第二次世界大戦期の日本で施行された治安維持法。共産主義の台頭を阻止するために制定されたといわれています。この記事では、法律の概要や制定された目的、内容、普通選挙法の関係、さらにおすすめの関連本をご紹介していきます。
1925年4月22日に公布、5月12日に施行された治安維持法。その目的は、当時の日本社会で流行していた共産(社会)主義運動を弾圧し、天皇制など国体の変革や私有財産制の否定をうたっている反国家体制の運動を取り締まることにありました。
結社を組織したり、結社の目的を知ったうえで加担するような行動をとった者に対し、懲役刑が課せられます。
また1925年は普通選挙法が施行された年でもあり、軍国主義のもとで運動の鎮静化を図ろうとしていたのです。
1941年5月15日、新たに改正案が施行されます。
特徴は、「結社を支援する組織の結成の禁止」、「組織を準備することを目的とする結社の設立禁止」と、明確に反国家的な行動をとる前から、疑わしき者を罰することができるようになったことです。
また、刑期を終えたとしても、また同様の行動をとる疑いのある者に対しては、国の判断で予防として予防拘禁所に収監することができるようになりました。
実際に、宗教団体、唯物論研究会などの学術団体、芸術団体など、政治とは一見関係ない団体までもが検挙対象になり、太平洋戦争期の日本の軍国主義を支える重要な法律となっていきます。
とはいえ、実際に治安維持法に抵触して死刑になった人物はいません。ロシアからのスパイとして有名なリヒャルト・ゾルゲと共産主義者の尾崎秀実(おざきほつみ)は死刑となりましたが、彼らは治安維持法以外にも国防保安法違反の罪に抵触しており、そちらの方が重罪でした。
明治維新以降、日本では「富国強兵」「殖産興業」のスローガンのもと、イギリス産業革命を模範とする資本主義にのっとった経済政策を実行していました。
日清戦争、日露戦争、韓国併合……と領土も拡大していきます。
しかし国が繁栄していくのと対照的に、国民のあいだでは徐々に経済格差が生まれるようになっていました。劣悪な労働環境と給料の低さを不満に思う者が増え、労働者がしばしば運動を起こしていたのです。
そして、社会民主党や共産党のように、社会主義を支持する政党が現れます。彼らの主張は社会主義よりもキリスト教的な平等思想を特徴としていましたが、いずれにしても国民間の格差に不満をもって活動していたのは間違いありません。
明治政府はこのような動きに対し、まず1900年に「治安警察法」を施行。労働運動、自由民権運動などの規制をおこないます。
1917年にロシアでロマノフ王朝が滅び、社会主義国家が誕生。政府は民間団体や政党がこれに影響を受けて運動を劇化することを恐れ、新たな法律の制定を必要としていました。
これと時期を同じくして、衆議院議員による選挙の平等化を目的として、加藤高明内閣が成立。普通選挙法の制定を公約に掲げます。
それまでは、直接国税15円以上を納める満25歳以上の男子にのみ選挙権が与えられていました。新しい普通選挙法では、満25歳以上なら納税額に関係なく選挙権が獲得できます。有権者の割合が劇的に増えることになり、これまで以上に社会運動が激しくなることを恐れた政府は、さらなる規制をするための法律を制定する必要がありました。
それが治安維持法だったのです。
1945年の敗戦以降も、治安維持法は依然として効力がありました。東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣の内務大臣・山崎巌(やまざきいわお)は、天皇を中心とする国体を護持するために、天皇制に反対する者を社会主義者とみなして処罰していったのです。
GHQは、ポツダム宣言の一環として、軍国主義的な法律の廃止と保守派の山崎の罷免を要求。これを拒否した東久邇宮内閣は総辞職しました。
その後幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)が新内閣を発足。GHQの指令を承諾し、1945年10月に治安維持法などの法律が廃止されました。
治安維持法は「悪法」といわれることも多いですが、その始まりは、国の混乱を鎮めるために制定されたものでした。
それがなぜ、拡大解釈され、反逆者を弾圧する法律になってしまったのでしょうか。その全体像は、けっして治安維持法だけで語りつくせるものではありません。
本書は、東京大学名誉教授で日本の憲法や法律に関する多くの著書をもつ奥平康弘が、「表現・思想の自由の変遷」という観点から法律の変遷について見ていきます。
- 著者
- 奥平 康弘
- 出版日
- 2006-06-16
著者は治安維持法をまごう事なき「悪法」と断じている一方で、「悪法」となり得た原因を当時の国勢にあるとしています。
運用しだいで、どんな法律も聖にも邪にもなりうるという歴史上の教訓をよく知ることができる一冊です。本書は1977年に出版されたもの文庫化・再版したものですが、この考えは現代にも十分に通じ、古びていません。
本来、結社を抑制するために生まれた治安維持法。これは、制定した政党=結社の首を絞めるものでもありました。
本書は「政党政治」という切り口から、運用問題について探ります。
- 著者
- 中澤 俊輔
- 出版日
- 2012-06-22
軍部の独裁体制を脅かしかねないほどの広がりを見せていた社会主義、共産主義体制。当時の世相として、日本の政府はその背景にある大国を恐れていたようにも思えます。
そして目先の敵を倒すために生まれたのが、治安維持法だと筆者は言います。
最新の研究動向も押さえた有用な一冊で、日本の根幹となっていた「政党政治」を知ったうえで、一法律が生まれるまでの世の中の動きを見ることができるでしょう。
日本が第二次世界大戦に突き進むようになったきっかけのひとつとして、治安維持法があります。
昭和という社会のなかで、この法律が当初の思惑を大幅に超えて拡大し、ついに弾圧法となるまでの過程を知ることができるでしょう。太平洋戦争を理解するうえでも欠かせない一冊です。
- 著者
- ["江口 圭一", "木坂 順一郎"]
- 出版日
- 1986-06-20
わずか71ページですが、内容は決して薄いものではなく、一法律がだんだんとプロバガンダのごとく利用されていく過程がうかがえます。
当時の政情から、だんだんと政府が統制を強化するようになるさまを見ることができ、当時の大日本帝国憲法が、政党や軍部を抑えるような構造になっていなかったという問題が浮かび上がってくるのです。
いかがでしたでしょうか?近年話題になっている「共謀法」は、「現代の治安維持法」ともたとえられています。処罰の対象が曖昧・無制限で危険であるというのが主な論点のようです。いまを生きる我々にとっても、治安維持法について理解することは非常に重要なことではないでしょうか。