【第12回】優柔不断な買い物の話

たとえば「子どもの頃から大人になりたかった」と書き出すとする。

すると頭の反対側から「子どもの頃はずっと子どもでいたい、大好きなおもちゃに囲まれ続けたい」と思ったこともあったぞ、と言う声で私の声は頭のなかでステレオになり、さらに別の方向から「それはどっちでもいいから早く書き進めろ」という声も響いてきてサラウンドにわんわん響く。

じゃあそれならって、5歳くらいのわたしにインタビューできたら解決できるかもしれないけれど、そもそもの前提として「物心ついた頃」が何歳なのかわからないんだから、過去に戻れたとしてもインタビュー可能そうな3歳頃から、1年ごとに「物心ついた?」と訊いて回るべきなのか、いやいや私の言うことなんて日ごとに変わっちゃうんじゃあないの、とか。

ああ、優柔不断な上に考えていたテーマからどんぶら流れてしまってもう私の岸が見えなくなった。おーい、たすけてー。

そう。今日も、優柔不断のせいでパックを買えなかった。

顔に貼るとオバQみたいになるけど、はがした後にしっとりもっちりして超うれしい、顔用のシートパック。あれが欲しくて今日は打ち合わせの帰りに薬局へ寄り道した。

売り場にずらりと並んだフェイスパックは「保湿」「美白」「アンチエイジング」などの目的や「米」「カタツムリ」「ハチミツ」「パール」などの有効成分に加えて「2017年度ベストコスメ」とか「売上No.1」とか、それぞれがみんな声高に自分のすばらしさを叫ぶ。

さらにパッケージそのもののかわいさもいろいろで、これは家に置くにはあまりにラブリーだなあとか、これはなんだかすっきりしていて好きだなあとか、検討すべき議題が目から無限に入ってくる。

ほんと、ちょっともう、まったく決められない。

パッケージの表を見てわからないことは裏を読むとわかるかしらと思って読んでみるけれど、それでもそれぞれが同じようで微妙に違うもんだから、あれも欲しいようなこれも欲しいような、どれも違うような気になってくる。

それなら一番売れているものにすればいいじゃないか、と「フェイスパック おすすめ」の検索結果を見るけれどそれも変わらずみんながみんな、いろいろといいことを言うのだ。

さらに書き手によってその「よさ」の勘所が微妙に違う。

ああ、みんなそれぞれ、いいことばっかり言うなんて。

みんな違ってみんないい。

私は手ぶらで薬局を後にした。

口紅でもフェイスパックでも、何かひとつ化粧品を買おうとすると、私は財布を握りしめたまま悩みの壁の前をうろうろすることから逃れられない。

額にうすく汗をにじませながら真剣に検討&逡巡するうちに、すべての違いが私にとってはどうでもいいように思え、そもそもどうして化粧品が欲しかったのかという根っこの部分でさえ、有効成分のまばゆさでくらくらになって霞んでしまう。

欲望の前でくらくらになってお金を使うのはよくない、後悔するかもしれないし、適当に買ってしまったら使わないかも、肌にちょっと合わないかも、と買わない理由についても考え始めると悩みの壁はさらに高く積み上がる。

きっと大枚をパパンとはたいてしまえば、化粧品だけでなく買い物に冠するさまざまなことはさっと解決するのだろう。

ほんとうに欲しいものがわかったら買う。ピンとこないのなら無理して買う必要はない。そんなことくらいはわかっている、だってほんとうに欲しいんだから、でも私はどれが欲しいのかわからない……。

酸欠になってきそうなので、全然別のものを見に電気屋さんへ行く。

オーディオコーナーに並ぶたくさんのイヤホン、そういえば最近一つなくしたばかりだなと思いながらきれいなケーブルのイヤホンを何の気なしに試聴した。

するとどうだろう、音の鳴り方が今まで使っていたものとまったく違うのだ。

頭の中でわんわん鳴る悩みのサラウンドを好きな音楽で奥から満たすようなきもちよさ。

水色ともグレーともつかない絶妙な色味の、すべすべして柔らかなケーブルが私の心を重低音で撃ち抜いた。

これは欲しい、いくらだろうと値札を見れば1万6千円。

いやいや、これは、さすがに、と思ったものの、さっき化粧品のために積んだ壁が、上の方からほろほろと崩れてきた。ああ、物欲にのまれる。

高級イヤホンを買った日、その寸前まで悩んでいたのはその半分以下の値段のファンデーションだった。なのにわたしはわざわざATMでお金を下ろしてまでそのイヤホンを買ってしまった。

そのイヤホンと過ごす日々はほんとうにたのしかった。

地下鉄の窓に映る自分とイヤホンを見る度、こっそりとにっこりした。

けれど、気付いたらそのイヤホンもどこかへ置き忘れてしまっていた。

今は別の、家にあったイヤホンを使っている。

書いているうちに、またあのイヤホンが欲しくなってきた。

わたしは化粧品が買えない。

おめかしの引力

著者
川上未映子
出版日
2016-03-25

「おめかしの引力」にぐうっと惹き寄せられた川上さんが、一つ一つのお買い物やおめかしにくらくらとしながらいろんなファッションにあたっていくさまを描いたエッセイ集です。

川上さんはとってもお洒落で、あこがれを縫い付けたような美しいお洋服もぱぱんと買ってしまわれるようなのですが、でもそれだけじゃなくて、何か大事なお買い物をするときに私のように壁の前をうろうろする瞬間もあるのだと、くすり笑えてしまいます。

撮影:石山蓮華

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  • 電線読書

    趣味は電線、配線の写真を撮ること。そんな女優・石山蓮華が、徒然と考えることを綴るコラムです。石山蓮華は、日本テレビ「ZIP!」にレポーターとして出演中。主な出演作は、映画「思い出のマーニー」、舞台「遠野物語-奇ッ怪 其ノ参-」「転校生」、ラジオ「能町みね子のTOO MUCH LOVER」テレビ「ナカイの窓」など。

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