25歳になっておでこからアスファルトに突っ込むとは思わなかった。20年前にはなかった新型ばんそうこうのおかげですり傷がきれいに治ったので書いていまいます。わたし、本当にばかです、ごめんなさい。もうしません。
わたしの思い描いていた25歳は大人の女性だから、酔っ払っていたとしても公園の生垣に走りこんだりはしない。ありえない。
ましてやその生垣の先にあるロープに足を引っ掛けたりもしない。そして足を引っ掛けたとしても、頭からアスファルトに突っ込んだりもしない。ありえない。
と言いつつも、私はわたしの思いがけない理由で(頭をぶつけて忘れてしまったのか、何も考えてなかったのかわからないけれどどうしてそのようにしたかわからない。強いて言えばもう、気分)で緑の生垣へ向かって駆け込んでいたし、それでも鹿のようにウサギのように生垣をふたつは飛び越え、だけどその先に罠のように仕掛けられていたロープに足を取られ、それでも捕まったわけではなく、アスファルトに肘と膝をうちつけて、はずみでおでこから突っ込んだ。昨今まれに見る大怪我だ。
詳細は覚えていないけど、頭を打った瞬間のツーンとつきぬける衝撃、本当に久しぶりだった。久しぶりだったということは昔もあったわけで、それは5歳くらいだったんだろうかと思うけども、この私が5歳から20年も転ばなかったはずがない。でも最後に頭を打ったのがいつか思い出せないくらいには昔にそれはあった。
でもそれが大人のわたしに起こるなんて。
25歳はめんどくさい。
子どもの頃からなんとなく、25歳になったら朝、目が覚めたときに夢の内容を忘れてしまうような感覚でしっと大人になるんだと思ってた。
アスファルトに顔からすっ転んでみて思ったのは、5歳の頃から私は案外ほとんど変わっていなくて、それはもしかするとある一部分で5歳の頃から大人っぽかったのかもしれないという説だ。子どもみたいな25歳はどこか大人のような5歳の続きなのかもしれない。
その、大人なんだか子どもなんだか曖昧な魂のところが25歳という大人っぽい年齢になった瞬間に主張し始めたのかもしれない。
だからわざと幼児返りをして道端ですっ転んで、ひとり声をあげて泣いたのだろう。
血ってこんな匂いだったっけということ、怪我って痛いよなあ、プロレスラーはよく怪我をしたり血を出すことがあるけれど、選手はほんとうにすごいなと思いながら一人で家に帰る急な坂をのぼった。
ひじ、ひざと額のすり傷は大したものではなかったのだけれど、坂道を歩いていたら痛くて情けなくて涙が出て、25歳になっても転ぶこともあるのだなあと思ったらなんだか夜の坂道は途端に自由で、とても面白くなってしまった。
大人の心得として近所迷惑にならない程度にあげてみた、泣き声の心細いキーキーした声は、子どもの頃にわたしが聴いたか細いか細い音とおんなじで、懐かしくって笑ってしまった。
一人でこんな夜道でほんとうにばかだ、生きることはなんて自由で楽しくて寂しいんだろうと思ったら、涙と笑いが止まらなかった。
電線が並ぶ急な坂を一歩登るたびに子供のころ流したものと変わらないただのでかい粒の涙が、ボロンボロン落ちて、顔を出すことが仕事なのにこんなふうにしてしまった自分のロクデモナさが、誰も手を差し伸べない一人の夜の寂しさが、心細さと愉快さが、血と涙になって毛穴や目玉の端から体液になってアスファルトに水玉模様を作った。
25歳になって、友達がどんどん結婚していく。
これからわたしのように手のかかる子どもを産み育てる友達も増えてくる、みんな好きずきに幸せを手にしてくれたらこんなに嬉しくて幸せなことはない。
東京から電線が姿を消して、友達がみんな結婚してしまったら、わたしは何を心の支えにして生きていったらいいんだろう。BLかなあ。
京都で草壁くんと一緒に幸せに暮らしているはずの佐条利人くんが、今日も幸せでいますように。
- 著者
- 中村 明日美子
- 出版日
- 2008-02-15
痛いほどにみずみずしい手ざわりのすばらしい恋物語、ボーイズラブってなにかしらという方にぜひ手に取っていただきたい名作です。高校生2人の一挙手一投足に引き込まれた私は、「同級生」の日めくりカレンダーをめくることを日々の楽しみにしています。
撮影:石山蓮華
電線読書
趣味は電線、配線の写真を撮ること。そんな女優・石山蓮華が、徒然と考えることを綴るコラムです。石山蓮華は、日本テレビ「ZIP!」にレポーターとして出演中。主な出演作は、映画「思い出のマーニー」、舞台「遠野物語-奇ッ怪 其ノ参-」「転校生」、ラジオ「能町みね子のTOO MUCH LOVER」テレビ「ナカイの窓」など。