素朴な描写で読む人の心に迫る漫画家・こうの史代の代表作のひとつ、『夕凪の街 桜の国』。2016年に劇場アニメ化された『この世界の片隅に』と同じく、独特の視点で戦争をとらえた作品です。他の戦争ものとは違うこの作品の独特の魅力を解説します。
- 著者
- こうの 史代
- 出版日
- 2004-10-12
『夕凪の街 桜の国』は、3編の短編からなるいわゆる“原爆もの”です。2007年には映画化され、2018年にはドラマ化が決定しています。同じ作者の戦争もの『この世界の片隅に』とともに、とても多くの人に愛され、読み継がれてきました。
普通の戦争もの、原爆ものとは全く異なった切り口で読む人の共感を得るこの物語の魅力は何なのか、ネタバレありで紹介します。
『夕凪の街 桜の国』は、3部構成となっています。第1部「夕凪の国」は、実際に被爆した広島の女性、平野皆実(ひらの みなみ)のその後の人生を、第2・3部「桜の国」では皆実の姪(弟の娘)にあたる東京育ちの少女・石川七波(いしかわ ななみ)が自分のルーツを知り、理解していく過程をそれぞれ描いています。
時代も場所も違う2人の主人公にとっての、それぞれの原爆にまつわる問題とは……。
原爆投下から10年後、1955年の広島。母と2人でバラックに暮らし、毎日仕事に出かけるという普通の日常をようやく手に入れた平野皆実。職場でも家でも些細なことで笑い合えるし、茨城に住む弟・旭(あさひ)に会いに行くための節約も苦ではないけれど、彼女の心には、まだ誰にも話せずにいることがありました。そんなある日、同僚の打越(うちこし)に好意を寄せられた皆実は……。
原爆で死んだ人ではなく、死ななかった人はその後どう生きたのか。他の作品ではあまり触れられないことですが、こちらの方が現実問題として長くあり続けるはずですよね。1人の人間の一生は、そんな簡単には決着がつけられないのですから。「夕凪の街」からは、そんな当然のことをあらためて思い知らされます。
桜の国(一)
時は移って1987年の東京。小学5年生の石川七波は、学校と野球の練習の繰り返しの中、毎日を元気に過ごしていました。ご近所で仲良しの東子(とうこ)がいるし、母はいないけれど父と祖母がいて、少し離れた病院にはぜんそくで入院している弟の凪生(なぎお)がいます。普通の少女の普通の日常の物語。
「桜の国(一)」は、この後の「桜の国(二)」の前日譚的な扱いです。特に何が起こるわけではありませんが、子供の頃を振り返って、「今思えば…」と気づくことってありますよね。(二)を読むと、(一)のエピソードのひとつひとつの意味に気づくようなつくりになっています。
「桜の国(一)」からさらに17年後の2004年。28歳になった七波は、定年した父と医大生の弟との3人で、小学生の頃とは違う家に住んでいました。相変わらず普通といえば普通の暮らしですが、最近気になるのは、父・旭(あさひ)が不審な行動をとっていることです。七波が不審な行動の原因を突き止めようと尾行すると、父が向かったのは意外なところでした。
七波が自分のルーツを知り、これまで自分が無意識に気づかないふりをしてきたことに向かい合う「桜の国(二)」。“原爆”を自分の問題としてとらえて、ようやくすべてがほどけていきます。
『夕凪の街 桜の国』の特徴としてよく挙げられるのは、生々しい原爆被害の描写がなく、素朴で優しいタッチで描かれていることです。これはこうの史代の画風のせいもありますが、戦争や原爆の残酷さを伝えるための作品ではないことが大きな理由でしょう。そのため第1話「夕凪の街」は、原爆投下の10年後から始まります。
ある程度復興した広島の町では、原爆を体験しながらも生き残った人たちが、貧しくも普通に暮らしていました。こうののほかの作品と同じく、街の人たちのやりとりはとてもユーモラスでほほえましいです。これから広島も日本全体も悲惨な過去をばねにして、少しずつ先へ進んでいくんだなあという印象すら受けます。
しかしよく見ると、台詞は明るくほのぼのしたものが多いですが、たまに挿入される意味深な表情や仕草が、キャラクターの本心を語っています。例えば同僚のワンピースを見て、よその家族団らんの様子を見て、「みどりちゃん」という名前を聞いて、何か物憂げな表情をする皆実。そしてさらに、好意を寄せてくれる同僚・打越(うちこし)に抱き寄せられたときは、身をよじって逃げ出してしまいます。
そんな描写が重ねられるうち、読者はようやく皆実の本心に気づくのです。彼女がずっと、あの日のことを誰にも言えず抱えていたことを。そして普段の明るさは、それを忘れてしまいたいがための強がりだったのだと。
この作品では全編にわたり、普通の人たちの心に寄り添うことで原爆の悲惨さを表現しています。その普通の人たちにとって、戦争や原爆はいわばどこまでも追ってくる“影”のようなものです。戦争そのものでなく、それらが人々にもたらした影を描くことで、戦争の傷跡の大きさがより強調されるのです。
そしてまた、それらの細やかな描写によって、作品全体に独特の哀愁が漂っているようにも感じられます。
遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。
(『夕凪の街 桜の国』102ページより)
作者のあとがきの言葉です。これを読めばわかるように、3連作でそれぞれ時代や場所を変えたのは、すべてのひとに原爆や戦争について考えてほしかったからでしょう。かつそれらは他人事ではなく、自分たちの問題でもあると自覚してほしかったのだと思います。
では、それぞれの舞台での主人公の視点をまとめてみましょう。
主人公の皆実は、実際に原爆が投下された時に広島にいて、惨状を体験しました。何十万人という人々が亡くなった中を生き抜いたのだから、ラッキーといえるかもしれません。そしてそれから10年、復興する広島とともに日常を過ごしてきました。
平和になった広島で職を持ち、つつましく暮らしますが、彼女の中にはいつも幸せになることへの罪悪感がありました。原爆を落とした誰かは、自分のことを死ねばいいと思った。そして自分の大切な人たちはその通りに死んだ。自分もその中の1人になるはずだったのだという考えに、いつもさいなまれているのです。
戦争は、人を殺すだけではありません。生き残った人の心にも大きな傷を残し、生きることにすら罪悪感を覚えさせるということが、皆実の人生を通して描かれています。そしてそんな地獄を見た彼女が、一体どうやってそこから救われるのかということも。非常にたくさんの普通の人の人生を壊してしまう戦争の恐ろしさを生々しく感じさせられます。
「桜の国」で出てくるのは、被爆2世という問題です。被爆した親や先祖を持つ子供は、原爆の影響を遺伝的に持つといわれています。「桜の国」の主人公・七波とその弟の凪生は、被爆者を母に持つ被爆2世でした。
とはいえ戦後42年も経っていて、場所も原爆ドームのある広島から遠く離れた東京。誰もが戦争を完全に過去の悲劇ととらえています。七波ももちろんそのひとりで、特に子供の頃は何の問題も感じることはありませんでした。おそらく多くの読者が、戦争や原爆に対して彼女と同じくらいの認識でいることでしょう。
七波は原爆に対し無知で無関心な、現代人の視点に合わせて描かれたキャラクターと考えられます。しかし最初に述べたとおり、原爆は誰にとっても無関係ではありません。七波がそのことを知るのは、もう少し後になります。
28歳になった七波は、相変わらず普通の暮らしをしていますが、家族のことで悩むようになり、それと同時に、子供の頃にわからなかったことも何となく察せられるようになりました。そんな彼女がついに、自分のルーツに向き合います。
七波は弟が被爆2世を理由に失恋したことで、初めてその問題を自分にも自分の大事な人にもかかわることだと気づくのです。そしてこれまで向き合えなかった自分と同じように、父や母や祖母たちも、いろんなことで悩みつつここまでやってきたことにも気づきました。
原爆は遠い悲劇ではなく、自分や自分の大事な人の問題だということ。それはかつて皆実がたどり着いた答えと同じです。そしてそこから、ようやく何かが始まります
こうのの漫画は、言葉に頼らない表現が多いです。そしてここぞというところで、読者がはっとするような台詞を置きます。この短い3編の中から、端的で美しい言葉をいくつか紹介します。
「……教えて下さい
うちはこの世におってもええんじゃと教えて下さい」
(『夕凪の街 桜の国』28ページより)
「夕凪の街」より、打越の好意を拒絶して一晩かけて原爆の日を思い返した翌日の皆実の台詞。忘れてしまえばいいとずっと心に押し込めてきたことと向き合い、愛する人とともに進もうとする強い意志があります。そしてそれに対し打越の返した台詞と、そのときの皆実の表情も素敵なのです。
「このお話はまだ終わりません
何度夕凪が終わっても終わっていません」
(『夕凪の街 桜の国』34ページより)
「夕凪の街」を、そして皆実の人生の締めくくりとなる言葉。彼女のことは物語と原爆問題の始まりにしかすぎないことを表しています。この物語がどうすれば終わりを迎えるのかは、ぜひ実際に読んで考えてください。
生まれる前
そう あの時 わたしはふたりを見ていた
そして確かにこのふたりを選んで生まれてこようと決めたのだ
(『夕凪の街 桜の国』93ページより)
こちらは「桜の国(二)」で、七波が自分のことから目を背けるのをやめ、両親の出会いを祝福するモノローグです。すべては他人が作った過去ではなくて、自分が関わる現在である……とでもいえばいいのでしょうか。この前後の七波の表情などから、両親だけでなく自分に連なるすべての大事な存在を祝福しているようにもとれます。
ドラマの放送は2018年夏に、NHKで予定されています。戦争ものなのでおそらく丁寧に作られるでしょうが、設定などは若干変わるそうです。また、こうの史代の独特の雰囲気はドラマでは再現できないと思うので、ドラマを見てから漫画を読んでも十分楽しめると思います。もしこの記事を読んで少しでも気になったなら、ぜひ読んでみてください。
『この世界の片隅に』でも知られるこうの史代の作品を紹介した<こうの史代のおすすめ漫画5作品!『この世界の片隅に』原作者>もおすすめです。ぜひご覧ください。