『アイアムアヒーロー』とは、謎の感染症によって日常が崩落していくさまを描いたSFホラー漫画。さまざまな考察ができる作品になっています。スマホの漫画アプリで無料で読めますよ。
未曽有のパンデミック漫画『アイアムアヒーロー』。ゾンビものではありますが、極めてリアルな世界観と心理描写が特徴です。
登場人物たちはみな等身大で、共感できることも多いはず。特に主人公である鈴木英雄が頼りなくて情けなくて、人間くさく描かれています。彼は名のとおり、「英雄(ヒーロー)」へとなれるのでしょうか。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2009-08-28
作者の花沢健吾は、自身をモデルにしたキャラクターを登場させることが多く、鈴木英雄に至っては職業も漫画家で、顔かたちまで本人にそっくりだそうです。
本作はゾンビ漫画ですが、見どころはゾンビとのバトルシーンではありません。どんなにみっともなくてもゾンビから逃げて、自身が生きる理由を探し、覚悟をしていく部分にあります。恐怖心を克服できないさまや、それでも戦う勇気に心を打たれることもあるでしょう。
この記事では、そんな本作の魅力と、作中での謎や疑問に迫り、考察していきます。ネタバレを含むのでご注意ください。
鈴木英雄は、35歳の冴えない漫画家。過去にデビューはしたものの連載はすぐに打ち切られ、それ以降はアシスタントをしながら再デビューを目指しています。
黒川徹子という彼女が日々の救いでしたが、徹子は売れっ子の漫画家である元カレを何かと引き合いに出し、それは英雄にストレスを与えていました。
そんなある日、彼らの日常が突然崩壊します。全国的に謎のパンデミックが蔓延し、あらゆる人間がゾンビと化してしまったのです。「ZQN」と呼ばれる感染者から逃れながら、英雄はなんとか生き延びていきます。
「ZQN」は「ZERO QUALIFED NUCLEUS」(核として無なもの)の略称。感染者が非感染者に噛みつき、パンデミックを広めていきます。ゾンビ化すると身体能力が著しく向上し、致命傷を負わない限り活動を続けることができます。
感染前の生活を基準に行動する習性があるようです。音と臭いに敏感で、それらを頼りに非感染者を見つけ出し群がります。
ZQNについては、「ゾンビ」から連想できるような事柄しか明記されていません。「なぜZQNが現れたのか」「ZQNの目的は何なのか」が説明されていないのです。
ただ作中でZQNはこのように捉えられています。
「このウイルスは絶望状態の人間には希望の光になる」(『アイアムアヒーロー』22巻より引用)
つまりZQNとは、絶望状態の人間による世界への反逆だったのではないでしょうか。すべてをZQNとすることで、すべてを平等とする……そんな意図があったのではないかと考えられます。
人は誰しも、多かれ少なかれ絶望を抱えているものですが、それでもそこから這い上がれる人が、今回のパンデミックから逃れられたのかもしれません。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2010-05-28
またZQNと切っても切れないのが、「クルス」という存在です。元々は「来栖」という青年の呼称でしたが、物語が進むにつれて、複数名現れるようになりました。
1人目が、最初に来栖と呼ばれていた青年。
2人目は、物語中盤に登場する、自称「狂巣」という男。
そして3人目が、江崎崇という青年です。彼は来栖と狂巣と戦って勝った後に、自ら「クルス」と名乗るようになりました。
この3人の「クルス」に共通しているのが、「半感染者」という点です。
半感染者とは、ZQNに噛まれ、彼らに匹敵する身体能力を持ちながらも思考能力と判断能力が残っている状態のこと。歯のない人間に噛まれるなど、感染するときの状況が不十分な時に生じるようです。
半感染者同士は、言葉を交わさなくとも意思疎通のようなことができるようになります。
こうなると、明記されていませんが、半感染者の呼称が「クルス」ということになるのかもしれません。ただZQN同様に詳しいことは書かれていないので、想像の域を出ませんが。
クルスに関してひとつだけ明確に書かれた事実は、1人目の来栖の正体が、小学生のころから引きこもっていて、現在はほぼ寝たきりの中年のおじさんだったということ。ほとんど誰ともコミュニケーションをとったことがなく、ともすれば生きていることに疑問を抱いている象徴です。
ここから、「クルス」とは、力を持たない人間のある種の理想の姿なのではないかと考えられます。特別な能力を持っている、自分は生きている意味がある……誰しもそのように感じたいものですが、現実は違います。そんな現実から逃れるために、今回のパンデミックが起こったのかもしれません。
本作を考察するうえで欠かせない人物が、ヒロインとも呼べる早狩比呂美(はやかりひろみ)です。
女子高生の彼女は、日本国内に感染が広がっているさなか英雄と出会い、そこから行動をともにします。おとなしそうな見た目をしていますが、感染してしまった友人を楽にしてあげるために自ら銃の引き金を引くなど、度胸もあります。
かつて小栗真司という男性と付き合っていましたが、ZQNが蔓延るなかで英雄と過ごすうちにお互いに惹かれていき、付き合うようになりました。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2010-12-25
比呂美を語るうえで欠かせない事柄が、彼女もクルスらと同じく「半感染者」だということです。感染した当初は意識が混濁しましたが、やがて遠く離れた半感染者やZQNと意思疎通ができるようになります。
その後は身体能力もクルスら半感染者と同じく著しく上昇し、英雄を守るための戦闘要員として活動しました。
富士周辺のアウトレットモールで、そこを根城にしていた者にボウガンで頭を撃たれて意識を失いますが、小田つぐみという看護師の処置によって回復します。それ以降、英雄、比呂美、つぐみの3人で行動するようになりました。
ちなみに英雄とつぐみは、比呂美が意識を失っているあいだに肉体関係を持っています。
さて、絶望的な世界のなかで信頼できる存在を見つけた3人でしたが、それも長くは続きません。つぐみがZQNに噛まれて感染してしまったのです。
彼女は「人のままで死にたい」と願い、自らゴミ収集車のプレス機に入り、そのスイッチを比呂美が押すことで亡くなりました。
この出来事は比呂美の心に傷を残しましたが、その代わり彼女と英雄はより強い繋がりを得るようになります。
しかしその時間もすぐに終わりを迎えるのです。クルスと意思疎通をした比呂美は突如何かを悟り、多数のZQNが合体して成る「大型ZQN」へ、自ら取り込まれていったのです。
この一連の出来事に関しても、作中ではほとんど語られません。唯一わかったのは、比呂美が「大型ZQN」をコントロールする力を持っていたということです。英雄をも取り込もうとする「大型ZQN」に対し、彼女は「この男は生きている方が勝手に苦しむから生かしておいて」と語り掛け、彼を生き延びさせたのです。
これは、英雄と強い繋がりを持った女性による、ある種の復讐なのではないでしょうか。彼は孤独に耐えられなくなると、次々と女性と関係をもっていました。もしかすると絶望的な世界をひとりで生きるより「大型ZQN」に統合されたほうが「楽」で、弱い英雄に対する怒りからこのような行動をしたのかもしれません。
ZQNが蔓延る世界には、いくつかのコミュニティができます。そのうちのひとつが、来栖と、クルスとなった江崎崇が率いる「クルス組」です。
彼らのなかには非日常になった「今」を楽しんでいる者が多く、喜んでZQNと交戦している節があります。これにはどのような意味が込められているのでしょうか。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2012-10-30
「クルス」組について考えるうえで、もう1度3人の「クルス」について整理してみましょう。
1人目の来栖は重度の引きこもりで、世界的なパンデミックが起こる前からZQNの存在をインターネット上で示唆していました。感染した母親をバットで殴る動画をアップすることで生存者を煽り、仲間を集います。
2人目の狂巣はいわゆる非リア充で、来栖や崇と出会う前は別のコミュニティに属していました。そこで半感染者となった力を用いてZQNと戦っていましたが、誰からも見向きもされず、コミュニティの全員を殺して単独行動をとるようになります。
3人目のクルスは、江崎崇という青年。登校拒否になり重度の引きこもりでした。クルス組に合流する際に、感染した母親を自らの手で殺しています。
彼らを並べてみると、似たような点を見つけることができるでしょう。俗にいうリア充から大きくかけ離れている点と、近しい人物を殺めている点です。
そしてこれは、比呂美にも共通していました。彼女も元々いじめられっ子で、つぐみを自らの手で殺めています。
そうなると、「クルス」とは、社会に馴染めないうえに大切な誰かを失った人物を指すと考えられます。そしてそのような者が集まったコミュニティが「クルス組」なのです。
ただ彼らのなかにはパンデミックを生き延びた者も数名いるので、たとえ社会から1度ドロップアウトしたとしても、成せることはあるし、やり直すことができるというメッセージが込められているのではないでしょうか。
クルス組には、「おばちゃん」と呼ばれる女性がいます。本名は不明ですがいかにも中年主婦といった風貌で、クルス組の者たちが生活をしていくうえで家事を担当していました。物怖じしない性格で、ZQNとも包丁を使って戦います。
お母さん的な役割をしていましたが、クルスの残忍な行動に我慢できなくなり、途中でクルス組を離反します。後に徹子の元カレで漫画家の中田コロリと遭遇し、意気投合しました。
終盤、クルス組の数名とコロリ組の数名は、池袋の高層ビルの屋上にあるヘリコプターを使って脱出を計ります。しかしその時コロリ組の半感染者と疑われる女兵士が暴走し、おばちゃんは大型ZQNに取り込まれてしまうのです。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2016-04-12
しかし、コロリによって大型ZQNから引きずり出されます。するとなぜかおばちゃんは、若返っていたのです。
なぜおばちゃんは若返ったのか。これに関しても作中で明言はされていませんが、おそらくコロリ組の女兵士かクルス、もしくは両者によるなんらかの意思表示なのではないかと考えられます。彼ら半感染者は、ZQNのなかでも強い発言権があるからです。
ではなぜおばちゃんは助け出されたのでしょうか。そこには、来栖と狂巣の発言が関係しているのかもしれません。
彼らは自身を「ヒーロー」「覇者」と称します。しかしこのような肩書きは、他者がいなければ意味を持ちません。人類が絶滅してしまうと、ヒーローや覇者になれないのです。
彼らを肯定する存在としておばちゃんを生かし、そして人類を存続させるために、子どもを産むのに適した年齢まで若返らせたのではないでしょうか。
物語が進むなかで英雄がどうなったのかというと、最終回でもあいかわらず頼りなく冴えない男のままでした。基本的に行動は他人任せです。
比呂美が大型ZQNに取り込まれた時だけは自発的に彼女を助けようとしましたが、その行動は結果的に逃げようとしているコロリらを妨害したり、比呂美を激昂させたりという散々なもの。
また彼は徹子に噛まれて感染している疑いがありました。クルスと意思疎通している描写もあり、もしかしたら半感染者だったのではと考えられる場面が散見されています。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2017-03-30
しかし英雄は、大型ZQNに取り込まれることもなく、また半感染者として身体能力が向上するわけでもなく、変わらずにただの人間として生き延びるのです。人間もZQNもいなくなり、パンデミックが収まった静かな池袋の公園で、たったひとり生きていきます。
このように読者に疑問を投げつける形で収束する『アイアムアヒーロー』の結末には、どのような意味が込められているのでしょうか。
それを考えるうえで、本作のタイトルを見てみたいと思います。
アイアムアヒーロー、直訳すると「私は英雄(えいゆう)です」。しかし本作には、自他ともに認められる英雄は現れません。
とすると、「私は英雄(ひでお)です」と読んでみたらどうでしょうか。
『アイアムアヒーロー』は、ヒーローの物語を描きたかったわけではなく、むしろ世の中にはヒーローなどおらず、ただの一個人しか存在しない、ということを伝えたかったのではないかと考えられます。
最終回はそれを如実に表していて、たったひとりになった英雄は、誰かに助けてもらうことも答えを提示してもらうこともできなくなるのです。
人は結局、ひとりで生きていくしかないということなのでしょう。
- 著者
- 花沢 健吾
- 出版日
- 2009-08-28
次々と世界の人々が、謎の奇病に犯されていく様子が描かれた本作。主人公はさえない中年男で、恐怖と化した世界を生き延びるために戦っていきます。
パンデミックな世界観が緻密に設計されており、さらに登場人物の心理描写が秀逸な作品です。映画やドラマなど、メディアミックスされたことでも話題になりました。
世界でたった一人になってしまったとき、彼はどう感じ、どのように生きていくことを決めるのでしょうか。最終回まで、緊張感のある展開が続きます。
スマホのアプリ「マンガワン」では、無料で読むことができます。これを機に、平和な日常が脅かされる恐怖を感じてみてはいかがでしょうか?
さまざまな考察ができる『アイアムアヒーロー』に興味を持っていただけたでしょうか。スマホの漫画アプリで無料で読めるので、ぜひチェックしてみてくださいね。
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