広島県広島市に生まれた作者は、被災者の日常を描くことによって、現代人に戦争を悲しみをありありと伝える漫画家です。柔らかいタッチのイラストと詩情の深い作者の言葉が、私たちに「普通の生活」の素晴らしさを教えてくれます。
広島県広島市出身の作者は、原爆と戦災を描いた漫画で数々の賞を受賞してきました。2007年には『夕凪の街 桜の国』が映画化され、多くの人が彼女の作品を知るようになります。
こうの史代は広島県に生まれながら、それまで戦災について詳しく知ることはありませんでした。それどころか、原爆に関することは無意識に避けてきたといいます。そんな彼女が原発について描くようになったのは、馴染みの編集者に「ヒロシマ」について描いてみないかと言われたことがきっかけでした。
以前から心のどこかで、原爆の問題を避けている自分に対し、不自然で無責任だと感じていた彼女。そのような思いもあり、筆を取ることにしたのです。執筆を決心した作者は、父親を始め昭和30年代の生活を知る人々に取材をし、さらに当時の資料を丹念に調べました。
そうした取材を重ねたなかで描き上げた戦災をテーマにした作品『夕凪の街 桜の国』は、上記のとおり映画化したほかにも、文化庁メディア芸術祭漫画部門優秀賞、手塚治虫文化賞を受賞しました。戦争の話でありながら、誰でも経験したことがある柔らかく暖かい日常的を、トーンを使わない優しいタッチで描いています。この作品をきっかけに、作者は一躍有名になりました。
再び広島と戦争を描いた作品『この世界の片隅に』は、彼女独自の感性が存分に発揮された作品です。この作品を始め映画化された作品は大きなヒットを飛ばし、それまでのコアなファン以外にも、世代を超えて広く知られるようになりました。
原爆投下から10年後を描いた「夕凪の街」と、30年後の東京を描いた「桜の国」の2部構成になっている作品。違う時代を生きる2人のヒロインをとおして、原爆の虚しさを読者に伝えています。
- 著者
- こうの 史代
- 出版日
- 2004-10-12
一部の「夕凪の国」では、被爆で家族や友人を失い、幸せを感じるたびに「生き残った」という罪悪感を胸に抱き続けるヒロインを描きます。一方、二部の「桜の国」は、若くして原爆症の疑いで亡くなった母を思い出す娘の話です。
2人の主人公をとおして伝えられるのは、生きていることの偶然性。戦争を経験していない私たちも、戦争を経験した人たちから生まれたのだと、作者は2つの時代を描くことで伝えています。
戦争の話を聞くとつい後ろめたいような気持ちになるのは、現代人なら誰でも身の覚えのある感覚なのではないでしょうか。なぜならそれは、普段は感じることのない自分が生きていられることの偶然性に目を向けなければならないからです。
もし時代が違えば、自分が生きていられたかわからない。特にそのように感じるのは、後編「桜の国」です。広島の原爆をあらためて考え直した時、東京がいつもと違って狭く感じた七波のように、読者全員が東京に空間的な違和感を感じるはずです。彼女がどうしてそう感じたのか、ぜひ実際に読んでみて、その深い意味を考えていただきたいです。
『夕凪の街 桜の国』については<漫画『夕凪の街 桜の国』の優しく、もの悲しい魅力を全巻ネタバレ紹介!>で詳しく紹介しています。ぜひご覧ください。
一話「夜の道」は浮気者の夫・荘介と、そんな夫を支える天然で純粋な嫁・道の、夫婦の話です。
物語開始早々、夫は会社をクビになってしまい、道はアルバイトを始めます。なかなか働き口が見つからない夫の愚行と、天性の純粋さでかわす道の魅力を冗談ぽく描いた作品となっています。
そんな2人ですが、実は成り行きで結婚してしまった無茶苦茶な夫婦だったのです。
- 著者
- こうの 史代
- 出版日
- 2005-07-28
作品の魅力は、道の性格。浮気性でいい加減な夫を受け入れる道の純粋さは、一見尽くすいい女に見えます。しかし、実はそうではないのです。作品をとおして描かれるのは夫に振り回される女ではなく、その天然さで夫を振り回す女の姿です。それが実に痛快でうまい。
たとえば、こんなエピソード。まだ子供をつくる決心のない道に、宗介は酔った勢いでつい手を出してしまいました。翌日道は、今後半年は手を出さないでください、と置手紙をして出て行ってしまいます。宗介は反省し、ようやく帰ってきた彼女に詫びました。しかしなんと、手紙の内容は漬けたばかりの梅酒の瓶に関してだったのです。
このような予想外のかわし方を、道はするのです。貧乏も、浮気も、あらゆる生活苦が、彼女がいることで面白おかしく描かれています。
途中で描かれる絵だけの映画的な描写や、読者を感傷的にさせておいてコメディに落とし込む作者の多彩な表現技法など、さまざまな魅力が詰まった作品です。
東北地震から5年後の被災地を、鶏が旅して周るというお話。擬人化された鶏の言葉として描く詩や散文が、イラストレーターとしも活躍する作者の風景デッサンに乗せて描かれています。
震災で生き別れた妻との思い出を懐古する鶏が東北で見る風景には、詩的な喚起力があります。白黒のデッサンの上に震災の「あの日」が思い出され、読む人すべての感傷を誘います。
- 著者
- こうの 史代
- 出版日
- 2014-04-25
秀逸なのが、感傷とユーモアのバランス。丁寧に描かれた被災地のデッサンに対し、どこかふてぶてしい鶏の描写など、絶妙なバランスが魅力です。
「どうもここには路線があったようだ 血の気の多い妻が 鉄分を補給していったのではないか」(『日の鳥』から引用。)
先立たれた妻を懐かしみながらも、鶏はどこか皮肉っぽくそう考えます。こうした主人公の個性が、作品全体をただ単に暗くさせないようにうまく組み込まれていて、読者を楽しませてくれます。
読んだ後に温かい気持ちが心にそっと残る、そんな作品です。
妻に先立たれた夫・参平は、悲しみから生活が荒廃していきます。結婚して子供をもうけた息子が、それを見かねて参平を自分のアパートに移り住ませることに。そんな参平を救ったのが家事育児など、妻が家庭のことを細々と書き記した生前の記録。
「さんさん録」という自分の名をもじったその手紙を見つけ、参平は息子夫婦とうまくやるために妻の処世術を活かして奮闘します。
- 著者
- こうの 史代
- 出版日
- 2006-03-11
「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」というフランスの作家アンドレ・ジッドの言葉を座右の銘に掲げる作者の思いが存分に詰まった作品です。
会社勤めで仕事の世界しか知らない参平は世渡りが下手で、生きる達人ともいえる妻に救われます。参平は息子夫婦の役に立とうと奮闘するなかで、妻の苦労や知恵を知り、彼女こそ真の栄誉を持った人間なのだと知るのです。
この作品も、やはり作者のユーモアが光ります。そもそも日常とユーモアは掛け合わせがよいですが、ほとんどの作品は付け焼き刃のような仕上がりです。しかしこうの史代の作品は、そのよくあるテーマをうまく昇華しています。
人々の記憶にある家族や家庭の出来事は、とるに足らないもの。特に、仕事ができても家庭内では頼りない父親、という場面は多々あるのではないでしょうか。作者はこうしたエピソードを集めるのが得意。そして女性的な視線で父親のどこか滑稽な姿を、温かく包容力のある優しさで作品に還元しています。
ガスコンロのつけ方もわからない、縫い物も知らない、しかしこの光景は家庭を支えてきた昭和的な父親像に対する温かい皮肉であり、その時代を生きた女性たちの優しい視点です。その視点を抜き取る作者の才覚が実に鋭く的確。そこが、この作品の最大の魅力ではないでしょうか。
読み終えてみると、日常の栄誉が参平にも取り戻されてきたことに気がつきます。私たちの日常にも深い感慨を与えてくれる、そんな作品です。
広島に生まれたヒロインすずが呉市に嫁に行き、そこで戦争を経験するお話です。
慌ただしく行われた結婚に戸惑いながらも、子供がなかなかできない焦慮にかられながらも、戦時下の時代にあって、どこかのんびりしていて純粋なすず。作者が丹念に調べ上げた当時の日常のリアリティが、この主人公をとおしてありありと描かれています。
- 著者
- こうの 史代
- 出版日
- 2008-01-12
なかでも注目すべきなのが、嫁ぎ先ですずが身につけていく生活の知恵です。配給の食べ物や自家製の炭のことなど、図解された詳しい資料が漫画の1コマに綴られています。当時の女性は本当に何から何まで自分たちでやっていたようです。そして、それを伝える漫画のタッチが実に素晴らしいものとなっています。
このコマの絵画的な描写が、すずの明るく前向きな性格と相まって、読者に生きるエネルギーの素晴らしさを伝えてきます。その素晴らしさの大きな要因は、作者が取材で聞き出した当時の人々の記憶の断片が詰まっているから。表現の1つ1つに説得力があります。
まるでおばあちゃんやおじいちゃんに当時のお話を聞いているかのような錯覚に陥るのが、この作品の魅力です。読み終えた後、作者がこの作品で伝えたいことである、「自分たちは戦争を経験した人たちから生まれた」という意味が、身に染みてわかるようになります。
『この世界の片隅に』については<『この世界の片隅に』を考察!アニメ映画と原作漫画の違い、見所などネタバレ>で紹介しています。ぜひご覧ください。
作者の描くヒロインは、日常の細々した出来事を明るく楽しいものに感じさせる不思議な魅力があります。肩の力を抜きたい時、息苦しいと思った時に手に取ると前向きになれる、そんな作品です。