シャンプー・ミント・グリーンティー……香りにまつわる5つの話【荒井沙織】

更新:2021.12.3

良い香りが好きだ。 シャンプーの香り、目覚めた植物の香り、夏の夜の香り。汗拭きシートの香りも好きだ。街中でふいに良い香りとすれ違うと、ラッキーな気分になれる。世の中の、良い香りがするみなさん、ありがとう!

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ママのにおい

嗅覚は本能に訴えかける。

赤ちゃんは母親のにおいがすると安心し、母親はかなりの高確率で自分の子どものにおいを嗅ぎ分けることができるそうだ。

確かに私も幼い頃、母が出張に出かけたときは、家の中で洗濯前の母の服を持ち歩いていた。持っていると、ママのにおいがして落ち着くのだ。来客時でも持ち歩くものだから祖母が困ってしまった、という話は、何度も聞かされた幼少期エピソードの一つだ。

五感の中で、嗅覚は最も無防備な感覚だと思う。人間は、好きなにおいには抗えない。

ピンクのガム

記憶を呼び戻す香りがある。

その事を私に強く体感させたのは、ピンクのミントガムの香りだ。中学生の頃、日常的に口にしていたあるメーカーのピンク色のガム。なぜそれが気に入っていたのかは覚えていないが、ミントが強すぎないとか、何となく可愛い感じの香りがするとか、パッケージがピンクだとか、そんなところだったと思う。

いつの間にか日常から遠ざかっていたそのガムを、数年後これもまた何となく、再び口にした。そういえば昔好きだったな、というくらいの何気ない選択。

どこかの歩道を歩きながらだった。粒状のガムをパリッと噛んだ瞬間、鼻腔に広がる甘いミントの香りを追い越すようなスピードで、中学生時代のある時期がフラッシュバックした。呼吸を忘れ、胸が詰まり、一瞬途切れた視界はチカチカした。

何故それほどまでに感情が揺さぶられたのか、理由は明らかだ。中学時代、私たちはクラスメイトをひとり失った。あまりに突然で、理解が追いつかない出来事。来る日も来る日も、悲しいのか寂しいのかその両方なのか、名前のつけられない感情で涙が止まらなかった。

そんな時期にも何気なく日常にあったもの、その一つがあのピンクのガムだった。ふいに鼻の奥に突きあがってくるような感情を、ミントの香りで何度も噛み砕いていた。

その頃の感情が瞬間的に戻ってきたのだ。この体験をして以来、私は香りの記憶をとても大切にしている。

撮影:荒井沙織

香りはエンターテインメント

近頃、悶絶するような悪臭から美臭に至るまで、様々なにおいを集めたイベントが日本全国で開催され、人気を博している。私は昨年、東京での開催時に取材させてもらった。

リポートしたのは、スウェーデンのニシンの缶詰・シュールストレミング。一時期テレビ番組の罰ゲームとしてよく登場していた「世界一臭い食べ物」と評される缶詰だ。まさか、至極真面目なリポートでこの香りに遭遇することになるとは思っていなかった。朝の経済番組で放送されるVTR、表現に十分配慮しながら、ファーストリアクションで挑んだのが良い思い出だ。

池袋駅前のファッションビルに設けられた特設会場には、一月あまりの開催期間中、5万人もの人が訪れたそうだ。さながら有名テーマパークのような盛況ぶりだ。来場者は次々に「悪臭」や「美臭」が展示されているブースを巡っていく。そんな中で多くの来場者が、良い香りよりも悪臭を体感して楽しそうにしているのが印象的だった。

インタビューをするため会場内を見回すと、カップルの姿が多く見られた。未体験の刺激を共有し合える体験型イベント、怖いもの見たさの好奇心をくすぐられるあたりは、デートでお化け屋敷に行くのと似た感覚なのかもしれない。

映画館では作品の香りまで体感できる時代。エンターテインメントの一部として、当たり前のように香りがコーディネートされている。

香りで自己紹介

香りは記憶に直結する。

どんな香りを纏うかは、嗅覚を介した自己紹介だ。服装や髪型と同じように、時にそれ以上の効果をもって、人物を印象づけているはずだ。爽やかな香り、可愛らしい香り、洗練された香り、重厚な香り。身につけている香り次第で気分は変わるし、人からの見え方も変化すると思う。セルフプロデュースに、香りの選択は不可欠だ。

私は手紙を出すとき、便箋に少し香りをつけることにしている。直接会ったことがある人には、より身近に思い出してもらえるように。会ったことがない人には、ごあいさつのつもりで。

せっかく香りを味方にするのなら、誰かに思い出してもらったとき、その記憶ができるだけ楽しく素敵なものになるよう、在りたいと思う。香りに導かれてみたら、いつもよりちょっとだけ丁寧に言葉を選べるかもしれないし、背筋をピンと伸ばして出かけられるかもしれない。

撮影:荒井沙織

読む香り

以前読んだ中に、香りを感じずにはいられない小説があった。文章の中で、こと細かに香りを説明している訳ではないけれど、至る所に配置された香りの要素は、私の想像力を刺激した。

四季ごとの植物や生活の風景、あたたかな食事の描写、登場人物の感情までもが、嗅覚を通過して瑞々しく胸に届く。香りやにおいを感じ取ることで、描かれた風景や場面が驚くほど近く立体的になるのだと、再認識した読書体験だった。

香りを連想するときには、自分自身の ”香りの記憶” が呼び起こされるのだろう。香りという実体験とのリンクによって臨場感が増し、読書を数段面白くしてくれる。

著者
有川 浩
出版日
2013-01-11

私たちは多くの香りとともに、日々記憶を蓄積し続けている。今日の記憶は、いつか何かの香りに連れられて帰ってくるだろうか。

もしかすると、それは読書中に起こるかもしれない。香りがもたらすサプライズを、これからも味わい続けたい。

著者
しばたみか
出版日
2018-10-15

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