5分でわかるサンフランシスコ平和条約!内容、調印しなかった国を簡単に解説

更新:2018.8.10 作成:2018.8.10

名前は知っていても、内容などの詳細はわからない方も多いのが「サンフランシスコ平和条約」。実は現代社会の大きな問題にも繋がっています。この記事では、条約の具体的な内容や調印しなかった国々、韓国との竹島問題などについてわかりやすく解説していきます。あわせてもっと理解を深められるおすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。

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サンフランシスコ平和条約は吉田茂が調印!概要を簡単に解説

 

1951年9月8日、日本と太平洋戦争で争った連合国49ヶ国の間で調印された講和条約です。サンフランシスコ平和条約を締結したことにより戦争状態は終了し、終戦後に連合国軍によって占領されていた日本は独立国として国際社会に復帰することになりました。

条約の締結にいたった背景には、アメリカとソの冷戦があります。第二次世界大戦が終わると、東アジアでは共産主義が隆盛し、中国・モンゴル・北朝鮮など共産主義国家が相次いで誕生。1950年には朝鮮戦争が勃発しました。

ソ連との関係が悪化する状況のなかで、アメリカをはじめとする西側諸国は、共産主義への防波堤として日本が必要となります。そのため講和条約を結び、日本を西側陣営に取り込もうと考えたのです。これは、主権の回復を悲願とする日本政府にとっても悪くない話でした。

一方のソ連側は何とかこれを阻止したいと考え、日本の共産党や社会党を使って「全面講和論」という反対キャンペーンをおこないます。これは講和条約を結ぶのであれば、西側だけでなく東側諸国とも結ぶべきだというものです。一理あるようにも聞こえますが、アメリカとソが対立している状況では実現する可能性の低い考えでした。

そういった反対を押し切って条約締結を推進し、日本の代表として調印したのが当時の首相だった吉田茂です。西側諸国という片方の陣営のみと講和したため、サンフランシスコ平和条約は「片面講和」とも呼ばれています。

 

サンフランシスコ平和条約の具体的な内容は?

 

全7章27条で構成されるサンフランシスコ平和条約の主な内容をご紹介していきます。

第1章 平和

日本と各連合国との戦争状態を終了させ、日本国民の主権を回復し、独立を果たすことがこの条項で定められました。

第2章 領域

戦後の日本の領域を定めるための条項です。日本は朝鮮の独立を承認し、済州島・巨文島および鬱陵島、台湾および澎湖諸島、千島列島並びに樺太の一部およびこれに近接する諸島、国際連盟の委任統治制度に基づき統治していた太平洋諸島、新南群島(現在の南沙諸島)および西沙群島などの領土を放棄することが定められています。

この条項が現代の領土問題の原因のひとつとなっています。北方領土問題、竹島問題、尖閣諸島問題とも、この条項の文言を巡って解釈が分かれているのです。日本が放棄した領土の中に含まれるというロシア・韓国・中国の主張に対し、日本はこれらは含まれないと主張しています。

また、沖縄県、奄美群島、小笠原諸島などはアメリカの信託統治下に置かれることになりました。これらが返還されたのは、奄美群島が1953年、小笠原諸島が1968年、沖縄県は1972年のことです。

第3章 安全

この条項で、日本は個別的・集団的自衛権を持ち、集団安全保障条約に参加することが可能とされています。

日本国憲法のもと、武装解除をした日本には自衛権を行使できる有効な手段がありませんでした。そのため、日本を守る仮の処置として、日本国内に米軍を駐留させる「日米安全保障条約」が平和条約と同時に締結されました。

第5章 請求権及び財産

この条項で、連合国は日本に対する役務を除く賠償の請求権を放棄しました。

これは、冷戦が激化するなかで日本が東側陣営につくことを危惧したため、寛大な処置がされたといわれています。しかし実際には多くの領土を放棄したうえに、海外に持っていた財産を没収されました。その額は当時の金額で約1兆1千億円。現在の価値に換算すると35兆円以上になります。

サンフランシスコ平和条約の内容を見てみると、現代のさまざまな問題に密接に結びついていることがわかります。

 

サンフランシスコ平和条約に調印しなかった国とその理由

 

サンフランシスコ平和条約を主催したアメリカとイギリスは、第二次世界大戦で日本に宣戦布告をした49ヶ国に講和会議への招請状を送りました。後にフランスの要求を受け入れ、インドシナ半島の3ヶ国ベトナム、ラオス、カンボジアも加わります。

主催者であるアメリカ、イギリス、そして当事国である日本を加えた55ヶ国のうち、招請に応じず、会議に参加しなかったインド、ビルマ、ユーゴスラビアの3ヶ国を除いた52ヶ国で会議がおこなわれました。

中国や韓国に関しては会議への招請状すら送られておらず、当然条約への署名もしていません。

本来であれば日本と戦った中華民国が招請されるべきところですが、当時の中華民国は中華人民共和国との国共内戦に敗れて本土を失っていました。また中華人民共和国は、朝鮮戦争でアメリカやイギリスが率いる国連軍と交戦状態にあったことも影響し、どちらを中国の正統政府と認めるかで国際社会の意見も二分されていたため、招請が見送られたのです。

またこの会議の目的が日本との講和を実現するものであったため、日本と戦争をしていなかった韓国には参加の資格は与えられませんでした。
 

ソ連、ポーランド、チェコスロバキアは、同じ共産主義国家である中国人民共和国の参加が認められなかったことや、引き続き日本国内に米軍が駐留する内容であったことに反発し、会議の無効を主張したうえで署名も拒否しました。

最終的に条約に署名したのは49ヶ国。独立後の日本は、会議に招請されなかった国、招請はされたけれど参加しなかった国、参加はしたけれど署名しなかった国などと個別に平和条約を結んでいくことになります。

 

サンフランシスコ平和条約と竹島問題

 

現代の日本を取り巻く領土問題は、サンフランシスコ平和条約に起因するともいわれています。そのうちのひとつが、韓国によって不当に占拠されている竹島を巡る問題です。

会議に参加する資格はないとされ招請されなかった韓国は、アメリカに対し、日本が放棄するべき領土に竹島を含めるよう要求しました。

この要求に対しては、アメリカが調査した結果、竹島が韓国領であったことは過去に1度もないとして、拒否されます。しかし韓国は、平和条約の文中に、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とあるのを見て、「含む」とあるのだから竹島に関しても日本が放棄したと主張しました。

確かに文章だけを見ると、曖昧な表現で解釈の余地があるようにも見えます。しかし条約解釈の基本ルールとなっている「条約法に関するウィーン条約」において、曖昧だったり不明確だったりする条約文を解釈する際には「解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠する」と定められているのです。

この場合は、竹島を放棄すべき領土に含めてほしいという韓国の要求を、アメリカが拒否したという経緯が該当し、平和条約の文中にある「含む」には竹島は含まれないと解釈されます。そのため、韓国の主張は国際法上は認められません。

しかし韓国は、李承晩(りしょうばん)大統領の名を冠した「李承晩ライン」を一方的に引き、竹島を韓国領に含めてしまいます。さらに日本の漁船を銃撃し船長を殺害、巡視船に銃撃や砲撃を加える、武装警察官を多数常駐させるなど、2018年現在にいたるまで不法に占拠を続けている状況です。

李承晩ラインを越境したとの理由で拿捕された漁船は、1965年の「日韓基本条約」締結までに328隻を数え、日本人44人が死傷、3929人が抑留されました。巡視船への銃撃や砲撃も15件以上発生しています。

この行為を、当時の駐日米国大使ダグラス・マッカーサー2世は、「国際的な品行や道徳等の基本原理を無視した実力行使の海賊行為」であると述べ、「日本人は苦しんでいる」と記していました。

韓国は、元々竹島は古代の「于山島(うざんとう)」にあたり、韓国領土であったと主張していますが、当時の朝鮮の地図や記録から鑑みると、両者は明らかに違う島だと考えられます。一方の日本は、江戸時代には竹島を日本領と認識していた事実が各種記録により裏付けられている状況です。

現在日本は、国際司法裁判所に提訴し、司法解決を図ることを提案していますが、韓国側はそもそも領土問題は存在していないとして、この提案を拒否しています。

 

そもそも「歴史認識」とは何なのか

著者
大沼 保昭
出版日
2015-07-24

 

何百年、何千年と肩を並べて過ごし、これから先も何百年、何千年と付き合っていく隣国。経済や文化の面で結びつきを強める日韓・日中関係ですが、どうしても「歴史認識」については、喉に刺さった小骨のように引っ掛かる問題として残っています。

「歴史認識」が違うから合わない、とよく言われますが、ではそもそも「歴史認識」とは何でしょうか。なぜ歴史に「認識」が生まれ、それが「合わない」という事態が起こるのでしょうか。

作者の大沼保昭は、従軍慰安婦問題に携わり、アジア女性基金の立ち上げや運用にも関わった人物です。本書では、日韓併合や東京裁判、日韓基本条約らを通じて、歴史的事実が歴史認識に変化する経緯や背景を具体的に検証しています。

サンフランシスコ平和条約を見てみると、過去の歴史だと思っていたものが現在にも大きな問題として繋がっていることがわかります。未来を考えるきっかけとして、本書を手にとってみてはいかがでしょうか。

 

サンフランシスコ平和条約は現代に繋がっている

著者
原貴美恵
出版日
2012-12-20

 

サンフランシスコ平和条約は、アメリカとソの冷戦が激化するなかで日本を味方にすべく急造された条約という面があります。未解決の問題が多く残され、本書ではそれを「盲点」としています。

領土問題だけでなく、今や「火薬庫」ともいわれる南シナ海を巡る争いも、発端の一部はこの条約にあるといわれているのです。

公開された関係国の公文書から、各問題の歴史的・政治的相互関係を洗い出しています。その過程はまるでミステリー小説を読んでいるかのようで、伏線入り乱れる複雑怪奇さ。経緯がわかるにつれて、問題の大きさや根深さに驚きを隠しきれません。

 

サンフランシスコ平和条約は、現代日本のスタート地点だといわれることがあります。GHQによる占領統治から脱し、主権を回復したものの、日米同盟のなかで西側陣営の一員として生きることを定められたともいえるのです。現代を生きる我々の生活に密接に関わるもっとも大きな出来事のひとつではないでしょうか。興味をもたれた方は、ぜひご紹介した本を読んでみてください。