「持たず、作らず、持ち込ませず」という方針を示した非核三原則。佐藤栄作首相が表明して以来、日本の基本的な政策として引き継がれています。この記事では、この原則の概要や問題点、密約などについてわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひ最後までご覧ください。
非核三原則とは、核兵器について「持たず、作らず、持ち込ませず」という3つの原則を示したものです。対象となるのは核兵器のみで、原発などのいわゆる「核の平和利用」については含まれていません。
1954年3月、日本の漁船がビキニ環礁沖で水素爆弾実験に巻き込まれ被爆する「第五福竜丸事件」が発生しました。これをきっかけに、1955年に「原水爆禁止日本協議会」が発足、日本国内で反核運動が盛り上がりを見せていきます。
日本政府が公式に非核三原則に言及したのは、1967年12月11日のこと。当時の総理大臣だった佐藤栄作が、小笠原諸島や沖縄の返還に関する答弁のなかで触れています。
佐藤はその後1968年の施政方針演説において、非核三原則の遵守を表明、1971年には国会の決議でも採択されています。このような働きが評価され、1974年にノーベル平和賞を受賞しました。
その後日本は、1976年に「核拡散防止条約(NPT)」を批准、「持たず、作らず」に関しては国際的な枠組みに加入します。また佐藤以降の内閣も方針を踏襲し、非核三原則は日本の基本政策として今日まで引き継がれてきました。
その一方で日本は、アメリカと「日米安全保障条約」を結んでおり、その根底には米軍による「核の傘」が存在します。密約が結ばれ、核兵器を「持ち込ませず」としたことについては原則が破られていたことが明らかとなりました。
非核三原則を提唱した佐藤栄作は、どのような人物なのでしょうか。
1901年に山口県で生まれ、兄には同じく総理大臣を務めた岸信介がいます。戦前は鉄道省の官僚として活躍しました。戦後は吉田茂のもとで頭角を現し、1948年に政治家に転じます。
1964年11月に総理大臣に就任、以後1972年7月まで長期政権を築きあげ、この間に非核三原則を提唱しました。
佐藤が非核三原則を提唱した背景には、彼が力を注いだ小笠原諸島や沖縄の返還運動があります。特に沖縄については、1965年に「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わっていない」と声明を発し、「核抜き、本土並み」での復帰を主張。非核三原則は、返還後の沖縄や小笠原諸島に核兵器を持ち込ませないことを示すため発表されたものだったのです。
一方のアメリカは、沖縄を極東における重要な拠点と認識していました。ただ沖縄県内でも「祖国復帰運動」が高まりを見せていたこともあり、1969年の「佐藤・ニクソン会談」によって「核抜き・本土並み」での返還について合意が成立、1972年5月に沖縄の本土復帰が実現しています。
こうした動きが評価され、佐藤栄作は1974年にノーベル平和賞を受賞しました。ちなみに2019年現在、日本人でノーベル平和賞を受賞しているのは彼のみ。この時受賞理由として挙げられたのが、平和裏に沖縄の返還を実現したことと、非核三原則を提唱したことでした。
ただし、当時から佐藤のノーベル平和賞受賞には批判の声もありました。沖縄返還交渉と同時期に進展していたベトナム戦争に対し、佐藤が米軍の北爆を支持するなど協力的な姿勢をとっていたためです。さらに近年では、彼が非核三原則に矛盾する密約をアメリカと結んでいたことが発覚しています。
2009年に鳩山由紀夫内閣が成立した後、鳩山内閣は外務省に日米間で交わされたいくつかの密約について調査を命じました。その結果、非核三原則に関わる密約として以下の2つが交わされていたことが明らかになっています。
まず、佐藤栄作内閣が発足する以前の1960年、「日米安全保障条約」が改訂された際に、核兵器を日本国内に持ち込む場合は日米間で事前協議をおこなうことが定められました。
しかし実際には、核兵器を搭載した艦船や航空機が日本に立ち寄る際も事前協議はなされず、日本もこれに抗議しないという暗黙の了解が形成されていたようです。佐藤内閣もこの見解に従って、核兵器を搭載した米軍艦船の寄港を黙認しています。
そのため当初より、非核三原則の「持ち込ませず」については形骸化した状態にありました。
また上述したとおり、アメリカは沖縄を極東における重要拠点と認識していたため、返還後も米軍基地はそのまま置かれています。
そして佐藤は、有事の際は米軍が沖縄に核兵器を持ち込むこと、貯蔵すること、あるいは核兵器を搭載した兵器が通過することに同意しているのです。
佐藤栄作は、非核三原則を提唱する一方で、実際には核兵器の持ち込みを黙認する立場をとっていました。
非核三原則の問題点は、「持ち込ませず」を守ることができていない点です。「持たず、作らず」は日本自身の行動であるのに対し、「持ち込ませず」は他国、特にアメリカの行動が関わっており、上述した密約によって形骸化してしまいました。
日本がアメリカの核兵器持ち込みを容認してきた要因として、安全保障政策の影響が挙げられます。
日本は核兵器の脅威に対処するため、アメリカの核抑止力に依存する「核の傘」に入った状態です。2017年9月に石破茂元防衛大臣が「米国の核の傘で守ってもらうといいながら、日本国内に(核兵器を)置かないというのは本当に正しい議論なのか」と発言したことが注目を集めました。
2019年現在、安倍内閣は非核三原則の堅持を表明しています。唯一の被爆国として核兵器の根絶に真剣に取り組むべきだという主張がある一方で、政治家のなかにも原則の見直しを言及する人が存在するのも事実なのです。
非核三原則は「核の平和利用」については対象としていませんが、2011年に発生した「福島第一原発事故」以来、原発の是非についても人々の注目を集めるようになりました。
核をめぐる問題は日本の平和憲法だけでなく、安全保障政策やエネルギー政策とも密接に関わっています。つまり非核三原則について考えることは、今後の日本を考えるうえで非常に重要なテーマだといえるでしょう。
- 著者
- 鈴木 達治郎
- 出版日
- 2017-12-14
作者の鈴木達治郎は、2010年から2014年まで内閣府原子力委員会の委員長代理を務めた核政策の専門家です。
彼は本書を通じて、 核分裂の仕組みなどの技術的な話から、核兵器と原発の関わり、原子力産業の問題点、核軍縮、北朝鮮問題など多岐にわたる核関連の動きを解説しています。
非核三原則は核兵器と、原発などの「核の平和利用」を区別して捉えています。しかし本書では原発と核兵器の間には密接な関りがあることを指摘。その他にも「核の傘」に批判的な立場から、抑止論にかわる安全保障政策として「非核地帯」の形成を提言しています。
内容はやや専門的ですが、日本が抱えている問題点を理解するために押さえるべき論点を網羅した一冊です。
- 著者
- 多田 将
- 出版日
- 2015-07-10
本書は、核に関わる善悪の判断や政治的な動向は一旦脇に置き、純粋に技術的な観点から核について解説している作品です。
核兵器や原発について簡単な例を用いながらわかりやすく説明してくれているため、基礎的な物理学を知っていればその仕組みを理解することができるでしょう。
核や原発に関する報道は専門用語も多いため、ニュースの背景を正確に理解するには一定の知識が必要です。今後の日本の在り方を考えるうえでも、本書で知識をつけていただければと思います。
日本は唯一の被爆国として核の根絶を訴えてきたという側面と、核抑止力に依存して原発を推進してきたという側面をもっています。そのジレンマは、非核三原則においても見出すことができるでしょう。この問題点について理解を深め、自分なりに考えていくためにも、ぜひ紹介した本をお手に取ってみてください。