5分でわかるニクソンショック!原因や影響、日米関係などをわかりやすく解説

更新:2021.11.18

1971年、アメリカのニクソン大統領が「金・ドル交換停止」を発表したことで発生した「ニクソンショック」。別名ドル・ショックとも呼ばれています。この出来事により、従来の金融システムが崩壊し、日本をはじめ世界経済に大きな影響が広がりました。この記事では、ニクソンショックが起こった原因や世界に与えた影響、日米関係の変化などをわかりやすく解説していきます。

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ニクソンショックとは。概要を簡単に解説

 

1971年にアメリカが発表した「金・ドル交換停止」をはじめとする政策の転換と、それにともなう経済の混乱をニクソンショックといいます。

当時のアメリカは、1955年から続く「ベトナム戦争」に介入していました。しかし軍事費の高騰によって財政が悪化。さらに貿易赤字にともない金が国外に流出し、ドルの価値が低下していたのです。

そこでドルの価値を守るために、大統領のリチャード・ニクソンが発表したのが「金・ドル交換停止」でした。金とドルを引き換えることができなくなったため、「ブレトンウッズ体制」が崩壊。アメリカだけでなく世界各国の経済に大きな混乱が生じることとなります。

各国は当初、悪影響の拡大を防ごうとしましたが、失敗。1973年には、従来の「固定為替相場」から「変動為替相場」へと移行し、アメリカを中心とした貿易体制は大きく変化します。日本の高度経済成長期が終わる要因になったともいわれていて、世界経済に大きな影響を与えました。

 

ニクソンショックの背景。原因となった2つの要因とは

 

ニクソンショックの背景には、アメリカの経済が後退したことが挙げられます。その主な要因を説明していきます。

まずひとつ目が、「ベトナム戦争」です。これは当時北と南に分裂していたベトナムの内戦ですが、アメリカはベトナム戦争が勃発する前から、親ソ政権である北ベトナムと対立し、南ベトナムを援助していました。

1964年、北ベトナムの哨戒艦艇がアメリカ海軍に魚雷を発射する「トンキン湾事件」が起こると、アメリカは軍事介入。翌1965年から、北ベトナムへの「北爆」を開始します。

しかし戦いはアメリカの想定よりも長期化し、軍事費は高騰を続け、アメリカ財政は悪化の一途をたどりました。

そしてふたつ目が、ヨーロッパや日本が復興したことにともなう貿易構造の変化です。第二次世界大戦後、戦場となったヨーロッパや日本が荒廃する一方で、本土が戦場にならなかったアメリカは経済的優位に立ちました。そのため、戦後の国際貿易体制は長らくアメリカが中心となって構築されてきたのです。

しかし1960年代になると、ヨーロッパ各国は復興を遂げ、日本は高度経済成長期に突入します。アメリカの輸出量は減少し、輸入量が増加することとなりました。1971年4月には、初めての貿易赤字に。金とドルを交換することがもはや困難となり、ニクソンショックに繋がっていったのです。

 

ニクソンショックが世界に与えた影響は?「ブレトンウッズ体制」と「変動相場制」とは

 

アメリカだけでなく世界経済に大きな影響を与えたニクソンショック。

第二次世界大戦後、アメリカは圧倒的な経済力で金を備蓄しました。これを背景に「金・ドル本位制」を実施します。「金・ドル本位制」とは、ドルを金とならぶ国際通貨の基軸にするというもの。それまでは金のみが国際通貨として認められていましたが、ドルが基軸となる体制が構築されたのです。

これにより、ドルの価値は金によって保証されるようになりました。各国は貿易時に、金に裏付けされたドルを使うようになり、ドルは「基軸通貨」と呼ばれるようになります。

さらに、為替相場を安定させるため、各国の通貨はドルとの「固定為替相場」で価値が定められました。その結果、安定した自由貿易が実現することになります。

これらの方針は1944年に締結されたブレトンウッズ協定で定められ、この協定にもとづく貿易体制は「ブレトンウッズ体制」と呼ばれています。

「ブレトンウッズ体制」は、第二次世界大戦後の国際貿易の基幹となりましたが、前述したとおり1960年代になると、アメリカの経済力が後退したことで状況が変わります。

アメリカが貿易赤字になると、ドルの国外流出にともない、金も流出。ドルの価値を担保していた金が不足して、基軸通貨としてのドルの信頼性が揺らぐこととなるのです。

そして、ニクソン大統領が「金・ドル交換停止」を発表したことで、ドルの「基軸通貨」としての役割は機能不全に。「ブレトンウッズ体制」は崩壊し、世界中の為替が混乱状態に陥ることとなりました。

1971年、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、オランダ、ベルギー、スウェーデンの10ヶ国は、悪影響の拡大を防ぐために「スミソニアン協定」を締結。固定為替相場の維持を試みますが混乱は沈静化せず断念し、変動為替相場への移行を余儀なくされます。

日本も1973年に変動為替相場へと移行。1ドル=360円で固定されていた為替レートは急激に円高に向かい、日本の貿易に影響を及ぼしました。

さらに1973年に「第一次オイルショック」が発生し、1974年の経済成長率は戦後初めてマイナスに。こうして日本の高度経済成長期は終わりを告げるのです。

 

ニクソンショック以降の日米関係はどうなった?

 

アメリカの経済力の後退は、日米関係や、日本を取り巻く国際関係にも影響を与えました。当時は「東西冷戦」の真っただ中で、アメリカはソ連と対抗するために、東アジアの各地に米軍を展開。特に沖縄を「太平洋のキーストーン」として重要視し、施政下に置いていました。

しかし経済力の後退によって従来の方針を維持できなくなり、アメリカは戦略の見直しを強いられることになります。その一環として実施されたのが、沖縄の日本への返還です。

ニクソン大統領は、沖縄を統治するコストを削減するため、1969年に佐藤栄作首相と会談。沖縄返還の方針を発表します。1971年に「沖縄返還協定」に調印、翌1972年に沖縄は日本の施政下に復帰することになりました。しかしアメリカは基地を置き続けたため、その後も基地問題は存在しています。

そのほかアメリカは、ソ連と対抗するために、社会主義国でありながらソ連と対立していた中国へ接近を図りました。日本もこの影響を受けて対話が実現し、1972年に「日中共同声明」が調印されて国交正常化が実現しています。

このようにニクソンショックによって、日米関係をはじめさまざまな分野に影響が広がっていったのです。

 

12の事件を通じて、現代金融システムの在り方解説

著者
倉都 康行
出版日
2014-10-18

 

作者の倉都康行は、東京銀行や各種外資系金融機関の要職を歴任した、金融の専門家です。

本書は、ニクソンショックを皮切りに、日本のバブル崩壊やアジア通貨危機、ユーロ危機など12の金融関連の事件を時系列に沿って解説している作品。それぞれの危機が世界に与えた影響や国際経済のしくみについて、わかりやすくまとめています。

倉都は、ニクソンショック以後の国際資本市場の拡大が、今日の金融システムの原型を築いたと指摘。実務経験豊富な彼ならではの解説は、現代経済の在り方を学ぶうえで大きなヒントになるでしょう。

 

ニクソンショックをはじめ金融危機に立ち向かった男の姿に迫る

著者
ウィリアム・シルバー
出版日
2014-02-07

 

本書は、1979年から1987年にかけて「連邦準備制度理事会(FRB)」の議長を務めたポール・ボルカーの伝記です。

ボルカーは、ニクソンショックの際は主席財務次官として固定為替相場の廃止など事後処理に活躍。その後もFRB議長としてアメリカのスタグフレーションの解消に貢献したほか、サブプライム危機が発生した際は「ボルカー・ルール」と呼ばれる銀行規制案制定に尽力した功績で知られています。

本書を読むことで、彼の人となりだけでなく、1970年代以降のアメリカ経済の動きを理解できるでしょう。

 

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