
「人間はなまじ知識があるから本質がわからなくなる」
「人間には二つの心がある。一つはいいことをやりたい。もう一つはやりたいことをやりたい」
(『インスタントラーメン発明王 安藤百福かく語りき』から引用)
こうした言葉は背景にとらわれすぎないことで、自分の仕事にも生き方にも自由に応用することが可能です。
また、なかには「人類は麺類」といったユーモアに溢れ、「ミスターヌードル」と呼ばれた彼だったからこその言葉も見つかります。
迷いがあるときや、突破口が見つからないときに本書のページをめくることで解決のヒントが見つかるかもしれません。努力と信念で成功を収めた安藤の珠玉の名言を気軽に読める本であり、ぜひ手元において何度も読み返したい一冊です。
安藤百福にまつわる書籍や著作を読むと何度も目にする言葉があります。それは、本書のサブタイトルにもなっている「人生に遅すぎるということはない」というフレーズです。
先にも書いたように、安藤が日清食品を興したのは48歳のときでした。数々の挫折や苦難を経験し、無一文になったこともあった彼が、それでも再起して日清食品を超優良企業といわれるまでに成長させたのです。
- 著者
- 鈴田 孝史
- 出版日
安藤はなぜ復活を果たせたのでしょうか。また、彼はどのような考えのもとに行動し、どのような哲学をもって商品開発や経営にあたったのでしょうか。
彼にまつわるエピソードや、日清食品に関する情報をもとに、本書の著者である鈴田孝史があらためて検証しまとめています。
安藤は大変名が知られており、多くの人々から尊敬を集めた人物でありながら、著作はそれほど多くはありません。先に紹介した『インスタントラーメン発明王 安藤百福かく語りき』にも、語録の出版を多くの出版社から求められながら固辞していたことが書かれています。
つまり本書のように安藤の経営方針や行動理念について体系立ててまとめられているものは少ないのです。自らの仕事やビジネスに安藤の考え方を今すぐにでも実践的に取り入れたいという方には、本書がおおいに役立つでしょう。
とくに起死回生を狙う人やスキルアップを願っている人、失敗からの挽回を図りたい人などピンチのときに助けになる一冊です。
以上、日清食品の創業者、安藤百福に関する本をご紹介しました。チキンラーメンの発売は1958年、カップヌードルの発売は1971年です。50年以上前に作られた商品が今なお日本の家庭に根づいていることを考えると、安藤の功績は計り知れないものがあります。彼は儲けるためではなく、人々の生活の安寧を一心に願って、人生のどん底にいながらもインスタントラーメンを生み出したのです。
今は亡き名経営者の信念を知ることができる名著をぜひ一度手にとってみてください。