芥川龍之介や夏目漱石などの文豪たちが天国で生活している様子を描いた『文豪失格』。彼らの実際の作品や史実にもとづいてストーリーが展開されるので、それぞれのファンはもちろん、文学自体を幅広く知りたい人も楽しめます。
夏目漱石にはじまり、川端康成や太宰治、宮沢賢治など、11人の文豪が天国で死後の生活を楽しんでいる様子を描いた『文豪失格』。現代の文学文化を取り入れながら、彼らの実際の作品や史実などにもとづいてコミカルにストーリーが展開されていきます。
文豪が実際に執筆した著名な作品や逸話などが数多く出てくるので、作者や近代文学が好きな人はもちろん、あまり詳しくない人も楽しみながらいつのまにか知識がついてしまうのが魅力です。
- 著者
- ["千船 翔子", "AIRAGENCY・フロンティアワークス"]
- 出版日
- 2015-11-28
現代日本のオタク文化の象徴であるアキバに行ってみたり、同人即売会に参加したりしながら、文豪たちの掛け合いがおもしろおかしく描かれています。
彼らが手掛けた作品はもちろん、太宰と芥川、中也と宮沢などの関係性もわかりやすくまとめられているのです。生前、作家以外にしていた職業をもとにしたパラレルストーリーもあり、彼らの人間性をうかがい知ることができるでしょう。
この記事ではそんな本作の魅力を、各文豪たちにスポットを当てて紹介していきます。
千円札の顔として印刷され、国語の教科書にも数多く作品が載っていることから、名前を知らない人はいないであろう夏目漱石。
彼のキャラクター性がもっともあらわれているのは、飼い猫に名前をつけなかったというエピソードではないでしょうか。犬派か猫派か、という議論をした時、漱石は力を込めてこう言い放ちました。
「犬派に決まってるだろう!」(『文豪失格』1巻より引用)
『吾輩は猫である』を執筆した漱石。「名前はまだ無い。」と続く冒頭が有名ですよね。この作品どおり彼の飼い猫には名前が無く、飼い犬には「ヘクトー」という当時からしてみればハイカラな名前をつけていました。
また『吾輩は猫である』が有名なためそのイメージが強いですが、他の作品では愛犬とのふれあいが描かれてもいるのです。
弟子のことも大切にしていた彼の発言からは、「慕ってくれるものを可愛がる」という性格を垣間見ることができますね。
名前の無い猫は可哀想な気もしますが、作品を体現しているその素直さは妙に子どもっぽくも見え、聡明な漱石の意外な一面です。
ぼんやりとした不安に苛まれていない時は、ただの常識人だった芥川龍之介。塾講師として働く姿が描かれた番外編では、彼の実体験だといわれている作品『蜜柑』について語っています。
「礼儀知らずの無神経な娘だ…」(『文豪失格』3巻より引用)
少女が汽車の窓を開けてしまい、黒煙をかぶった彼は、この怒りようでした。
普段はまともなのにたまに心の闇が見え、また太宰との絡みが多く苦労しているようにも見えますが、このシーンは彼が思うがままに生きていることが伺え、興味深いものになっています。
ちなみに生徒訳として『蜜柑』の話を聞いていた他の文豪たちは、感動の涙を流していました。
「ええ話じゃああー!!!」(『文豪失格』3巻より引用)
元から暗い作品ばかり書くような陰キャラではなかったことを示す場面でもあり、番外編とはいえ注目したいエピソードです。
その名前から、女性作家と勘違いされることも多い泉鏡花。『文豪失格』でも女性のような柔和で可愛らしい姿で描かれています。
そして泉鏡花といえば有名なのが、潔癖症。殺菌消毒のため、どんなものにでも火をとおしていたと伝えられています。
天国でも作家活動を続けている彼は、原稿を取りに来た編集者が訪ねてくるやいなや、スプレーのようなものを吹きかけました。
「原稿ほしかったらお風呂に入って! 不潔な人にわたしの原稿は渡したくない!」(『文豪失格』1巻より引用)
編集者をお風呂に入れた鏡花ですが、お供として出した酒は煮えたぎり、お湯も薪が燃え上がるほどの熱湯になっていました。
原稿ができていないため、編集者を追い返したい意図もあるのかもしれませんが、曇りのない目で悪意あるおこないをする彼からは、見た目に反してやんちゃ坊主感が伺えます。
またあまりの熱さに気を失った編集者を、裸のまま外に出してしまうところからは、鏡花の裏表ある性格を見ることができるでしょう。
初登場時から変態のMキャラとして描かれていた谷崎潤一郎が、そのほかの一面を見せてくれたのが3巻です。彼は暴飲暴食のせいで、3頭身のおデブさんになっていました。
女性に叩かれて喜ぶドMというだけでも十分濃いキャラですが、そのうえ大食いだったとは。しかし彼の大食い癖は、幼少期の貧しい思い出が影響しているそうなのです。生前も食べすぎで病気になっていました。
「兵役も免除されたしな!」(『文豪失格』3巻より引用)
なんと、脂肪過多で兵役も免除されたそうです。
想像以上の大食いっぷりに、他の文豪たちもドン引き。気取った言動の多い谷崎ですが、ギャップがすごすぎます。読者からしたら、可愛らしく見えるかもしれません。
ダイエットのために訪れた宮沢賢治のもとで、彼の世界観に侵され続けた結果、最終的に「非常に綺麗な谷崎」へと変貌を遂げます。これまでに見たことのない姿を見ることができ、一字一句見逃せません。
- 著者
- 千船翔子
- 出版日
- 2016-10-05
『走れメロス』や『人間失格』でおなじみの太宰治。彼は芥川の熱狂的なファンで、死後も芥川賞にひどく執着していました。当時の選考委員を務めていた川端康成には、何通も手紙を送りつけていたのだとか。
「川端さんに手紙まで書いたのに無視されたんだよう」(『文豪失格』1巻より引用)
賞が欲しい、見殺しにしないで欲しいと訴えたそうで、そこまでできる太宰の精神力と根性は目を見張るものがあります。しかしそうまでしても賞をくれなかった川端のことを恨んでいるらしく、天国でも芥川と交流している彼に敵意を向けていました。
「そうやって先生に取り入ろうとしているんだなあつかましい奴!」(『文豪失格』1巻より引用)
また自殺未遂をくり返したことでも有名な太宰ですが、彼は天国でも首を吊ろうとしていました。しかしその様子を見ていると、彼を太宰たらしめている大きな理由は、やはり芥川への好意のようです。
芥川の名前をノートに書き連ねたり、言動を真似してみたり、講演を聞きに行ったりと、かなり好いていたことがうかがえます。
芥川賞だけでなく本人にも固執する姿は子どもっぽく、どこかお茶目にも見えます。
「くっだらねえ 俺は酒でも飲みに行くぜ!」(『文豪失格』2巻より引用)
酒が絡むシーンでは必ずと言っていいほど登場する中原中也。美少女と勘違いされるほど可愛らしい見た目をしていながら、性格は乱暴で、言葉遣いも男らしいです。
しかし中也の書く詩からは、本来持っているであろう繊細さを垣間見ることができるでしょう。作中では、詩を朗読されて赤面する場面が多々あります。
また彼は現代でいう中二病のようなものを患っており、中学校にサングラスをかけて登校していたのだとか。
粗野な性格とナイーブな一面のどちらも彼本来の性格だとわかり、中也のあの詩がいったいどのようにして作られているのか、余計に気になってしまいます。
宮沢賢治が妹を大切にしていた場面はたびたび描かれていますが、妹の死を受けて書いた『永訣の朝』が記されている場面が、もっとも強く絆を表しているといえるででしょう。
『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』などで知られる宮沢ですが、実は生前ほとんど脚光を浴びず、死後にようやく作品が注目されはじめました。
本作では、純朴で優しい青年として描かれ、それゆえにどこか狂気をはらんだ作品を紹介することで、彼のもつ危うさが表現されていました。しかし『永訣の朝』はそれらの作品とは異なり、純粋で暗い部分が文章として初めて現れたものでした。
「その…僕のは趣味で書いてるからへたくそで恥ずかしいね…」(『文豪失格』3巻より引用)
この言葉からもわかるように、他の文豪に比べて消極的で穏やかに描かれてる宮沢。そんな彼の深い考えを知ることができる『永訣の朝』のシーンは必見です。
また、彼に反応する中也にもぜひ注目してみてください。
ノーベル文学賞を受賞した作家として有名な川端康成。芥川龍之介や夏目漱石に並んで、知名度が高い人物ではないでしょうか。
そんな川端、学生時代は清野という少年に愛を芽生えさせていたことにも注目したいところですが、彼は現代でいう百合要素のある「少女小説」も執筆していました。
「そうです 少女雑誌に連載をもっていました その時川端康成39歳 アラフォーのオッサンですがなにか?」(『文豪失格』1巻より引用)
アラフォーにして乙女同士の恋を描いていたというのだから驚きです。
「『少年』だけじゃなかったのか…」(『文豪失格』1巻より引用)
同席していた太宰たちの感想も、このようなものでした。
他の登場人物に比べて顔芸が少なく、一見ナイスなミドル紳士のようですが、例の『乙女の港』を読まれても平然としていて、さらに自ら清野少年への愛をさらけ出すのです。
男性女性に関わらず、「同性愛」というものに対する愛情も感じることができるでしょう。
非常にハイスペックで爽やかなイケメンとして描かれている志賀直哉ですが、どうやら周りの空気を読めない時がある様子。それが顕著に表れたのが、3巻でした。
文豪たちが自分の過去を暴露していくというストーリーで、おのおのが悲しい出来事や黒歴史を話すなか、彼は祖父に自転車を買ってもらったことを話しました。
「当時160円だったから現代の値段にすると300万くらいかな」(『文豪失格』3巻より引用)
子どもなのに300万円相当のものを買って貰えるという、他人が妬ましく思うことを平然と言ってしまう志賀。
貧しい子ども時代を過ごしていた谷崎は、ワナワナと怒りに震えながら詰め寄りますが、当の本人はなぜ谷崎が怒っているのか、なぜ周りの人が驚いているのかわからない様子です。
「さっすが志賀パイセ〜ン! 無自覚に煽ってくスタイルもはや伝統芸っすね!」(『文豪失格』3巻より引用)
無自覚に自分の道を突き進む彼の言動は天性のもので、決して狙っているわけではないのです。自己主義の人が多い本作のなかでも、唯一無二のとんでもキャラクターといえるのではないでしょうか。
太宰や織田作之助などと同じ、無頼派の坂口安吾。黙っていれば、少しシワのある口元と眼鏡がダンディな男性なのに、事あるごとにアヒャヒャヒャと高笑いするハイテンションキャラとして描かれています。
宮沢賢治に初めて会った時も、相手を指さしヒャヒャヒャと大笑いしました。
「えっまじか!? あのミヤケン!? 俺、ケンジのリリック 割と好きだよww」(『文豪失格』2巻より引用)
初対面の相手をあだ名で呼ぶ安吾は、まさに奔放で破天荒な男です。大笑いと通常テンションの間にワンクッションがないのがすごいところでもあります。
また他人に対してだけでなく、自分のおこないにも笑ってしまうあたり、さすが『堕落論』の作者というべきでしょうか。
谷崎の小説を好んで読み、自身の作品にもエロティックな女性を登場させておきながら、現実では4年付き合っている女性と何もないという純情さも魅力のひとつですね。
推理小説を日本に定着させた人物と言っても過言ではない、江戸川乱歩。作中でも1番最後の登場となった彼は、怪人二十面相に扮しているときしか堂々と話せないという、少々内気な性格をしています。
「二十面相になりきってる時しか自分を出せないんです…」(『文豪失格』2巻より引用)
しかし、仮面を被ったら被ったで異様にテンションが高くなるので、明るい内気、というのが正しいかもしれません。
ただ少々人との付き合い方に問題があるだけで、彼自身はとても人のいいキャラクターです。
何かと乱歩に絡んできて苛立たされていた安吾に賞を送ろうとしたり、友達になろうとしたりと、付き合い方に多少問題はありますが、人がいい様子が見て取れます。
ちなみ安吾が乱歩にきつく当たってくる理由は、学生だった安吾が楽しみに読んでいた乱歩の作品が、最終回で犯人が思い浮かばないからと連載を打ち切られたことにあるそう。自業自得とも言えるのかもしれませんね。
- 著者
- 千船 翔子
- 出版日
- 2017-11-17
国語の教科書、歴史の教科書で見かけたことのある文豪たちの素顔?を描いた本作。現在まで伝わる彼らの逸話をいじったストーリーを読めば、とっつきにくい偉人から身近なおじさんというイメージに代わり、より興味を持てるかもしれません。
本作の魅力は彼らがとにかくかしましく動くこと、喋ること。賑やかとも言えますが、とにかくうるさい。
しかし徐々に彼らのドタバタな日常がないと寂しくなってくるような愛着が湧いてきて、ついつい次も読みたい、となってしまうのです。
今回はそんな魅力をつくっているキャラたちをご紹介しましたが、本作の魅力は彼ら単体のみならず、掛け合いにあります。あぁ言えばこう言う、絶対に折れない、個性が強すぎる面々の化学反応にますます引き込まれていくことでしょう。
ぜひそんな本作の魅力を作品本編でご覧になってみてください。彼らのうるささを体感してみるのもいいかもしれません。
11人の文豪が織りなす天国でのはちゃめちゃ劇。彼らが手掛けた実際の作品が取り上げられ、史実にもとづいて描かれているので、楽しみながらも勉強になります。ぜひ1度手にとってみてください。