今から30年程前に発表された埼玉ディスり漫画『翔んで埼玉』。『パタリロ!』などで知られる魔夜峰央による本作は、近年、某テレビ番組で紹介されたことをきっかけに話題になり注目を集めました。 2019年にはGACKTや二階堂ふみを主演に迎え実写映画化されるなど、今まさにチェックをしておきたい作品です。今回は、そんな本作の魅力を、作中に登場するパワーワードとともに、ランキング形式でご紹介します!
埼玉を究極にディスった漫画として知られる本作。作者は『パタリロ!』などで知られる漫画家・魔夜峰央です。1982年から1983年にかけて「花とゆめ」別冊に連載されていました。
連載といっても全部で3話の短い話で、当時はあまり目立つ作品ではありませんでした。しかし近年、テレビ番組などの影響もあって、その内容のすごさが話題になりました。
2019年には実写映画化されるなど、瞬く間に注目を集める作品となったのです。
- 著者
- 魔夜 峰央
- 出版日
- 2015-12-24
そんな本作は、出身地や住んでいる場所によって人々を差別するのが普通の世界を舞台に、文化的にも遅れたド田舎で、ひどい差別を受ける埼玉県民の姿を描いたもの。主人公の麻実麗(あさみ れい)が埼玉県民であることを隠したまま東京都の名門校・白鵬堂学院に転校してきたところから物語は始まります。
東京都民の口から出てくる、埼玉を蔑む言葉の数々……よくそこまで思いつくというくらいバリエーション豊富な悪口は、もはや尊敬すら覚えるほど。
こんなことをいうと、悪口漫画なんて面白いのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それが面白いのです。徹底的な悪口にはおかしみがあり、それでいてどこか埼玉愛も感じられます。これぞ究極のギャグ漫画。まずはぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか?
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埼玉出身に負い目を感じているあなたへ贈る『翔んで埼玉』
突然ですが「埼玉のよいところ」と聞かれて、あなたは何を思い浮かべますか?「え〜埼玉出身じゃないし、そんなのわかんないよ〜」って方に一言。埼玉出身の筆者でも、埼玉のよさはわかりません。つまり、埼玉とはそういう土地なのです。 そんな埼玉の出身であることに、負い目を感じているあなた。ぜひ読んでいただきたい一冊が、魔夜峰央の『翔んで埼玉』です。
ヤバい物語を支えるのは、当然ヤバいキャラクター達です。
主人公は麻実麗という少年。容姿端麗、スポーツ万能、もちろん勉強もできて、さらに東京丸の内にある証券会社の御曹司と、誰からも注目されるカリスマ的な存在です。
しかし、そんな彼は、実は埼玉県出身でした。埼玉県の大地主の子供として生まれた彼は、父親によってアメリカへ留学させられ、そこで埼玉臭を徹底的に消されたうえで、東京の麻実家に養子へ出されていたのでした。
そんな彼と出会うのが、白鵬堂百美(はくほうどう ももみ)という少年です。女性的な名前で、容姿も、もはやどこから見ても女性。物語上でもヒロイン的な立ち位置ですが、間違いなく男性のキャラクターです。
生粋の東京都民で、白鵬堂学院の理事長の孫と学院内での地位の高い彼は、埼玉県をまるで汚物を見るかのごとく貶めまくります。そんな彼が麗の出生の秘密を知り、少しずつ変わっていくことになるのです。
他にも、伝説の埼玉県民だったり、埼玉差別を推進する政治家だったりと、登場する人物はキャラの濃い者ばかり。いろいろとツッコミを入れたくなるようなキャラクターもいるので、ぜひ読みながら心のなかでツッコんでみてください。
2019年に実写映画が公開された『翔んで埼玉』は、キャストの豪華さが話題になりました。
魔夜峰央先生の代表作でもある『パタリロ!』がそうであるように、『翔んで埼玉』の登場キャラクターは耽美的で美麗なのが特徴。実写化が発表された際は、キャラクターに合った配役ができるのか心配する声がありましたが、ファンの心配をよそにピッタリすぎるキャストが発表されたのです。
『翔んで埼玉』の主要キャストは以下の通り。
たったこれだけでも豪華さが伝わってきますよね!しかし、映画を見てみると「こんなところにも!?」と驚くくらい、各場面に豪華俳優陣が登場するのです。
ぜひ『翔んで埼玉』の実写映画を見て、キャストの豪華さと耽美で美麗な世界観をお楽しみください!
本作がつくられたのは30年前と古い作品ではありますが、その時代設定はいったいいつなのでしょうか。日本で通行手形が必要だったのは、江戸時代です。服装などから昭和感のある現代だとは思われますが、どれだけ埼玉は時代遅れなんだ、と思わせるのに十分なセリフですよね。
この言葉は漫画のプロローグ場面で出てくる、本作の世界観を説明するための言葉になります。手形はどうやら簡単に手に入るものではないらしく、また手に入ったところで東京で自由に過ごすことはできないそう。
これは、埼玉の文化水準が低いことの表れであり、また「埼玉県民が簡単に東京都の土を踏むことはできない」というディスりセリフになります。言葉だけみると、世界設定の説明のようにも感じますが、本作が終始埼玉をディスっている作品だということを考えると、どんな言葉も悪口に変わるのです。
東京から埼玉へ行くのには、手形は必要ないのか気になるところですよね。ただ、都民がわざわざ埼玉まで好きこのんで行くとは思えないので、おそらく必要ないのでしょう。都民からの埼玉県民に対する圧力が、どれだけ凄いものかわかりますね。
また、埼玉県民もどんな扱いを受けても東京へ行きたいと思っている様子がうかがえます。どれだけ厳しい対応をされても、東京への憧れを抱き続ける彼らのピュアさも感じることができますね。
漫画を読み始めて、まず強烈なインパクトを残してくれるのがこのセリフです。
作品の冒頭では、埼玉は10年前までランプ生活で、最近やっとテレビが登場し、県民は年貢を取り立てられ苦しめられていて……と、いかに埼玉が田舎で文化的に遅れていて、存在感が薄く差別されているかが描かれているのですが、その流れでの決め台詞といってもいいのがこのセリフ。
この作品の埼玉県民は、一生に1度でいいから東京へ行ってみたいと思っているのですが、そのためには上で書き記したように、手形が必要です。しかし、やっとの思いでそれを手に入れたとしても、三越に行って埼玉県民だとバレれば「埼玉狩り」という憂き目にあい、最後は埼玉に強制送還されてしまうことに……。
埼玉県民は、三越に行くことすら許されない……その差別されっぷりと、切なさを感じると同時に、東京・三越の存在感を強烈に感じることのできるセリフです。
ちなみに、「埼玉狩り」にあい、埼玉県民が強制送還された後、三越では店内が消毒されます。このあたりは第1話の冒頭の話で、埼玉県民のヤバい扱いに、笑っていいのか呆れていいのかと悩みながらも、ついつい物語の引き込まれるポイントかもしれません。
「三越は東京都民の行く所だ!」
(『翔んで埼玉』より引用)
と、インパクトのあるセリフをすでにご紹介しましたが、そんなセリフの前提にあるのが、これです。
やっと電気が通ったばかりで、テレビすらも珍しい埼玉では、東京へ行くためには通行手形が必要です。それを手に入れるのも非常に大変なので、埼玉県民にとっては東京へ行くことなんて夢のまた夢。死ぬ直前まで夢見るほど、三越や、山の手線に強い憧れを抱いていました。
そんな彼らの切実な思いから生まれたセリフこそ、この「一生に一度は三越に行くのが埼玉県民の夢」というもの。もちろん全ては作品のなかの世界でのことですが、三越という名前のデパートは現実にも存在しています。何だかここまでいわれると、こっちも三越にも行ってみたくなってくるパワーワードです。
これは、とある事情により埼玉へと身を潜めてしまった麗に、百美が会いに行こうとして言ったセリフです。
麗にどうしても伝えなければならないことがあり、家を出ようとしたときにお手伝いさんとした会話のなかで出てきた言葉ですが、東京が日曜なら日本全国例外なく日曜日ですよね。仮に日曜日でないなら、埼玉はいったい何曜日なのでしょうか。
この疑問は、お手伝いさんが答えてくれます。
「豚曜 牛曜 馬糞曜 こえだめ曜」
(『翔んで埼玉』より引用)
どうやら東京都民は、埼玉県に月火水木金土日がないと思っているよう。お手伝いさんが言ったのは、埼玉県民の仕事内容ですかね。
百美も、埼玉がまさか東京と同じような曜日感覚を持っているとは思っていなかったようですが、このお手伝いさんの冗談とも本気とも取れないことを一蹴するあたり、育った環境がそうさせただけで、彼自体は埼玉のことを根っこから蔑んでいるわけではなさそう。
彼は埼玉県に対する知識がほぼなく、埼玉県民と接するなかで改善されていきそうな描写は、物語後半にもあります。その無知さと、彼の純粋さがよくわかるセリフです。
そもそも埼玉への見方を変えたのは、麗との出会いだとは思います。しかし、それでも徐々に埼玉県民に対する認識を変えていく姿は非常に可愛らしく、好感を持てますね。
これは、埼玉県民独特の挨拶。なぜか東北弁のような響きです。
この挨拶は埼玉の昔ながらの伝統らしいのですが、県内の若い者には不満に思っている者もいるよう。所沢市役所(ものすごいボロ屋)では、東京都民に馬鹿にされないように、この挨拶をやめるべきだという議論にもなっていました。
この挨拶や言葉遣いも、作中の埼玉というものをうまく表しているといえるでしょう。
読んだ瞬間に思わずツッコミを入れてしまいたくなる、このセリフ。
「埼玉なんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!」
(『翔んで埼玉』より引用)
口が埼玉になるってどんな状態なのだろうか、と思わず考え込んでしまいます。
これは麗が、埼玉出身で今は東京都に暮らしている生徒のことを、今東京都にいるならそれはもう東京都民ではないか、という内容のことを言った際に、会話をしていた相手の生徒から出たセリフです。
「よして! あんな田舎のにおいのしみついた連中と一緒にしないで!」
(『翔んで埼玉』より引用)
とも言っています。ちなみに、人によっては埼玉県民のことを「こえだめのにおい」と表現する者もいるので、「田舎のにおい」という表現は、まだオブラートに包んだ方でしょう。
生粋の東京都民にとって、今は東京に住んでいたとしても出身が埼玉であれば、それは埼玉県民。口にしたくもないほどの差別の対象なのです。
ちなみに百美は、この段階ではまだ、麗が埼玉県出身だということを知りません。そんな彼が、この後に麗の真実を知り、それでもついて行くと宣言するまでになるのです。そんな彼の変化にもぜひ注目しながら、物語を読み進めていただきたいです。
麗を追い掛け、埼玉までやってきた百美に、麗の実父が言った言葉。状況でいうと、家の庭先に生えていた雑草らしき草たちが、百美の足を絡め取り転ばせたときのセリフになります。
もしかしたら、「ざまあない」と思った埼玉県民もいるかもしれませんね。東京都民の人間たちは埼玉県民を全力で拒否していますが、埼玉では草が都民を拒否するよう。雪が草加せんべいの形をしていたり、埼玉の土地や気候は凄いですね。
まさかの出来事に、百美もつい自分のキャラクターを忘れて気の抜けたことを言ってしまいます。
「うそや〜」
(『翔んで埼玉』より引用)
基本的にはギャグ漫画ですので、非現実的なことや状況に合わないセリフなどが多々登場しますが、埼玉の地に転がされて「うそや」と軽く済ませてしまうあたり、やはり彼は可愛いですよね。
他の都民や、埼玉狩りをおこなうためのガードマン、埼玉県民に関するさまざまなことを捜査している警視庁の人間たちなら「ふざけるな」くらい叫びそうです。
しかし、この埼玉の草の性能は、埼玉県民の絶対にくじけなさそうな強さを表しているようで、絶妙なアイテムですよね。そして、けっこうすごい性能を持っているのに、それをさらっと言ってしまうあたりに、麗実父のおとぼけ感も感じられます。
さんざん差別されディスられている埼玉ですが、実は、そのさらに上をいくディスられ方をしている県があります。それが「茨城県」です。
東京都民からさんざん差別されている埼玉県民ですが、そんな彼らでさえも見下しているのが、茨城県民。作中では、茨城県は埼玉のさらに奥地にある日本の僻地といわれていて、それはもはや「気の弱い女性はその地名を聞いただけで卒倒してしまう」レベルのようなのです。
茨城県といえば、現実の世界でも都道府県魅力度ランキングで最下位を取り続けることで有名ですが、本作では若干とばっちり気味にディスられています。
地名を聞いただけで失神するなんて意味がわからない……と思いますが、作中では他にも、
「埼玉なんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!」
(『翔んで埼玉』より引用)
なんてセリフも登場しているわけですから、その上をいくレベルということなのかもしれません。
卒倒するのと、口にしたくないほどおぞましいもの扱いされるのと、どちらがよりディスられているのかつい考えてしまいます。
こちらも「茨城県」をディスるセリフ。茨城県といえば、現実の世界でも、確かに納豆が名産品ですが「納豆しか産出しない」わけではありません。でも、この作品の世界ではそれが常識で、埼玉県のさらに奥にある枯れた土地の茨城県では、納豆しか育たないと認知されているようです。
本作は、基本的に埼玉県の悪口にあふれた作品ですが、ところどころにこういった埼玉以外にも差別されている場所があることが描かれています。しかも埼玉県の中ですらもその差別が存在していることに、物語の奥深さと闇を感じることもあるかもしれません。
ちなみに茨城県は、作者の奥様の出身地だそう。身内の出身地ならばおちょくる面白さも描けるという考えもあったようですが、埼玉県のみならず茨城県までも徹底的にディスられてしまうさまに、なんとなく作品のみならず、作者の闇の深さを感じる読者も多いかもしれません。
これは、ある茨城県民から発せられたセリフ。茨城は土地が枯れて納豆しか育たないことから、どうやら白米を食べることも難しいようです。彼は「死ぬまでに1度でいいから」と、このように語ります。
この彼の言葉を聞いた周りの人達は、
「なんと若者らしい だいたんな夢だべ!」
(『翔んで埼玉』より引用)
と、彼を称賛。思わず涙が出てきそう……。
そんな茨城県民は、埼玉へ出稼ぎにやってきます。しかし、そこで得られる給料は日当50銭。東京都民にディスられる埼玉県民が、茨城県民をディスっているさまからは、社会のヒエラルキーを考えさせられるでしょう。
主人公の麗や百美が通う学校・白鵬堂学院は、クラスも生徒達の居住地によって分けられています。トップのA組が東京の中でも赤坂や青山といった一等地。最下級のZ組が埼玉県出身のクラスです。
Z組は教室すらボロボロの小屋のようなものを与えられるなど、もはや当たり前のように差別されています。しかし、そのなかでさりげなく差別されているのが、E組なのです。
E組は、田無など都下から通う生徒達が所属するクラス。都下といっても田無も立派な東京都のはずなのですが、この世界では県ごとの差別だけではなく、東京都の中でも都内と都下で分けられているのです。
東京と一口にいっても差別されるほどいろいろな場所があるのだと、ふと、そんなことを思うこともあるかもしれません。こうなってくると自分の暮らす地域がどのクラスに所属するのか、知りたくなってきますね。
これも、思わずツッコミを入れたくなってしまうセリフの1つ。第1話の冒頭のモノローグでいきなり出てくるのですが、これを読んだ途端、心のなかで「ご存知あるよ!」とツッコミを入れてしまった読者は多いのではないでしょうか。
ここでいう埼玉県は、もちろん私達の知っている埼玉県です。しかし、同時に私達の知らない埼玉県でもあります。
文化は遅れ、東京に出入りするためには手形のいる、徹底的に差別された埼玉。それが、ここでいうところの「ご存知ない方」の多い「東京都のとなり」の埼玉県なのです。
冒頭のこの一文のおかげで、読者はこの世界への興味をそそられ、なおかつ作中の埼玉がど田舎で知らない人がいるようなものだと一発で理解することができます。本作において、簡潔かつとても重要な意味合いを持つセリフといってもいいかもしれません。
サイタマラリヤとは、埼玉県だけで症例の見られていた恐ろしい病気です。小型春日部蚊という蚊を媒介に感染し、発症したら死にも繋がる恐ろしいものですが、これは埼玉県特有のものでした。
差別されるだけではなく、まさかこんなにも恐ろしい病気が埼玉県特有のものとして出てくるとは……本作のぶっ飛びがよくわかる設定だといえるでしょう。
そして、このサイタマラリヤは、ストーリー上でも重要な要素になっていきます。麗を追って埼玉にやってきた百美が、これに感染してしまうのです。
この時、2人は東京にある埼玉県居留地にいたのですが、そこには医者など存在しません。ましてや東京の医者がサイタマラリヤの患者を診てくれるわけもなく、百美も、そして彼を助けようとする麗も、絶体絶命のピンチに陥ってしまいます。そんななか、さっそうと現れた人物とは……!?
このあたりは、本作のクライマックス。ぜひこの後は本編を手に取って確認してみてください。
「あなたが埼玉県民でもいい! あなたについて行きたい!」
(『翔んで埼玉』より引用)
このセリフは、主人公の麗に恋心を抱く、百美が言ったセリフです。
埼玉県出身で、埼玉県民を差別から解放するための運動をしている麗に対し、百美は生粋の東京都民。そのうえ、東京都の中でも屈指の名門校・白鵬堂学院の自治会長で理事長の孫という、指折りの権力者でした。
そんな彼が麗と出会い、交流をするうちに変わっていき、とうとう麗が埼玉県民であると知りながらも、彼についていこうと発したセリフなのです。生粋の東京都民である彼にとっては、プライドも捨て去るほどの覚悟のいるセリフであったことは間違いないでしょう。
そんな彼に対し、麗は優雅な微笑とともに「所沢へ?」と問い返します。彼にそう言われた時にはつい気持ちの怯んでしまった百美でしたが、最後に取った行動とは……ぜひ本編を手に取って確認してみてください。
コミックスの表紙にも使われているセリフが、これ。表紙に使われるだけあって、インパクトは最大級です。
これは腹痛を訴える埼玉県民の生徒に対し、医務室を使えるのは東京都民だけだからという理由で言い放たれたセリフ。事情やストーリーを知らなくても、埼玉県民の差別っぷりが伝わってきます。この作品を代表するセリフともいえるかもしれません。
ちなみに、この世界の埼玉県民は、食堂のメニューでも差別されています。埼玉県民が食べられるのは、その名も「雑草まぜご飯」。この世界の東京都民は、よっぽど埼玉県民に草を食べさせたいようです。ここまでくるといっそ清々しいと思えるこういったセリフこそ、本作の面白さを支えているのでしょう。
いかがでしたか?究極の埼玉ディスり漫画の本作。クセのある面白さにハマってしまうこと間違いなしですが、その面白さも、実際に埼玉に住んでいた作者の埼玉愛があるからこそ。
実際、作者は埼玉から転居した後は、ただの悪口になってしまうからと連載をやめています。埼玉県民もそうでない方も、これを機会にぜひ読んでみてください。