2009年、日本が自衛隊の護衛艦をソマリアに派遣するべきか否かで大論争が起こりました。あんなに話題になった「ソマリア」という国について、皆さんはどれくらい知っているでしょうか。基本情報を抑えつつ、ノンフィクション作家・高野秀行の著作を紹介します。
2009年当時、ソマリア沖では海賊行為が頻発していて、日本の商業船も被害にあっていました。しかし護衛艦の海外派遣が議題にあがると、日本の憲法9条違憲ではないのだろうか、という議論が沸騰したのです。
私たちの目線はあくまで憲法に向かっていましたが、ソマリア沖の海賊行為から商船を守るのに必要だったのは、本当に自衛隊の艦船派遣だったのでしょうか?
そもそも、ソマリア自体に対する視座が足りていなかったのではないでしょうか?
この記事では自衛隊の護衛艦の可否についてはひとまず脇に置いておいて、「ソマリア」について述べていきます。
ソマリアは、産油国が多く存在するアラビア半島の向かい側、アフリカ大陸東部のとんがりの部分に位置します。そのためソマリア沖を多くの商船が行き来しますが、これらが海賊の被害にあっているのです。
隣国はカトリック教のエチオピアですが、ソマリ人はイスラム教徒がほとんどです。
ソマリアは、3つの地域に分けて語られます。南部のソマリア、中部のプントランド、そして北部のソマリランドです。
南部のソマリアは2017年現在も紛争がおこっていますが、ソマリランドは選挙がおこなわれる民主主義で内紛もありません。またソマリランドは、実質的にソマリアから独立しています。
南部に位置する首都モガディシュは、かつて『三大陸周遊記』のイブン・バットゥータや、明の鄭和が訪れるほどの交易に栄えた街でした。しかし長引く内戦の影響で、世界一危険と言われるほど治安が悪くなってしまったのです。
「ソマリア」は、イタリア語でソマリ人の国という意味で、「ソマリランド」は英語のソマリ人の国という意味です。つまりソマリアもソマリランドも、違う言語で同じことを指しています。
これは旧植民地時代、ソマリア北部はイギリス、南部はイタリアに分割統治されていたためです。
もちろん双方とも住人はソマリ人で、他のアフリカ諸国と同じように、1960年に独立します。
1960年、旧イギリス領である北部が先に独立し「ソマリランド共和国」を名乗りました。その数日後、独立した旧イタリア領である南部と合併し「ソマリア連邦共和国」となります。
しかしその後、権力争いによる内戦が幾度となく続くのです。
1991年、ソマリアの圧政に耐えかねた北部が「ソマリランド共和国」を復活させる形で独立。北部ソマリランドでは内戦が終結して民主主義も発展しましたが、南部ソマリアはいまだにソマリランドの独立を認めておらず、国連の承認も受けていません。
1998年、ソマリランドの一部地域で「プントランド政府」が樹立されます。この政府はソマリランドに反対し、ソマリア連邦共和国の一部だと宣言しています。
ここが件の海賊行為の本拠地です。
「ソマリ人にどんな印象を持っていますか?」
こう問われたら、皆さんは何と答えますか?
おそらく答えようがないのではないでしょうか。
日本にいるソマリ人は片手で数えられるほどですし、ほとんどの人がソマリ人と会ったり話したりする機会はありません。きっとぼんやりと、「お腹をすかせていそう」「かわいそう」など、他のアフリカ国家にもっているイメージをそのまま適用して思い浮かべるだけではないでしょうか。
そもそも、2009年に自衛隊の派遣部隊がソマリアに向かう際、ソマリ人についてどれだけ考えたでしょうか。あれだけ議論がくり返され、テレビのニュースでも毎日のように「ソマリア」という単語が流れてはいたけれど、ソマリア自体への関心はほとんどの人が持っていなかったのではないでしょうか。
ノンフィクション作家、高野秀行によると、ソマリ人はお金にがめつくて議論好き、図々しいけれど何だか憎めない人たちだそうです。
- 著者
- 高野 秀行
- 出版日
- 2013-02-19
高野はおそらく日本で唯一のソマリランド専門家。早稲田大学の探検部出身で、これまでにも観光客をほとんど受け入れないブータンや、ミャンマーの秘境を訪れては著書にして発表しています。
彼のすごいところは、現地の人たちの生活の中に入っていってしまうこと。たとえばソマリアでは、カートという麻薬の一種が人気を集めています。そこで高野は現地の人たちのカート宴会に混ざり、彼自身も楽しみつつ、そこでさまざまな情報を得ます。
そして、ソマリ人社会のディープなところにまで踏み込んでいった高野は、「海賊行為を辞めさせる方法」に、いとも簡単にたどり着くのです。
詳しいことはここには書きませんが、おそらく目からウロコ。そして実際に現地に赴いた人でないと考えられないものでしょう。
ニュースで遠い国のことが議題にあがっても、大方の場合我々は当事国について知らないまま議論をしなければなりません。そんな時、本書のようなノンフィクション作品が大いに手助けをしてくれるのではないでしょうか。
そしてそれこそが読書体験の真骨頂だと思います。