5分でわかる高度経済成長期!始まりと終わり、公害などの影響をわかりやすく

更新:2019.8.30

1950年代から1970年代にかけて、日本経済は飛躍的に発展し、経済大国としての礎を築きました。「高度経済成長期」と呼ばれるこの時代の背景や、期間中に大きく変わった社会の様子などをわかりやすく解説していきます。あわせておすすめの関連本も紹介するので、ぜひチェックしてみてください。

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「高度経済成長期」とは。日本ではいつ起きた?バブルとの違いは?

 

日本では一般的に1950年代から1970年代を「高度経済成長期」といいます。この期間中、「神武景気」「岩戸景気」「オリンピック景気」「いざなぎ景気」が断続的に発生。1968年にはGNP(国民総生産)が資本主義国内で第2位に躍進するなど、日本経済の基盤が築かれました。

ただ厳密にいうと「高度経済成長期」は日本だけに限らず、その定義を満たしたさまざまな国の経済を指し示す用語です。意味は、その名のとおり経済が高度に発展した時期のこと。具体的には、好況時の実質経済成長率がおおよそ10%以上になる状況だと定義づけられています。

たとえば2000年から2010年の中国経済は、平均の実質経済成長率が10%を超えているため、「高度経済成長期」の真っただ中にあったといえるでしょう。

近年の中国が短期間で様変わりしたように、「高度経済成長期」の間にその国の状況は大きく変化します。日本も期間中、「三種の神器」の普及に象徴されるように、社会全体が大きく変わりました。

また戦後の好景気というと、「バブル景気」も有名です。しかしバブル景気は、土地や株式への投資が過熱した結果、実体経済以上に資産価格が値上がりしてしまいました。「高度経済成長期」は実体経済の成長と連動していたのに対し、「バブル景気」は実体経済とズレが生じていたという相違点があります。

事実、「バブル景気」期間中の平均の実質経済成長率は5%台にとどまっていて、「高度経済成長期」の定義を満たしていません。両者ともに好景気ではありましたがその背景は大きく異なるので、同一視することはできないといえるでしょう。

「高度経済成長期」になった背景と、終わりを迎えた要因

 

ここでは第二次世界大戦後の日本の状況を確認しつつ、「高度経済成長期」がどのようにして始まり、そして終わりを迎えたのかを簡単にまとめていきます。

1945年の終戦から1950年代の初頭にかけて、日本経済は敗戦のダメージによって苦しい状況にありました。各地の都市は空襲で壊滅、さらに海外からの復員や引き揚げが重なったことで、物不足や悪性インフレが発生したのです。

しかし、その後「東西冷戦」が深刻化すると、アメリカは日本を東アジアにおける「反共の防壁」にしようと経済復興を優先するようになります。

1948年に「経済安定九原則」が発表され、翌1949年にはこれにもとづいて1ドル=360円の単一為替レートが設定されるなど、インフレの克服や輸出の増進を実現させて、日本経済を自立させようとする取り組みが実施されました。この時決められた単一為替レートは、その後の日本の輸出を後押しする大きな要因になっています。

さらに、1950年からは「朝鮮戦争」が勃発。アメリカを中心とする国連軍と、ソ連・中国の支援を受けた北朝鮮軍が衝突します。戦いは板門店で休戦協定が結ばれる1953年まで継続しました。

「朝鮮戦争」の期間中、日本はアメリカにとっての前線基地となり、武器や弾薬の製造、自動車や兵器の修理などさまざまな特需がもたらされます。「特需景気」が発生し、1951年には工業生産、実質国民総生産、実質個人消費などが戦前の水準を取り戻しました。

こうして日本経済は復興を遂げます。その様子は、1956年に発表された『経済白書』に「もはや戦後ではない」と記されたほどでした。

また「特需景気」の期間中、政府も積極的な産業政策を推進し、重点産業に国家資金を投入しつつ設備投資をおこなっています。その結果、「朝鮮戦争」が終結した後も輸出業は好調を継続し、この輸出に支えられて好景気が続きました。

これに加えて、1950年代末から1960年代には、エネルギー源が石炭から石油に転換する「エネルギー革命」が起こります。当時は中東から安価に原油を輸入できたため、主要エネルギー源の転換も経済の拡大を後押しする要因となりました。

整理をすると、「高度経済成長期」が起こった背景には、

  • 「東西冷戦」の深刻化と、1ドル=360円の単一為替レート
  • 「朝鮮戦争」による特需と、政府による積極的な設備投資
  • 「エネルギー革命」の進展と、中東の安価な原油

という3つの要因が重なったことが挙げられます。これによって日本経済は他に例を見ないほど飛躍的な発展を遂げました。

そして、この3つの要因が崩れたことが、「高度経済成長期」が終わりを迎えた要因にもなっているのです。

1971年、当時のアメリカ大統領だったニクソンが「金・ドル交換停止」を発表し、いわゆる「ニクソンショック(ドル・ショック)」が発生。変動為替相場制が導入されて単一為替レートが崩壊しました。急速な円高となり、輸出が低迷。そして輸出が低迷すると景気が後退するという懸念から、設備投資の落ち込みという事態を招きます。

さらに1973年に「第四次中東戦争」が勃発すると、「OAPEC(アラブ石油輸出国機構)」は戦争を有利に進めるために、原油価格の引き上げや供給の制限などを実施します。こうして発生した「石油危機(オイルショック)」は、中東に石油を依存していた日本を直撃し、原油高は物価の上昇や流言など、多くの悪影響をおよぼしました。

2つのショックによって「高度経済成長」を後押しした3つの要因が崩壊すると、1974年、日本のGNPは戦後初めてのマイナス成長を記録します。こうして「高度経済成長期」は終わりを迎え、日本経済は「低成長期」の時代へ移行することになるのです。

「高度経済成長期」の働き方

 

「高度経済成長期」のあいだ、日本社会は経済の発展にあわせて大きく変化をし、就業形態も様変わりしていきました。

まず、産業構造が大きく変わっています。農水産業など第一次産業の比重が下がり、第二次・第三次産業、とりわけ製造業の比重が大きくなりました。

このような工業の発展を背景に、1961年に当時の池田隼人内閣は「農業基本法」を成立。工業と農業の格差を是正するため、農家経営の合理化を目指しました。

しかし皮肉なことに、合理化の一環で機械化を推進したことが、農業離れを促進。この頃から農業は祖父母や母親がおこない、若い男性は都市部で就職する分化の流れに。現在にも繋がる、農業の高齢化や担い手不足といった問題を招いています。

一方の都市部では、地方からやって来る若年労働力が「金の卵」としてもてはやされるように。上京して大企業などに集団就職する動きが見られました。

その結果、各地方から都市部へ大規模な人口移動が生じます。さらに都市部で就職した若者は、結婚すると、夫婦または夫婦と子どものみで暮らすようになり、核家族化が進みました。

大企業は、経営規模の拡大にともない、企業集団化や大型合併をくり返して国際競争力を強化していきます。また雇用の維持拡大や労使協調を進め、終身雇用や年功序列型賃金などの、いわゆる「日本的経営」も確立されました。

「高度経済成長期」が国民に与えた影響は?三種の神器や公害など

 

産業構造が大きく変わったことで、国民の生活も変化します。

1950年代なかばに生じた「神武景気」の頃は、好況にともなう所得増加を背景に、各家庭に家電製品や自動車などの耐久消費財が普及しました。白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の3つは、生活に必要不可欠な「三種の神器」と呼ばれます。1960年代後半になると、カラーテレビ、クーラー、カー(自動車)が「新三種の神器(3C)」として広まりました。

このようにして、大量生産、大量消費を前提とする経済がつくられたのです。家電製品が各家庭に普及して、国民の生活が急激に変化した時期を「消費革命」と呼びます。

「消費革命」を通じて、国民の暮らしは以前よりはるかに豊かになりました。しかしその一方で大量生産、大量消費は環境破壊も促進し、公害問題が深刻化するのです。

なかでも有名なのが、熊本県水俣市で発生した「水俣病」、新潟県阿賀野川流域で発生した「新潟水俣病」、富山県神通川流域で発生した「イタイイタイ病」、三重県四日市を中心に発生した「四日市ぜんそく」です。

これら四大公害病を通じて企業の経済活動が問題視されるようになり、被害をめぐる裁判はすべて住民側が勝訴、被害者に損害賠償金が支払われています。

政府も公害対策に取り組むようになり、1967年には「公害対策基本法」が制定され、1971年には環境庁が発足しました。

経済を軸に歴史を追う一冊

著者
上念司
出版日
2019-05-24

 

室町時代から現代までの日本史を経済中心に通観した「経済で読み解く日本史」シリーズ。最終巻である本書では、昭和初期の世界恐慌を経て、第二次世界大戦の後に日本経済が復興し、高度経済成長期、そしてその後のバブル景気にいたる過程がまとめられています。

経済的な困窮が、過激な政策を正当化してきたことをくり返し述べているのが特徴。この視点で歴史を振り返ってみると、高度経済成長期の動きから社会の在り方を考えるヒントを得ることができるでしょう。

ポスト高度経済成長期の在り方を考える一冊

著者
尾原 和啓
出版日
2017-09-28

 

本書の作者は、2000年代に成人したいわゆる「ミレニアル世代」のことを「乾けない世代」と表現しています。自身の欲望を追い求めることがないからなんだとか。

良くも悪くも日本の「高度経済成長期」は「成功体験」として語り継がれていますが、当時を経験した人たちと、「乾けない世代」の人たちでは、豊かさの基準が異なるのでしょう。

作者は、物質的な豊かさを達成した現代では、仕事を通じて「やりがい」や「生きがい」をつくり出すことが重要だと指摘しています。仕事へのモチベーションがあがらない、頑張れない……そんなふうに感じている人が「好きなこと」と「できること」のバランスを考えるうえで、大きな示唆をくれる作品です。

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