私は人付き合いをスマートにこなせない。【小塚舞子】

私は人付き合いをスマートにこなせない。【小塚舞子】

更新:2021.12.2

人気のない道を歩いている。ゆったりとした歩道がずっと向こうまで続いていて、遠くに知った人の顔が見える。何度も仕事を一緒にした人。こんな所で偶然会うなんて… と、向こうもこちらに気が付く。目が合う。歯を見せない程度の微笑みを顔に貼り付け、軽く会釈する。その人は少し驚いたような顔をしてから小さく手を振り、ニコニコした笑顔で近づいてくる。

ブックカルテ リンク

最終手段は目を反らす理由をいかにして作り出すか。

「お久しぶりです。どこに行くのですか?」

そう声をかけられるまで、あと何メートルくらいあるのだろう。小走りして近づこうかと迷うが、何だかそれも恥ずかしい。私も、その人も、さっきまでと同じスピードで距離を縮めていく。あと少し。あと少し。わざと、よそ見をしてみる。手に持っていた携帯の画面に目を落とす。すぐに顔をあげる。まだ少し距離がある。相変わらず、その人はニコニコとしている。あと少し、あと少し・・・

あと少し・・・・・

・・・・・・長っっっ!!!!あと少しが長すぎる!最初の会釈からどれだけ歩いたんだ。そもそも相手に気が付くのが早すぎたのか。気が付いてから会釈までのタイミングを間違えたのか。いずれにしてももう少し気付いてないフリをして、普通に会話できるくらいまでの距離に近づいてから目を合わせるべきだった。いや、目が合ってしまったものは仕方ないか。ならば、この『間』はどうやって持たせればよかったんだろう。

会釈と同じタイミングで話し出すには距離がありすぎて、声を張り上げなくてはならない。

「お久しぶりですぅぅぅ!!!どこに行くのですかぁ!?」

これは変だ。変だし、相手も大声で返答しなくてはいけなくなる。

「あ…えぇっと、ランチィィィ!」
「へぇー!なにたべるんですかぁぁぁ!!」

大の大人が道端で叫びあいながら会話しているのは滑稽だろう。よって、すぐに話し出すのは諦めた方が賢明だ。

すると、黙って近づくという選択肢しか残らない。この黙って近づくという行為が簡単そうに見えて実はとても難しい。身体はまっすぐに歩いているだけだし、口は動かせない。顔全体の表情がとても重要なポイントになる。

私の場合、最初に大きくは笑わずに「歯を見せない程度の微笑み」を顔に貼り付けてしまっている。相手のように、ある程度ニコニコして見せておけば、多少表情に変化があって、それが笑顔を失っていくタイプのものだったとしてもそう気にならない。しかし、スタートを微笑みに設定してしまったばっかりに、表情に変化をつけるとなると、「さらに笑う」ことしかできない。微笑みから少しでも気を抜けば、ほぼ無表情だ。微笑んで会釈したのちに、無表情になって近づいて来られると怖いし、感じが悪い。だからと言って、最初の微笑みを張り付けたままじわじわ近づかれるのも気味悪い。

となると、最終手段は目を反らす理由をいかにして作り出すか。歩いている道の両端がマンションだとか駐車場だとか、特に見る理由がないもので固められていると、「気まずいので目を反らしました」感が出てしまう。携帯電話を確認してみるというのもひとつの手だが、「この人、歩きスマホするタイプなんだな」と思われない程度に止めなければならない。目を反らすという単純な行為も、よほどの好条件が揃わないと意外と成立しない。

間の悪い自分を認めるのか、諦めるのか。

これって、正解あるんですかね?何かいい対処法はないのかと、何度も考えたが全く浮かばない。

しかし、こういう場面を飄々と切り抜けられるタイプの人も存在する。何事にも動じないクールなタイプの人は、無表情になろうが、歩きスマホをしていようが気にせず、わが道を進みながら近づいてくる。逆にひょうきんな人は小躍りでもしながら、マイペースに近づいてくる。どちらのタイプもかっこよくて羨ましい。

私は気まずさのあまり、きょろきょろとあちこちに目線を散らばして、いかにも「間が持ちません」という態度を披露した挙句に、ちょうどいい頃合いを見計らって、改めて会釈から入ってしまい、「あ、さっきも会釈したのにな」とか考えているうちにまた目が泳いで、完全に挙動不審の怪しい人が完成するというオチが待っている。

そして、別れの挨拶もスマートにできない。「おつかれさまでした」とか「また会おうね」と、今まで一緒にいた人と別れる際、どれくらい相手を見送るべきなのか、自分から先に歩き出した場合は振り返ってもう一度笑顔でも見せた方がいいのか否か、いつも迷う。この場合はだいたい相手に気まずい顔をさせるまで見送ってしまったり、妙なタイミングで振り返ってしまったものの相手は既にスタスタ歩き出しており、やれやれ自分も帰ろうかと気を抜いた時は人やら物やらにぶつかって恥ずかしい思いをする。

ロケバスから先に降りて皆が乗っているバスを見送ろうとしている時も、なぜか絶妙なタイミングでバスが信号にひっかかったりして、帰るタイミングを失ってしまい、棒立ちのまんま気まずい時間を過ごすことになる。ここでパーフェクトなのは、それでも笑顔を絶やさず、バスが見えなくなるまで手を振りながらきちんと見送ることだと思うが、それをするのが何となく恥ずかしくて私にはできない。逆に、バスを降りた瞬間にサクッと帰ることもできない。いつも中途半端なことになって相手に気を遣わせてしまう。

考え過ぎだということは重々承知しているが、こういう日常の些細な出来事にやたらと落ち込むことがある。私は人付き合いをスマートにこなせない。しかも、こなせない人は「上手くやりたい」という思いが強すぎてどんどん深みにハマりがちだ。

スマートな人間になるためにはどうしたらいいのか。こんな些細なことで悩んでこの場に書きとめようとしている私がスマートな人間になれる日は程遠いのだろうが、薄々勘付いていることがある。

考え過ぎと言うより、自分がどう見られているか気にし過ぎなのだろう。逆に、気にしない!とある意味肝が据わっている人は行動も自然だし、爽やかだ。その軽やかな性格に憧れはあるが、今までこれだけ気にし続けてきた人間が突然そんなステキな心の持ち主になれるわけもない。

ただせめて、挙動不審の怪しい自分や、間の悪い自分を、認められるようになりたい。認めるのか、諦めるのか。どう思われようが、そんなもんなんだから仕方ないと、考えられるようになれば、いつかスマートな身のこなしをできる人間になれそうな気がする。

スマートであることの方向性がズレてきているがまぁいいだろう。自分がスマートでないと告白できただけで、随分気が楽だ。ありがとう、ホンシェルジュ。

人の「目線」をどう受けとるか、考える2冊

著者
西 加奈子
出版日
2011-10-25

両親の愛情をたっぷりと受け、かわいいかわいいと育ててもらったきりこが、好きな男の子に「ぶす」と言われます。今まで自分のことをかわいいと信じていたきりこはショックを受け、引きこもってしまうのです。しかし、賢くてきりこのことが大好きな黒猫ラムセス2世の力を借りて、再び外に出ます。そこできりこが気付く、人からどう見られるのか、人をどう見ているのかという人間の芯の部分にハッとさせらせます。何度も読み返したい一冊です。

著者
久保 ミツロウ
出版日
2017-11-21

初めて読んだその日から「わかる!わかる!わかる!」と何度もうなずきました。モテ期そのものよりも、人からどう見られているかという幸世の心のグチャグチャ、モヤモヤに共感しつつ、この漫画を描いてくれてありがとうございます、というような何だか救われた気分になる作品です。

この記事が含まれる特集

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る