2014年には「新語・流行語大賞」で年間大賞に選ばれた「集団的自衛権」という言葉。それだけたくさん報道され、国際社会における日本の立ち位置を変える分岐点になる年でもありました。この記事では、そもそも集団的自衛権とは何なのか、その概要や、違憲問題、メリットとデメリット、集団安全保障などをわかりやすく解説していきます。あわせてもっと理解が深まるおすすめの関連本も紹介するので、ぜひご覧ください。
「自衛権」には「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の2種類があります。
「個別的自衛権」とは、急迫不正の侵害を排除するために、武力を用いて必要な行為をおこなう国際法上の権利のこと。第一次世界大戦後の1928年に締結された「パリ不戦条約」において、自衛権の行使は条約が禁止する「戦争」には含まれないと規定されました。
そして「集団的自衛権」は、ある国が武力攻撃を受けた際、直接攻撃を受けていない第三国が協力し、共同で防衛をおこなう国際法上の権利のことです。1945年に発効された「国連憲章」で明文化もされています。
自国に対する侵害を排除する権利と、自国を含む他国に対する侵害を共同で排除する権利だと覚えるとよいでしょう。どちらも国家固有の権利で、日本もこの権利を有しています。
集団的自衛権は、国連によって認められた「国家固有の権利」です。もしこれがなければ、国家は自らの軍事力だけで自国を守らなければならなくなり、国際社会は強さがすべてという秩序のない世界になってしまうでしょう。
ただ2014年まで日本は、集団的自衛権は行使できない、違憲の恐れがあるという態度をとってきました。明文化されているわけではありませんが、政府は憲法をそのように解釈してきたのです。
しかし2014年、安倍内閣による閣議決定で「集団的自衛権は行使できる」という解釈に変更されます。「あなたが危ない時には力になるから、私が危ない時には助けてほしい」と発言できるようになりました。
それまでの日本は、いわば「あなたが危ない時に助けてあげられないけど、私が危ない時は助けてほしい」としている状態。1991年に「湾岸戦争」が起きた際も、イラクに侵略されたクウェートに対し自衛隊を派遣することができず、経済援助のみにとどめた結果さまざまな国から非難を受けたことがありました。
ただ、憲法にはっきりと書かれているわけではないにも関わらず、内閣の解釈次第で違憲になったり、合憲になったりすることは問題だとの指摘があるのも事実です。今後、政権が変わるたびに解釈が変更される可能性もあるからです。
解釈の余地を許さないようしっかりと議論をしたうえで、憲法を改正することが必要なのではないかという意見もあります。
集団的自衛権の行使に対し、「同盟国であるアメリカが関わる戦争に否応なく巻き込まれてしまう」という意見があります。日本から遠く離れた地に自衛隊を送り込み、戦わざるをえなくなってしまうという主張です。
ここで抑えておきたいいくつかのポイントがあります。
まず、集団的自衛権は「アメリカが始めた戦争」には適用されません。アメリカがどこかの国から攻撃を受けるという条件があるからです。
また集団的自衛権の行使には、攻撃を受けたアメリカから支援の要請を受ける必要があり、さらに行使が強制されるものではないので、「否応なく」巻き込まれることはありません。
支援の要請を受けるか断るかを判断するのは国会で、もしも世論が反対しているものを強行すれば、内閣の支持率は失墜し、政権を失うことに繋がるでしょう。
しかし、やはり戦争に巻き込まれる可能性がゼロではないのも事実で、リスクがあるのは間違いありません。
このリスクを、国民の生命と財産を守るために負わねばならないリスクと考えるのか、そうでないと考えるのか、意見が分かれるところです。
集団的自衛権とよく似た言葉に「集団安全保障」というものがあります。これは、地域的または世界的に国家の集合を形成し、不当に武力行使をした国家に対して他の国々が強制措置を実施するという、安全を保障するための体制です。
最初に提唱されたのは、第一次世界大戦後の1919年に結成された「国際連盟」において、連盟規約に定められた時です。しかし国際連盟は、提唱者であるアメリカが参加しないなど不備があり、第二次世界大戦を防ぐことはできませんでした。
第二次世界大戦後に結成された「国際連合」では、より強固な集団安全保障体制の構築を目指し、必要であれば国連軍を編成できるなどの体制が整備されます。しかし実際に一枚岩になることはできず、国連軍を構想通りに編成することはほとんどできませんでした。
集団安全保障は「国連加盟国の義務」とされていますが、日本は憲法9条で許容される「必要最小限度の範囲」を超えるため許されないと解釈しています。
- 著者
- 植木 千可子
- 出版日
- 2015-02-04
安全保障にかかわる議論は、とかく噛み合わないことが多いです。 一方が現実に即して合理的に議論を提起しているのに対し、もう一方が過去に軸足を置き、感情論や道徳論を中心に据えることがその要因だといえるでしょう。
集団的自衛権の行使を容認した日本。これからは、誰が敵で誰が味方なのかを選ぶことを強いられ、また敵と判断した相手を殺してもいいのかというジレンマに陥ることになります。
ではそのような状況はどうすれば防ぐことができるのか、戦争を起こさないためにはどうすればよいのか、そしてそもそもなぜ戦争が起きるのか分析して考える一冊です。
- 著者
- 篠田英朗
- 出版日
- 2016-07-16
日本は長らく、憲法9条という「表」の顔と、国連憲章51条に基いた日米安保条約という「裏」の顔を使い分けて冷戦という難しい時代を生き抜いてきました。憲法の解釈をその時々の状況に応じて変えてきた歴史のうえに、いまがあります。
本書は、このような独特の経緯をたどってきた日本の憲法学を、戦後の重要な出来事を振り返りながら解説していく作品です。
集団的自衛権についても、基本的なことから丁寧に説明してくれています。各時代の背景を知ることで、では現在の日本はどうするべきなのかを考えるきっかけになる一冊です。