「かな漢字変換」でスマホが出してくる候補のアホ感。人工知能が人間と会話するのがいかに困難か。人間の会話の背後にはそれを人間たらしめる意識と意図の存在がある。壮大なファンタジーを通して、今の人工知能の限界と未来を想像する。
ある日、大学の食堂で、人工知能の研究をしている共同研究者と昼食を楽しんでいた時のことである。「川添愛さんという人のファンタジー小説が面白いんですよ」と彼は推薦してくれた。なんでも、プログラマーには涙が出るほど共感できる「ファンタジー」で、その筋の人たちにものすごく読まれている、というのである。帰宅してネットで探してみると、最新作『自動人形の城』を世に出した、言語学の自然言語処理で博士号を取得された作家の方であった。
その昔『平面国』を楽しんだ僕は、久しぶりにファンタジー小説を楽しめるかもしれない、と期待が膨らむ。果たして、本書は極上のファンタジーであった。
- 著者
- 川添 愛
- 出版日
- 2017-12-18
主人公は、わがままで勉強嫌いな11歳の王子。ある日、王子の失敗で、魔術師の罠に落ちてしまい、城じゅうの召使がすべて「自動人形」に置き換わってしまう。人形は、人間と同じ動きができ、そして聞いたり見たり言葉を発したりできる。しかし、王子の言っていることを理解してくれない。「僕の服の襟元を緩めてくれ」と命令すると、襟を引っ張って引きちぎったりするのである。
王子は危機的状況に陥り、命もあやうくなる。人形を思い通りに動かすには、どう言葉を発すれば良いのか。自分の言葉のどこに、人形が理解できないあやふやな部分があるのか。王子は、黒猫に変えられてしまった家庭教師の力を借りながら、様々なことに気づき、成長していく。人形に変えられてしまった召使たちの運命は、そして王国の運命は?
ファンタジー小説は、そのトリックや世界観の礎になっているものに読者を気づかせずに、筆力とストーリィでグイグイと読者を引っ張るのが極上だと思う。僕も1日で読んでしまった。物語の最後は、会話の言葉の背後にある「意図」が大きくクローズアップされ、それが事件の解決につながっていく。痛快だった。
人間の言葉は、多くの常識や仮定に基づいて発せられる。その奥には、発した人間の欲求や意図がある。「空気を読む」とは、その仮定を共有することだ。空気を読まない人形と、空気を読む人間、その間は一元的でもなく、境界も曖昧である。このファンタジーは、そこに「人間らしさ」が隠れていることの意義を教えてくれた。
スマホでかな漢字変換をする時、さまざまな候補があらわれる。「そんな漢字、いま使うわけないやん」という難読漢字が登場したりする。これが、現在普及しているコンピュータの「普通」であろう。人間らしくないのは、漢字に変換しようとしている人間側の「意図」を、スマホが理解していないからだ。将来、本当に人間のように会話ができる人工知能が登場したとすれば、それはどんな会話をするのだろう。このファンタジーは、現代の人工知能の物語だ。
『自動人形の城』の表紙タイトルの「自動人形」部分には、「オートマトン」とルビがふってある。それだけで、論理学や計算幾何学、プログラムなどに携わる人たちは、胸に響くものがあるのではないだろうか。そう、オートマトンとは、計算理論の用語であり、 様々な状態の間を遷移する「状態機械」のことである。もう少し気楽に言うと、「ふるまいモデル」のようなものであり、「一歩あるく」「あるかない」という状態を移り変わる論理プロセスがあるシステムを思い浮かべると一例になるかもしれない。
実際、物語にあらわれる自動人形は、高度に人間に模してはいるが、その言語処理の部分が人間にはるか及ばず、それが物語の中核をなすのである。プログラマーの方が読めば、ニヤニヤしっぱなしに違いない。実際、プログラムを少し触る程度の僕ですら、ニヤニヤしっぱなしだったのであるから。
- 著者
- 川添 愛
- 出版日
- 2013-04-19
人工知能を研究する友人は、川添愛さんの著書『白と黒のとびら』『精霊の箱(上・下)』をまずは勧めてくれていたのだったが、これらも面白い。言語の裏の論理が重要な鍵となるファンタジー『白と黒のとびら』、そして、チューリングマシンが具現化して登場する『精霊の箱』。計算と論理へのいざないでもあるファンタジーが、愉しい。
世間を賑わしている「人工知能」。身の回りのすべて、果ては人類そのものまで、人工知能に置き換えられてしまうのでは、といった危惧も議論されているが、そこにはいつも「人間とは何か」「人間らしさとは」という根源的な疑問への回帰が伴う。フィクションであるファンタジーは、それらを最も感じやすく問えるものなのかもしれない。