「人種差別」は日本にもある!対策、アメリカの歴史などもわかりやすく解説

更新:2021.11.18

黒人差別や黄禍論など、多民族国家でおこなわれているイメージが強い「人種差別」。しかし実は日本にも存在しています。この記事では、差別意識が引き起こした事件や、対策、アメリカの歴史などをわかりやすく解説。あわせておすすめの関連本も紹介するので、チェックしてみてください。

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人種差別とは。定義などを簡単に解説

 

特定の人種や民族、国籍をもつ人に対して嫌がらせなどの行為をする「人種差別」。英語では「Racial Discrimination」といい、人種差別主義者を「レイシスト(Racist)」、差別的な言動などで相手に不快な思いをさせることを「レイシャルハラスメント」と呼んでいます。

1963年、国際連合の総会において人種差別撤廃に関する宣言が採択され、1965年には「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」(通称:人種差別撤廃条約)が採択されました。

この条約で、人種差別は「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定義されています。

人類史において人種差別の例は多く、古代ローマにおける周辺異民族に対してや、近代まで続いたロマと呼ばれる移動生活者に対して、ユダヤ人に対して、アメリカにおけるインディアンや黒人、アジア人種に対して、中国における中華・四夷思想など枚挙にいとまがありません。

同じヨーロッパでも、イングランドに支配されていたという過去からアイルランド人のように差別を受けた民族もいます。

現在でも世界各地で多くの人が人種差別に苦しみ、人道危機に繋がっている例もあるなど、国際的な課題となっているのです。

 

人種差別が原因の事件

 

ユダヤ人迫害

人種差別を原因とする事件としてはもっとも大規模かつ有名なのが、第二次世界大戦中のナチスドイツによる、ユダヤ人の迫害です。

指導者のヒトラーは「アーリア人こそが世界でもっとも優れた民族であり、ユダヤ人との混血で汚してはならない」という考えのもと、8分の1以上ユダヤの血を引く者を「ユダヤ人」と規定。公職から追放し、企業経営を禁じるなどの政策を実行しました。

アウシュビッツをはじめとする強制収容所を建設し、「ホロコースト」と呼ばれる大量虐殺もしています。実に500万人以上のユダヤ人が殺されたそうです。

アパルトヘイト

南アフリカ共和国における、白人と非白人を区別する政策のこと。アパルトヘイトはアフリカーンス語で「分離」や「隔離」を意味します。この政策にもとづき、法律としてさまざまな人種差別がおこなわれてきました。

たとえば「居住地を分離する」「飲食・宿泊・公共交通機関・公衆トイレ・医療機関などを区別する」「人種の違う男女の婚姻禁止」などが挙げられます。1960年には、アパルトヘイトに反対する集会に集まった民衆に向けて軍が発砲。約250人の死傷者が出る「シャープビル虐殺事件」が発生しました。

1994年に初めて全人種による総選挙がおこなわれ、撤廃されています。

ロヒンギャ問題

ミャンマーとバングラデシュの国境沿いに住むイスラム系少数民族「ロヒンギャ」。仏教を主体とするミャンマーの人々から「不法滞在者」という扱いを受け、多数の難民が出ています。多くがバングラデシュに逃れていますが、バングラデシュ側はミャンマーへの強制送還を要求していて、双方に居場所が無い状態が続いているのです。

武装組織による「掃討作戦」もおこなわれ、数万人が殺害されています。

 

人種差別への対策は?「人種差別撤廃条約」とは

 

人種差別をなくそうとする国際的な取り組みは、第一次世界大戦における「パリ講和会議」にて、連合国の一員という立場だった日本が唱えた「人種的差別撤廃提案」が世界で初めてです。その背景には、アメリカやカナダなどで日系移民が排斥されている問題がありました。

採決の結果、11対5で賛成多数となったものの、議長を務めていたアメリカのウッドロー・ウィルソン大統領が全会一致を求めたため、否決されます。

ようやく日の目を見たのが、1965年に国連総会で採択された「人種差別撤廃条約」です。2019年現在、当事国数は179、調印国数は88。日本も1995年に加入しています。「人種的優越または憎悪に基づくあらゆる思想の流布」「人種差別の扇動」などを「犯罪」とし、あらゆる差別を禁止しているのです。

しかし日本は、憲法で守られている「集会・結社・表現の自由」を制約することにつながるとして、この条項に対しては留保を宣言。立法措置はとっていません。

 

アメリカの人種差別の歴史

 

アメリカにおける人種差別の歴史は、建国よりも前に遡ります。また1862年にリンカーンが唱えた「奴隷解放宣言」など、差別撤廃についても長い歴史をもっているのです。

最初の人種差別は、先住民であるインディアンに対するものだと考えてよいでしょう。1492年、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」すると、移民としてヨーロッパから多くの人がアメリカに渡りました。彼らは先住民であるインディアンの土地を奪い、奴隷とします。

免疫がないため、ヨーロッパから持ち込まれた病気によって命を落とす人も多くいて、一説によると、推定1000万人いたとされるインディアンは、19世紀末期には5%にまで減ってしまったそうです。

アメリカ合衆国の成立期には、国境線をめぐってたびたびメキシコと争い、メキシコ系住民を野蛮人として差別しました。

奴隷貿易によってアフリカから連れてこられた黒人たちは、特にアメリカ南部にて奴隷として酷使されるようになります。工業を中心に発展した北部と、農業を主体とする南部との経済格差が広がっていき、奴隷制反対を唱えるリンカーンが大統領になると、「南北戦争」という内戦に発展していきました。

1860年代以降は、大陸横断鉄道の建設にともない、中国人や日本人などアジア系の移民が労働力として用いられるようになります。容姿や生活習慣、宗教の違いなどから「黄禍論(おうかろん)」が形成され、差別や排斥運動が横行しました。

第二次世界大戦中は、同じく枢軸国であるドイツやイタリア系の移民と比べて、日系移民が長期にわたって強制収容所に入れられます。1980年代に入って日本が経済的に興隆すると、日本製品不買運動や、日本人を敵視する「ジャパン・バッシング」もおこなわれました。

1978年の「イラン革命」、さらに2001年の「9.11同時多発テロ事件」以降は、アラブ系の住民やイスラム教徒をテロリストとみなす風潮が広まり、彼らに対してのみ厳重なセキュリティチェックをするなどの差別があります。

またエリート支配層のことを「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント」の頭文字をとって「WASP」というように、同じキリスト教徒であってもカトリックを差別する風潮も。歴代大統領のなかでもカトリックなのは、ジョン・F・ケネディのみなのです。

 

日本にも人種差別はある!身近な例を紹介

 

日本に住んでいると、人種差別を意識する機会はさほどないかもしれません。しかし実は国連の「人種差別撤廃委員会」からたびたび是正勧告を受けるなど、国際的には「人種差別がある」と認識されているのです。

代表的なものとしては、アイヌなどの先住民について、被差別部落出身の人々について、韓国など旧植民地出身者とその子孫についてなどが挙げられます。また「ハーフ」や「クオーター」という表現も、言っている側に悪意はなくとも、「純血」の日本人に対して劣っているように聞こえる差別的な表現だといわれています。

人種差別撤廃を世界に先駆けて唱えた日本ですが、いまだに多くの課題が残されているのが現状です。

 

身近な例から世界を考える

著者
藤川 隆男
出版日

 

「エビちゃんは白人か?」というびっくりする問いかけから始まる本書。人種差別に関する問題は難しいテーマではありますが、身近なところから世界に目を向けて解説してくれています。

「白人性」は、単に肌の違いだけを指しているわけではないと主張。実際のところヨーロッパでは、日本人は肌の色が違うにもかかわらず「名誉白人」としてほぼ同等に扱われているのだそうです。

15世紀以降の欧米から現代までの、人種差別の変遷をわかりやすく説明してくれているので、この問題について学びたい方の最初の一冊にもおすすめ。これからの世界情勢を考える一助になるでしょう。

 

人種差別から戦争を考える

著者
岩田 温
出版日
2015-07-31

 

「五族協和」や「八紘一宇」など、戦前の日本が掲げたスローガンは、長らく侵略を正当化するためのプロパガンダにすぎないとされてきました。しかし本書を読むと、当時の日本には間違いなく「アジアを解放しよう」と考えた人々がいたことがわかります。

人種差別という観点から、なぜ日本が大東亜戦争へと向かっていったのかを紐解く一冊。たに提示された視点はとても新鮮です。

結果的に、アジアの期待を裏切ることになった日本ですが、これからはどのような道を歩んでいくのか、考えさせられるでしょう。

 

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