「ノーマ」というレストランの名前を聞いたことがあるでしょうか。 これまで英国『レストラン・マガジン』で世界1の栄冠に4度も輝き、北欧料理の革新と伝播に大きく貢献したレストランです。日本でもドキュメンタリーが2本公開され、出版社KADOKAWAが6月にオープンする初のレストランということで注目されている「イヌア」が迎えるのは、このノーマ出身のシェフ。 常に話題に事欠かないノーマですが、なぜこのレストランが評価されるようになったのかを理解するには少し労力を要します。たとえば美術の世界では「現代アートはよくわからない」と言われがちですが、現代料理も近い状況になってきているのです。現代料理の背景には、加速するグローバル化や流通革命、科学技術の発展があり、「おいしい/まずい」だけでは判断できない複雑さがあります。 そこで今回は、現代料理の背景を概観する3冊の本をご紹介。「いま、私たちが食べているものは何なのか?」について自分の舌で感じ、自分のアタマで考えるきっかけにしていただけたらと思います。
21世紀に入ってからスペイン、北欧、南米が現代料理のホットスポットになりました。しかし、その源流には美食を追求し続けてきたフランス料理があります。本書では、中世から現代に至るまでのフランス料理の歴史がテンポ良く語られています。
- 著者
- ["ジャン=ピエール・プーラン", "エドモン・ネランク"]
- 出版日
- 2017-03-25
フランス料理は、中世ヨーロッパで食べられていた大皿料理が宮廷料理として発展し、19世紀には一品ずつ提供される現在のスタイルとなりました。そして20世紀に入り、オーギュスト・エスコフィエがその調理法を体系化したことで、現代フランス料理の基礎ができあがりました。20世紀後半には、ポール・ボキューズを筆頭とした「ヌーヴェル・キュイジーヌ」の流れが世界中に広がり、食材そのものを活かす思想が定着しました。
さらに著者は、本書刊行当時(2005年)に最先端となっていたフェラン・アドリアとそのレストラン「エル・ブリ」を、次の時代を画すものとして取り上げています。このレストランは科学的アプローチを採用し、新しい味や食感を追求する分子料理(モラキュラー・キュイジーヌ)を展開したことで有名です。
なお、エル・ブリ以降については、文庫化するにあたり、訳・解説を担う山内秀文氏が加筆するかたちで、2016年までの流れをカバーしています。食の不毛地帯とされていた北欧において「新北欧料理」のマニフェストを作り北欧全体にその運動を広げた「ノーマ」や、フランス料理のバックグラウンドを活かしペルーで躍進する「アストリッド・イ・ガストン」などが紹介され、この1冊で中世から近年までの料理の動向が一気にわかるようになっています。
2010年にノーマが世界ナンバーワンレストランに選ばれたのをきっかけに、この10年の料理界を牽引しているのが、ノーマのシェフであるレネ・レゼピ。本書は、レネが約10ヶ月にわたって、日々の思考やキッチンの様子を書き留めた日記と、100種類の料理を紹介したレシピ集、ノーマの日常を切り取った200枚のスナップ写真集の3冊からなっています。
- 著者
- レネ・レゼピ
- 出版日
この3冊の中で最も刺激的なのは、なんといっても「日記」です。日記と題されてはいますが、その実は、最先端のレストランの料理が開発される過程をとらえた一種の思想書であり、同時に、世界のトップシェフたちが影響を与え合うエキサイティングな交友録でもあります。
特に、テストキッチンと呼ばれる試作会の様子は、秘密を覗き見るような心地になります。乾燥技術を駆使する「ドライキッチン」や、通常は廃棄する部位(脳など)を活用した「トラッシュクッキング」など、レネによって毎回テーマが設定され、シェフたちは一丸となって試行錯誤を繰り返します。
最後にできあがった料理を見ると、一見突飛で奇抜なアイデアに思えることもありますが、そこに至るまでの過程を紐解くと、北欧の気候による食材の制限をいかに乗り越え活かすかという試みであったり、食料問題への回答であったりと、独自の理論や思想に基づいた料理であることがわかります。
上記の2冊では、フランス料理に端を発する現代料理の歴史と、その最先端にいるシェフの思考に迫れる本を紹介しました。3冊目は、私たちが料理史家でも料理人でもなく、ひとりの「食べるひと」となったときに何を考え、言葉にすることができるのか、そのヒントを与えてくれる本です。
- 著者
- 廣瀬 純
- 出版日
- 2005-10-13
先進国において「食べ物」は、生きるために必要なものとしての役割を超え「美味しさ」という喜びを与えてくれるものとして求められるようになりました。著者はその「美味しさ」がどのように成立しているのか、《骨つき肉》という概念を用いて、明らかにしようと試みます。
たとえば焼き鳥とフライドチキン。この2つの料理が同じ鶏肉を使いつつ、全く異なっているのは、そこに別々の「骨」があるからです。美味しさを支えるその「骨」は焼き鳥にとっては串やタレであり、フライドチキンにとっては骨やスパイス入りの衣となります。著者はこの構造を天ぷらやたこ焼き、カツ丼にも見出し、最後にはエル・ブリの分子料理までを取り込んで、料理にひとつの一貫した見方を提供します。
しかもその過程では、映画研究を専門とする著者らしく、料理とヌーヴェル・バーグを対比させたり、フィッシュマンズの音楽、セザンヌやベーコンの絵画などと結びつけたりして語るため、料理以外のカルチャーに興味があるひとにとっても、非常にスリリング! この本を読んだ後には、いま口にした料理について自分なりに考え、語りたくてたまらなくなるはずです。
さいごに、番外編として、雑誌を1誌紹介します。新しい料理と新しい料理哲学を追求するシェフたちを紹介していく「アンブロシア」には、これから料理の世界がどうなっていくかを考えるヒントがたくさん詰まっています。
- 著者
- Ambrosia
- 出版日
- 2016-06-02
コーヒーカルチャーマガジン「ドリフト」の姉妹誌であるこちらは、1冊ごとに1つの国や都市を選んで特集し、そこで活躍するシェフたちのインタビューとレシピを紹介しています。これまで取り上げられた場所はデンマーク、ブルックリン、メキシコ(バハ、メキシコシティ)。この中で、特にオススメなのは、やはりデンマーク特集号。
もちろんノーマも紹介されていますが、デンマークのレストランはそれだけではありません。たとえば、フランス料理の名店「アルページュ」で修行したシェフが開いたカフェ「アトリエ・セプテンバー」。飛行機の機内食が大嫌いだと語るシェフのインタビューと、カフェの人気メニュー「抹茶とバジルとズッキーニを添えたグラノーラ&ヨーグルト」のレシピが一緒に紹介されています。
レシピを眺めているだけでも創作の秘密が見えてわくわくしますが、ぜひ、ご自宅で試してみてください。これはライムの効いたズッキーニジャムがクセになる朝ごはんにぴったりのメニューですが、どんな人が、どんなことを考えて作ったものかがわかると、味わいもまた変わってきます。
シェフたちが日々、技術を磨き、感性を注ぎ込んでいる現代料理。これを楽しめるのは、同時代を生きている人だけです。レシピは楽譜のように後世に残りますが、曲の演奏者が変わればその音が変わって聞こえるように、料理の作り手が変われば、その味もまた異なります。今しか食べられない料理の数々を、ぜひ試してみてください。