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手塚治虫についての本6冊。天才漫画家はどんな人物だったのか。

更新:2020.11.25 作成:2017.2.17

マンガの神様、手塚治虫とはどんな人だったのでしょうか。何本も連載を抱え鬼のように仕事をしていた、速読の達人だったなど、さまざまな逸話が残っています。今回は手塚治虫の実像に迫る本ばかりを集めました。手塚マンガがより一層胸に迫ることでしょう。

マンガとアニメに生涯を捧げた手塚治虫

手塚治虫は1928年、大阪府豊中市に生まれ、治と名づけられました。5歳の時に宝塚市に移り、24歳までを過ごしています。両親の影響からマンガやアニメに親しみ、宝塚大劇場などの行楽施設で大きな影響を受けました。

1935年に池田小学校に入学。いじめの対象となりましたが、漫画絵を描くことで皆に認められていき、いじめもしだいになくなります。昆虫採集にも興味を持ち、ペンネームとして手塚治虫という名前を用いるようになったのもこの頃。1945年の大阪大空襲では九死に一生を得る体験をし、この経験により、生命の尊さをテーマしてマンガを描き続けることとなりました。

デビューは1946年、「少国民新聞」の4コマ漫画『マアチャンの日記帳』の連載でした。その後『新宝島』で赤本ブームを巻き起こし、次々に作品を発表。そして1950年、雑誌「漫画少年」で『ジャングル大帝』を書き始めます。そして『アトム大使』『リボンの騎士』『火の鳥』などの人気連載マンガを描きました。

1961年もともとアニメーションにも興味を持っていた手塚は、手塚プロダクション動画部を立ち上げ、日本初の30分テレビアニメーションシリーズ『鉄腕アトム』の制作を始めました。その後『ジャングル大帝』もアニメ化。その間も『マグマ大使』『W3』など数多くの作品を描き続けています。

1968年頃から、他のマンガ家の台頭で人気が落ちてきたことやアニメーション事業の経営不振も影響し、手塚にとっては冬の時代が訪れます。しかし1973年『ブラック・ジャック』により復活。『三つ目がとおる』『ブッダ』など、また多くの連載を抱えることとなりました。

日本のマンガ界、アニメ界に大きな影響を与え、その世界をけん引した人でしたが、1989年に60歳という若さで亡くなりました。死ぬまで描き続け、多くの人に感動を与えた人生だったといえるでしょう。

手塚治虫にまつわる逸話6つ!

1:マンガの神様は嫉妬の神様でもあった?

数多くの漫画家が影響を受けている手塚治虫ですが、彼自身が才能溢れる人物であったのと同時に、その他の著名な漫画家へ痛烈な批判を浴びせることがしばしばありました。

たとえば、同じく戦火を生き延びた水木しげるに対しては彼の作品『墓場鬼太郎』を読んで、階段から転げ落ちるほどの衝撃を受け、以降は敵対心をむき出しにしたと言われています。 石ノ森章太郎には『仮面ライダー』を読んで、「才能がない」と告げて石ノ森を泣かせて漫画家引退を決意させるほどの衝撃を与えていたと言われています。

2:日本のアニメーション産業の功罪を牽引した漫画家だった?

手塚は当初こそ漫画の連載にて大成功を収めていましたが、60年代になってだんだんとテレビが発達していくと漫画よりもテレビに注目が集まることになります。 彼はそこで『鉄腕アトム』や『鉄人28号』といった自身が手掛けた漫画をアニメ化することで逆転を図ろうとします。

当初はアニメといえば子供が見るもので実写ドラマには遠く及ばないという認識でしたが、彼の作品はそんな認識を打ち破るほどの数字をあげて現在まで続くアニメーション制作のビジネスを打ち建てました。 しかし宮崎駿は、これを日本のアニメ業界の功罪両面備えた業績だと主張します。

手塚は当初伸び悩んでいた利益をキャラクターグッズ販売などで補ったり、安い人件費で制作陣を長時間労働に従事させるなど、職人気質ゆえの待遇の悪さや彼自身が昼夜を問わずひたすら制作に励むために下の人間の労働雰囲気を形成してしまったというのです。

彼の時代から作り出された職人気質のアニメ制作は、その技術力の高さと相まってさまざまな疑問を後世に投げかけているのかもしれません。

3:自分が書いた漫画は細部まで覚えている

『ブラックジャック』を連載していた頃、彼はアメリカに出張に行かなくてはならない時がありました。しかしこの時に『ブラックジャック』の原稿は手つかずでした。そこで手塚はアシスタントに背景、自分はキャラクターだけを書いてつなぎ合わせるということを思いつきます。

当時は電話しかないのでどうやって意思疎通をとったのかというと、彼はアシスタントに方眼紙を持ってこさせ、本棚にあった『三つ目が通る』を取らせ、あるページ数を正確に言い当ててその背景を利用して『ブラックジャック』に応用させなさいと指示したのです。

この調子でアシスタントは次々と指示通りの背景を完成させていったのです。 一方の手塚もキャラクターを書き上げ、締め切り直前には『ブラックジャック』が完成していたのです。彼の記憶力もさることながら、このように電話だけで情報を全て伝えきるというのは、コミュニケーションツールが発達した現代ではそれほど聞かない話ですね。時代を感じるエピソードです。

ちなみに、国際電話の通信量はご存知の通りですので、せっかくもらった原稿料はすべて電話代に飛んだとも……。

4:凄まじい言い訳癖と、感情の起伏が激しい性格の持ち主だった

漫画家にとって編集者の締め切りは何よりも重要なものです。しかし、時間をまともに守らないのが手塚の性格で、彼は言い訳の天才になっていました。

居眠りをしていて編集者が手塚を起こしたら「横になって眠気をとっていただけ」、小松左京との対談に4時間遅刻したら「大阪空港で飛行機が爆発した」、原稿が間に合わずとうとう編集者が窓から原稿を投げ捨てた時に「僕だって大学を出てるんですよ!」と意味不明なことを言うなど、素直に謝るということをしていません。

また彼は失敗を指摘されると激昂しどこかへ行く、締め切りが近づくと編集者から逃れるために事務所のブレーカーを落として居留守を使ったり、海外まで高跳びしてしまう可能性まで指摘されている、約束をしてもすっぽかすなんて普通という相当に破天荒な性格をしていたので、普通の人はとても彼についていけなかったでしょう。

上述のように、殺す勢いで迫らないと本気で相手にされないというのが事実だったのです。

5:医者になるか漫画家になるか迷っていた

幼少期にした決断と母の助け 幼少期から漫画を愛し、ファーブルを彷彿とさせる雰囲気をまとった昆虫少年であった手塚ですが、それだけ勉強に関心があった分学力も相当なものでした。

彼は幼少期に授業中に漫画を書いて怒られたことがあるほど(当時は現代の何倍も馬鹿にされること)でしたが、のちに大阪帝国大学の医学部に進学し、博士号まで取得します。 しかし実験の合間にも漫画を描き続け、やはり漫画を書くことに心が寄ってきます。

母は手塚にただ一言「あなたは漫画と医学のどちらが好きなの?」と聞くと、彼は「漫画だ」と答えました。母はこれにあっさりと同意し、以後の彼は何の躊躇もなく漫画家になることを決意したのです。

優れた頭脳を持っていた手塚ですが、安定した道よりも自分が幸せだと思える道を歩み、やがて日本の漫画界を牽引する存在をなったのです。

6:死ぬまで漫画を描きたかった

手塚は60歳という現代にしてはあまりに早い死を迎えこの世を去ります。彼は生涯700余りの作品を世に発表しましたが、最期まで引退という言葉はありませんでした。

彼は胃癌に侵され、妻や子に制止されても連載を続け、病院のベッドで原稿を書き上げていたと言います。やがて昏睡状態に陥りましたが、意識が回復するとまた筆を執ろうとしていました。 彼塚は漫画に全身全霊を捧げ、未来へのメッセージとして常に発信し続けました。

決して普通の人生を送っていたとは言えませんが、彼の作品にかけた思いは何十年も経った現在まで永く読まれ続け、現在まで彼を目標に日々筆を執る作者は後を絶ちません。

マンガの神様、手塚治虫の人生を知る

手塚治虫の講演会の内容を書き起こしまとめた『ぼくのマンガ人生』では、手塚治虫がマンガに対してどのような思いを持っていたかということについて書かれています。エッセイ風で読みやすく面白いので、手塚治虫入門書としてもおすすめです。
著者
手塚 治虫
出版日
1997-05-20

「空襲などで何回か、「ああ、もうだめだ」と思ったことがありました。しかし8月15日の大阪の町を見て、あと数十年は生きられるという実感がわいてきたのです。本当に嬉しかった。」(『ぼくのマンガ人生』より)

これは第二次世界大戦終結の1945年8月15日のことを思い起こしている場面です。この当時の戦争体験は手塚治虫の人生に大きな影響を与えました。そして「生命の尊厳」という永遠のテーマを常にマンガに取り入れることとなったのです。この時の気持ちがずっと手塚治虫が漫画を描く支えとなりました。

小さい頃はいじめられていたがマンガによって見直されたこと、医師免許まで持っていたにもかかわらずマンガの道へ進んだ理由など、手塚治虫の人生について読みごたえたっぷりです。手塚マンガについての小話も興味深いものとなっています。そんな読みごたえ抜群の、自らの人生についても考えさせられる一冊です。

アシスタントが見る天才、手塚治虫

手塚治虫の編集者から同業者になり、そしてチーフアシスタントを長く務めた人である福本氏。彼がアシスタントの壮絶な状況、手塚治虫の超人的な仕事ぶりを書いた本が『手塚先生、締め切り過ぎてます!』です。
著者
福元 一義
出版日
2009-04-17

マンガの神様と呼ばれた人はどのようにマンガを描いていたのでしょうか。同時に8本連載を持っていたこともある手塚治虫。いつも締め切りを過ぎていましたが、驚くほどのスピードでマンガを完成させていました。その様子が一目で分かる「大音量でクラシックレコードを聞きながら漫画を描く手塚先生」のイラストも載っていて楽しく読み進められます。

アシスタントならではの裏話やイラストによって、どれだけ手塚治虫が才能あふれた人物だったかということが伝わってきます。そして努力も惜しまず死ぬまで書き続けていた手塚治虫に、親しみも湧く作品です。

すべての人へ贈りたい、地球を考える名著

『ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ』は手塚治虫が書いたエッセイ集です。自身が描いたマンガを引用し、どのような思いを込めていたのかということをまとめています。そこに詰まっているのは未来を憂う気持ち、警告、子どもたちへの想い。私たちが考え、行動しなければならないことは何か考えさせられる作品です。
著者
手塚 治虫
出版日

科学技術が生命を傷つけ、社会をゆがませることや、意味のない延命治療への疑問を提唱している手塚治虫。1989年に亡くなった人物が書いたとは思えないほど、現代の問題とリンクしています。

子どもたちに明るい未来を残したいというのは、多くの人が持つ希望ではないでしょうか。マンガなんて読まない、つまらないという大人の方にぜひ読んでもらいたい本です。分かりやすく書かれていますので、もちろん子どもたちにもおすすめの名著といえるでしょう。

手塚治虫と編集者との壮絶バトル

トキワ荘といえば、手塚治虫と彼を慕うマンガ家の卵たちが住んでいたアパートで有名です。そしてそこから石ノ森章太郎や赤塚不二夫、藤子不二雄、水野英子など一流マンガ家たちが世に出ていきました。そんなトキワ荘で手塚治虫を担当し、その他にも多くのマンガ家を育て上げた編集者が当時を振り返って書いた本が『トキワ荘実録―手塚治虫と漫画家たちの青春』です。
著者
丸山 昭
出版日

本人が語るからこそリアルな手塚治虫とのバトル。どうやって書かせるか、缶詰にさせるか、他の出版社より先に原稿をもらうかなど、面白い話でいっぱいです。手塚治虫の仕事ぶりも驚くべき内容ですが、一流マンガ家たちを育て上げた著者の功績も素晴らしいものです。逃げ出しても連れ戻し、叱咤激励して書かせた様子が目に浮かびます。マンガ家たちの伝説的なエピソードも多く、初めて知るような逸話を楽しむことができるのではないでしょうか。

手塚プロダクション マンガで読む手塚治虫の生涯

手塚治虫の生涯を知りたいと思ったなら『手塚治虫物語』を読んでみてください。マンガですが情報量が多く、誕生から死ぬまで、マンガに賭けた人生を丁寧に描いています。時系列に沿っているので、どの時代に何の作品を書いていたのかが一目瞭然です。
著者
["伴 俊男", "手塚プロダクション"]
出版日

子どもの頃から多才ぶりを発揮し、マンガだけではなく、昆虫採集などいろいろな方面に興味を示していた手塚治虫。両親、学校教師を始め、周りの人に恵まれていたことが分かります。そんな子ども時代を基礎としてマンガの神様はできあがっていったのだと、彼の人生からその作品性により理解が深まるのです。

アニメーションに手を出してからはさらに忙しくなり、お金にもならなかったにも関わらず、子どもたちのためにアニメ制作をやめなかった手塚治虫。常に子どもたちの未来を考える精神が伝わってきます。手塚治虫の偉大さをあらためて認識できる作品です。

仕事の鬼、手塚治虫の正体とは

『ブラック・ジャック創作秘話』は、編集者やアシスタントに取材し、それを基に手塚治虫像を作り上げた伝記マンガです。恐ろしいほどの手塚治虫の仕事ぶりが伝わってきます。面白エピソード、驚きのエピソードが満載で手塚治虫の知らなかった一面も発見できるのではないでしょうか。
著者
出版日
2011-07-08

アシスタントの過酷な仕事場は今でいうとブラック企業のようですが、本人たちが納得しているので熱気のあるいい雰囲気が伝わってきます。神様があれだけ働いているのだから、自分も働かなければという意識だったようです。タクシーのなかでも飛行機のなかでもマンガを描き、それに平行してアシスタントに指示まで出していた手塚治虫。天才という一言では表せない人物でした。

編集者との締め切りバトルも壮絶で、誰もが熱くマンガ作りに励んでいたのだと実感させられます。手塚治虫の作品がこんなにも愛されているのは、そんな限界を超えた領域で作られているからかもしれません。ぜひこの本で神の領域を感じてください。

どの本を読んでも手塚治虫の天才ぶり、超人ぶりについて書かれています。本当にすごい人だったのでしょうね。手塚マンガが好きな人も、読んだことない人も、マンガが読みたくなるはずです。