人間と生活と死について【ハッカドロップス】

人間と生活と死について【ハッカドロップス】

更新:2021.11.11

こんにちは、ハッカドロップスです! 最近手に取る本がたまたま死について書かれた本が多かったので今回はこのようなテーマになりました……。人間について考える上で、避けて通れないテーマというか、そもそも生と隣り合わせに永続的に存在しているのが死だと思います。 しかし実感としては悲しいことなのには違いない。 そして本の中では同時に贈り物をくれたりする出来事。時に暖かさも感じます。5冊、紹介します。

ブックカルテ リンク

アルゼンチンババア

著者
よしもと ばなな
出版日
2006-08-01

「人って本当に死ぬんだ」。みつこちゃんのお母さんは、みつこちゃんが18の時に死んだ。お母さんが死んでみつこちゃんは大きな贈り物を受け取った。アルゼンチンババアは近所では有名な“変わり者”のおばさんだけど、みつこちゃんが思っていたことをそのまま言うので2人して泣いてしまう。お父さんがなんでアルゼンチンババアのところに住んでいるのか、わかる気がした。

知っている近しい人が亡くなった時、「人って本当に死ぬんだ」と思ったことを思い出した。そしてそれは本当に悲しいことです。

この世の全部を敵に回して

著者
白石 一文
出版日
2012-04-06

亡くなったK***氏の手記だという形をとった小説。

「私は子供たちのことも妻のことも愛してはいない。」

このような話に始まり、独白体の文章が一冊を通しています。

「死ぬことも死なぬことも恐ろしい。そういう存在である私たちにとって『死』は絶対である。」

人間が基本的なところで矛盾している存在なのではないでしょうか。ひたすらに向き合えば向き合うほど、その矛盾や理不尽さというのが浮かび上がってきます。

「いまの若い人々は」
「不可知なもの、超自然的で優しげなものにすぐコロッといってしまう」

という本文の主張は確かにそうで、この手記体の文章は硬派で難しい印象で読みやすくはないけれど、人に考えさせる、頭を使わせる力を、感じます。

蛇を踏む

著者
川上 弘美
出版日
1999-08-10

蛇を踏んだらその蛇が女になってヒワ子ちゃんの家に住み着いた。「私はヒワ子ちゃんのお母さんよ」という蛇。ヒワ子ちゃんの本当のお母さんは静岡にいる。蛇はあたりまえのようにご飯を作ったり、ヒワ子ちゃんの世話をする。

こっちの世界においでと誘う蛇になんとなく居心地の良さを感じてしまい流されるヒワ子ちゃん。奥底にあるなびかない気持ちが、最後やっと言葉になって女と取っ組みあいで戦う。

「蛇の世界なんてないのよ」

いつか王子駅で

著者
堀江 敏幸
出版日
2006-08-29

電車はいつも、生活の隣に走っている。何がなくともそこに生活はあるのだ、少なくとも。やっとで見つけた米屋のお爺さんを見て思い出すのは

「人の仕事が天職かどうかを知るにはやっていることを見る必要はなく、ただその人の眼を見ればよい」

とうたったイングランドの詩人である。競走馬の名前からとられた「かおり」という名の飲み屋の女将さんのセリフからは、

「どなたも毎日いらっしゃるわけじゃないし、たまに寄っていただけるだけでうちはじゅうぶんなんですよ、自由に見えてやっぱりひとつところをぐるぐるまわってる回遊魚みたいなひとにも親しみが湧くんだけれど」

下町の人付き合いのテンションが垣間見える。

そうか、もう君はいないのか

著者
城山 三郎
出版日
2010-07-28
「彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。」

妻、容子さんとの戦後間もない出会いから死別までの手記。その時代の結婚や恋愛に今とのギャップを感じて驚くこともあったけれど、一度しか会っていない相手を生涯の伴侶にと考えてしまうところなど、とてもあり得るエピソードで素敵だと思った。

人生はドラマチックなことが本当に起こる、そして人の数だけ、まだ記されていない、物語がある。

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