ノーベル賞を受賞したロックの殿堂ボブ・ディラン
ボブ・ディランは1941年5月24日生まれのシンガーソングライターです。
1962年にアルバム『ボブ・ディラン』でデビュー、翌1963年には「風にふかれて」を収録した『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』を発表し、全英アルバム・チャートで1位を飾ります。
フォークの貴公子として支持を集めますが、1965年に発表した『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』でエレクトリックへの転換をはかりました。同年、「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」で1位に選出された名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」を収録した『追憶のハイウェイ61』を発表。オリジナリティ溢れるサウンドを確立しました。
その後もライヴ活動、楽曲制作を精力的に続け、2015年の最新作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』までに計36枚のスタジオ・アルバムを発表しています。
今回は、ノーベル賞を受賞したロックの殿堂ボブ・ディランが、ポップカルチャー史にその名を刻む理由をご紹介いたします。
人生そのものがロックだから
1.1959年、高校の卒業アルバムに将来の夢を「リトル・リチャードに倣うこと」と書いたから。
2.1963年5月、『フリーホイーリン』発売の2週間前、「エド・サリヴァン・ショー」から風刺曲「ジョン・バーチ・パラノイド・ブルース」を却下されると、検閲に屈するよりスタジオを後にするほうを選んだから。当時のディランはまだ無名に近く、同番組はTV界最大の販促ツールだった。
3.1965年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルのステージにエレクトリック・ブルース・バンドと共に立ち、ボリュームを思い切り上げるという勇気を持っていたから。この行動はその後、ロック史上屈指の画期的出来事に数えられることに。ロック音楽とフォークの文学性を一つにしたディランの手法は、当時のカウンター・カルチャー全体を盛り上げるサウンドトラックの完璧な青写真になった。
4.6分長のシングルを発売する大胆さがあったから。「ライク・ア・ローリング・ストーン」以前、ジュークボックスの売上を最大限にするため、シングルは3分以下が当たり前だった。
5.「ユダ(裏切り者)!」事件があったから――この野次を飛ばさせたからではなく、その場のディランの対応が格好良すぎるから。「おまえの言うことなんか信じない」(「アイ・ドン・ビリーヴ・ユウ」は持ち歌のタイトルでもある)とぴしゃりと返し、ザ・ホークスの面々に「くそでかい音でいけ」と吐き捨てるように指示した。
音楽に革命を起こしたから
6.フォークロック、カントリーロックを発明したから。『ナッシュヴィル・スカイライン』以前、カントリーはロック界からがちがちの保守派と見られていた。
7.ポップ歌唱における、何がOKで、何が可能なのかの定義を刷新したから。調子っ外れのめそめそ声だと、当時は鼻で笑われたが、実は極めて明瞭な、感情に訴えかけるブルース歌唱だった。
8.ハーモニカを流行らせ、その豊かな表現力をポップカルチャー界に知らしめたから。
9.ディランがプロテスト・ソングを書くと、何かが変わったから。公衆の面前で黒人ウェイトレスをただの気まぐれから殺害したボルティモア社交界の若者は、不当にもごく軽い刑罰しか受けなかった。その理不尽な事実をディランが詳細に歌った1964年の強力な一曲「ハッティ・キャロルの寂しい死」(『時代は変る』収録)のおかげで、その推定殺人者ウィリアム・ザンジンガーは残りの人生を恥辱にまみれて送ることになった。