5分でわかる国際連合!日本加盟の経緯、目的や機関などをわかりやすく解説

更新:2021.11.16

第二次世界大戦の勃発を防げなかった「国際連盟」の反省をふまえ、新たに設立された「国際連合」。通称「国連」と呼ばれ、世界のほとんどの国が加盟する世界最大規模の機関に発展しています。この記事では、設立された背景と目的、加盟国、主な機関の役割、日本が加盟することとなたった経緯などを紹介していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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国際連合とは。設立の背景や主な加盟国など概要を簡単に解説

 

第二次世界大戦の後に設立された国際平和機構である「国際連合」。英語名を「United Nations」といいます。本部はアメリカのニューヨークに置かれ、「総会」「安全保障理事会」「経済社会理事会」「信託統治理事会」「国際司法裁判所」「事務局」という6つの主要機関と、その他多くの専門・補助機関で構成されています。

第一次世界大戦後に設立された「国際連盟」は、その権限のおよぶ範囲の限界から、第二次世界大戦の勃発を防ぐことができませんでした。その反省をふまえ、国際連合は終戦後の1945年10月に発足したのです。

英語名の「United Nations」というのは、第二次世界大戦で勝利した「連合国」と同じ名称です。名前に表れているように、連合国の主導で設立されることとなりました。

最初のきっかけは、大戦中の1941年にアメリカとイギリスが発表した「大西洋憲章」です。国際協調のあり方を示すもので、両国は終戦後に国際連盟に代わる新たな国際機構を創設する方針を述べました。

この構想はソ連や中国、フランスも加わり発展。1945年4月に開催された「サンフランシスコ会議」にて、会議に参加した50ヶ国が「国際連合憲章」に署名しました。後に会議に代表が参加していなかったポーランドも署名し、51ヶ国を原加盟国として創設されることとなります。その後も加盟国は増加し続け、2018年現在は193ヶ国です。

日本が国際連合に加盟したのは1956年のこと。日本とソ連の国交回復を宣言した「日ソ共同宣言」の締結により実現しました。以降日本は、国際貢献を念頭に外交を展開。国連の活動を支援する「国連中心主義」をとり、さまざまな貢献をしています。

たとえば国際連合の活動経費である「分担金」。外務省によると、2018年の総額は24億8730万米ドルで、日本はこの10%にあたる2億3530万米ドルを負担していて、アメリカに次ぐ2番目の拠出額となるそうです。

そのほか1992年に実施されたカンボジアへの派遣を皮切りに、「PKO(平和維持活動)」にも参加。日本にとって国際連合は、国際貢献の主軸となる重要な機構であるといえるでしょう。

 

「国際連合憲章」が定める国連の目的とは

 

国際連合は、「サンフランシスコ会議」で署名された「国際連合憲章」のもとに発足しました。「国際連合憲章」には、国連の目的や設置された諸機関の権限、加盟国の権利、義務について記されています。

前文は次のとおりです。

「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し(中略)、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ(中略)、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して(中略)、ここに国際連合という国際機構を設ける。」

国際社会の平和や安全、友好の維持、人々の経済的・社会的発達を促進するために国際連合を設立したことが記されています。

この方針をより明確に示しているのが「国際連合憲章」の第1条です。

・国際社会の平和と安全維持のため、武力行使と平和的手段の双方を実施すること
・世界平和のため、国民の権利を尊重する国家間の友好関係を発展させること
・人種、性、宗教などによる差別をなくし、人権や自由を尊重するために協力すること
・これらの目的を達成するため、国際協調のシンボルとなること

この目的を達成するために、国際連合は日々さまざまな活動を実施しています。

 

国際連合の主な機関と役割を紹介

 

6つの主要機関と多数の専門・補助機関から成り立っている国際連合。
 

まず主要機関は、「総会」「安全保障理事会」「経済社会理事会」「信託統治理事会」「国際司法裁判所」「事務局」。そのなかでも中心になっているのが、「安全保障理事会」です。

その名のとおり世界の安全保障を維持するための機関で、唯一加盟国に対して実施を義務づけられる権限をもち、事実上の最高意思決定機関としての役割を担っています。

「安全保障理事会」は、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の「常任理事国」と、後述する「総会」で選出された10ヶ国の「非常任理事国」の計15ヶ国で構成されています。

常任理事国には「拒否権」が認められていて、彼らが反対する議決は実施されないのが特徴。これは「大国一致の原則」といい、国際連合が大国の利害衝突の場となることを避けるために認められたものです。

その結果、国際連盟で問題となった常任理事国同士の対立を避けることが可能になりましたが、その一方で大国が関わる紛争に対して十分に機能することができなくなってしまいました。

「安全保障理事会」以外にも、意志決定に関わる主要機関として「総会」が挙げられます。「総会」では国際連合に加盟するすべての国が、一国一票の形式で議論に参加。「安全保障理事会」とは異なり、その決議に法的拘束力はありません。ただほぼすべての国が民主的に議論して決定した内容は一定の重みがあり、国際的な総意として少なくない影響力をもっています。

これらの主要機関に対し、より具体的な問題に取り組むのが専門・補助機関です。国際連盟から継承された「国際労働機関」のほか、世界の教育や文化の発展・推進を目指して世界遺産の登録などをおこなう「国連教育科学文化機関(UNESCO)」や、子どもの権利向上や、途上国・紛争発生地の子ども支援をおこなう「国連児童基金(UNICEF)」、国際通貨の安定を図る「国際通貨基金(IMF)」などがあります。

このように国際連合の活動は多岐にわたりますが、いずれも先述した「国際連合憲章」の理念を実現するために実施されています。

 

国際連合へ日本が加盟した経緯

 

第二次世界大戦中、日本はドイツやイタリアとともに「枢軸国」を形成し、約3年半にわたって「連合国」と戦い続けました。しかし1945年9月2日に「ポツダム宣言」に調印し、アメリカを中心とする連合国に占領され、国家主権を失います。

このような状況だったため、当初日本は国際連合に加盟することはできませんでした。

日本が加盟を目指すようになったきっかけは、1951年に第二次世界大戦の講和条約である「サンフランシスコ平和条約」を締結したことです。前文において「国際連合への加盟を申請し、且つあらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守」することを宣言。これに対して連合国側も「日本国の意思を歓迎する」としました。

翌1952年4月に「サンフランシスコ平和条約」が発効されると、日本は主権を回復、同年6月に国際連合への加盟を申請することになります。

しかし当時は冷戦が激化していた時期で、「サンフランシスコ平和条約」は中国やソ連などとは締結しない「片面講和」となりました。ソ連は拒否権を行使し、日本の加盟は実現されませんでした。

その後の日本は、1955年に鳩山一郎内閣が「アジア・アフリカ会議」に参加して国際協調をアピールしたほか、1956年には「日ソ共同宣言」を結んでソ連との国交再開に成功。その結果、1956年の12月に国際連合への加盟が実現しました。1933年に国際連盟を脱退して以来、実に23年ぶりに国際社会に復帰したのです。

 

国連憲章にもとづいて全体像をまとめた一冊

著者
植木 安弘
出版日
2018-02-13

 

本書は、国際連合に関わる必要事項を網羅し、その全体像をわかりやすくまとめた作品です。

国際連合が果たしてきた役割や実績について、実際の事例をもとに解説がなされています。学校の授業で習う程度の知識があれば十分に読み解くことができる、初心者にもおすすめの一冊です。

 

国際連合大使として活動した作者が提言する、日本の関わり方

著者
北岡 伸一
出版日
2007-05-01

 

作者の北岡伸一は、2004年から2006年にかけて外務省に出向し、「国際連合日本政府代表部」の次席代表・特命全権大使を務めた人物です。本書はその時の経験をもとに、特に「安全保障理事会」の意思決定プロセスを取りあげて解説しています。

今後の国際連合との関わり方や、日本が「常任理事国」入りを目指す必要性について作者の主張がまとめられていて、そちらも注目です。

 

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