『ブッダ』に込められた魅力をご紹介。『火の鳥』と並び、手塚漫画の最高峰と謳われる『ブッダ』。連載誌の名が2回も変わるほど長期に渡って描かれた大河作品です。タイトルのとおり仏陀(ブッダ)――釈迦の生涯を描いた作品ですが、それだけにとどまりません。
約2500年前、紀元前のネパール。
インドとの国境近くのカピラヴァストウに、シッダルタと名づけられた赤子が生まれました。その子が生まれる以前から吉兆があり、ただ者ではないことは父王スッドーダナにもわかっていたのです。
母マーヤはシッダルタを産んで間もなく亡くなってしまいましたが、養母パジャーパティに育てられ、シッダルタは聡明な青年に成長します。そんななかで、彼は当時の身分制度(カースト)に疑問を持つようになっていくのです。
同じ人間なのに、なぜ認められることと、認められないことがあるのか。また、なぜ人は苦しむのか、なぜ死ぬのか……そのような疑問を常に抱きながら成長し、29歳で彼は出家します。
僧として修行を重ね、やがて悟りを開いて「ブッダ(目覚めた人)」となるのです。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2010-09-18
本作は、シッダルタがブッダとなり、教えを説く旅の果てに、沙羅双樹の下で入滅(死没)するまでを描いています。
しかしストーリーは、ただ仏教の祖としてのブッダの生涯を辿るだけではありません。「人はどのように生きるべきか」という仏教のテーマをさらに大きく広げ、作者・手塚治虫の哲学と融合したかたちで語られていくのです。
ストーリーの中心にはブッダだけでなく、多くの人が登場し、なかには実際の歴史上には存在しない人物もいます。そういった人物たちの人生をそれぞれに克明に描き、それらが収束して、ブッダの最期へと繋がっていくのです。
読者がブッダの生涯をとおして、人の存在について、生命の尊さについて、思索を得られる一大叙事詩となっています。
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『ブッダ』には、後にブッダとなるシッダルタ以外にも、重要な人物が何人も登場します。ここでは、ストーリーの中心となる人物たちについてご紹介しましょう。
主人公。カピラヴァストウのクシャトリヤ(王族)の子として生まれながら出家して僧となり、それまで存在した僧侶(バラモン)とは異なる思想で修行。悟りを得て「ブッダ(目覚めた人)」と呼ばれるようになります。
「王となるべき人」「神となるべき人」などと周囲からは神聖視されますが、彼自身はいつも悩み、苦しんでいる1人の人間に過ぎませんでした。本作には、その姿が描かれています。
身分制度の最下層であるスードラ(奴隷)よりも、さらに下の身分とされるバリア(不可触民)の子。架空の人物です。
幼い頃、コーサラ国の兵士によって家族を村ごと焼かれ、親友であるスードラの子チャプラの母を、もう1人の母と慕っていました。しかし彼女もまた、コーサラ国によって生命を奪われたことから、コーサラ国をひどく憎んでいます。
成長後、カピラヴァストウにいるシッダルタを城の外に連れ出して、外の世界を見せて回り、そのことがシッダルタの世界観に大きな影響を与えました。
その後、盗賊となりますが、シッダルタとの再会により足を洗い、ダイバダッタの口添えでマガタ国の兵士となります。マガタ国はコーサラ国と敵対する国です。
幼い頃は、自分と自然とを一体であると認識することで、他の動物に自分の精神を乗り移らせるという特殊な能力を持っていましたが、成長後はそれも失ってしまいました。ストーリー最序盤のシッダルタが生まれる前から登場し、最終盤までシッダルタの生涯に要所要所で関わり続けます。
架空の人物。スードラ(奴隷)で、身分制度のためにひどく苦しみます。あるきっかけから、タッタとは親友です。石を投げる能力と剣技に優れ、そのことからコーサラ国のブダイ将軍の養子となります。
将軍の子として軍に加わり、勇士の称号を得るまでになりますが、スードラであることがバレて国外追放されました。生き別れとなっていた母がコーサラ国で処刑されることになり、ともに死ぬことを望み、最期は処刑されてします。
本作最序盤、シッダルタが生まれる以前のストーリーの主人公的存在です。
アシタ聖者の弟子の、バラモン(僧侶)。アシタ聖者の命で「神になるべき人」を探す旅に出て、途上でタッタとチャプラ、チャプラの母と出会いました。
コーサラの勇士となった後に瀕死の重傷を負ったチャプラを助けるため、罪なき動物たちの生命をいくつも奪ったとして、アシタ聖者によって畜生道に落とされてしまいます。
以降、獣として人の世から隔絶して生き、その間に幼い日のダイバダッタらと出会い、生命と自然との調和を説きます。40年の後、ようやくブッダとめぐり会い、役割をまっとう。アシタ聖者に導かれて凄絶な生涯を終えます。
主要な人物たちに影響を与える存在ですが、彼も架空の人物です。
インド哲学でいう「宇宙の根本原理」。永遠不変で、神聖な知性です。
作中では老人の姿で擬人化され、シッダルタを悟りに導きます。悟りを開いた彼に「ブッダ」と名乗るように告げ、額には聖なる印(白毫)をつけました。その後も入滅の瞬間まで、彼を見守ります。
シッダルタが修業時代に出会った少年。常に鼻水を垂らしていて、両親から厄介払いのかたちで、シッダルタとデーパの旅について行くことになります。道中で高熱をともなう病に罹り、それを境に未来を予知する能力を持つようになるのです。
予知の力で、マガダ国のビンビサーラ王が息子に殺害されることや、自分自身の死期、死因を予言。その死にざまでブッダに思索を与えます。
仏教の経典に名がある人物ですが、キャラクターとしては創作に近いと、作者の手塚治虫自身が発言しています。
盗賊団の首領で、タッタの妻。当初はシッダルタと両想いでしたが、そのためにスッドーダナ王により捕らえられ、目を焼かれてしまいます。その後、病で全身がただれ重篤な状態に陥ったり、毒を飲まされて口が聞けなくなったりと散々なめに遭いますが、いずれのときもブッダの手によって救われました。
夫のタッタ同様に、架空の人物です。
ブッダの弟子の1人ではありますが、敵対することの方が多い人物です。
幼い頃に、年が近い子供を殺害したためカピラヴァストウを追放され、獣として生きるナラダッタとともに過ごし、「弱肉強食」の思想を覚えます。その後マガダ国に流れつき、偶然出会ったタッタに助言をしてビンビサーラ王に仕官させ、自らはアジャセ王子に取り入りました。
タッタを利用して王座まで狙い、その果てにミゲーラに毒を飲ませることまでしますが、ブッダがミゲーラを救うさまを見てブッダに弟子入りしました。
彼のために教団をつくり、世界中に教えを広めようと決意しますが、そこでも自分が1番でありたいという気持ちが強く、後継者として選ばれなかったことからブッダを憎み、殺害しようと企むようになります。
前の項で、登場人物の紹介をご覧になってすでにおわかりのことと思いますが、架空の人物がたくさん登場して、ストーリーの幹の部分に関わっています。これは『ブッダ』という作品が、歴史上のできごとや仏教の経典を、そのまま漫画化しただけのものではないことを物語っているのです。
本作は、史実をなぞるだけではなくフィクションもたくさん詰め込んで、激動の歴史をよりドラマティックに演出し、かたちづくられた作品です。作者・手塚治虫が、それまで描いてきた作品をとおして身につけた漫画の技巧を尽くした、エンタテインメントとしてのストーリーが語られているのです。
将来「ブッダ(目覚めた人)」と呼ばれることになるシッダルタ誕生のもっと以前から本作は語られはじめ、タッタやアッサジ、ナラダッタなどの架空の人物たちの壮絶な人生に触れて、主人公たるシッダルタが考え、悩み、苦しんだ末に、やがて「ブッダ」呼ばれるようになります。
さらに、それ以降もタッタや弟子デーパなどの多くの架空の人物と、ストーリー終盤まで関わりを持ち続けるのです。
そのようにフィクションを多く盛り込む一方、カピラヴァストウ近くのルンビニーでシッダルタが生まれ、ピッパラの樹の下で悟りを開きブッダとなり、祇園精舎で教えを説き、沙羅双樹の下で入滅するといった仏教の経典や歴史書に書かれた有名なエピソードや、父王スッドーダナやマガダ国のビンビサーラ王との交流など、実在の人物の活躍もしっかりと描かれています。
虚実混交して起伏が大きく、読みごたえがある作品となった『ブッダ』。当初は『火の鳥』の一編として構想されていたといいますが、『火の鳥』同様に、生命とは何か、生きるとはどういうことなのかといったテーマに深く言及する、手塚哲学が通奏される交響楽のような作品となっているのです。
「歴史漫画」というジャンルに括られる作品はすでに存在して、史実を描くなかにブッダが登場するものは他にもあります。しかし、漫画というジャンルのなかで「人間としての」ブッダ像を描こうという作品は、本作が初めてだったのではないでしょうか。
仏でも聖者でもなく、自ら考え、悩み、苦しみ、それをくり返す1人の人としてのブッダが、本作では仔細に描かれています。カピラヴァストウの王子として生まれた彼は、幼い頃からたくさん疑問を持つ子供でした。
身分制度があって当たり前の時代に「同じ人間なのになぜ違った扱いを受けるのか」と大人たちに訊ね、「人はどうして生まれて死ぬのか」、「なぜ生きものは殺し殺されるのか」、「死んだ後はどうなるのか」と考え続けます。
その疑問を追うように出家し修行を積みますが、「ブッダ」となった後も、悩み苦しみ続けるのです。
ストーリーも最終盤の「シャカ族の滅亡」では、タッタを戦争で失ったブッダは「私がいままで何十年も人に説いてきたことは、なんの役にも立たなかったのですか!?」と地に伏して嘆いています。悟りを開いてから、30年ほども経ってからのことです。
「悟りを開いた」だとか「目覚めた」という境地に辿りつく過程を経て尊い存在となっても、彼は常に自問と苦悩をくり返す、いかにも人間らしいキャラクターなのです。
人を救うのは奇跡でも信仰でもなく、知恵を説き実行することだということ、しかし人は迷うものであるということが、本作には描かれています。
先の項では「架空の人物が登場する」、「フィクションも混じっている」と史実や経典に書かれている以外のことを強調するような内容をご紹介しましたが、もちろん史実・経典に忠実な部分も『ブッダ』にはあります。
シッダルタがスッドーダナ王とマーヤーの子として生まれ、幼少期より聡明な男子で、父王に反対されながらも29歳で出家したことや、マガダ国のビンビサーラ王はブッダに帰依しましたが、その息子アジャセ(アジャータシャトル)はダイバダッタに仕向けられて父王を幽閉したことなど、ストーリー上の大きな事件は、史実や経典で伝えられるとおりです。
また、本作には経文1つも登場しませんし、仏教の難しい言葉も出てきませんが、経典に見られる逸話などは手塚流にアレンジしたうえで採用されていて、ブッダが説いた仏教のそもそもの教えが、大変わかりやすく表されています。
生命の根源はつながっていて、生きているものはみんな平等。
誰もが悩みや苦しみを抱えて生きている。
自分の苦しみだけを解消するのではなく、人間でもほかの生きものでも、誰かを助けなさい。
神は誰の心にも宿っていて、誰もが神になれる。
こういったことを作中で、ブッダがたとえ話や実例を挙げながらくり返しくり返し、弟子や民衆を相手に語ります。読むうちに読者の胸にも染みわたるように理解され、読者に対してもブッダが丁寧に説いてくれているようです。
11年かかって完結したこの大河物語の主人公はやがて「ブッダ」と呼ばれることになるシッダルタですが、彼自身は第1部の後半に入るまで登場しません。第1部第7章でようやくこの世に生を受け、姿を現すのです。
その後、シッダルタは29歳で出家するのですが、これが第2部終盤の第9章のこと。出家から6年後に悟りを開き「ブッダ」となりますが、これはなんと第3部の最終章です。
シッダルタ誕生以前には、何が語られたのでしょうか。ストーリーの冒頭に登場するのはゴシャラという名の、老いて飢えた僧侶です。行き倒れた僧侶のためにたき火に飛び込んで、自らを食糧として差し出したうさぎの寓話が、まず示されます。
その寓話を弟子に話したのは、のちに生まれたばかりのシッダルタを見て涙を流したという逸話が残る、アシタ聖者です。聖者は弟子のナラダッタに「世界の王になるべき人」を探す旅に出よと命じ、ナラダッタはその旅の途上でタッタというバリアの少年と、チャプラというスードラの少年に出会います。
チャプラは、その後のマガダ国の歴史を大きく動かすきっかけとなり、タッタはナラダッタの運命を大きく変え、それは数十年後のブッダに影響を与えます。ブッダがブッダとなる以前、この世に生まれるそのまたずっと以前から、本作のストーリーは始まるのです。
チャプラや、タッタや、ナラダッタは架空の人物ですが、彼らが実在の人物や出来事と関わるストーリー、また、そのことから新たに生まれるストーリーが丁寧に描かれます。
細い川が集まって大きな河となり遙かに流れていくように、いくつものストーリーがやがてブッダの人生という大きなストーリーへと収斂されていくという、まさに大河ロマンとして本作は構成されているのです。
子供に夢を与える希望の物語を、手塚治虫は数多く描き残しています。それはファンタジーと呼ぶべきもので、『鉄腕アトム』や『リボンの騎士』などはその最たるものでしょう。他方『火の鳥』や本作のように、漫画の世界でありながら、人間の暗部を描く作品も多く残しているのです。
取り分け本作は、ブッダの生涯を描くと同時に、人としての彼やその哲学、彼が生きた時代に起こった出来事や人心を「現実よりもリアルに」といって差し支えないほど克明に描き出しています。
たとえば、ブッダを敵視するダイバダッタ。美貌と利発さを備えた彼は自らの才覚に自負心を持ち、高い地位へとのし上がろうとします。アジャセ王子に取り入ってマガダ国の高い地位を得ようとし、ブッダを敵視していました。
その後、1度はブッダに帰依しますが、望んでいた「ブッダの後継者」にはなれず、しだいに彼を憎むようになります。
ダイバダッタは、自らがつくったブッダの教団を分裂させて彼を出し抜こうとしたり、ブッダを失脚させようとしたり、しまいには殺害しようとします。第7部「ダイバダッタ」の終盤でブッダ殺害に失敗し、自らの爪を凶器とするべく仕込んだ毒に苦しみ絶命する間際、彼は本心を口にしました。
私ァ、あんたになりたくてなれかった。
だからあんたが憎かった。
(『ブッダ』カジュアルワイドSPECIAL10巻から引用)
強い自負心、憧憬、嫉妬、功名心……そういったものを持つことは、人間としては特別なことではないでしょう。理想の姿がありながらそうなれなかった人間の弱さ、悲しさ、口惜しさが、その生涯には読み取れます。
ブッダが人の理想なら、ダイバダッタは人の現実であるといえるのではないでしょうか。
本作はブッダの生涯を描いた作品ですが、仏教を描いたものではありません。先の項で述べましたように、仏教の経文の1つも作中には登場しません。手塚治虫はインタビューに答えて、「シッダルタの有難さや教えより、人間そのものを掘り下げたい」と述べています。
手塚作品すべてに通じるテーマといえば、「生命」そして「尊厳」です。これはブッダが説く「人はどのように生きるべきか」というテーマに通じるもの。ブッダの思想を手塚が解釈し、よりわかりよいかたちで漫画のなかに組み込んでいます。いうなれば、ブッダと手塚の融合哲学です。
仏教の開祖としてだけではなく、哲学者としての思想を、手塚は「現代にこそ生かされなければならない、もっとも新しい思想」だと言いました。
ブッダの優れた思想を広く伝えたいという気持ちと、従来の生命の尊さを伝えていきたいという気持ちが重なり交じり合って、この作品は生まれたのでしょう。
本作の舞台は、約2500年前のインド・ネパール地方です。当時のその地域には、カーストと呼ばれる身分制度がありました。これは歴史上の事実です。1950年にインド憲法により、カーストによる差別は禁じられましたが、現在でも土地によってはその名残りがあると伝える報道もあります。
この身分制度が、ストーリーの冒頭から登場人物たちに大きく影響します。「王になるべき人」を探す旅に出よと師から命じられたナラダッタが最初に出会うのが、カースト最下層であるスードラの少年チャプラと、スードラよりもさらに下級のバリアのタッタです。
チャプラは使いの品を奪われたために主人に鞭打たれ、奪われた品を3日以内に取り戻さなければ母を売り飛ばすと言い渡されます。
しかし、品を探す当てもなく、困窮しながら「どうしてこうみじめなのか、どうして奴隷に生まれたのか」と考えるのです。「同じ人間なのに」という疑問と、口惜しさが示されます。
どうして苦しまなければならないのか。何のために生きているのか。スードラの身分にあるために出会ってしまうつらい出来事のたびに、彼はくり返し問います。これは、彼の死後数年経って生まれるシッダルタが、幼い頃から考え続けていたことです。
これが、悟りを開いてからのブッダが説く苦しみから脱する方法、どのように生きるべきかという教えに繋がっていきます。
ブッダは「生命は平等である」と説き、身分制度に強く反対しました。これは、作中でも史実でも同様です。実在の人が実在の制度と関わって説いた教えが、実際に約2500年経った現在も残っているということになります。
作品をとおして触れた歴史の延長線上に、私たち読者はいるのです。
本作は聡明な子供シッダルタが成長して出家し、若いうちに悟りを開いて「ブッダ」となり、人々の苦しみを取り除く教えを説きながら旅をした生涯を描いています。彼は「目覚めた人」であり、人々に差す光明であるといえましょう。
ブッダが人の光の面を見せる一方で、影の面を見せる人物もいます。たとえば、このストーリーに欠かすことができない人物であるタッタはとても気のいい男ですが、幼い頃に罪もない親や家族たちを村ごと焼かれてしまい、コーサラ国への復讐心という闇を持ったまま成長しました。
カピラヴァストウで出家前のシッダルタに近づいたのも、彼を利用してコーサラ国に戦争を仕掛けて滅ぼすため。さらに、その後は盗賊団を率いて盗みも殺しもしますが、悟りを開いたブッダの弟子となります。
ブッダの許で「殺してはいけない」と説かれ、何度か思いとどまりはしましたが、どうしてもコーサラ国とその王族に対する復讐心を捨て去ることができません。
タッタは滅びかかったシャカ族の騎士として戦い、傷だらけになった末に、最終章手前の「シャカ族の滅亡」で、コーサラ国のビドーダバ王が乗る象に踏みつぶされるという最期を迎えました。
幼い頃からコーサラ国を憎み続けた彼にも、ブッダが言うことは理解はできたに違いありません。何度か思いとどまったということは、できることならブッダが言うとおりにしたかったからでしょう。
しかし、胸の奥底に巣喰う復讐心は消えることがなく、それなのに宿望を果たすこともできないまま、結果として彼は自らの復讐心に滅ぼされてしまいました。人間の闇は誰の内奥にも潜みますが、それを自覚しておかなければ、それはやがて人間自身を飲み込んでしまうでしょう。
ブッダの教えが描かれる本作には、人の心を安らえる言葉がたくさん登場します。この項では、それらのなかからいくつかご紹介します。
死をおそれない秘訣ってあるのかい?
なーんにも考えないことだニャ。
(『ブッダ』カジュアルワイドSPECIAL5巻から引用)
未来を見通す能力を持った少年アッサジは自分の未来、つまり死期をも予知していて、いつどんな理由で自分が死ぬのかを知っていました。死を知りながら怖れる様子がない彼に、出家して苦行林で修行中のシッダルタが尋ねます。シッダルタ自身は、死が怖くて仕方がないのです。
アッサジは、何も思わぬ様子で答えてみせました。これは馬鹿げた答えのように思われますが、仏教の思想に通じています。なーんにも考えない。つまり己れを無にすることで、恐怖は消えるのです。
世の中のあらゆる苦しみにはかならず原因がある。
その原因を知れば苦しみをとめる方法がわかる。
それで心を救い安らかにできるのだ。
(『ブッダ』カジュアルワイドSPECIAL8巻から引用)
ブッダの弟子アナンダがつたなく伝えたブッダの教えを、ほかの師についていたサーリプッタは巧くまとめて兄弟弟子たちに伝え、自らはブッダの弟子となります。アナンダがサーリプッタをとおして伝えたこの台詞は、仏教の根本的な部分です。結果には必ず原因がある――因果応報の思想です。
世の中、苦しいことばかり。しかしその原因を正しく知れば、苦しみから脱することができるのだとブッダは、そして仏教は、説いているのです。
私はいままできびしい修行をして聖者になることを弟子たちに教えてきました!!
そうじゃない! そうじゃないんだ!
聖者どころか神には…だれでもなれるんだ!!
(『ブッダ』カジュアルワイドSPECIAL10巻から引用)
マガダ国の王となったアジャセの額に巨大な腫れものができ、彼は苦しんでいました。ブッダは腫れものに指を当て温もりを伝えるという加療をしますが、それは1日に12時間、3年の間続きました。その甲斐あって腫れものはしだいに小さくなり、それまで頑なだったアジャセが、ブッダに微笑んだのです。
その微笑みがまるで神のようだったと感じたブッダは、あらためて悟ります。人間の心の中にこそ神は宿っていて、人は誰でも神になれるのだと。
この新たな悟りを喜ぶあまりブッダは走り、山の頂きまで登ってしまいます。それほど大いなる悟りだったのです。
いつも私はいっているね。
この世のあらゆる生きものはみんな深いきずなで結ばれているのだと……。
人間だけではなく、犬も馬も牛も、トラも魚も鳥も、そして虫も……それから草も木も……命のみなもとはつながっているのだ。
みんな兄弟で平等だ。
おぼえておきなさい。
(『ブッダ』カジュアルワイドSPECIAL10巻から引用)
ブッダが、くり返し弟子に説く教えです。すべての生命は平等であり、源を同じくしている。ブッダの哲学と手塚の哲学との共通項であり、読者である私たちもまた大切にしなければならない、智慧の1つです。
これまでの項では主にストーリーに関わる要素を述べてきましたが、本作の魅力はもちろんそれだけにとどまりません。
手塚作品に共通することですが、コマの割り方やページの構成、絵の構成がとても読みやすく計算されているのです。ページをパラパラと早くめくって流すように読んでも、充分に描かれたことを読み取って理解することができます。
殊に『ブッダ』は他の作品、特に『火の鳥』などで用いられている実験的な凝ったコマ割りがかなり抑えられていて、漫画を読んだ経験が浅い人でも、戸惑わずに読むことができます。そのようにあっさりしているようでいて、コマの中は実に丁寧に描き込まれているのです。
手塚の熟達した、こなれたペンタッチと豊かな表現、細かな描き込み、それでいて見やすい画面という構成は見事というほかありません。
・迫り来る戦象
『ブッダ』第1部「浮浪児タッタ」から、コーサラ国の軍が象に乗って押し寄せてくる場面です。象とそれに乗る兵士、空と地面に生える草、騎馬兵、それと書き文字。このコマを構成するものはそれだけですが、それぞれを描き出す描線を見ると、実に巧みに使い分けられています。
草の疎や密、象の力強さや迫力、進軍の勢いなどが目に飛び込んでくるでしょう。
・騎士スカンダの最期
第3部「騎士スカンダ」の主たる人物である、騎士スカンダの最期です。とても微細に書き込まれ、全体的に黒めの画面ですが、目にうるさくありません。ただ描くのではなく線の太細・強弱で濃淡を出し、遠景・中景・近景を描き分けて奥行きを感じさせます。
また、手前で絶命しているスカンダの身体に影をつけないことで、黒めの画面の中に白く残し、存在感を出しているのです。山や森や岩といった大自然の中で、たった1人死にゆくさまを描き、その生きざまや人生を推しはからせるひとコマ。
・宇宙と生命のかけら
第3部「スジャータ」から、死の淵にいるスジャータを救おうと、修行中のシッダルタが心をスジャータの中に入り込ませる場面。彼女の魂は、暗くて得体の知れないものが飛び交う空間を漂っていました。
そこにブラフマンが現れ、ブッダに教えます。大きなかたまりは宇宙であり、宇宙という巨大な生命の源から、無数の生命のかけらが生まれるのだと。
「宇宙」とは、宇宙科学などで研究されるものではなく、仏教の世界観にある宇宙です。すべての生命の根源という抽象的なものを目に見える姿として描き、「それ」であることを納得させるというのはとても難しいことです。
しかし、それをシンプルな意匠で表してしまうことに、思わず感嘆させられてしまうでしょう。
ブッダの生涯というだけで読みごたえがありそうなところ、さらに架空の人物たちを絡め、実在の人物とも合わせて複数の人物のストーリーを並行して描き、最終的に1本のストーリーに撚り合わせることで、『ブッダ』はかつてないボリュームの作品となっています。深みがあり、何度でも楽しめる作品。
本稿を機会に、お読み頂ければさいわいです。
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