小倉昌男の本おすすめ5選!クロネコヤマト宅急便の生みの親から経営学を学ぶ

更新:2021.11.11

「宅急便」によって、郵便以外の物流インフラを日本で初めてつくりあげた小倉昌男。壮大な志をもち、周囲の固定観念や国の規制と戦い続けた彼の経営哲学とはどのようなものだったのでしょうか?その神髄が学べる本を集めました。

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日本人の生活を変えた反骨の経営者・小倉昌男

私たちにとって、なくてはならない存在ともいえる宅配サービス。しかし少し前までは、個人が遠方に荷物を届ける手段というと、直接持っていくか、日数がかかる郵便小包を使うしかありませんでした。そんな状況を「宅急便」という前代未聞のサービスで一気に変革したのが、小倉昌男だったのです。

小倉は1924年東京生まれ。東京大学を卒業後、大和運輸に入社します。大正時代に父親が創業し、第二次大戦前は近距離路線で成功した日本一のトラック運送会社でした。

ところが、1971年に彼が跡を継いで社長の座についたときには、会社は沈没の危機に瀕していたのです。戦後、長距離路線の進出に出遅れ、一転苦境に陥っていました。

1976年、落ちぶれた会社を救うため、小倉が起死回生の一手として生みだしたのが「宅急便」というサービスでした。しかし周囲からは大反対を受けてしまいます。

デパートや大企業の工場など、いつ、どのくらいの量の荷物が出るかわかる相手と商売をするのが業界の常識。個人の小荷物輸送などという得体の知れない業態に挑むのは、あまりにも無謀に思われたのです。

ところが小倉は、周りの苦言などどこ吹く風とばかりに市場に殴り込みをかけていきます。「電話一本で集荷・翌日配達」というシンプルなコンセプトは、主婦を中心に大きなインパクトを与えました。

5年目には黒字化し、1984年にはついに郵便小包の荷物数を追い越し、業界のトップに君臨しました。

「スキー宅急便」「クール宅急便」「クロネコメール便」……その後も彼の挑戦は続きます。ときに規制を盾に行く手を阻もうとする国や業界の既得権益にすら立ち向かっていく姿は、「反骨の経営者」と呼ばれることもありました。

1995年に第一線から身を引くと、自ら立ち上げた福祉財団の仕事に専念。2005年に亡くなるまで、障害者の雇用と自立支援に尽力しました。

小倉昌男の強靭な論理的思考に驚く一冊

1999年の発刊ながら、現在でも多くの経営者が座右の書にあげる本書。小倉昌男がみずからの経営戦略をあますところなく語った一冊です。

業界の固定観念を木っ端みじんに叩き壊す新商品開発、競合他社とダントツに差をつける差別化施策、そのほか現場との一体感づくりや財務体質の強化まで、現状をブチ破るためのあらゆる戦略が網羅されています。

著者
小倉 昌男
出版日

とはいえ、ここにはビジネス書にありがちな、誰にでも再現可能なノウハウは一切書かれていません。むしろそうした情報を安易に求める甘ったれた精神こそ、小倉がもっとも嫌ったものといえるでしょう。

「私が得たもの、それは、経営とは自分の頭で考えるもの、その考えるという姿勢が大切であるということだった」(『小倉昌男 経営学』より引用)

幹部全員の反対にあい、国や業界に邪魔されながらも「宅急便」を成功へと導いた小倉。本書に描かれているのは、そんな彼の実体験をもとにした孤独な思考の営みなのです。

「コストがかかる」「効率が悪い」……そんなことは他人に言われるまでもなく、小倉には十分わかっていました。しかし他の人間なら簡単に諦めるところでも、彼は必死に考え抜き、成功への道筋を見出していくのです。

その過程が綿密に描かれた本書で、小倉の思考の驚くべき強靭さに触れてみてください。

熱くて優しい小倉昌男の人間的魅力

日本経済新聞の名物コーナー「私の履歴書」の連載が収められた本書。小倉がみずからの半生を振り返りながら、人生観や経営者としての志を語っています。

座右の銘は「真心と思いやり」。そんな彼の、熱くて優しい人柄が伝わる一冊です。

著者
小倉 昌男
出版日
2003-01-07

小学生のころから好きだった算数によって、自分で筋道を立てて考える習慣が身についたこと、ビジネスにおける「倫理」の重要性を教えられたのは、大学時代に感銘を受けたマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』であったことなど、いかにして経営者としての資質を身につけていったのかも紹介されています。

戦前の写真も豊富に掲載されており、意外(?)にやんちゃだった学生時代や、叶えられなかった青春時代の恋、趣味のジャズや俳句など、プライベートも紹介。「反骨の経営者」の裏に隠されたエピソードの数々に、読後は小倉の存在をグッと身近に感じることができるでしょう。

小倉昌男の3つの謎に迫るノンフィクション・ミステリー

なぜ小倉はヤマト運輸の経営から退いた後、私財をはたいてまで福祉事業に取り組んだのか?なぜマスコミの人物評と小倉本人の人物評に大きなギャップがあるのか?なぜ死の直前、80歳という高齢にもかかわらずアメリカに渡ったのか……?

本書はそんな小倉をめぐる3つの謎に迫る、ミステリーの趣きをもったノンフィクション作品です。

著者
森 健
出版日
2016-01-25

ヤマト運輸時代の小倉の部下や福祉財団の関係者、さらに身内への取材を重ねながら、真相に迫っていきます。しだいに明らかになっていくのは、官庁の規制と闘い続けた「闘士」というマスコミが流布したイメージとは正反対の、「弱き」小倉の素顔でした。

息子の康嗣はこのように語っています。

「父の視点というのは、必ず弱いものに惹かれていました。(中略)宅急便だって、ふつうの主婦とかの不便や不都合に目がいって、事業化に結びついたし、福祉財団だってそう。それは、自分も弱きものという自覚があったのかもしれない」(『小倉昌男 祈りと経営』より引用)

地方の修道院への巨額の寄付、躍進を続ける宅急便の裏で小倉を悩まし続けた妻と娘の問題、そして晩年の小倉の前にあらわれたひとりの女性……すべての謎が解ける娘・真理へのインタビューまで、一気に読ませてしまう一冊です。

福祉事業にかけた想いを知る

1993年にヤマト福祉財団を設立した小倉昌男は、2年後、ヤマト運輸の経営から身を引くと、本格的に財団の仕事に専念するようになります。目標はひとつ、障害者が自立して生きていける社会をつくることでした。

当時、障害者が働けるところといえば、共同作業所のような福祉事業所のみ。仕事内容も、簡単な町工場の下請けや趣味レベルのものづくりしかなく、月給はたったの1万円ほどです。そんな状況に対して彼がはじめたのが、福祉事業所運営者向けの「経営パワーアップセミナー」でした。

著者
小倉 昌男
出版日
2003-10-09

セミナーの目的は、福祉業界に「売れる=稼ぐ仕組み」を導入すること。そして、障害者が障害年金とあわせれば自立可能な「給料10万円」を当たり前に稼げる社会を実現することでした。

そのセミナーのレジュメをもとに書かれたという本書には、宅急便を開発したときと同様、本気で世の中を変えようと試みる、小倉の熱く厳しい言葉が並んでいます。

「お涙ちょうだいで障害者のための慈善バザーでモノを売る発想から脱却できていない。バザーでならばともかく、一般市場ではまず売り物にならないのです。一般市場で必要なのは、お涙ちょうだいではなく、消費者である買い手が欲しいものをつくることなのです」(『福祉を変える経営』より引用)

マーケティングやマーチャンダイジングの考え方、商圏や流通チャネルの概念など、自分自身の経験を交えつつ、経営について教示していく小倉。「とにかくできることからやってみよう」と呼びかけ、彼自身も「スワンベーカリー」「スワンカフェ」といった、障害者が働く店を立ち上げます。

生涯にわたってチャレンジをやめなかった小倉昌男の「志の高さ」に胸打たれる一冊です。

あらゆるビジネスパーソンの心の糧となる小倉昌男の名言集

ヤマト運輸の社内報やメディアでの発言から選ばれた、小倉昌男の言葉がコンパクトに収められた一冊。 社会人としての心構えからリーダー論、経営論まで網羅されており、あらゆるビジネスパーソンにとっての「心の糧」となる名言集です。

著者
小倉 昌男
出版日
2012-09-07

小倉にとって、人生でもビジネスでも、何より大切なのは「正しい心、思いやりの心を持つこと」でした。本書も、まずはひとりの人間として後ろ指をさされない生き方をせよ、お天道様に顔向けできる仕事をせよ、と説くことから始まります。

「『実績さえ上げればいい。会社を儲けさせることさえできればいいのだから、人柄よりも職務上のスキルや実行力のほうが大切だ』と主張する人もいるだろう。しかし、会社の役に立っていても、社会の役に立っていなかったら、その仕事の価値は低い」(『小倉昌男の人生と経営』より引用)

そしてその「思いやりの心」が、みずからが生んだ宅急便というサービスのなかにいかに隅々まで息づいているかが明らかにされていきます。

規模の大小を問わず企業による不祥事が続く昨今、あらためて肝に銘じておきたい言葉が並んでいます。

小倉昌男の言葉は、これから何かはじめようと考えている若い読者にこそ響くはず。ぜひ、どれか一冊手にとってみてください。

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