1914年から4年間続いた第一次世界大戦は、三国同盟と三国協定の対立が発端の最初の世界大戦です。日本も参加していますが、印象が薄い戦争でもあります。今回は日本では第二次と比べ、「忘れられた戦争」とも言われる第一次世界大戦に迫ります。
1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦は、ドイツ・オーストリアを中心とした同盟国とイギリス・ロシア・フランスの三国協商の対立を背景に起こった、まさに総力戦ともいえる人類史上初の世界大戦です。
① 同盟国 …ドイツ帝国・オーストリア・ブルガリア・オスマン帝国 ※イタリアは、もともと同盟国でしたが、イギリスとのロンドン秘密条約(1915年)を締結後に三国同盟を脱退し、第一次世界大戦には連合国として参戦
② 連合国 …イギリス・フランス・ロシア帝国・日本・アメリカ・セルビア・モンテネグロ・ルーマニア・中華民国・イタリア
戦闘機や偵察機、潜水艦や戦車、化学兵器(毒ガス)や機関銃などの武器が使用された結果、今までの戦争の形とは大きく変容します。このことによって、兵力以上に技術による戦力の増強、国家総動員が戦争の勝利の要因になり、軍人のみだった戦争の影響が国民にまで拡大していきました。
7000万人以上が参戦し、軍人900万人以上と軍人以外では700万人以上が死亡した、死亡者数の多い戦争の1つです。アメリカの参戦により連合国側の勝利で終わった第一次世界大戦後、わずか21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発してしまいます。
19世紀になると、ヨーロッパ諸国では産業が発達したことで生産過剰状態が続き、世界同時不況という状況に陥ります。生産品が自国の中では売り切れなくなるのです。
そこで、各国はこの不況から脱却すべく、そして市場を増やすべく、植民地支配に力を入れ出します。多くの国がヨーロッパの列強国の植民地などにされ、特にアフリカや東南アジアはメインターゲットでした。当時のアフリカは、エチオピアとリベリア以外の全土が植民地とされてしまうほど。
この植民地確保は多くの紛争を生み、さまざまな対立が生まれました。フランスを牽制するためにドイツは三国同盟としてオーストリアとイタリアと結び、対してイギリスはフランスとロシアと協商を結びます。イギリスはこの協商によって、ドイツを包囲することができました。
こうなると、各国が意識し合ったバチバチの状態です。例えば、ドイツは、ロシアの動き次第でフランスとの挟み撃ちにされる可能性があるため、まずは中立国であるベルギーを攻め、次にフランス、そしてロシアを攻めるというシュリ―フェン・プランを打ち出しました。また、イタリアはドイツがベルギーに侵攻したタイミングで動くと宣言していました。
そんななか、第一時世界大戦の直接的な原因となったサラエボ事件がおこります。オーストリアのハンガリー帝国の皇太子夫妻が反オーストリア運動結社「黒い手」の1人であったセルビア人によって暗殺されるという事件です。
この事件が引き金でした。
オーストリアはセルビアに対して宣戦布告をし、対してセルビアの後ろ盾であったロシアが総動員令を出しました。一方で、待っていましたとばかりにドイツはシュリ―フェン・プランを始動し、対してイギリスはドイツに宣戦布告、と次々に攻めだしたのです。
サラエボ事件によって、ヨーロッパ戦争がはじまり、その後は日本、そしてアメリカも参戦するという、世界規模の戦争へと発展していきました。
サラエボ事件について詳しく知りたい方はコチラ。
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/5817
第一次世界大戦は同盟国と連合国との戦争だったのに、遠く離れた日本がどうして参戦したのでしょうか。それは1902年に結んだ日米同盟と、中華民国での勢力の拡大を狙っていた日本にとって舞い込んできたチャンスであったことにつながります。
① 日英同盟
イギリスがほかの1ヶ国と戦ったときには日本は中立を守り、2ヵ国以上と戦った場合はイギリスの味方をするというのが日英同盟でした。だからこそ、第一次世界大戦はイギリスが参戦している時点で、日本は参戦しなければならなかったのです。ちなみに、この同盟は日露戦争でも適用されていて、イギリスは中立の立場をとっていました。
② 中華民国での勢力拡大のチャンス
この機会に中国本土に進出しようと狙いました。そこで、日本がまず宣戦布告した国はドイツ帝国です。名目はもちろん、同盟国であるイギリスと対峙しているドイツの基地を攻撃することです。そこで、ドイツの租借地であり、ドイツの海軍基地があった山東半島を占領しました。
さらに中華民国に対して日本は「ドイツから奪った山東半島の権利は日本が引き継ぐこと」などを求める二十一か条の要求をつきつけました。要求とありますが、実際は中華民国側から「要求」をやむなく調印したという形で受けたいとの打診があったそうです。国内や国外への顔のために必要だったのでしょう。
袁世凱が受け入れたこの条約は、実はこのときの条件の多くは孫文が二十一か条の要求の交渉中に日本に宛てた日中盟約案での内容とほぼ一致しており、必ずしも中国側が嫌々受けるほどの内容ではありませんでした。むしろ、外交交渉では中華民国側が有利に交渉をすすめたほどです。そして、袁世凱の死後に国務総理となった段祺瑞(だんきずい)は西原借款などの日本からの財政支援を受けながら、第一次世界大戦に参戦することを決めたのです。
一方で、国民感情としては対日ボイコット運動や排日運動が起こり、親日派批判が起こったのですから、第一次世界大戦は日中関係が悪くなる大きなきっかけとなったともいえるでしょう。
第一次世界大戦に行きつくまでの流れから終戦までを非常にわかりやすく伝えてくれています。日本人にとっての「戦後」は第二次世界大戦ですが、欧州にとっての「戦後」は第一次世界大戦であるといっていいほど、この戦争によって欧州は国内・国際政治や戦争の戦略、戦車・化学兵器などのテクノロジーの重要性が浮き彫りになりました。
- 著者
- 木村 靖二
- 出版日
- 2014-07-07
世界を巻き込んだ初めての大規模な戦争は、多大なる犠牲者を生み、国民が国家を強烈に意識せざるを得なくなったきっかけを生み、今に至る悲劇の源流を生んだといえます。
「第一次世界大戦って何だっけ?」
と名前だけ聞いたことがあるけど細かくはわからないという方にこそ読んでほしい、手軽に視野を広げられる教科書的な一冊です。
第一次世界大戦での戦術や戦略についての詳細というより、各国の経済などの動きを中心に当時の金融市場のエピソードなどが本書では書かれています。
- 著者
- 板谷 敏彦
- 出版日
- 2017-10-17
どんな背景によって戦争が勃発したのか、また自動車などの発明がどのような影響を戦争に与えたのかなど、単なる歴史書ではなく、第一次世界大戦に絡む技術革新や貿易の発展などを視点にした話が大半です。さらに各々の地名の地図も説明とともにあるため理解しやすいでしょう。19世紀以降になると、いったん紛争が起きると当事国だけでなく貿易相手や隣国までもが巻き込まれ、それが戦争につながっていくのだというリアルな怖さを読み進めるほどに感じてしまうはずです。
第一次世界大戦では限りなく脇役だった日本。そんな日本に、この大戦がどのように影響を与え、その影響によってどのように日本が変化してきたのでしょうか。
- 著者
- 井上 寿一
- 出版日
- 2014-06-18
本書では外交や政治、経済や文化、社会、軍事にわたるまで様々な視点を6つのテーマに分けて日本の変化をわかりやすくまとめています。戦後の好景気も、船成金も、女性の進出も、日本の民主主義の発展も、皮肉にも戦争に与えられたものであり、戦争によって成長した日本の姿とともに、その後の太平洋戦争までの日本の歩みを知ることができます。教科書に作り上げられた固定概念にこだわらず、深く日本の原点に迫りたいという人におすすめです。
第一次世界大戦は史上初の世界規模での大戦であり、戦争の人的・経済被害があまりにも大きかったことで平和主義、集団安全保障という考え方が生まれました。この考え方は現在の国際秩序の形成する発端となったといわれています。また、このころから各地の植民地で独立運動が盛んになり始めました。第一次世界大戦の影響は諸方におよんだのです。
過去を学び、未来に生かすことこそが後世の人間の使命です。すでに終わった戦争なのだと忘れ去るのではなく、今回紹介した3冊を読んで、奇しくも平和主義思想を生んだ第一次世界大戦という事実とゆっくりと向き合ってみませんか。