【第13回】美しさは誰のもの?

美しくなりたかった私と、それが叶わないことに気付いた私

美しくなりたかった私と、それが叶わないことに気付いた私

私は美しいものが好きだし、世界は美しいものが好きだと思う。小さい頃は寝る前に「神様がもしいるなら、これからの人生あなたを信じ尽くすことを誓うので、明日目が覚めた時に美人にしてください。誰が見ても美しいと思う人間にしてください」と念じてから眠っていた。なんとも自分本位なお祈りで、当然朝起きても私は私のままだったので、眠い目をこすりながら、神様なんて一生信じないぞと憤慨した。

美しい女の子たちを目の当たりにするたび、ああ、美しい、なんて素晴らしいんだ、と思いながら同時に悲しくて辛くて見ていられないような気持ちになる。なぜなら私も女であるから、同じ人間だから。誰かを美しいと思うことで、「それに引き換え、美しくない私」が顔を出してしまう。

薄手のワンピース一枚で、白く華奢な肢体をうなだれたようなポーズに落ち着けて、たいてい大量の花の前などで写真に納められている「美しい少女たち」の写真を時々目にする。幼い頃、17になればあの少女になるのだと思っていた。美しく、儚く、挑戦的な目をしたあの女の子たちに。

憧れ、まだかまだかと待ちわび、17を過ぎ、20を過ぎ、25歳になって、ああ私は一生あの少女にはならずに死んでいくのだと気づいた。私は少女になれなかった。私は選ばれない方の人間だった。だから怖い。無自覚な白く、まっすぐな脚が。美しい黒い髪が。光が照らす長い睫毛が。どう笑おう、どうお腹をへこませよう、なんて考えたこともないような眼が。誰かが「写真に残したい」と思う美しさを、最初から持っている生き物を見ると、自分が惨めになって、怖い。

その昔、写真を撮る人とお付き合いをしていたことがあった。優しい人で、私のバカみたいな悩みを全部笑い飛ばして、好きだよと言ってくれる人だった。でも、彼は買ったばかりのフィルムカメラで、私の写真を撮ろうとしてくれることはなかった。最初はそんなこと気になりもしなかったけれど、彼が誰かを美しいと褒めちぎりながら写真を撮っているのを見るうち、どうしようもない気持ちになった。

彼が付き合いたいのは私で、美しい彼女たちではない。撮影の時に褒めるのは仕事。そんなことも頭ではわかっている。でもどうしても耐えられなかった。私は私を愛してくれる人にさえ「撮りたい」と思ってもらえないのか。美しいと思ってもらえないのか。やはり美しくないことは罪なのだ。

私は誰にとっての「写真に残したい愛しいもの」にもなれない。こんな馬鹿みたいなことを考えては涙が出た。そんなことを思わせる、レンズの前で微笑む美しい人たちを嫌いだと思った。そんな浅ましさを彼に伝える事も出来ず、不満がどんどんたまっていつの間にか喧嘩が増え、私たちは別れた。

その後何度か、「よりを戻したい」と言われるたび、冗談のように「写真を撮りたくなるような女の子と付き合いなよ」と笑った。三ヶ月後、彼は佐々木希によく似たモデルと付き合い、共通の友人を交えての飲み会でそれを盛大に自慢した。

あんなに嫌味を言ったくせに私はいっちょまえに悲しくなって、電話がきたふりをして居酒屋から飛び出し、泣きながらiPhoneを耳に当てて夏の夜を歩いた。帰り、駅が一緒になる。新宿駅西口の人もまばらな改札前で、彼は立ち止まった。

「どうしたの?」

そう聞くと、

「あなたがああ言うから、あの子と付きあったんだよ」

と彼が言った。ナイフでもつきたてるかのように。

ふざけんな。結局、美しさを選んだくせに。理不尽にもそう思った。結局、彼が私を美しいと思ってくれていると、どこかで信じたかったのだ。卑怯に自分で遠ざけた答えを、私は一番欲していた。カーッと頭に登る血を感じながら、彼の言葉を無視して改札をくぐり抜ける。逃げるように家に帰った。

美しくない「自分」を肯定してくれないのは誰?

そんな出来事から数年たって、彼の昔のインスタグラムのアカウントを見つけた。もう存在も忘れていた、付き合ったばかりの頃に彼が作った内輪用のアカウント。大体飼っていたコーギーや食べたものばっかりでほとんど私は見ていなかった。スクロールしていくうちにアッと気づく。

私がいる。絵を夢中でノートに描いている私。彼の家でテレビを見ている私。台所に立ってる私。酔ってベッドで寝ている私。すべて何処かを向いていて、カメラを見ているものはなかった。ああ。ああ、そうか。彼は私を撮っていたのか。まとめて見返して初めて気づいた、私はたしかに撮られていた。しっかり残されていた。写真を撮られると変な自意識に苛まれてしまうから、彼は私が気付かないように撮っていたのだ。

写真を撮ろうとしなかったのではなくて、私が撮らせなかったのかもしれない。美しさに囚われていたのは、私だけだったのか。彼の言葉を自分の気持ちより信じられていたら、何か違ったのだろうか。私がどうしても許せなかったものは彼ではなく、美しさを愛することも憎むこともままならない自分の気持ち悪さだったのかもしれない。もう更新されることのないインスタグラムを見ながら、そこにたしかに一時存在していた愛らしきものに少し泣いた。

私たちを泣かせるのは他人の美しさではない。美しくない自分を肯定してあげられない、どうしようもない自意識だ。どうしても叶わない部分をいつまでも諦められない浅ましさだ。欲しいものが手に入らないことが怖くて、嘘で自分を守ろうとする卑怯さだ。美しくないことで私たちを一番責めているのは私たち自身だ。美しくならなくていい、なんてまだ到底思えないけれど、誰かが見つけてくれた愛しさくらい、信じられる勇気が欲しい。

相手を知ろうとすることのかけがえのなさ

著者
角田 光代
出版日
2003-06-01

二ヶ月前から家にいなくなったおとうさんにある日突然ユウカイされ、ふしぎな旅に出かける親子のお話し。小学五年生のハルの視点から、人と人との関わりかた、言葉にしない言葉たちが緻密に描かれています。家から、町から、親子という関係から、遠く離れたところに行って初めてわかることがある。どこか遠くに旅に出たくなる一冊です。

著者
やまじ えびね
出版日
2004-08-07

親と大げんかをして家を飛び出した景都が、芸術家・類に拾われ下宿をしながら、偶然出会ったニキという女性に恋をする物語。いろいろなしがらみのある人々が、時間とともに少しずつ自由になっていく。正しさは関係なく、ゆっくりした時間の流れでしか解決できないことがある。少しだけ気持ちを自由にしてくれる素敵な本です。

この記事が含まれる特集

  • チョーヒカル

    ボディペイントアーティスト「チョーヒカル」によるコラム。および本の紹介。体や物にリアルなペイントをする作品で注目され、日本国内だけでなく海外でも話題になったチョーヒカルの綴る文章をお楽しみください。

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