『るろうに剣心』の主人公は、頬に十字傷をもつ剣士・緋村剣心。東京下町にふらりと現れ、己れの目にとまる人々を守ってきた一人の剣士について、掘り下げてみたいと思います。
まずは緋村剣心(ひむらけんしん)について、簡単にまとめてみました。
- 著者
- 和月 伸宏
- 出版日
- 1994-09-02
女性と見間違うほどのやさしい顔立ちと、少年のような見目の若さに、頬の十時傷、後ろで結わえた長髪が特徴です。
「おろ」という口ぐせが特徴で、普段はとぼけた言動を見せているのに、事件が起きればすさまじい眼力と、鬼のような強さを発揮するというギャップ萌えの要素を持っている、少年漫画の主人公として言うこと無しな個性を持っています。
ストーリーを通じて、剣術、信念の強さはもちろん、人としてのやさしさが重なり合い、話を重ねるごとに、さらに魅力的な人物として成長していきます。
緋村剣心のモデルになったのは幕末の侍・河上彦斉(かわかみ・げんざい)。「人斬り彦斉」の異名を持つ、幕末の四大人斬りの一人です。
彦斉の剣術は自己流だったそうですが、片手抜刀による低い姿勢からの逆袈裟斬りを得意としていたとのことで、剣心の剣術と似ています。普段は温厚ながら、冷酷に人を斬る残忍性を持ち合わせるという性格も共通しています。
もちろん、緋村剣心は河上彦斉という人物をトレースしただけのキャラクターではなく、確立された別個の人格です。
剣心を形容するのに「短身痩躯(たんしんそうく)」という言葉がたびたび登場します。「背が小さくて痩せ型」という意味です。
彼の身長は、158cm。確かに現代の成人男性と比べるとずいぶん小さいですが、本作の舞台は明治11年(1878年)のため、今から140年前になります。
平成29年の17歳男性の平均身長は170.6cm、確かに剣心より12.6cmも高いですが、明治33年(1901年)の同年代平均身長を見ると157.9cmのため、彼は平均的な身長だったと言えます。(出典:文部科学省「学校保健統計調査」より)
本作には長身のキャラクタがたくさん登場するため、短身痩躯と言われていたのでしょう。
ちなみに、斉藤一は183cm、四乃森蒼紫は182cm、御庭番衆の式尉は195cm、志々雄十本刀の不二にいたっては840cmです。明治時代の日本人としては、いずれも巨漢と言えます。
剣心が「短身」と言われたのは実測値ではなく、相対的なものだったのですね。
第一幕では曖昧にしか明かされなかった年齢が、はじめて明らかになったのは第二幕「流浪人・街へ行く」の冒頭。神谷薫の発言です。
「ムカツクと言えば剣心の年齢! 28ですって?」
(『るろうに剣心』第1巻より)
28歳というのは、実は満年齢です。しかも、この頃の季節は春で、剣心の誕生日の少し前。あと何日かすれば29歳になるというタイミングだったのです。明治の頃の人が使用していた数え年で言えば、この年の誕生日に30歳を迎えるのでした。
作中での年齢は、本人以外は時代に合わせて数え年。剣心だけが満年令を言うのには理由があります。
本作の掲載誌は、週刊少年ジャンプ。少年誌の主人公が三十路なのはよくないという、編集部の意向により20代にするための苦肉の策だったと言われています。
実は剣心以外にも、志々雄に仕える駒形由美(こまがた ゆみ)と、志々雄の部下である刈羽蝙也(かりわ へんや)が28歳です。剣心だけではなく、ほかのキャラクターたちも若く見えますね。
単行本には、作者・和月伸宏が自身の創作について語るページが設けてあります。そこでは、和月が本作をつくり上げる上で影響を受けたもの、設定やデザインのモチーフにしたものなどを紹介しているのです。
たびたび挙げられているのが、コンピューターゲーム「サムライスピリッツ」。江戸時代中期頃を舞台とした、サムライが剣を振るって戦う対戦格闘ゲームで、1993年に業務用第1作が発表されました。家庭用ゲーム機でもシリーズ展開されており、現在もシリーズが続いています。
この制作秘話については、8巻で語られています。
- 著者
- 和月 伸宏
- 出版日
- 1995-12-01
和月はこのゲームに触れて、キャラクターの造形や動き、数々の必殺技に魅せられ、本作に取り入れていきました。連載されていた1990年代半ばから後期にかけて、漫画とゲームがお互いのいいところを吸収し、それぞれの文化を成長させた時代でもありました。
本作にときどき登場する「武器破壊技」や「対空技」というちょっと特殊な言葉は、実は「サムライスピリッツ」で使用されていた用語。
剣心や斉藤一、志々雄真実らが繰り出した技は、単なる剣の打ち合いではなく、和月が「サムライスピリッツ」で格好いいと感じたものを吸収し、少年漫画の表現に落とし込んで表現したものなのだったのです。
さらに2003年には、「サムライスピリッツ」シリーズ7作目「サムライスピリッツ零」を発表したのですが、何とこのゲーム、キャラクタデザイナーとして和月が起用されています。
漫画とゲーム、和月とSNK社が互いのいいところを取り入れて、ともに向上させ合うというよき関係が結ばれたということなのかもしれません。
主人公・緋村剣心は、かつて緋村抜刀斎を名乗り、日本のために暗躍しました。何だか頼りない雰囲気を漂わせているけれど、本気を見せれば、誰も太刀打ちできない強さを持った剣士です。
しかし剣心は作中「最強」の男というわけではなく、彼よりも強い者がいました。十三代目 飛天御剣流(ひてんみつるぎりゅう)継承者・比古清十郎(ひこ せいじゅうろう)です。剣心の名付け親であり、飛天御剣流の剣術を教えた師匠です。
実は、飛天御剣流奥義伝授のときに、剣心は比古の九頭龍閃を天翔龍閃で破ったことがあります。比古を上まわったはずですが、彼の剣が逆刃刀で、しかも目釘が緩んでいたため、大きなダメージはなかったとされています。天翔龍閃を食らった比古は倒れたものの、一晩も経てばけろっとしていました。
剣心が普通の刀を使っていたとしても、一太刀受けただけで比古が生命を失うまでの傷を負わせることができたかは、定かではなさそうです。
また、作者も「比古は全キャラクターの中で、最強の剣術を持っている」と記していることから、主人公である剣心が最強とは言えないのかもしれません。
- 著者
- 和月 伸宏
- 出版日
- 1995-02-03
ある人物から依頼され、悪徳貿易商の私兵団について聞き取り調査をしていた剣心は、私兵団の組織図を紙に書きました。それを見た元喧嘩屋・相良左之助(さがら さのすけ)と薫は次のように言っています。
「お前、字、ヘタだったんだなあ 」
「ほんと…和月なみね…」
(『るろうに剣心』3巻から引用)
「和月」というのは、作者・和月伸宏のことです。しかし本作に出てくる字をみると、それほど下手でもないように思えます。左之助や薫は、達筆だったのかもしれませんね。
公式ファンブック『るろうに剣心 完全版 ガイドブック 剣心皆伝』によると、剣心は関西出身とのこと。
そして、それを裏付けるのが比古とはじめて出会ったときです。このエピソードは12巻にて語られています。
- 著者
- 和月 伸宏
- 出版日
- 1996-09-04
剣心は6歳にして、両親を病気で亡くしました。身寄りのない彼は、人買いの一団に引き渡されることになります。そして、一団が移動中に山賊の襲撃にあい、皆殺しにされているところを比古に助けられました。
このときの比古が、明治になってからも住処を移動していなかったとしたら、剣心が助けられたのは京都近辺ということが予想されます。
京都近辺の生まれだったとしたら、まったくの関西弁の子供であったとしてもおかしくありません。初登場時から一貫して標準語で話されていますが、これは漫画の様式としてそうなのであって、ほんとうは関西弁で話しているのが自動翻訳されているのかもしれませんね。
最新シリーズ北海道編では、逆刃刀ではなく倭杖(やまとづえ)を帯びています。
これを考案したのは「最後の剣客」と呼ばれる榊原鍵吉(さかきばら けんきち)。幕末に幕府に仕え、明治に入ってからは廃刀令などによって刀と刀を振るう場をなくしてしまった士族のために剣術を見世物とする撃剣興行を行い、生活に困った士族を助けたという実在の人物です。
- 著者
- 和月 伸宏
- 出版日
- 2018-09-04
倭杖とは、姿は巨大な十手のような、帯に掛けるための鉤がついた木刀。榊原はこれを刀の代わりに腰に帯びて明治の時代も剣客として生きていましたが、刀を廃する法律が出ている世の中だったため、杖と称していたのです。また、榊原は倭杖を振るったエピソードを持つ歴史上の唯一の人物。
幕末から明治初期にかけての緋村剣心は河上彦斉をモデルとしていましたが、「北海道編」には榊原鍵吉の要素が加わったと考えられるのかもしれません。榊原の要素を取り入れることで、さらに剣の達人として強くなっていくのかもしれません。
『るろうに剣心』の連載開始から20年以上が経ちますが、未だ人気が衰えない本作。続編が始まり、これから新しい事実も明らかになってくるかもしれません。今後も注目していきましょう。