【連載】1年の始めだからこそ読みたいおすすめの本『人間失格』

更新:2019.1.5

どろどろとした黒い水が排水口に流れていく。毎晩、風呂に入る前に洗面台で化粧を落とす。自分の顔から垂れ落ちた残骸が、消えていく。汗をかいても絶対に落ちないといわれているマスカラを冬でも塗りたくり、開いた毛穴をファンデーションで埋めている。それをすべてオイルで落とすのだ。

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本当のこと、本当の自分

 

化粧をしなければ外に出れない。ましてや誰かと喋ることなんてもっとできない。私にとっての化粧は、醜い顔を隠すのと同時に、本当の自分を覆い隠し、「私」を作りあげてくれる魔法のベールなのだ。

外に出て誰かと会話をしていると、しばしば自分の気持ちとは全く異なる言葉が口から出てくることがある。小さい頃は「こう答えれば大人が喜ぶ」「この質問にはこの答えが正解」と理解したうえで考えて言葉にしていたけれど、近年は自分が考える前に勝手に口から出てくるようになった。

明るくて友人からいじられる「私」、まあまあ勉強はできるのに誰でもできる問題でうっかりミスをしてしまう「私」、普段は明るいのに二人っきりになると悩みを打ち明ける「私」……いつしか、どれが演じている「私」で、どれが本当の自分の気持ちなのかわからなくなっていった。

人は誰だって、コミュニティや相手によって複数の顔をもっているだろうし、きっと私のしている行動もしごく当たり前のことだ。そこまで自意識過剰になる必要はない。

「彼等がどんなに苦しく、またどんなことを考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただおそろしく、その気まづさに耐える事が出来ず、既に道化の上手になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、一言も本当の事を言わない子になっていたのです。」(『人間失格』より引用) 

 

著者
太宰 治
出版日

 

1年の始まりである正月は、毎年太宰治の『人間失格』を読むと決めている。太宰作品を好む人の多くは、「この小説は自分のことを言っている」と思うらしい。私も初めて『人間失格』を読んだ時、その類に違わず「おんなじだ」と思った。

「つまり、わからないのです。隣人の苦しみの性質、程度が、まるで見当がつかないのです。(中略)考えれば考えるほど、自分には、わからなくなり、自分ひとり全く変っているような、不安と恐怖に襲われるばかりなのです。自分は隣人と、ほとんど会話が出来ません。何を、どう言ったらいいのか、わからないのです。そこで考え出したのは、道化でした。」(『人間失格』より引用)

他人と全く違う感性をもっていると思っている主人公の大庭葉蔵。それゆえに他人を恐れつつも、道化を演じるようになる。ごまかしながら生きているものの、やがて周囲の人たちも互いに欺きあっていることに気づく。

「互いにあざむき合って、しかもいずれも不思議に何も傷もつかず、あざむき合っている事にさえ気がついていないみたいな、実にあざやかな、それこそ清く明るくほがらかな不信の例が、人間の生活に充満しているように思われます。」(『人間失格』より引用) 

ほらやっぱり、私だけじゃない。きっとみんな、親も、友達も、恋人も、それぞれの「私」を作ってるんでしょう?そんな人同士が話し、笑い合うことに、意味はあるのだろうか?

「つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけたことさえあります。自分は、いったい幸福なのでしょうか。」(『人間失格』より引用) 

 

 

化粧を落として風呂に入ると、私は湯水のように独り言を垂れ流す。あの時言えなかったこと、あいつに言ってやりたいこと。シャワーの湯でおぼれそうになりながら、どこかに溜まっていた言葉を吐き続ける。その姿こそまるで、道化のようだ。

1年の始めに『人間失格』を読むことは、私の精神をどん底に落としながらも、肯定してもらう作業でもある。この作業が結果的に自分を傷つけているのか、癒しているのかまだわからない。ただ確実にいえることは、太宰治は、これまで私が生きているなかでどうにも表せなかった感情を言葉にしてくれたということだ。

やはりそこに、小説を読む醍醐味があると思う。こんなややこしい、くだらない感情を誰かが代弁してくれる。本書を最後に太宰は自ら死を選んだため、『人間失格』は「遺書」だと捉えられたり、はたまた自伝、いや何度も内容を推古したフィクションだなど、作品に付随するさまざまな情報があるが、難しいことは置いておいてもきっと楽しめる。

世の中に多くの太宰ファンがいるということは、きっとみんなも、私とおんなじようにぐちゃぐちゃと、どろどろと何かを抱えているということか。『人間失格』は、人生に絶望しつつも、どこか希望も与えてくれる作品なのだ。だからこそ1年の始めに読むことをおすすめしたい。

 

著者
太宰 治
出版日

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