2011年に始まってから、いまだに終息の兆しが見えない「シリア内戦」。多くの犠牲者や難民を出しています。この記事では、シリアの歴史を振り返りながら、内戦の原因や流れ、代理戦争となった構図などをわかりやすく解説。また、もっと理解を深めることができるおすすめの関連本も紹介していきます。
2011年3月から始まった「シリア内戦」。きっかけは、2010年末から2011年のはじめにチュニジアで約1ヶ月間続いた「ジャスミン革命」と呼ばれるものです。
26歳の青年モハメド・ブアジジが、政府への抗議を表すために焼身自殺を図り、20年以上大統領を務めていたベン・アリーが亡命、政権は事実上崩壊しました。抑圧的な独裁者が長期政権を敷くアラブ諸国に、大きな影響を与えます。
エジプトではその数日後から反政府デモが発生。翌2月には30年以上続いたムバラク大統領の独裁政権が倒れ、リビアでも40年以上続いたカダフィ政権に終止符が打たれました。これら国境を超えた大規模な反政府運動を、「アラブの春」と呼びます。
アラブの春の波は、もれなくシリアにも届きました。初期はデモ行進やハンガーストライキなど市民による抵抗運動でしたが、毎週金曜日におこなわれる礼拝のたびにインターネット上でデモが呼び掛けられ、運動は過激化していきます。
2011年3月15日、シリア各地の都市で一斉にデモがおこなわれ、抗議者と治安部隊が衝突。この日がシリア内戦の始まった日だとされています。
反政府側の要求は、すべての政治犯の釈放と、抗議者を殺害した者への裁判の実施、令状なしで容疑者を拘束できる「非常事態法」の撤廃、汚職の根絶、さらなる自由です。
政府側は、政治犯の釈放や非常事態法の撤廃、内閣の辞職など要求の一部を受け入れて譲歩を示しましたが、市民の行動は収まりません。政府側が軍を投入して鎮圧を図ると、市民も武装して対抗するようになりました。
さらに、政府軍の大佐だったリヤード・アスアドが離反し、「自由シリア軍」という反政府武装勢力を結成。兵士たちも次々に合流しました。「政府」対「市民」という構図から、「政府軍」対「反政府軍」という構図へ発展し、シリア内戦が深刻化していったのです。
内戦が始まってから8年が経った、2019年3月15日に発表されたイギリスの監視団体の報告によると、シリア内戦による死者は約37万人、難民は約1300万人にのぼると考えられています。内戦前の人口が約2250万人だったので、実に約6割の人が難民になっている計算。その後も犠牲者の数は刻々と増加しているのが現実です。
シリアの正式名は、「シリア・アラブ共和国」。1946年にフランスから独立する形で建国されました。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルがあり、国境を接しています。
国民の90%はアラブ人が占め、クルド人が8%、その他はアルメニア人やギリシア人、アッシリア人、北コーカサス系民族、南トルコ系民族などで構成される多民族国家です。
イスラム教スンニ派がもっとも多く人口の約70%を占め、その他はアラウィー派などイスラム教他宗派が約20%、キリスト教系のシリア正教会などが約10%、その他少数ながらヤジディ教などの信者がいます。
シリアは1963年からバアス党の独裁政権が統治してきた国です。前年の1962年に出された非常事態宣言の効力が継続しています。1970年以降はハーフィズ・アル=アサド、バッシャール・アル=アサドという親子2代が大統領となり、表現・結社・集会などの自由が制限され、人権に関して「世界最悪の部類」といわれる状況でした。
ハーフィズは、シリアにおいて少数派であるアラウィー派。貧困家庭の9番目の子どもとして生まれ、16歳でバアス党に入党しました。ソビエト連邦で訓練を受け、シリア空軍の軍人となります。国防相や空軍司令官を歴任し、1970年のクーデターで政権を掌握。大統領となった人物です。
息子のバッシャールは、ダマスカス大学の医学部を卒業し、軍医として働いた後、ロンドンに留学。この時に、後に妻となるアスマーと出会いました。アスマーはイギリスで育ったスンニ派シリア人です。
もともとはバッシャールの兄で軍人だったバースィルが後継者になると予想されていました。バッシャール自身はさほど政治に興味がなかったそうです。しかしバースィルが交通事故で亡くなったため、急遽帰国。軍に入隊して立て続けに昇進し、2000年に父のハーフィズが亡くなると大統領に就任しました。
少数派であるアラウィー派のアサド家は、多数派であるスンニ派の反乱を抑えるため、バッシャールの弟のマーヘルを、大統領の身辺を守る「共和国防衛隊」や、陸軍の精鋭部隊「第四機甲師団」の指揮官に任命。さらに義兄のアースィフ・シャウカトを陸軍参謀副長にするなど、治安部隊や軍を身内で固めました。
アサド家が少数派出身であること、バッシャールが父や兄と異なり軍歴や政治経験がなかったことは、シリア内戦が激化した大きな要因だと考えられています。彼の政治基盤は決して盤石なものとはいえず、政権を維持するために、弱腰と見られないようあえて毅然とした態度をとる必要があったのでしょう。
「政府」対「市民」から、「政府軍」対「反政府軍」に形を変えていったシリア内戦。しかし現在は、そこに大国の思惑が絡みあう複雑な代理戦争にまで発展しています。では、シリア内戦に関わっている主な勢力と、その背後にいる国を確認していきましょう。
政府軍
バッシャール大統領が率いる政府軍を主に支援しているのはロシアです。両国はソ連時代から友好関係を築いていて、ソ連が崩壊した後も、地中海沿岸のタルトゥース港をロシア海軍が補給拠点とし、駐留してきました。
シリア内戦が開戦してからも、ロシアは一貫して政府側を支援し、2015年9月以降は直接的な軍事介入もしています。これによって中東における主導権をアメリカから奪い、影響力の増大を目論んでいると考えられています。
政府軍側にはそのほか、パレスチナの「パレスチナ解放人民戦線総司令部」、イラクの「マフディー軍」、イエメンの「フーシ派」、レバノンの「ヒズボラ」など中東各国を拠点とする武装勢力が参戦。これらの組織はいずれも、イランの影響下にあると考えられる武装組織です。
イランはイスラム教シーア派の盟主であり、反米・反イスラエル・反スンニ派などシリアと共通点も多いです。1980年代に起きた「イラン・イラク戦争」では、中東諸国の中で唯一シリアだけがイランを支援したという歴史もあります。
イランはシリア内戦に、影響下の武装組織だけでなく、イランの正規軍である「イスラム革命防衛隊」や民兵組織「バスィージ」も投入し、政府軍を支援しているそうです。政府軍がこれだけの長期戦を持ちこたえている理由は、このようにロシアやイランから援助を受けているからだといえるでしょう。
また政府軍は、北朝鮮、イラク、ベラルーシ、エジプトなどから武器援助を受け、ベネズエラ、アンゴラ、中国からも間接的な支援を受けています。
反政府軍
代表的な勢力と考えられているのが、先述した「自由シリア軍」です。政府軍から離反した兵士を中心に組織されていて、アメリカ、サウジアラビア、トルコなどから支援を受けています。
しかしアメリカは、シリア国民の多くにとって敵であるイスラエルの友好国。憎悪の対象であることに変わりはなく、アメリカの支援を受ける自由シリア軍の人気は、決して高くはありません。
また自由シリア軍が、アルカイダ系のアル=ヌスラ戦線や、ムスリム同胞団などのイスラム過激派組織とも同盟を結んでいるので、アメリカとしても武器の流出を懸念して支援がしづらい状況にあり、徐々に弱体化が進んでいます。
ISIL(イスラム国)
小さな勢力まで含めると際限がないといわれるほど乱立しているイスラム教スンニ派。そんななか、アブー・バクル・アル=バグダーディーのもとでイスラム国家の樹立を求め、台頭したのがISILです。シリア領内の都市ラッカを制圧し、最盛期の2014年には、シリアとイラクにまたがって日本の国土面積にも近い約30万平方キロメートルを支配していました。
彼らが台頭したことによって、シリア内戦はISILの打倒が中心的な課題となる新局面を迎えます。この戦いでは、アメリカがクルド人系の組織を支援しました。シリアでは自治政府の軍事部門であるクルド人民防衛隊を援助。またイラクでは自治政府の軍事組織を援助しています。
しかしクルド系の組織が支援されたことは、その影響が国内の独立派に波及することを警戒するトルコを刺激。トルコの軍事介入を招いてしまうのです。
2018年12月にアメリカがシリアからの撤退を発表すると、クルド人民防衛隊はトルコに対抗するために、敵だったシリア政府軍との関係を親密化させています。
このように、アメリカやロシアなどの超大国だけでなく、イランやサウジアラビア、トルコなど中東地域の思惑が絡むシリア内戦。同盟関係も頻繁に入れ替わり、文字通り「昨日の友は今日の敵」の状態に陥っているといえるでしょう。
2019年3月時点で、約1300万人の難民が出たシリア内戦。そのうち約560万人が国外に脱出したと考えられています。
しかし国外に逃れるための安全なルートがあるわけではなく、粗末な船にすし詰め状態になって海を渡らざるを得ないのが現状です。船が転覆し、大勢の犠牲者が出ることも頻繁にあります。
難民の多くは周辺国に逃れ、トルコは約350万人、レバノンは約100万人、ヨルダンは約67万人、イラクは約25万人、エジプトは約13万人を受け入れています。しかしこれら受け入れ国も決して豊かではなく、難民を抱えることが大きな経済負担になっているのです。
その一方で先進国では、失業率の増加や治安の悪化を理由に、難民の受け入れに難色を示す世論が強くなっています。受け入れを示した政権が倒れたり、極右政党が台頭したりする例も増えているのです。
しかしそれでもドイツを中心とする各国が、これまでに100万人以上の難民を受け入れてきました。ドイツは約53万人、アメリカは約1万8000人を受け入れています。しかし世界第3位の経済大国であるはずの日本は、わずか十数人にとどまっているのです。
- 著者
- 青山 弘之
- 出版日
- 2017-03-23
日本国内では、独裁者は「悪」、民衆は「善」という構図で報道されることが多く、なぜ政府軍に協力する国があるのかわかりづらくなっています。しかし実際には、複雑な国際関係や民族、宗教などが絡みあい、単純な善悪論で語れるようなものではありません。だからこそ、解決がより困難になっているのです。
2019年にISILがほぼ打倒されたことで、シリア内戦そのものが終わったかのような印象も見受けられますが、あくまでも無数にある糸のうちの1本を切ったに過ぎません。
本書はそんな複雑なシリア内戦について、建国や開戦前の歴史にも触れつつ、わかりやすく推移を解説した作品です。流れを知るだけでなく、解決するためにはどのような道筋があるのか、それがどれだけ難しいことなのかを考えるきっかけになるでしょう。
- 著者
- デルフィーヌ・ミヌーイ
- 出版日
- 2018-02-28
ダマスカス近郊のダラヤは、シリア内戦のきっかけとなった暴動が起きた町のひとつです。内戦が激化する2015年には、政府軍に包囲され、爆弾が降り注いでいました。
本書は、死の恐怖や飢餓に直面しながらも、瓦礫の下から本を集め、秘密の図書館を作りあげた人々のノンフィクションです。この活動に携わった若者たちは、内戦が終わったら返却できるようにと、集めた本の1ページ目に持ち主の名前を書いていました。
本を読むという行為は、絶望的な状況下での希望となり、癒しとなり、多くの人々を救ったでしょう。残念ながら政府軍によって破壊されてしまいますが、その後は巡回図書館という形で志が引き継がれているそうです。生まれ育った町が壊され、愛する人が爆撃で吹き飛ばされる日々のなかに、一筋の光を見出させてくれる話です。