2006年に静かにはじまった『聖☆おにいさん』は、3年後には「このマンガがすごい!2009」オトコ編1位、そして同年の手塚治虫文化賞短編賞に輝く大躍進を遂げます。この爆発的な人気の秘密は何でしょう? その魅力について考察してみましょう。
- 著者
- 中村 光
- 出版日
- 2008-01-23
親友のキリストとブッダが下界に降りてきて、ルームシェアをしながら平和な日常を送る……。
こんな突拍子もない物語が立川市の片隅で繰り広げられるのが『聖☆おにいさん』という作品です。
人間界を見守ってきたはずのブッダとイエスですが、人間界の常識には少し疎いようで、彼等の行動と市井の人たちとのギャップが騒動と笑いを生み出します。仏と神がTシャツとジーンズというラフな恰好で巻き起こすドタバタの日常を考察していきます!
ちなみに本作は2018年に実写ドラマ化も決定。松山ケンイチがキリスト役を、染谷将太がブッダ役を演じ、山田孝之がプロデュースをするという豪華メンバーの参加が明かされています。こちらもかなり楽しみですね!
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1999年、世紀末。「恐怖の大王がやってくる」だとか「世界に終末が訪れる」だとか、怖ろしい話が飛び交い、恐怖する者、絶望する者が数多くいました。しかし、世界は無事に21世紀を迎えました。
地上の人々は取り越し苦労だったと苦笑し、以前と同じように何でもない日々を過ごしています。しかしそれは、偉大な聖人が「ちゃんと働いた」おかげだったのです。
「目覚めた人」ブッダ、「神の子」イエス。誰もが知る世界宗教の開祖であり、信仰の対象でもある2人は、世紀末もしっかり働いて、恐怖の大王だか終末だかを退けるという大役を無事に務め終えました。
世界に安寧をもたらした2人の聖人は、天界から人間界へと何とバカンスにやってきました。しかもなぜか東京都のやや郊外、立川市にある安アパートで2人暮らしをはじめてしまいます。
本作は2006年から講談社の雑誌『モーニング・ツー』で連載がはじまった日常コメディ漫画です。2009年には「このマンガがすごい!2009」オトコ編1位、手塚治虫文化賞短編賞をそれぞれ獲得する人気漫画となりました。
この作品の最も注目すべき点は、やはり世界三大宗教に数えられる宗教のうちの2人の宗祖を主人公としながら、伝記的作品でも宗教漫画でもないという点でしょう。宗教や教義を扱ってはいますが何ら布教を目的としてはいませんし、宗祖の生涯を描くものでもありません。
世界の終わりを予感させた20世紀末。しかし人々は「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」で当時の不安もどこへやら。それを見てよしとされたのか、天界から2人の聖人が降りてきました。バカンスのためです。
ひと仕事終えた「神の子」イエスと「目覚めた人」ブッダは天界から人間界へと降りてきて、なぜか東京都立川市の安アパート「松田ハイツ」(ペット禁止・風呂なし)でルームシェアして生活をはじめます。
普段着は白いTシャツ(謎の文言入り)とブルージーンズ。冬場もそれにセーターが1枚と上着が加わる程度。移動は電車。銭湯に通い、月々の生活費は2人合わせて26万円。世界を、人類を救った聖人にしては質素な、庶民的な生活です。
しかし、だからこそ「一般読者が聖人に共感する」ということが可能なのです。
日々慎ましやかに倹約して「高性能の炊飯器を買いたい」、「高スペックのノートパソコンがほしい」と夢見る。ときどき同居人に内緒で高額の買いものをしてしまい、ばれないかとドキドキする。レンタルDVDの返却期限を忘れていたことに気づき、延滞金がかからないように急いで返却に行く。
おそらく誰にもあるだろう経験を、日本の都会から少し外れた街で、悟りを得た尊い聖人たちが日々の業としてなしています。読者がその生活に共感できるとともに、「聖人」と「庶民の生活」とのギャップが笑いを生み出すという仕組みです。
庶民の日常生活の折々に聖人たちの過去の経験や偉業の挿話が挟まれます。多くは「奇跡」と呼ばれる、おそらく読者は経験しえないできごとが引用されるのです。
たとえば、第1巻その7「ブッダとイエスのできるかな」で早速引用される「水をぶどう酒に変える」奇跡は新約聖書に書かれたイエス・キリストの奇跡の中でも、キリスト教徒でない人も知る有名な挿話でしょう。
ただし、作中でイエスが水をぶどう酒に変えるのはたいてい「事故」です。おもしろいことやうれしいことがあってイエスの感情が高まると、手近にある水分がぶどう酒(あるいはそれに近いもの)に変わってしまうのです。「変えよう」という意志を持って奇跡を行う訳ではないのです。
対して、聖書の記述ではイエス・キリストは自らの意志で奇跡を行っています。教典に載っている尊い姿と、現代日本で生活するちょっとボンクラなところが、やはりギャップと笑いを生んでいます。
この笑いがキリスト教やその教義、信徒たちを貶めているかと言えば、決してそうではないはずです。教典や教義をわらうのではなく、聖人と庶民、昔人と現代人、外国で生まれて育った人と日本に長く住む人、ブッダとイエスが人間として生きた時代と神仏として存在する現代の間で、それぞれ生じさせる大きなギャップがギャグとなり、笑える仕掛けとなっているのです。
イエスについて例を挙げましたが、もちろんブッダについても同様です。ブッダはどちらかと言えばツッコミ役ですが、よく容姿をネタにされています。特徴的な髪型「螺髪」や額の「白毫」、並外れた「福耳」などです。
過去の悟りに至るまでの行いから真面目な性格づけがされていて、真面目すぎるゆえの「苦行好き」だとか、慈悲深い人を「仏」と言うように、何者よりも慈悲深いゆえの「仏の顔カウントダウン」など、誰もが知る「仏陀」の挿話をもとにしたブッダの笑いが用意されています。しかし、これらを見て怒る仏教徒はおそらくいないでしょう。
いずれの場合も誰も傷つけていません。これが『聖☆おにいさん』の笑いです。
倹約しているけれどぎりぎりに追い詰められている訳ではない。かと言ってあくせく働く訳でもない。それでも人生を投げ出している訳ではない。決して裕福でも豪勢でもないけれど、いい感じに自由でゆるい生活。それがイエスとブッダの生活です。2人を傍目に見る読者もつらい思いをすることがありません。むしろ許された気になるかもしれません。
その上で、誰も傷つけない笑いが挟まれますから、読み手は決して緊張しなくて済むのです。疲れたときにも、弱ったときにも『聖☆おにいさん』は読み手の気持ちを和ませてくれるでしょう。何しろ主人公は2人とも聖人です。
迷える者を悟りや真理に導く慈悲と愛に満ちた2人ですから、作中でも誰かをいじめたり苦しめたりすることはありません。悪魔や罪人が相手でも思いやって、相手のために悲しむことすらあります。
『聖☆おにいさん』はちょっとボンクラだけどやさしい聖なる人たちが、奇跡や騒動を起こしながら生活するさまが笑えて、やさしい思いになれる漫画です。この作品をお見舞いのお遣いものにする人もいるそうです。身体や気持ちが弱った人にも少しずつ癒やしを与えてくれることでしょう。
ブッダとイエスがバカンスを楽しむ日々は、2人だけでは決して成り立ちません。2人が立川市に降り立ってから知り合った、聖人のバカンスを彩る人間のみなさんを紹介しましょう。
「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味の言葉です。本名はゴータマ・シッダールタ、シャカ族の王子として生まれた仏教の開いた人物です。29歳のときに出家し、のちに悟りを開いたときに「目覚めた人」と名付けられました。
『聖☆おにいさん』作中では螺髪、額の白毫、長い耳たぶ(福耳)など、身体に32の特徴(三十二相)を天部衆のプロデュースにより与えられたということになっており、この身体的特徴がたびたびネタにされて読者に笑いを提供します。
普段はおとなしくて温厚な性格です。徳が高いことを行ったり、怒りが高まったりすると後光が差してしばしば目立つ存在になってしまいます。
なぜかシルクスクリーンが趣味で、白いTシャツに意味があるようなないような文言をプリントしてはイエスに着せたり自分が着たりしています。その種類は豊富で彼等は見るたびに異なった文言のシャツを着ていますが、同じ文言のシャツが何回か繰り返し登場することもあるところを見ると、一度着て終わりではなく、すべて保管しているようです。第14巻その97「捨てる神@蚤の市」の冒頭では、Tシャツがどんなたたみ方をしても収納スペースに入りきらないことに嘆息しています。
期せずして漫画喫茶に滞在することになったときに手塚治虫の『ブッダ』を読んでいたく感動し、それ以来熱心な手塚ファンです。また、第1巻その7「ブッダとイエスのできるかな」でマンガ入門セットを入手して「悟れ!アナンダ!」という四コマ漫画を描きはじめたことによって、のちに締切に苦しむことになってしまいます。しかし「悟れ!アナンダ!」は大人気らしく早いうちに単行本化されて、原稿料や印税は生活費の足しになっているようです。
生きとし生ける動植物に好かれ敬われ、腹が減ればその身を差し出してきたり、苛むものがあればそれに立ち向かったり、自己犠牲を厭わない姿勢で守られています。あまりに好かれているため、第1巻その8「秋の聖祭」では「一度でいいから動物に冷たくされたい」と発言していますし、第4巻その24「降誕会」では「野良犬といっしょ」なる敵意むき出しの野良犬が「うなる」「かみつく」などするというゲームをうれしそうに手に取っています。
他者からも自らも「神の子」と称する、キリスト教の宗祖です。大工であるアリマタヤのヨセフとその妻マリアとの間に人の子として生まれ、成長後はバプテスマのヨハネから洗礼を受け、その後宣教をはじめます。
「キリスト」とは「油を注がれた者」という意味の言葉で、同じ意味を持つ言葉に「メシア」があります。「油を注ぐ」とは「祝福」のことで、「油を注がれた者」とは「祝福された者」という意味です。ですから「イエス・キリスト」とは「祝福されしイエス」とでも訳せるでしょうか。新約聖書では「ナザレのイエス」とも呼ばれています。
『聖☆おにいさん』でのイエスはウエーブがかかったロン毛に口髭と顎髭、頭には荊の冠をつけた青年です。聖骸布や宗教画などで描かれる姿がもととなった姿のはずですが「ジョニー・デップに似ている」と言われることもたびたびで、本人もそれを意識しています。
ブッダとは好対照でノリのいい兄ちゃんで、何ごともかたちから入るタイプです。すべての時間のすべてのドラマを視聴し、その日のうちに感想をアップする「いえっさのドラマンダラ!!」という1日1万ヒットの人気ブログを運営していて、ノートパソコンの「つくもん」を萌えを感じる友達としています。「ドラマンダラ!!」は素性(神であること)を伏せてハンドルネームで運営しているというのに「神降臨」というコメントがつけられてしまったことがあり、「伏せてるんだけどねぇ」と不思議がった(第1巻その5「Oh my ホビー」)こともありました。
うれしいことは笑いのツボを突かれることがあると水をぶどう酒に変えたり石をパンに変えたりの奇跡を起こしてしまうことがあり、逆に悲しいことやつらいことがあるとパンを石ころや瀬戸ものに変えてしまう(逆奇跡)ことがあります。いずれも思い通りにこなす訳ではなく、感情の起伏に左右されるものです。
お笑い好きでブッダとともに「パンチとロン毛」というコンビを組み、いずれはM-1グランプリ優勝!と考えているようですが、ネタはいつもいまひとつです。そのように人間界に馴染んでいるかと思えば、なぜかクリスマスが自分の誕生を祝う行事だということを知らないなど、よく知るところと浮世離れしたところが同居していてその落差が大きいところが、オタク的であるとも言えます。
ブッダとイエスが住んでいるアパート「松田ハイツ」の大家さんです。ショートヘアにパーマをかけていて、思ったことをズバズバ言いますが、年少者には細々としたお菓子を要る要らないにかかわらずたくさん押しつけ、面倒見がいいという、いわゆる「オバちゃん」。自分の名「松田」をうまく発音できず「まちゅだ」と名乗ります。
入居当初はブッダとイエスを外国人でもあり毎日日中に在宅していることから怪しんでいましたが、すぐに仲よしに。孫もいて高齢に思われますが、梵天とマリオカートで対戦して負かしたりブッダの携帯電話のキーを早押ししたりするなど、機械ものには強い様子です。「家出と出家は何処が違うのか」と言い出して「目覚めた人」であるはずのブッダを戸惑わせるという鋭さを持った人でもあります。
第1巻その6「サマージャム、市民館」で市民プールに行ったブッダとイエスと出会った、背中に釈尊の刺青が入った極道さんです。イエスは刺青を見て熱心な仏教徒だと思ったようです。
スムーズに会話しているように見えてイエスやブッダとの間には互いの勘違いによるすれ違いがあり、そのためイエスを大きな組の二代目だと、ブッダをイエスの舎弟だと思っています。
娘が1人と妻がいて、妻子のために一時は堅気になろうとしていましたが、ここでもイエスやブッダとの会話にすれ違いが起こって極道を続けることになりました。
一人娘を溺愛していて、娘の「お嫁さん」話が出ると泣いたり怒ったりで大変な父親です。
竜二の妻。いわゆる「極道の妻」ですが、それに似つかわしい気丈な性格。ブッダとも仲はいいのですが、家庭的であるがゆえに家庭についての話題が出たときには、妻子を置いて出家した過去を持つブッダの胸をえぐる発言がままあります。
竜二同様、一人娘を愛していて、将来は玉の輿に乗る結婚ができるよう望んでいます。
竜二と静子の娘で、小学生。運動会でブッダとイエスに出会いました。好奇心旺盛で活発な少女で、ブッダとイエスとも仲よし。特にブッダには「お嫁さんになる」と言っていて、竜二を嘆かせることもあるおてんばな女の子です。
天に召し上げられ天界の住人となったブッダとイエスには天界にたくさんの知り合いがいます。本人たちだけでなく、人間として生きた時代の弟子たちも天界の住人となっていますから、天界からはたびたび見知った人たち(人ではない者も)がブッダとイエスのアパートを訪れるのです。
いささか人数が多いのが難ではありますが、天界の面々をここでは紹介していきます。
ブッダの妻でラーフラの母。ヤショーダラー自身も出家していますが、例年バレンタインデーにはブッダのチョコレートを贈っています。仏教美術で最もふくよかだった頃の姿を残されていることを気にして体型に気をつけているブッダはいつも必死でチョコレートを断るのですが、第4巻その23「ギリギリチョコ」では天人を使ってかなり強引な方法でチョコレートを摂取させています。
ブッダの父でシャカ族の王、カピラ城主。名前の意味は「白いごはん」で、漢訳では「浄飯王」と呼ばれます。ブッダが生きた時代にシャカ族はすでに稲作を行っていて、スッドーダナの兄弟たちの名にも「オーダナ(飯)」という言葉が入っています。シャカ族の間ではこれほど白米が珍重されていたのです。
そのためか、『聖☆おにいさん』作中でスッドーダナは「お米大好き」というハンドルネームでおにぎりブログを書いています。第13巻その95「オフという名のひのき舞台」では変装してブロガーのオフ会に参加していたブッダに、やはり変装したスッドーダナが地元の米「コーサラの夢」をプレゼントしていました。
ブッダの母でスッドーダナの妻、シャカ族の王妃。
『方広大荘厳経』という釈尊の奇跡を伝える経典によると、マーヤーは6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見て釈尊を身ごもり、郷里に帰る途中に立ち寄ったルンビニーという村で花を手折ろうと手を伸ばしたところ、右の脇から釈尊が生まれたそうです。これが4月8日のことです。
「産んだ」ではなく「手を伸ばしたら生まれた」と伝えられているということは、かなりの安産だったのでしょう。生まれ落ちてすぐに釈尊は7歩歩いて天地を指し、「天上天下唯我独尊」と言った、と伝わっています。
『聖☆おにいさん』作中ではセレブの匂いを漂わせながらEXILE TRIBEのファンで、ライブ参戦のために天界から降りてくることもしばしばです。マリアはマーヤーを苦手としていましたが、第13巻その89「ママ友 in 立川」で顔を合わせ、下界でライブに行くことや息子を持つ親であることなどの共通点を見出し、意気投合しています。
釈尊は修業時代に6年にも渡って生死の狭間を往来するほどの苦行を続けましたが、苦行のみでは悟りに至ることはできないと知り、苦行をやめて川で身を浄め、プンナの木の下で休みました。その釈尊に乳粥を捧げた娘がスジャータです。
苦行には断食も含まれていましたから、乳粥は釈尊の身にも心にもありがたいものだったでしょう。このおかげで回復した釈尊はその近くの菩提樹の下に座し、悟りを開いたと言われています。
この挿話を受けて『聖☆おにいさん』ではブッダにレトルトの乳粥をお中元のたびに送り続ける人になっています。ブッダは修業時代は苦行のために空腹だったので捧げられたものを完食したけれど、実は匂いが苦手で乳粥は好きではないと第1巻その5「Oh my ホビー」で語りました。
もともとはインド神話に登場する蛇神ナーガラージャの1人です。これが仏教に採用されてブッダとの逸話が生まれています。
あるときブッダは菩提樹の下で瞑想していましたが、そこはムチリンダの住処でした。ムチリンダはブッダの偉大さに気づいてその様子を静かに見守っていましたが、やがて嵐が訪れました。嵐は7日間続き、ムチリンダはその間、身体をブッダに7回巻きつけて彼を守り、のちに帰依したとされています。
『聖☆おにいさん』では巨大なコブラの姿で描かれています。雨が降ると現れて、ブッダやブッダの洗濯ものを雨から守るのです。イエスは智慧の実の逸話から蛇が苦手で怖がっていますが、脱皮して進化したムチリンダをかっこいいと思っています。
釈尊が出家する際に乗った白馬です。カピラ城から出てアーノマー川まで釈尊を運んだのだそうです。その後カピラ城へと帰されましたが、城に着いてからは絶食して没し、のちに天界に生まれて神馬になったとされています。
『聖☆おにいさん』に登場するときは姿は白馬ですが、「ブッダを運ぶ者」としての矜恃を強烈にアピールしてきます。ブッダが自転車や自動車に乗ると嫉妬心とも言えそうなライバル心を剥き出しにして、張り合うように併走することも。
菩薩の一。11の顔を持ち、「病気にかからない」「財産に困らない」などの10種の利益と「早死にしない」「極楽に行ける」などの4種の功徳をもたらすと言われています。
作中ではイエス憧れの映画・ドラマ感想ブロガー「あ~麺」さんの正体。11の顔がそれぞれに評価し、その総合を教えてくれるため、とても信頼できる評価がレビューとなるため、ブッダはレンタルDVDを選ぶときなどに頼っています。これを評してイエスは「天界のベストレビュアー」と言っています。
ブッダは過去に、萩尾望都の代表作に『11人いる!』があることから「萩尾望都」という仇名をつけたことがありました。
釈尊の弟子のうち重要な10人を言いますが、経典によって誰を十大弟子とするかは説が異なるのだそうです。よく言われるのは次の10人です。サーリプッタ/モッガラーナ/マハーカッサパ/スブーティ/プンナ・マンターニープッタ/マハーカッチャーナ/アヌルッダ/ウパーリ/ラーフラ/アナンダ。
このうち、『聖☆おにいさん』第14巻までに登場するのはアナンダ/モッガラーナ/サーリプッタ/ラーフラの4人です。
アナンダは天界の経理担当。出家後は25年に渡ってブッダの付き人をしたとされており、作中でもブッダの崇拝ぶりは過度と言えるほどです。
モッガラーナは作中では盆踊りを生んだ人として登場しますが、これはモッガラーナが餓鬼道に堕ちてしまった母を救済するためにブッダから授けられた施餓鬼の法を行ったところ母親は地獄から救済され、歓喜に舞いながら天に昇ったという伝説から。踊ったのはモッガラーナ自身ではなく彼の母親だったのです。
サーリプッタはもとは他教の信徒でしたが、のちにブッダの弟子となりました。ブッダに代わって説法することもある信頼厚い人で、ラーフラの師僧でもありました。『般若心経』に出てくる「舎利子」とはサーリプッタのことです。
作中では霊柩車を駆る「ブッダとイエスのお抱えドライバー」。『頭文字D』(アニメ版)仕込みのドライビングテクニックで稲妻のように公道を駆け抜けます。
ラーフラはブッダの実子です。名は「障害をなす者」という意味。釈尊が出家する際にヤショーダラーがラーフラを身ごもったとの報せを受けたため、釈尊は「破らねばならない障害ができた」と言ってこれを名としたという説があります。
インドの神々が仏教に取り入れられ、仏法や仏教徒を守護する神となったものです。四天王、金剛力士、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆、など数多く存在します。
『聖☆おにいさん』には梵天/帝釈天/弁才天が登場します。いずれもプロデューサー気質でとても強引です。
梵天は十二天の一で、もとはインド神話の創造神ブラフマー、宇宙の根本原理を神格化したものです。作中には太い眉の濃いめの顔立ちで背広姿の体格がいい男性として描かれます。天界のフリーペーパー「R2000」の編集に関わり、ブッダに「悟れ!アナンダ!」を連載させています。ブッダのプロデュースをした人でもあります。
帝釈天はもとはヒンドゥー教の武神インドラ。仏教では梵天とともに二大護法神とされています。
作中ではやはり「R2000」の編集に関わり、常に背広姿で、他者のプロデュースに熱心。梵天の背広がコナカ製であるのに対し、天界の経費でアルマーニの背広をあつらえるという強者です。
弁才天はもとはヒンドゥー教の学問や芸術の神サラスヴァティーです。これが仏教に取り入れられて天部の一となり、音楽や知恵の徳がある天女として七福神の一として採用され、さらに神仏習合によって神道にも取り入れられました。日本ならではの多方面での活躍です。
作中では天界でミュージックマン・スティングレイなるベースを弾いてバンド活動をするロックな人です。やはり「R2000」の編集に関わり、「悟れ!アナンダ!」単行本の装丁も担当しています。
キリスト教における「父なる神」、唯一神、創造神。旧約聖書「創世記」に書かれる天地創造を行った神で、イエスが「父」とするものです。男性的な性格や父性を持ち、公平で、子の理解がおよばない存在であることから「父」とされますが、神には性別がないとされています。
『聖☆おにいさん』作中ではしばしば鳩の姿をとって現れます。イエス同様、かなりアバウトな性格になっていて、携帯電話でメールを送るのが面倒だから虹を架けてメッセージを送るなど、世界を個人的な理由でかなり自由に使っています。
イエスが「父さん」と呼ぶ存在はもう一人います。新約聖書では「ナザレのヨセフ」と呼ばれる人間の父です。イエス曰く「全知全能じゃない方の父さん」。イエスの母マリアの夫ではありますが、マリアが処女懐胎した上にイエスが30歳を過ぎるまで凡人として生活していたため、イエスが自分の子ではなく神の子でもなければどうすればいいのかと悩んでいた様子です。
イエスの母マリア。聖母、生神女とも称されます。ベツレヘムの町を訪れた際、宿がどこも混んでいて泊まれず、厩に泊まり、そこでイエス・キリストを出産したと新約聖書には書かれています。また、賛美歌には「マリアとヨセフのバラード」という曲があり、キリスト降誕が歌われています。
『聖☆おにいさん』ではなぜかリア充恐怖症で、人間界の歌手「きよし」のファン。きよしのライブに参戦するためたびたび天界から降臨していて、「きよ友」が多くいます。育ちの違いからブッダの母マーヤーが苦手でしたが共通点を見出し、それ以来仲よくなっています。
旧約聖書に登場する古代イスラエルの民族指導者。エジプトに住むヘブライ人の子として生まれましたが、新生児の殺害を命じたファラオから逃れるためにナイル川に流され、王族に拾われて育てられたとされています。のちに神の命によりエジプト人に奴隷として使役されていたヘブライ人たちを連れてエジプトから脱出します。この様子を記したものが旧約聖書の「出エジプト記」です。海を割る奇跡もここに記されています。
『聖☆おにいさん』作中ではやたらと「割る」というワードでいじられる気の毒なおじさんです。Twitterのユーザでもあり、フォロワーからもやはりいじられているため、自棄気味にすべてに「割りましょう!」とリプライしています。ひとつのことを延々と言われるのが煩わしいのは紀元前の人も現代の人も同じですね。
キリスト教では旧約聖書「ダニエル書」で天使長とされるミカエルと新約聖書「ルカによる福音書」でマリアに受胎告知をしたガブリエルの二大天使が広く尊ばれていますが、あとの2体については教派によって異なるのだそうです。
『聖☆おにいさん』に登場するのはミカエル/ガブリエル/ウリエル/ラファエルの4人です。
ミカエルはカトリック教会では大天使聖ミカエルと、日本正教会ではミハイルと呼ばれる天使です。また、キリスト教以外の聖書を教典とする宗教の中にはイエス・キリストと同一視するものもあるようです。ルシファーと兄弟説もありますが、これはゾロアスター教の光の神と暗黒神が双子であることの翻案だと言われています。
作中ではデスメタル系が好きな、やや中二病のハイテンション男子。歌っているときに盛り上がると終末を報せるラッパを吹いてしまいそうになる危険な天使です。
ガブリエルは「神の人」を意味する名前です。聖書の中では神の言葉を伝える者の役目を担うことが多く、カトリック教会では「通信事業の守護者」とされています。
作中ではたびたびイエスに帰省するよう働きかけたり、イエスとブッダが沖縄へ旅行する際にはニライカナイを経由させることで実質的に帰省させようとしました。また、お車代を送って帰省させようとするなど、とにかくイエスを天界に帰らせようと奔走しています。猫派です。
ウリエルは聖書正典ではなく外典・偽典に登場する天使です。新約聖書外典である「ペトロの黙示録」では「神の御前に立つ四人の天使の一人」とされています。名は「神の炎」を意味しています。
作中のウリエルは生真面目で表情に乏しいながら過激に行動します。イエスが迫害されていると判断される現場に現れ、迫害したもの(人でない場合も多い)を厳しく容赦なく断罪します。ブッダ曰く「イエスのセコム」。
ラファエルもウリエル同様、聖書正典には登場しない天使です。イスラム教ではイスラフェルと呼ばれ、最後の審判まで地獄を見まわる役目を負っているそうです。
作中では「癒やしの天使」とされ、遠足前夜の子供も3秒で寝かしつける膝枕の使い手。人間界では旅行代理店員として地縛霊を天界に行かせるための天界ツアーを売り込んでいますが、ツアーガイドブックには第1章が「地獄篇」というダンテの「神曲」を採用しているため、地縛霊たちからは敬遠されている模様。
新約聖書の「ルカによる福音書」および「使徒行伝」によれば、最初にイエス・キリストによって選ばれた12人の弟子を十二使徒としています。ただしルカ自身は「十二使徒」という言葉を使ってはいません。また、4つの福音書および使徒行伝のそれぞれにおいて12人の顔ぶれが異なります。
ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に描かれているのは、ペトロ/アンデレ/ヨハネ/フィリポ/バルトロマイ/マタイ/アルファイの子ヤコブ/タダイ/ゼベタイの子ヤコブ/トマス/シモン/ユダの12人で、このうち『聖☆おにいさん』第14巻までに登場するのはペトロ/アンデレ/ヨハネ/ヤコブ/トマス/ユダの6人です。
ペトロはキリストの弟子のリーダー的存在で、シモン・ペトロとも呼ばれます。第9巻その63「タップ!フリック!!機種変!!!」で、イエスのシャツに書かれている「シメオン」とはペトロのことです。シモンはシメオンと発音されることもあるのです。
『聖☆おにいさん』作中では「パねぇ」を連発する新しいもの好きの現代っ子風ですが、カトリック教会では初代ローマ教皇とされている高位の聖人です。
アンデレはペトロの弟で、兄とともにガリラヤ湖で猟師をしていたときにイエス・キリストに声をかけられ、弟子となったと新約聖書「マルコによる福音書」には書かれています。
作中では髪型は違うものの兄そっくりの顔立ちで、場面によっては兄をたしなめることもありますが、基本的に兄と仲がよく、兄と同じものを楽しんでいることが多いようです。殉教したときにキリストと同じでは不遜であるとしてかたちを変えたX型のアンデレ十字を「イエーイ十字」と呼ばれていることを気にしています。
ヨハネはイエス・キリストが磔刑に処せられたとき、ただ1人そばにいた弟子です。バプテスマ(洗礼者)のヨハネと区別するため、ゼベタイの子ヨハネまたは福音記者ヨハネと呼ばることもあります。
作中では「主に愛された弟子」という一人称を使って話す、少し自意識が強い青年として描かれます。仕事とプライベートはきっちり分けていて、同じようにきっちり整頓されないものは好きではないらしく、猟師兄弟が天国の門の受付にある机の上を片付けないことに苛立っています。
ヤコブはヨハネの兄で、ともにイエス・キリストによって「雷の子」と名付けられたと新約聖書「マルコによる福音書」に書かれています。また「ルカによる福音書」にはキリスト一行を歓迎しなかったサマリアの町に天から火を降らせて焼き払おうと提案したという挿話があります。
作中では弟ヨハネとともに「雷兄弟」と呼ばれています。弟の個性が強烈なせいか、おとなしい印象。言動も常識的です。強烈な弟のサポートにかいがいしく動きます。
「イスカリオテのユダ」と言えば、イエス・キリストが十字架にかけられる前に裏切りを働いた挿話はあまりにも有名で、もはや「裏切り者」の代名詞となってしまった人物です。キリスト一行の会計係を一任されていて、新約聖書「ヨハネによる福音書」には高価な香油をイエスの足にたっぷりと塗ったマリアを非難しています。
『聖☆おにいさん』作中では地獄の最下層にいたもののイエス自身が発行した免罪符によって許されて、ほかの弟子たちとも仲よくやっています。しかし裏切りの過去を気にするあまりどつぼにはまることも。
トマスは新約聖書「ヨハネによる福音書」第20章に記されたキリストの復活の際、復活したというほかの弟子たちの言葉を信じませんでした。しかしキリストに会い、脇腹の槍で刺された傷に指を挿し入れることでそれを確かめたとのことです。
これを受けて『聖☆おにいさん』作中では疑り深い性格で、イエスの聖痕に指を入れて確認しないとイエス本人だと認めないという、イエスも「一番めんどくさい弟子」と言う人物になっています。忌憚なくほんとうのことを話し、それゆえに周囲を傷つけてしまうことも。
煩悩の化身。あらゆる手を尽くして釈尊の悟りの邪魔をしましたが阻むことができず、敗北を自ら認めました。これにより釈尊は悟りを開きブッダとなります。こうしてマーラを降して悟りを完成することを降魔成道と言います。この言葉は第3巻その16「納涼ハンター」でブッダが着ていたシャツに書かれていました。
『聖☆おにいさん』のマーラは半人半蛇の姿で描かれ、何かとブッダに対し競争心を見せます。友達が少ないのではなくまったくおらず、メーラーデーモンとメル友であるなど、とても可哀想な状況にいることがたびたびで、憎みきれない存在です。
かつては全天使の長でしたが堕天使の長となった者。名は「明けの明星」を意味します。天使のうち最もうつくしい大天使ですが、自らの意志で神に背き堕天使となったと言われています。
『聖☆おにいさん』作中では何かと面倒見がよく、イエスやブッダに対しては敵対的な態度を取りますが、会う用事があるときは手土産を持参しますし、弟であるミカエルを「ミカ坊」と呼び、かわいく思っている様子。困っているモンスターや鬼に手を貸し、悪魔仲間たちと花見をしたりフットサルをしたりと友達も多く、親切でやさしく健康的な悪魔です。
アナンダの兄で、出家してブッダの弟子となりましたがのちに釈尊に背き、別の教団を起ち上げた人物です。釈尊の教団を大きく育て発展させるために厳しい戒律をつくることなどをたびたび提案しましたがすべて却下され、教団を出て自分の教団をつくりました。そうするとブッダの教団は邪魔になり、山頂から岩を落としてブッダに怪我をさせたり、象を酒で酔わせてブッダを襲わせたりしました。そのため、生きながら地獄に堕ちたと言われています。
もともとは優秀な弟子であっただけに背信は残念なことです。この挿話を受けて作中では極度のがっかり度数を表現する「ユダ級」の上の、究極のがっかり度数の表現に「ディーバダッタ級」があると第3巻その22「鼻とメガネと私」で解説されています。
旧約聖書ではバアルと呼ばれる蠅の王たる悪魔です。神託をもたらす悪魔とされていて、また、ジル・ド・レは、ベルゼブブが豹の姿に変わるのを見たと言います。
作中では蠅の姿で松田ハイツを訪れ、蠅を使って嫌がらせしようとしましたが、ブッダがめんつゆで作った蠅取りトラップに蠅たちが捕まってしまったことに愕然としていました。
北欧神話に登場するいたずら好きの神で、名の意味は「終わらせる者」。変身術を得意としており、男神ですがときに女性に変化することも。美形ですが邪悪で狡猾、よくうそをつきます。
『聖☆おにいさん』では北欧の国スウェーデン発祥の家具量販店IKEAに店員の振りをして住んでいます。フェンリル、ヨルムンガンド、スレイプニルという子供たちがいて、みな異形ですがとても親切です。ロキ自身もときどき怒りがちですが、ブッダやイエスとは仲がいいようです。
本作は宗教者を主人公に据えた物語ですから、宗教に関わる言葉やできごとがネタとしてたびたび引用されます。ここでは、高い頻度で作中に登場する用語や挿話を解説します。
いくつかの経に登場する、仏の身体にある特徴を言います。外見の特徴である三十二相とそれを細分化した、細かな特徴である八十種好をあわせて言うものです。
ブッダの最大の特徴とも言える、子供たちにしょっちゅう狙われる白毫や頬の肉が豊かで獅子に似るなどの32の特徴と、耳が肩まで下がるほどの福耳や切れ長の目などの80の特徴が挙げられています。
このうち、足の裏が平ら(足下安平立相)、歯が40本ある(四十歯相)、眉間に白毫がある(白毛相)などが作中でブッダの挿話として取り上げられています。足の裏にに千幅輪相がある(足下二輪相)などは第12巻その88「もちろん踵は0インチ」で「千幅輪相が高速回転して少し浮く」というドラえもんのようなシステムにされてしまっています。
作中では三十二相は天部によるブッダのプロデュース内容とされていますが、ブッダ以外にもプロデュースしようとして「手を2倍の長さに」「金色に塗ろう」などの発言がある(第6巻その41「アスリート達の蹉跌」など)のも三十二相からの引用です。
ブッダが小学生に「ボタン星人」と呼ばれて狙われている白毫は、実は一本の毛がまるまったもので、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)にもなるのだそうです。
先に紹介した三十二相の中に「毛上向相」と言って、体毛が上向きに生え、かつ右に巻いているという特徴を、ブッダは持っています。これが顕著に表れているのが螺髪というブッダの象徴のような髪型です。
第2巻その15「サンパツ沐浴ドランカー」でイエスに散髪して貰おうとしたブッダがサラサラストレートの超ロングヘアになっていました。もともとは作中のように長い髪が右にくるくると巻いて粒のようになっています。
螺髪は知恵の象徴で、悟りを開いた仏の特徴でもあります。実在の仏像(如来像)はみな螺髪で右巻きなのですが、なぜか鎌倉の大仏だけは左に巻いているそうです。
ブッダがまだ「ブッダ(目覚めた人)」ではなかった頃、出家者の間では「輪廻の究極の原因は欲望である」と信じられていました。欲望を滅するために極度の禁欲、即ち苦行を行っていたとのことです。
その名も「苦行林」というところでブッダは6年間、苦行をしました。断食や止息(呼吸を止める)、片脚立ちを続ける、直射日光を浴び続けるなどの行を続けましたが、過度の苦行に意味はないと悟り、やめてしまいました。
苦行林を出て空腹のブッダは、ある娘から乳粥を布施として受け、それを食べて回復したのち、悟りを得たのです。
仏教で煩悩を滅し尽くして悟りを完成した境地を涅槃と言います。涅槃は生死を越えた世界で、仏教の窮極の実践目的とされています。サンスクリット語で「ニルヴァーナ」です。
涅槃とは生死を越えた世界なのですが、肉体の死を指すこともあるので、時には釈尊(ブッダ)の入滅、つまり死没を指す場合もあります。
もともとは「仏の顔も三度撫づれば腹立つ」ということわざで、これが縮まって広まったのが「仏の顔も三度」です。仏のような慈悲深い者でも顔を撫でられたら三度目には怒ります、という意味を持ちます。京都いろはかるたの「ほ」の札に採用されています。
よく三度「まで」と言われて、仏さまは三度目までは許してくれるが四度目には怒るのだと解釈している人が多いようですが、もともとの意味は「三度目には怒る」です。作中でブッダが行う「仏の顔カウントダウン」も仏の顔が三つですから、三つ消えた時点、つまり三度目にブッダは怒ることになっています。
1972年から1983年まで雑誌『コミックトム』に連載された手塚治虫の漫画で、タイトル通り「ブッダ」ゴータマ・シッダルタの生涯を描いた作品です。史実と創作が入り交じった内容ですが、仏教系の大学で教える宗教学の教授が「釈迦・仏陀のことを知りたいなら」とすすめるほどの良書です。
第1巻その2「最聖珍道中」の最終コマでブッダ自身も「手塚治虫スゲェ……」と涙しています。一通り読むと『聖☆おにいさん』の元ネタが分かってよりおもしろくなるのでおすすめです。
「光背」とも呼ばれる、宗教画や仏像などで仏やキリスト教の聖人の身体から発せられている光のことです。仏教、キリスト教に限ったものではなく、宗教すべてにおいて普遍的なものとされています。
頭光と身光に分けられ、このふたつを合わせた全身を覆う光を挙身光と呼びますが、『聖☆おにいさん』で見られる後光は主に頭光のようです。第1巻その3「もうひとつの楽園」でナイトパレードと間違われてしまったブッダの後光も頭光で、隠そうとしたイエスに袋を被せられていました。
イエス・キリストが磔刑となったときについた傷の痕を聖痕と言います。両手首と両足首に太い釘を打ち込まれた痕が、脇腹に槍で突かれた痕があり、これ等が主に聖痕、ラテン語でスティグマータと呼ばれます。英語の「スティグマ」の語源です。
脇腹を槍で突いたのはロンギヌスという名の兵士でした。ロンギヌスは白内障を患っていましたが、イエスの身体を突いたときに血が目にかかり、そのために白内障が治ったと伝えられています。
このほか、十字架を背負った際についた背中の傷や荊の冠を被せられたためについた額の傷も聖痕とされるそうです。『聖☆おにいさん』作中でイエスが出血するのは主に額です。
磔刑では手首、足首に釘を打ちます。とても太い釘を使うので、手のひらや足の甲だと破れてしまって磔にできないからです。しかし宗教画や漫画では磔刑の痕は手のひら、足の甲になっている場合が多いです。『聖☆おにいさん』でも第12巻その88「もちろん踵は0インチ」で見られるように、イエスの足の聖痕は甲にあります。
キリスト教では「神の人間に対する愛」を特に「アガペー」と呼びます。もともとはギリシャ哲学で用いられた言葉で、自己を犠牲にする愛、無償の愛を指します。いずれの場合も、見返りを期待しない無限の愛を意味します。
だから第10巻その71「白い聖人たち」でイエスはバレンタインとホワイトデーについて「見返りありきなんて……全然アガペーじゃないじゃない……!」と言っているのですね。
キリストの愛は即ちアガペーであり、『聖☆おにいさん』作中でイエスがアガペーを叫ぶのも当然と言えます。ただ、神輿を担いでハイテンションで叫んだり(第1巻その8「秋の聖祭り」)銭湯で酔っ払って連呼する(第2巻その15「サンパツ沐浴ドランカー」)のはいかがなものでしょうか。
多くの宗教で言われる「この世の終わり」。キリスト教ではイエス・キリストが再臨し、最後の審判が行われると言われています。新約聖書のおしまいに掲載されている「ヨハネの黙示録」では七つのラッパが鳴らされたとき、「最終的な終末」が訪れて、神に選ばれなかったすべての者が死に絶えるとされています。
キリスト教だけでなく、ほかの宗教にも終末思想はあり、仏教の一部の宗派では「末法」と呼びます。しかし仏教の開祖である釈尊は「時間には終わりがあるか、ないか」という問いに対して、意味のない問答であるとして「答えない」という態度を取ったそうで、仏教では本来はこの世のはじまりや終わりを説かないものなのだそうです。
『聖☆おにいさん』作中でイエスや天使たちが「終末」を口にするのに対して、ブッダや弟子たちがこれを言わないのは、このような思想の違いからなのかもしれません。
しかし、よく考えると作中ではイエスは人間界に「再臨」してしまっていますよね……。
「石をパンに」は、おそらく新約聖書「ルカによる福音書」第4章に書かれた「荒野の誘惑」の挿話から取材されているものと思われます。ここに登場する「人はパンのみにて生くる者に非ず」という台詞は有名な一節です。
イエス・キリストは荒野に40日間とどまって、悪魔の試みにあいました。空腹になったキリストに悪魔が「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」と言うのです。そのときのキリストの答えが先の「人はパンのみにて……」という台詞。実際に石をパンに変えた訳ではなかったのですね。
「水をぶどう酒に」は「ヨハネによる福音書」第2章に書かれている「カナの婚礼」挿話によるものでしょう。イエス・キリストがカナという町で開かれた婚礼に弟子や母(マリア)とともに招かれたときの話です。
婚礼の最中にぶどう酒が足りなくなりました。キリストは水がめが6つ置いてあるのを見て弟子に「水がめに水をいっぱい入れなさい」と命じ、弟子たちが水がめに水を満たしてくると「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言いました。弟子がそのようにすると世話役がそれを味見して、花婿に言ったのです。「誰でもはじめによいぶどう酒を出し、 酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたはよいぶどう酒をいままで取って置かれました」
このように、ぶどう酒の方は実際に変えたという挿話が残されています。しかし、おもしろいことやうれしいことがあると感情のままに変えてしまうということではないので、『聖☆おにいさん』のイエスしか知らない人は誤解のないようにお願いします。
また、第10巻その68「新しき葡萄酒の日」の冒頭でマリアが「ぶどう酒がなくなりました」と言って現れるのは「カナの婚礼」へのオマージュかと思われます。婚礼の最中にぶどう酒が足りなくなったことをキリストに告げたのは母マリアだったのです。
これも新約聖書の「マタイによる福音書」第5章にある「山上の説教」と呼ばれる挿話からの取材です。聖書にはこのように書かれています。
「あなたがたも聞いている通り、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、私は言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(『新約聖書』より引用)
イエス・キリストが教えを垂れる直接の言葉です。
「目には目を……」というのは旧約聖書の「出エジプト記」第21章からの引用です。誤解されがちですが、これは「やられたらやり返せ」という被害者側への決まりではありません。「誰かの目を損なったら自分の目を以て償いなさい」という加害者側への決まりなのです。「命には命をもって償う」というのと同じです。
また、被害者側に言うにしても「目をやられたら、やり返すのは目だけにしておきなさい」という過度の復讐を禁じる文言でもあります。
これを引用することで、キリストは「復讐はいけない」と教えているのです。さらには「抵抗の禁止」も含めて「手向かってはならない」、「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と言っているのです。このあと、キリストはさらに続けて言っています。
「あなたがたも聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(『新約聖書』より引用)
自分の頬を打つ「敵」を敵とせず愛しなさいという教えに繋がっているのです。しかし、実際に引っぱたいた相手がもう一方の頬を差し出してきたら、怖くてそれ以上怒れませんね。そういう効果も狙っているのかもしれません。これがポスターになったら(第1巻その7「イエスとブッダのできるかな」)怖さ満点と言えるのではないでしょうか。
旧約聖書「出エジプト記」第14章に書かれた挿話に「エジプトで奴隷として使役されていたヘブライ人たちがモーセに率いられてエジプトを脱出し、約束の地である「カナン」を目指して旅をする」という話があります。
エジプト軍に追われながらの脱出行の途中で紅海に行き当たり、絶体絶命というときに神の指示によりモーセが手に持っていた杖を振りかざすと海は左右ふたつに割れ、ヘブライ人たちは渇いた海底を歩いて渡ることができた、という挿話です。
すべての民が渡り終えるとモーセはもう一度、杖を持つ手を上げました。すると海はもと通りになり、追っ手は海に呑まれてしまったのでした。
その後、砂漠をさまよったあと、シナイ山でモーセは神から十戒を受け取ることになります。十戒は2枚の石版に刻まれました。
紅海を渡る挿話のためにモーセは「割る」というワードでいじられるようになった、と『聖☆おにいさん』第8巻その54「割れろ、腹筋」には描かれています。また、本人がいないところでも「海を割る」というネタは使われていて、第1巻その6「サマージャム、市民館」では水に顔をつけられないイエスが顔をつける練習をしようとして、プールの水を割ってしまう奇跡を起こしています。
新約聖書「マタイによる福音書」第14章からです。
パンが5つと魚が2匹だけというわずかな食料を5000人以上の群衆に分けてすべての人を満腹させるという奇跡を行ったのち、イエス・キリストは群衆を解散させ、弟子たちを舟に乗せて湖の向こう側にある町へと行かせました。そして自分は彼らと別れてから、祈りを捧げるために山へと行きます。
祈りを終えて湖に戻ると、逆風のために弟子たちがまだ湖上で立ち往生しています。そこでキリストは湖面を歩いて弟子たちに近づいたのですが、弟子たちはそれを見て「幽霊だ」と怖れました。
キリストは言います。「安心しなさい、私だ。恐れることはない」。すると弟子のペトロが「主よ、私にも水の上を歩いて来いと命じてください」と言い出しました。キリストが「来なさい」と言うのでペトロは舟から降りて湖面を歩きましたが、強い風に気がついて怖しくなり、その途端に沈みかけてしまいます。
そのペトロを助けてキリストは言うのです。「信仰の薄い人だ、何故私を疑ったのか」。
人生の中で怖ろしいものに出くわすことは何度もあるでしょうが、怖ろしいものを見るのではなく、唯一の神である主を見つめて進みなさい、という信仰を促す逸話です。
『聖☆おにいさん』作中では、実はカナヅチのイエスが水に入らなくて済むように気合いで湖面を歩いたのだと、第1巻その6「サマージャム、市民館」で述べています。ブッダは「泳ぐほうが簡単な気がするのになぁ……」とコメントしています。
新約聖書「ヨハネによる福音書」第18章から。
イエス・キリストが磔刑に処される前夜、最後の晩餐の席でキリストはペトロについて「あなたは鶏が鳴く前に三度、私を知らないと言うだろう」と予言します。ペトロが「あなたのためなら命を捨てます」と発言した直後のことです。
ペトロは知らないなどと言うはずがないと否定しますが、翌日キリストが捕らえられたのち、三度キリストとともにいたことを問われ、それをも否定してしまいます。
一度目は大祭司に仕える女中に「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言われ、「わたしはあの人を知らない」と返します。
二度目は別の人に「お前もあの連中の仲間だ」と指摘を受け、「そうではない」と否認します。
三度目には「確かにこの人も一緒だった、ガリラヤの者だから」と言い張る人に「あなたが何を言っているのか判らない」と言いかけ、それが終わらないうちに鶏が鳴くのです。「ヨハネによる福音書」には書かれていませんが、新約聖書のほかの箇所ではこのときペトロは鶏の声を聞いて泣いたのだと書かれています。
『聖☆おにいさん』と言えば忘れてはいけないのが、ブッダとイエスが着ているTシャツに書かれた文言です。大抵、物語の内容には特に関係がない、しかしブッダとイエスには関係がある言葉が書かれていて、しかも毎回違う言葉のシャツを着ています。このシャツは第1巻その5「Oh my ホビー」で、ブッダがシルクスクリーンでつくっていることが明らかにされています。
この項では各回でブッダとイエスのシャツに書かれた言葉をすべて書き出してみます。ブッダが着ているシャツに書かれた言葉はブッダに、イエスのシャツの言葉はイエスに関係がある言葉です。ここでは意味までは追いきれませんが、時間が余っているときなどに少し調べてみると、『聖☆おにいさん』の世界がまた広がるかもしれません。
※上着を着ている、文字が見える構図がなかったなどで、シャツの言葉が登場しない回もあります。その場合は(※なし)と記述しています。
第1巻
口絵2枚
ブッダ:仏顔×3/シャカ族
イエス:ヨシュア/父と私と精霊
その1「ブッダの休日」
ブッダ:シッダールタ
イエス:アーメン
その2「最聖珍道中」
ブッダ:ニルヴァーナ
イエス:ミレニアム
その3「もうひとつの楽園」
ブッダ:スジャータ
イエス:Mike is not Ambitious.
その4「初舞台」
ブッダ:ほけきょう
イエス:13
その5「Oh my ホビー」
ブッダ:白い象
イエス:父と私と精霊
その6「サマージャム、市民館」
ブッダ:(※なし)
イエス:サムソンとデリラ
その7「ブッダとイエスのできるかな」
ブッダ:ダンマパタ
イエス:東方三博士
その8「秋の聖祭り」
ブッダ:バラモン
イエス:(魚の絵)×2(パンの絵)×5
第2巻
その9「HOLY BIRTHDAY」
ブッダ:天上天下
イエス:ヨシュア
その10「自分詣で」
ブッダ:ラーフラ
イエス:善いサマリア人
その11「ホスピタルフィーバー」
ブッダ:ぼんてん/白カラシの種/業(回想)
イエス:アブラハム100歳
その12「むくむく王子?!」
ブッダ:竜王ムチリンダ
イエス:ベロニカ
その13「天国に一番近い公園」
ブッダ:カンタカ
イエス:サロメ
その14「聖地巡礼」
ブッダ:出家しました
イエス:ばべる
その15「サンパツ沐浴ドランカー」
ブッダ:サイのツノ
イエス:知らない×3
第3巻
その16「納涼ハンター」
ブッダ:降魔成道
イエス:大工の子
その17「奇跡の物件」
ブッダ:クシナガラ
イエス:銀貨30枚
その18「いい旅極楽気分」
ブッダ:水桶返し
イエス:やっぱりろばが好き
その19「エンジェルズ」
ブッダ:カーシーブランド
イエス:ダビデ
その20「クリスチャン・ネームはほどほどに」
ブッダ:10人
イエス:12人
その21「Oh!そうじ」
ブッダ:ディーパンカラ
イエス:アララト(文字の下に山の絵)
その22「鼻とメガネと私」
ブッダ:元スメーダ
イエス:刑事ポリス
第4巻
その23「ギリギリチョコ」
ブッダ:最上の牛
イエス:(※なし)
その24「降誕会」
ブッダ:はじめの七歩
イエス:山派
その25「服着たる!」
ブッダ:金の鹿
イエス:粘土の雀
その26「7月1日雨のち晴れ」
ブッダ:(歯の絵)×40
イエス:根比~べ
その27「盆・梵・ボン」
ブッダ:うらぼんえ
イエス:るるど
その28「聖人ネットワーク」
ブッダ:あらかん
イエス:ガリラヤ
その29「りんご注意報!」
ブッダ:スッドーダナ
イエス:ゲッセマネ
第5巻
その30「港区芝公園4-2-8」
ブッダ:ストゥーパ
イエス:ベツレヘム
その31「立川の風になれ!」
ブッダ:アーノマー川
イエス:らくだ in 針の穴
その32「ぬくぬく大作戦」
ブッダ:チャンナ
イエス:明けの明星
その33「お正月だョ!全員集合」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その34「SAINT FIREMAN」
ブッダ:一切皆苦
イエス:INRI
その35「HOLY SECOND BIRTHDAY」
ブッダ:ジャータカ
イエス:(魚の絵)×153
その36「いざ、渋谷!!」
ブッダ:マハーパジャーパティー
イエス:良い羊飼い
第6巻
その37「親知らずんずんずん」
ブッダ:8等分
イエス:ピエタ
その38「NO MUSIC, NO LIFE」
ブッダ:にょぜがもん
イエス:金の子牛
その39「天国よいとこ一度はおいで!」
ブッダ:ルンビニー
イエス:ルカ
その40「いたいけビーチボーイズ」
ブッダ:鹿派
イエス:(魚の絵の内側に)ヨナ
その41「アスリート達の蹉跌」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その42「コミックスで大わらわ」
ブッダ:人生は苦
イエス:アリマタヤ
その43「ハロウィン、南京、パンプキン!」
ブッダ:トリック or 布施
イエス:万聖節
第7巻
その44「愛、さんさん!」
ブッダ:あそか
イエス:カナ
その45「八百万と九十九」
ブッダ:シータヴァナ
イエス:イサク
その46「旧交をあたためよう!」
ブッダ:うぱり
イエス:岩
その47「実在を証明せよ!」
ブッダ:ガンダーラ
イエス:ラジエル
その48「逸話の多い子供達」
ブッダ:スダッタ
イエス:ベサハ
その49「夏の元気なごあいさつ」
ブッダ:アヒンサー
イエス:ホザンナ
その50「立ち向かえ、台風に!」
ブッダ:しゃかむに
イエス:放蕩息子
第8巻
その51「心配しないで!」
ブッダ:シッダールタ/金の鹿
イエス:おニューの(※以下判読不能)/アガペー
その52「レッツゴロゴロ!」
ブッダ:シャクソン5
イエス:そろもん
その53「アイドルの秘密!」
ブッダ:シッダールタ/遊行なう
イエス:ヨシュア/キリシタン
その54「割れろ、腹筋!」
ブッダ:Rahotu
イエス:ろばのあご骨
その55「バカンス in 立川以外」
ブッダ:智慧の箒
イエス:千年王国
その56「バカンス in 立川以外、ってか沖縄!」
ブッダ:ニライカナイ
イエス:ヘヴン
その57「バカンス in …まだまだ沖縄!」
ブッダ:ニライカナイ
イエス:ヘヴン
第9巻
その58「演じよ!さらば…」
ブッダ:アナンダ
イエス:ヨハネ
その59「ラジオスターの喜劇」
ブッダ:ダルマ
イエス:エデンの東
その60「福も来た!鬼も来た!」
ブッダ:スッタニパータ
イエス:エヴァンゲリオン
その61「ロード・トゥ・ひな壇」
ブッダ:象投げ
イエス:パパの国
その62「トライアル・ロワイヤル」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その63「タップ!フリック!!機種変!!!」
ブッダ:チュンダ
イエス:シメオン
その64「家出とその弟子」
ブッダ:カピラ城
イエス:バラム
番外編1「地面に近づくほど増えるやつら」
ブッダ:目覚めた私
イエス:サリエル
番外編2「天界ソリューション」
ブッダ:(※未登場)
イエス:(※未登場)
第10巻
その65「LIGHT OUR FIRE!!」
ブッダ:アジャセ
イエス:アベル
その66「クロッキー・ア・ゴーゴー」
ブッダ:カピラヴァット
イエス:パーパ
その67「寝耳にぬるま湯」
ブッダ:バラナシ
イエス:グロッタ
その68「新しき葡萄酒の日」
ブッダ:ラーフラ
イエス:カナ
その69「赤い服着たニクイあいつ」
ブッダ:シッダールタ
イエス:(※なし)
その70「ロック・ウィズ・ユー」
ブッダ:32
イエス:ゲッセマネ
その71「白い聖人たち」
ブッダ:(※なし)
イエス:バプテスマ
その72「導師の桜」
ブッダ:鹿の王
イエス:メシア
第11巻
その73「柄じゃないキャラじゃない」
ブッダ:シャカ
イエス:ジーザス
その74「悪魔を憐れむ初夏」
ブッダ:パーリ語
イエス:サマリア
その75「お彼岸MIDNIGHT」
ブッダ:しゃり
イエス:神曲
その76「Fish&Tips」
ブッダ:(魚の絵の内側に)イクトゥス
イエス:(足の絵)
その77「いいね・LIKE・既読」
ブッダ:ヤショーダラー
イエス:かいばおけ
その78「オータム・オブ・ザ・リビングデッド」
ブッダ:死者の書
イエス:死者の日
その79「キャプテン・ノア&ジ・アニマルズ」
ブッダ:しゃかむに
イエス:メシア
その80「インビジブル三角」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
第12巻
その81「バイセコーバイセコー」
ブッダ:釈迦力
イエス:(魚の絵)
その82「今日は何の日48」
ブッダ:カンロ
イエス:真の人
その83「カミとカミ」
ブッダ:出家の王子さま
イエス:救世主
その84「コチコチとグニャグニャの間」
ブッダ:コーサラ国
イエス:千年王国
その85「夢の枕、星の屋根」
ブッダ:いなご
イエス:ベツレヘムの★
その86「寒い国から来た神様」
ブッダ:29
イエス:30
その87「決戦!!立川は萌えているか」
ブッダ:バニヤン
イエス:イチジク
その88「もちろん踵は0インチ」
ブッダ:仏足石
イエス:スティグマ
第13巻
その89「ママ友会 in 立川」
ブッダ:三道宝階
イエス:無原罪の宿り
その90「松田ハイツの秘密」
ブッダ:長爪
イエス:塩は良い
その91「スキー天国、スキー地獄」
ブッダ:サールナート
イエス:ケリテ川
その92「シモキタ異聞」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その93「声に出して読みたいアポカリプス」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その94「ブレッド&何か」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その95「オフという名のひのき舞台」
ブッダ:コーサラ/一般人
イエス:(ラルフローレンのポロシャツ)
その96「イヤー・オブ・ザ・セイント」
ブッダ:シッダールタ
イエス:メサイア
第14巻
その97「捨てる神@蚤の市」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その98「シン☆おにいさん」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その99「ちょっと贅沢な留守番、おります!」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その100「メッセージ・イン・ア・バッグ」
ブッダ:シッダールタ
イエス:ジーザス
その101「オニいさん×おにいさん」
ブッダ:(※なし)
イエス:(※なし)
その102「拝啓 Dear My Lord」
ブッダ:スッタニパータ
イエス:グッドニュース
その103「ノット・ショーファー・バット・パイロット!」
ブッダ:ひづめミュート
イエス:レンタルロバ
だらだらっと読んでストーリーやギャグをゆるく楽しむこともできます。散りばめられた細かなネタを拾い、ひとつずつ元ネタを辿って知識を増やすこともできます。ゆるくも深くも楽しめる、宗教ネタがたくさん出てくるけれど宗教漫画ではないというちょっと新しい作品。それが『聖☆おにいさん』です。大英博物館にも収められたという稀有な作品を、一度は試して頂きたいです。