『刑務所の中』は隔月漫画誌「アックス」で連載されていた花輪和一の作品です。銃砲刀剣類不法所持の実刑で実際に3年間、刑務所にいた経験のある作者が、当時の日記や記憶を元に描いた獄中体験エッセイ漫画となっています。普段目にしない刑務所の内実が知れる本作について、その魅力と合わせてご紹介しましょう。
作者・花輪和一は銃砲刀剣類不法所持、火薬類取締法違反で懲役3年の実刑(執行猶予なしに服役すること。執行猶予とは実生活を一定期間見守り、無事に経過した場合に同等の服役期間を免除する制度)を受けます。
- 著者
- 花輪 和一
- 出版日
- 2006-05-12
作中では、作者が裁判中に収容された拘置所、刑確定後に入った刑務所の雑居房や独居房での経験、同じ時期に交流のあった受刑者について、思い返せる限りの内容がこと細かに語られていきます。
題材が非常に珍しいこと、刑務所の中での出来事という陰鬱なイメージとは裏腹に、どこかユーモラスで滑稽な内容が人気となり、エッセイ漫画としては異例の大ヒットとなりました。
朝日新聞が主宰する2001年に手塚治虫文化賞の最有力候補となりましたが、マイナーな作家が受賞すべきではないとして、花輪は自ら辞退したそうです。
2002年には俳優の山崎努の主演で、同名の映画が作られました。
花輪和一(はなわ かずいち)は1947年4月17日生まれ、埼玉県出身の漫画家です。
中学校卒業後に上京し、工場に勤めるかたわらでイラストレーターをしていました。今でも語り継がれる伝説のサブカル漫画誌「月刊漫画ガロ」に掲載されていた、つげ義春『ねじ式』に影響されて自身も投稿。1971年に『かんのむし』がが掲載されて、商業デビューを果たしました。
作風は怪奇色の強い猟奇的なものであり、それでいて奇妙なエロスを感じられるのが特徴。独特なエログロで知られる作家・丸尾末広と並んで、「耽美系作家」ともいわれていたようです。
ある時、元より銃器・機械好きだった彼が、改造モデルガンと一緒に本物のライフル銃と実弾を不法所持していたことが発覚。
1994年に銃砲刀剣類不法所持、火薬類取締法違反で北海道警察に逮捕され、在宅起訴。懲役3年の判決を受け、札幌刑務所や函館少年刑務所(未成年の収監が主目的ですが、刑務所の収容数の問題や移管などで成人の受刑者が入ることもあるようです)で服役しました。
1997年に仮釈放された後、今回取り上げる『刑務所の中』を発表するのです。
ちなみに、さくらももこの自伝的漫画『ちびまる子ちゃん』に登場する花輪一彦(花輪くん)は、この花輪和一がモデルとされています。といっても、名前だけですが。キャラとしての実際のモデルは女性だったそうです。
主な舞台となる刑務所について、まず簡単にご紹介しておきましょう。
刑務所とは、刑事裁判で懲役刑や禁固刑が確定した受刑者が入る矯正施設です。刑法で定められた犯罪者(刑事事件のみ。民事訴訟で敗訴しても入ることはありません)が刑に服させながら、社会復帰を促す場所です。
拘置所は、裁判中で判決が未確定の刑事被告人に、逃亡や証拠隠滅をさせないよう収容しておく施設のこと。刑務所に付随する拘置支所を除けば、全国にたった8箇所しかありません。
留置場は、刑事被告人や被疑者を「留め置く」ために設置された警察署内の施設。逃亡防止施設という意味では、拘置所と同じです。
他には刑務所と拘置所は法務省の管轄で、留置場は各警察署の管轄という違いもあります。
拘置所は刑未確定で入るところなので、刑務所と違って労役はありません。従って、運動時間以外は基本的に身体を動かせないそう。拘置所暮らしについては作者いわく、
毎日毎日規則正しく
食っちゃ寝食っちゃ寝して
食うことが仕事のようなもんだな
(『刑務所の中』より引用)
刑務所に入ると、特に禁固刑(作業をしてはいけない刑罰。楽なように思えるが、何もない場所で何も出来ないのは苦痛だそうです)でない限り、複数人で共同生活をする雑居房に入ります。
そこでは当然、刑務所内の小さな社会が発生。刑務官の目があるので建前上は上下関係はありませんが、作業時間や就寝時間以外はざっくばらんに交流が持たれるようです。
刑務所という自由のない生活では、外界の情報は一部の新聞や雑誌、限られた時間のテレビだけです。それ以外の話題は、自然と自身の身の回り――すなわち受刑者のものとなっていきます。それも、実にくだらないものばかり。
私物のポルノ小説(グラビアなどは駄目だが、小説ならある程度見逃されるため)の話だったり、食べ物のこだわり、誰それの股間が凄いだの、態度の良し悪し……有り体にいえば、中学生や高校生男子の他愛ない会話と非常に近いようなのです。
ただ、そんななかでも刑事罰を受けることになった原因など、物騒な話題が飛び出してくるのが、刑務所エッセイの醍醐味でしょう。
刑務所で科される作業は地方や個人の能力によってさまざまですが、作者は主に木工場で木彫りの細工などをしていたようです。こうして作られたものは刑務所作業製品といって、出来上がったものは市場で販売されています。
この労役によって、ほんのわずかですが収入を得ることが出来、刑務所生活で私物を購入したり出所後に受け取ることが可能。
これによって手に職を付け、出所後に働き口を求める受刑者もいるようです。
単調で味気ない刑務所の暮らしのなかで日々の楽しみといえば、食事しかないそうです。昔から刑務所は「臭い飯」などと揶揄されますが、少なくとも作者が服役した当時にはすでにかなり美味しい食事が出ていたよう。
作者の詳細なメモによっていくつも登場しますが、特に印象的なのは春雨スープでしょう。実写映画でもフォーカスが当たりましたが、春雨が大盛りになったこのスープが、本当に美味しそうなのです。
- 著者
- 花輪 和一
- 出版日
- 2006-05-12
他には小倉小豆やフルーツカクテルサラダなどの甘味が印象的。刑務所はとにかく甘さと断絶した環境なので、受刑者が楽しみにしているメニューとして描かれます。
美味しすぎて脳が溶ける描写がされ、まるでホラー漫画のようなのですが、自我崩壊するほど感動する様子が伝わってくるでしょう。
いかがでしたか?『刑務所の中』には、まだまだ紹介しきれないエピソードがたくさんあります。気になった方は実際に手に取って読んでみてください。