手塚治虫と言えば誰もが知る「漫画の神様」です。そんな彼にも、有名なタイトルの影に埋もれて、あまり知られていない作品がいくつもあります。今回はその中から大人向けの設定が面白い、おすすめ漫画を5作品ご紹介しましょう。
皆さん2月9日がなんの日かご存知ですか?この日は、1989年に亡くなった「漫画の神様」手塚治虫の命日です。それにちなんで2月9日は「漫画の日」と言われています。
代表作は『鉄腕アトム』、『火の鳥』、『ブラック・ジャック』……。数え上げればきりがありません。多作で知られる手塚は取り憑かれたように仕事に打ち込み、病床でも漫画を描き続けました。死の間際の言葉も「仕事をさせてくれ」だったそうです。
手塚治虫は日本で知らない人がいない有名漫画家です。一時代を築いて頂点に居続けたように思われますが、実は違います。70年代の劇画ブームでは人気が落ち込み、旧来漫画の代表格として過去の人物扱いされていました。しかし、生来の負けん気と貪欲に物事を吸収する手塚は、自身の医学知識を元にした『ブラック・ジャック』で復活を遂げたのです。
手塚と言えば、特徴的なベレー帽の優しげなおじさんの姿が有名ですが、本人は肖像とかけ離れた型破りな人物でした。なんにでも興味を持ち、新しい才能に嫉妬し、手当たり次第に連載しては編集者や締め切りから度々逃げ出していました。『ブラック・ジャック創作秘話』などではそんな手塚の人となりが詳しく描かれています。
晩年の名作『アドルフに告ぐ』からも窺えるように、手塚は青年漫画も精力的に執筆しています。手塚作品は普遍性の高い作品多いですが、大人向けに生み出された作品には風刺的な内容のものが多数あります。
主要人物、門前市郎は破天荒で多才な男です。彼は性交を映したTVを監督しますが、当然のように非難が殺到。放送中、映像に特殊効果を加えることで乗り切ります。門前は彼を問題視する放送局上層部にクビに。後に番組が驚異的な視聴率を記録したとわかると、上層部は再契約を持ちかけますが門前はこれを固辞し、新たな企画を練り始めます。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2008-10-17
次に門前が企むのは、小百合チエを利用した芸能プロダクションの成功です。彼女は元々歌唱力に定評のある覆面歌手でした。しかし、とてつもない不細工で大食家という欠点があり、門前は売り出し方を悩みます。門前は偶然、彼女が絶食すると美女に変身する体質だと気付き、人前に出る時だけ空腹にさせ、絶世の美女として売り出すことを思い付くのです。
過去のチエと芸能プロの成功は一時的なものでした。しかし、門前の野心は消えません。そんな時、チエの恋人・山辺音彦が現れます。山辺は芽の出ない漫画家で、門前はある出来事から山辺もまた特殊能力を持っていることを知ることに。それは自分の妄想世界に他人を取り込む能力「ジレッタ」。門前はジレッタをプロデュースし、世界を席巻する算段を立てます。
「だれかが真理をいった。太ったブタよりやせたソクラテスになれとね」(『上を下へのジレッタ』より引用)
門前はチエに向かってこう言います。これは60年安保の折、東大卒業式で大河内総長が語ったかがよく議論される有名な言葉でしょう。大元はJ.S.ミル『功利主義論』の一文で、尊厳のない満足より苦しくても自己確立している方が良い、といった意味です。そして本編で飢えて苦しむのはチエだけ。一方の門前が一方的に儲かって肥え太るという構図はなかなかに示唆的です。
手塚自身が語っていますが、チエが飢えて美女に変身するのは、女性がダイエットに腐心する様子への風刺となっています。女性蔑視にも思えるかもしれませんが、そうではありません。門前が話題性のためにチエと組ませようとする海外スター、ジミー・アンドリュースもチエ同様に音痴を機械でごまかしているのです。世の中嘘だらけ、と手塚治虫が描いているのではないでしょうか。
翻意にする放送局、移り気な世間、功利的刹那的な上辺だけのまやかし。まさにまやかしそのもののジレッタが世界を覆う……。本作は先見性のある手塚が描いた仮想現実モノと言えますが、まるで現実の世相そのままではありませんか。私達もネットに氾濫する情報の取捨選択には注意したいものです。
ちなみに大河内総長は実は件の発言をしていないとか。はたして真相はどうなのでしょうか。ネットで検索しても真実かどうかはわからないかもしれません。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
「『永らうべきか死すべきか』……とはよく言ったもんだ」(『人間ども集まれ!』より引用)
東南アジア某所、独裁国家パイパニア。自衛隊隊員・天下太平は義勇兵としてパイパニア戦争に派遣されていましたが、長らく続く内戦に嫌気が差して脱走します。その途中、太平は同じ日本人脱走兵で軍医の大伴黒主と出会います。ふたりは無人と化した村落に逃げ込みますが、追ってきた政府軍によって捕縛されます。
捕らわれた彼らは揃って軍用医学研究所へ送られます。そこでは囚人の精子と卵子を用いて人工授精を行い、試験管で胎児が作られていました。幼少期から英才教育を施して従順な兵士を量産する計画です。優生学の権威でもある大伴は、男女の性別がある限り、そこに生じる葛藤が自我を呼び起こして計画は破綻するだろうと指摘します。
一方太平はグラマラス美女、リーチに誘惑されて限界まで精子を採取されます。その精子を調べたところ、2本の鞭毛を持つ特異な精子だと判明します。太平は釈放と引き替えに精子提供を行う契約を結びます。後に、太平の精子から生まれた子供は、男でも女でもない無性人間となることが発覚し、世界を巻き込んだ大事件に発展します。
まず始めに、第2次大戦を経験した手塚は徹底した反戦主義者です。本作の連載背景には同時代のベトナム戦争があります。劇中のパイパニア戦争と現実のベトナム戦争は、どちらも泥沼化した内戦という点で類似しています。他にもベトナム戦争において、手塚と本作に多大な影響を与えたであろうものがあります。それはテレビ中継です。
ベトナム戦争はメディアが歴史上最も深く戦地に入ったことでも知られる戦争です。米国を厭戦気分に追いやるほど無残な戦争報道を、手塚も連日のように目にしていたはずです。手塚はそれで近い将来の戦争経済や、戦争のショー化を予見したのかも知れません。本編中では戦争経済、ショー化した戦争を描くことで逆説的に批判を展開します。
無性人間は太平の精子と適当な女の卵子によって作られますが、個体差はあまりなく事実上のクローン人間扱いです。本編では無性人間のアイデンティティや人権問題を示唆します。現代でも生命倫理の観点から、クローンや遺伝子操作は問題視されていますが、手塚が50年前すでに同様の問題点を浮き彫りにしていることは特筆に値するでしょう。
第3の性、無性人間。彼らが世界に広まる時、社会に及ぼす影響とは。ぜひ本作でご確認ください。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
- 2010-11-12
「真相がわかったところでどうってことでもないがね……おれにひとつの決着をつけたい」(『奇子』より引用)
昭和24年、天外仁朗(てんげじろう)を乗せた復員船が横浜港に着きます。戦争に行っていた彼にとっては5年振りの日本です。迎えに来た母・ゐば、妹・志子(なおこ)との再会もそこそこに、仁朗が向かったのは東京のGHQ本部でした。面会相手は参謀本部第2部の日系中尉。仁朗はマニラの収容キャンプにいる間に、米国の工作員になっていたのです。
郷里に帰った仁朗は、戦争に行っている間に生まれた妹・奇子(あやこ)を見て驚きます。兄・市郎(いちろう)の妻である義姉・すえと同じ特徴があったのです。仁朗は天外家の裏切りの痴情を、仲間を裏切った自身に重ねて苦悩します。そんな時、奇妙な指令が送られてくるのです。それは指定の日時に男を案内し、その後死体を列車に轢かせる、というものでした。
仁朗は任務をこなしましたが、死体を運ぶ時に付着した血を奇子に目撃されます。轢死体は自殺か他殺かが不明な事件としてニュースになりました。事件に仁朗が関係していると察知した天外家家長・作右衛門(さくえもん)は、捜査の手が及ぶ前に奇子を土蔵の地下室に幽閉してしまいます。奇子の証言さえなければ天外家の体面は揺るぎません……。
本作は奇妙な迫力をもって読者に迫ってきます。それは一つには、閉鎖的な村社会を旧家の権力が牛耳るという旧態依然とした専横政治を余さず描いているためでしょう。戦後の農地改正法、特別措置法で衰えた旧家の力に、なおもしがみつく作右衛門と市郎の狂気。それがいたいけな少女を閉じ込めるという、人非人のロジックを組み立てます。
また一つには、実際に起こった事件をモチーフにしているところです。主軸となる霜川事件は、国鉄総裁・下山定則の身に起きた下山事件がモデル。手塚は下山事件を扱った松本清張の『日本の黒い霧』を参考にしたらしく、霜川事件はかなり詳細に描かれます。他には、実在した組織として戦後日本で暗躍したという米陸軍防諜部隊やキャノン機関等も登場。読んでいるとそのリアルさに驚きます。
轢死体で発見された男は、共産主義者の集まりの支部長でした。そのことからこの一件は、当初GHQによるいわゆる赤狩りの走りかと思われましたが、この事件が思わぬ展開を見せていきます。仁朗は一体何に関わってしまったのか。天外家の狂気はいつ終わりを迎えるのか。途方もない年月幽閉され、子供の精神のまま成熟していく奇子の運命はいかに。
『奇子』については<『奇子』5分でわかる怪しい4つの魅力!手塚治虫のトラウマ級エロホラー【ネタバレあり】>の記事でも詳しく紹介しています。気になる方はぜひご覧ください。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
「おれにゃ、とうちゃんがいるんだ。かあちゃんなんかいらねえ。それによォ、マリアがいるじゃんか」(『やけっぱちのマリア』より引用)
主人公ヤケッパチこと焼野矢八は、父親と2人暮らしをする少年です。母親を幼い頃に亡くし、顔も覚えていません。短気で喧嘩っ早く、中学校で不良グループにも一目置かれる一匹狼です。ある日突然、ヤケッパチは保健体育の授業に熱心に聞き入り、「赤ん坊はどこから生まれるのか」と問い詰めます。そして彼はなんと自分が妊娠している、と言い出すのです。
勿論ヤケッパチの体に変化はありませんが、彼は頑として譲りません。そのうちにヤケッパチの体から幽霊のようなものが出てくるようになります。その霊体の正体は、母の愛に飢えたヤケッパチが、自分の中に生み出した女の分身(子供)でした。霊体は便宜的にアダルト人形に乗り移らされ、マリアと名付けられます。
マリアはヤケッパチを生みの親として、また異性としても無垢に慕います。そんなマリアに社会性を教えるため学校へ通わせることになります。学校一の美少女を凌ぐ転校生マリアに生徒は大騒ぎ、硬派で鳴らした一匹狼ヤケッパチも巻き込まれることになります。
連載当時、永井豪『ハレンチ学園』が一世を風靡し、セクシー路線の漫画が次々と発表されていました。本作もその文脈で手塚が描いたものですが、それらとは少し毛色が異なります。手塚治虫の三大性教育漫画に数えられる本作は、学園ラブコメの体裁を使って、お色気を交えながらも真剣に性の問題に言及しているところが特徴です。
性について描かれる本作は、もちろん肉体的な問題も扱いますが、ヤケッパチの精神についても描かれます。具体的にはエディプスコンプレックスです。エディプスコンプレックスとは身近な異性の母を愛し、同性の父を敵視するという男児心理。ところが母親と死に別れたヤケッパチは、コンプレックスの一方、つまり父が欠けた状態で成長しています。中学生という青年への移行期に、分身として女のマリアが登場する意味とは?
マリアは母親の不在を補填する存在として生み出されました。その名前も聖母を連想させます。心理学者のフロイトに依れば、男児は成長体験を通してエディプスコンプレックスを克服するのだそうです。そうだとすれば、ヤケッパチはマリアとどのような関係を築き、またどのように成長していくのでしょうか。
- 著者
- 手塚 治虫
- 出版日
「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、たれ流した排泄物のような女――それがバルボラ」(『ばるぼら』より引用)
主人公の美倉洋介は、新宿駅の片隅で浮浪者と出会います。それは端正な顔立ちとは裏腹に、汚い身なりをした中性的な女性でした。ばるぼら と名乗るその女はヴェルレーヌの詩を諳んじてみせます。美倉は芸術家の感性でそんな彼女を気に入り、自宅に連れて帰ることに。
「なにが時をみじかくするか――活動だ。なにが時をたえがたく長くするか――怠惰だ。なにが負い目に陥れるか――停滞と受け身だ。なにが利益をなさしめるか――長く思案せぬことだ。なにが名誉をまもらしめるか――保身だ。そしてなにがおれのジレンマを救うのか――刺激だ!」(『ばるぼら』より引用)
美倉は流行の耽美主義作家です。彼が出会ったどの女とも異なるばるぼら。その野良猫のような奔放な振る舞いが、美倉の創作意欲を刺激します。
そしてもう一つ……彼は、人間以外の事物が美女に見えるという異常性癖の持ち主でした。バルボラが来て以来、美倉の創作意欲は増大し、そして異常性癖による数々の不可思議な体験に飲み込まれていきます。
本作は耽美作家の美倉が、現実とは思えない蠱惑的で不条理な出来事を体験するお話です。美倉の一人称の体裁を取っていて、まるで私小説のようでもあります。本編には詩の引用や詩的な表現が多数盛り込まれ、ただの漫画に留まらない、芸術性を強く意識させられます。それは耽美作家の表現というより、手塚の芸術家の側面の発露であるように思えます。
本編では「変身」が重要なファクターになっていて、何度もそれが示唆されます。美倉は安部公房、カフカ、アポリネールに言及します。いずれも「変身」をモチーフにした作家や詩人です。それにそもそも事物が美女に見えるという美倉の異常性癖が「変身」的でもあります。美倉が芸術家として刺激を求めることもある種の変身願望だと言えるかも知れません。
そして飄々として中性的な ばるぼらも、劇中で鮮やかに女へと「変身」。バルボラが美倉の生活に与える変化も同様に捉えることが出来ます。倉の生活は全てがバルボラを中心に「変身」していくのです。美倉に不条理をもたらし、そしてその不条理を打ち破るバばるぼら。彼女は一体何者なのか。そして美倉をどこへ導こうとしているのでしょうか。
『ばるぼら』について紹介した<『ばるぼら』狂気の世界が分かる5つの考察!手塚治虫の映画化原作をネタバレ>もおすすめです。ぜひご覧ください。
いかがでしたか。生前から「漫画の神様」と呼ばれていた手塚治虫ですが、彼は非常に負けず嫌いで知られる作家です。時流を読んでは貪欲に作品へ取り込み、当時流行の作家達に対抗しました。その姿勢は全盛期でも衰退期でも変わりませんでした。
そんな手塚の作品ですから、当時の流行や風俗と照らし合わせて読んでみると、また一風変わった楽しみ方が出来ることでしょう。
漫画の神様・手塚治虫についての本を紹介した<手塚治虫についての本6冊。天才漫画家はどんな人物だったのか。>もあわせてご覧ください。