益田ミリの笑えるおすすめエッセイ5作品!

更新:2021.11.12

益田ミリは大阪生まれのエッセイストであり、イラストレーター、漫画家です。リアルで共感できる文章とほのぼの系のイラストや漫画が持ち味。ここでは彼女の3大テーマである大阪、お母さん、女湯を書いたエッセイなど、クスッと笑えるエッセイをご紹介します。

ブックカルテ リンク

共感ネタをゆるい絵柄で魅せる益田ミリ

益田ミリは1969年の大阪生まれです。彼女のエッセイには育った時代と大阪という土地柄ならではのエピソードがちりばめられています。

幼い頃の思い出が綴られた作品群では、銭湯、団地を舞台に昭和の大阪の名も無き人々が登場します。うれしいときには素直にうれしいと表現し、何にでも感謝するお母さんだったり、ちょっと短気だけれども肝心なところでは迎合してしまうお父さんだったり、「おかえりー」「どこ行くの?」「ええ湯やったで~」といつでも声をかけてくれるご近所のおばさんたちだったり。ぬくもりのある人と人との交流が垣間見えるのです。

1970年代前後に幼少期を過ごした人にはとても懐かしいモノや言葉が登場するのもうれしいものです。例えば『女湯の出来事』ではフルーツ牛乳やラムネ、ピンボール、ぶら下がり健康器だったり、『大阪人の胸のうち』では大阪独特の「でん」や「やいと」だったりします。

益田ミリは京都の短大を卒業し、OLをしていた時代にイラストを描き、2001年四コマ漫画『OLはえらい』でデビューします。この頃から日常ネタを得意とし、普通のOLのちょっとしたできごとや心情をほのぼのとしたタッチの絵柄で読ませました。そして2006年四コマ漫画『すーちゃん』で30代独身女性の自分探しや淡い恋愛感情を描き、人気シリーズ化し、『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』として映画化されます。40代になってからは、今回ご紹介するエッセイ『銀座缶詰』などで、やはりあるある感満載の40代のリアルを描いて(あるいは書いて)、アラフォー女子の心理を巧みについています。

『大阪人の胸のうち』のあとがきでは、お母さん、大阪、女湯をテーマに絶対書きたかったと記しています。彼女が育った70年代の大阪、愛すべき母親、上京するまで通っていた銭湯は、益田ミリを形成する上で欠かせない存在だったのです。『お母さんという女』、『大阪人の胸のうち』、『女湯のできごと』の刊行でそれは実現しました。

大人女子の本音をすくいとったリアル感満載のエッセイ!

『銀座缶詰』は2013年刊行で、Webマガジン幻冬舎と朝日新聞連載の『オトナになった女子たちへ』に連載されていたエッセイをまとめたもの。益田ミリにしてはイラストは少なめで、その分文章を読む楽しみがより一層味わえます。

いつまでも若いつもりでいても20代の頃のようにはいかず、なまいき盛りだった過去の自分を思い起こしては冷や汗が出る40代。今同じことをすれば怖いおばさんにすり替わってしまうことを嘆きます。

著者
益田 ミリ
出版日
2013-02-07

「今のわたしは、若者の『なまいき』を全面的に応援できるほどには歳を重ねておらず、ちゅうぶらりんなお年頃なのである」 
(『銀座缶詰』より引用)

微妙な年代である40代を実体験を通じてさらりと表現しているので、わかるわかる~、と思わず膝を打ってしまうでしょう。似顔絵にほうれい線をいつ入れるべきか悩み、あとがきを書いている頃は43歳だけど、本が出る頃には44歳になってしまう、1歳でも若く見られたい、と女の本音をくすぐり思わず笑ってしまいます。

大阪人でも大阪人でなくっても、クスッと笑えるイラスト・エッセイ集

26歳まで大阪で暮らし、上京して10年以上経った著者の目線で書かれた故郷大阪と大阪人。じゃんけんは「いんじゃん」、仏壇に手を合わせるときは「まんまんちゃんあーん」、言うことを聞かないときには「やいとすんで」と言われた思い出。当たり前だと思っていた言葉はどこでも通用するものではなかった、と上京後に知ることになります。

アホやと言われたいがために道頓堀川に飛び込む大阪人。それも阪神が優勝した夜だけでなく、前夜にまでいたという目撃談も爆笑ものです。周りの笑いの期待に応えるために、何の得にもならないどころか、冷たいし、大腸菌がいるかもしれないのに、それでも飛び込んでしまうのが大阪人のさがなのかもしれません。そんな大阪人を見つめる益田ミリの視線はあくまでも優しいのです。

著者
益田 ミリ
出版日
2007-06-01

近年では大阪弁は珍しいものではなくなりました。そういう意味では他の地方の方言のほうが珍しがられて話も盛り上がるので、普段方言を使わない地方出身の友人が神秘的に見えると、益田ミリは書いています。ところが最近ふと気づくのです。

「好きになった男の子や、彼氏と電話で話したときの、あの、胸がドキドキする彼らの大阪弁といったら!『今日、なにしとったん?』小さい声でボソッと話す大阪弁。芸人さんたちのガヤガヤとしたオーバーな大阪弁とはまったくの別物である。『今日寒かったなぁ』『明日迎えに行ったるわ』彼らのあの恥ずかしそうな優しい大阪弁は、大阪の男とつきあったことがない人には聞くことができない大阪弁だ」 
(『大阪人の胸のうち』より引用)

方言萌えの人には胸キュンで共感ポイントの高いエピソードでしょう。

あの頃、銭湯の片隅で。懐かしくて面白い出来事の数々

赤ちゃんの頃から20代半ばまで毎日銭湯に通っていたという益田ミリの実際に見たエピソードがぎっしりイラスト入りで綴られたエッセイです。銭湯が舞台なだけに、文字通り赤裸々なできごとが面白おかしく書かれており、肩の力を抜いて読めることうけあいです。

赤ちゃんを連れた若いお母さんがお風呂に入るときは、洗った赤ちゃんをお風呂屋のおばちゃん受け取ってベビーベッドに寝かせ、体を拭き、てんかふんをはたいておむつをし、服を着せてあげていた、と言います。今はもう銭湯にベビーベッドを置いているところもあまりなくなったことを思うと、たとえ銭湯に行ったことがなくても、なんだか懐かしくてほんわりした気分にさせられます。

著者
益田 ミリ
出版日
2006-03-07

思春期の頃、わき毛を剃るタイミングを窺い、なかなか剃れずにいたこと。小学3年生のある日突然恥ずかしくなり男湯に足を踏み入れられなくなり、のんびり自由気ままな雰囲気だった男湯の脱衣場を懐かしく思ったこと。大晦日の夜の銭湯で紅白やおせちの話題をする大人たち。服を着替え終えると、「良いお年を」とすれ違う近所の人たちと挨拶を交わした帰り道。いつもそこにはほかほかと温まる銭湯があったのです。

「家にお風呂があったらいいのになぁ。いつもそう思っていたけれど、お風呂がなかったからこそ見えた世界もあった、と今では思う」 
(『女湯のできごと』あとがきより引用) 

怒っているはずが、いつしか笑顔に。うん、明日もがんばろう!

著書を読む限り、のんびりした性格のように見受けられる益田ミリでも怒ることがあるのか、と驚かされる『今日も怒ってしまいました』。

混沌とした社会に身を置く私たちには日々怒りたいことが噴出しますが、現実には我慢してしまいストレスは溜まる一方です。益田ミリも同じく、怒ってしまったりツッコミを入れたりするのは心の中だけであって、実際に怒ってはいません。「あるある」「わかるわかる」と思える怒りたいできごとに、いつしか読者の怒りも癒えて、いちいち怒るのも馬鹿らしいな、と思えるのではないでしょうか。

著者
益田 ミリ
出版日
2009-09-04

お盆までに彼氏が欲しいと思っていたところに同窓会の誘いがあり、いそいそと出かけて行ったが、女子3人のうち「彼氏いるの?」と聞かれないのは著者のみ。

美人を特別扱いする男性陣に怒りが沸々。とはいえ、女子を送って行った残りの男子たちと、成り行きで軽トラの荷台で体育座りしてカラオケに行き、朝まで歌って帰ったなんて、怒りがいつしか笑いに変わるエピソードに変化しているではありませんか。実際そういった笑えるエピソードが多いのが、やっぱりいつもの益田ミリだ、とやけに安心してしまうのです。

娘から母への愛があふれるラブレター? いくつになっても母は偉大だ。

ラストを飾るのはもちろん著者3大テーマの一つお母さんを扱った『お母さんという女』です。益田ミリの母親は愛情深いよう。携帯を持った日から日課のようにメールを送り、娘と旅行するのが大好き。娘も年に6~7回は実家に帰り、実家では母親と一緒に行動し、夜は布団を並べて寝るのだと言います。

もっともお母さんの愛情は著者だけに捧げているのではないことが読んでいくとすぐにわかります。3泊4日の著者との沖縄旅行でのことです。タクシードライバーのおじさんは益田ミリのお母さんが何にでも感動するのに気をよくし、海がきれいな秘密の場所に案内してくれ、珍しい貝を見つけてはお母さんに差し出し、貝拾いに夢中になっていたというのです。

観光バスに乗り合わせたお爺さんたちからは昼食にひとり1個ずつ付いていたサーターアンダギーを10個ももらってしまうし、どうやらうれしいときには素直にうれしいと表現するお母さんに周囲も感化されてハッピーな気持ちになってしまうようなのです。そんな母親が大好きでたまらない、と文章の端々から娘の愛があふれています。

著者
益田 ミリ
出版日
2004-12-08

モルモットやヒヨコや鳩。子供の頃、飼いたいと言っておきながら、すぐに面倒になって、世話をお母さん任せにしてしまう。だけど、お母さんが動物に優しくしている姿を見て、なんだか安心してしまった、というエピソードは誰にでも思い当たるふしがありそうです。

団地で育てるペットボトル園芸には盗まれないようなひと工夫が施され、ご近所付き合いも良好。お洒落なインテリアはないけれど、ご近所からもらった手作りのタオル人形やチラシで作った花びんや小物でいっぱいです。地に足のついた母の人生をついうらやんでしまいますが、いやいや、私は私と思い直す益田ミリでした。

お母さんとの思い出を本当によく覚えているものだとなぁ、と感心させられますが、あとがきにはこう記されています。

「わたしが覚えていることなど、ほんの一部。その後ろには、惜しみなく注がれたであろう母の愛情が静かに眠っている。ひとつひとつを確認することはできないけれど、わたしのこころの深く深くに残っているだろう」 
(『お母さんという女』より引用)

読み終わったあと、無性に母親に会いに行きたくなる、そんな本かもしれません。

益田ミリが日々の暮らしの中で感じたできごとや出会った人々のちょっと微笑ましくなるエピソードや思い出、心情をほんわかしたイラストで彩る癒しのエッセイ。ふっと笑えてほっこりすることうけあいです。温かいコーヒーでも側に置いて愉しんでみてはいかがでしょうか。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る