「キュレーション」とは何か、を考えるとき、とりわけ展覧会のフレームや機能、権力のコントロール、管理の技法について考えるときに参考になるものを選びました。今回も、できるだけ簡単に手にはいるものを優先的に選んでいます。
- 著者
- ハンス・ウルリッヒ・オブリスト
- 出版日
- 2013-08-26
翻訳ものはできるだけ避けようと思っていたのですが、この1冊は例外的に翻訳ものです。というのも、この本は自身も優れたキュレーターであるハンス・ウルリッヒ・オブリストによって、ポントゥス・フルテン、ハラルド・ゼーマン、セス・ジーゲローブ、ルーシー・リパードといった錚々たる面々へのインタビューが集められた1冊だからです。
原題にもある通り、1冊にまとめられた彼らの肉声は、「キュレーションすることの簡潔な歴史」になっています。彼らひとりひとりのインタビューをじっくり読んでみると、展覧会が単に「作家を選んで並べる」という営み以上の複雑さを抱えていることに納得するはずです。彼らについて本格的に調べていこうとするとどうしても英語で検索したり、英語の本を読むことになってきますので、まずはこの1冊をどうぞ。
- 著者
- ミシェル フーコー
- 出版日
キュレーションの語源は「配慮すること」「治療すること」。美術批評家のボリス・グロイスの言葉を借りれば、キュレーターはイメージの病を「癒すと同時に悪化させ」ます。「作品を展覧会で見せる」という実践は、権力や暴力と不可分なのです。誤解して欲しくないのは、そういった権力や暴力自体がいけない、という意味ではない、ということです。権力や暴力を完全になくすことは絶対に不可能です。だからこそ、キュレーターは自身の実践が機能する際に発動する権力や暴力についてきちんと自覚し、自己反省性を獲得している必要があります。そして作品を常に「(癒すと同時に)悪化させている」ことを引き受けなければなりません。
ミシェル・フーコーの議論は、そうした「キュレーション」が持つ権力、管理の技法が人間にも及んでいることについて考える際に重要な論点を提供しています。「権力」と聞いたときに私たちは「抑圧」「管理」といったネガティブな事例を考えてしまいがちですが、フーコーは「権力」のポジティブな側面にも目を向けなければならないと注意を促します。そのポジティブな効果ゆえに気づきづらい権力の発動を考えること。多種多様な力関係として「権力」を眼差すこと。その絶えざるフィードバックが、キュレーションにおいてはとても大切だと考えています。
- 著者
- 大久保 恭子
- 出版日
何かに意味を与える、何かを説明するという機能について考えてみましょう。かつて帝国主義時代、ヨーロッパの人々は、アフリカなどの人々を「未開の文化」「原始的な文化」だとして蔑んでいました。他方で、そうした文化の豊かさ、エネルギー、瑞々しさを肯定する主張も生まれます。「プリミティヴィスム」です。ピカソというヨーロッパの最先端のアーティストが、アフリカの原始美術に影響を受けた、という構図をつくり、「良い話」を生み出していく振る舞い。あるいはアーティストたちによる「プリミティヴ」なものへの憧れと、自分がもうそこには戻れないことの懐かしさ。
本書では、そうしたプリミティヴィスムの操作の多元性を読み解き、アメリカでの「プリミティヴィズム」についても踏み込みます。ニューヨーク近代美術館が「人類の進歩」という視点を採用し、「プリミティヴィズム」と「モダニズム」を大きなひとつの流れとして組み込んでいく実践は、キュレーションのもつ様々な言説生成においても深く考えるべき事象だと思います。中立的な「意味」や「説明」はなく、正しい唯一の「意味」や「説明」もないのです。キュレーションを行うのが、ほかならぬ人間であり続ける限り。
- 著者
- 倉数 茂
- 出版日
- 2011-09-09
大正時代に、資本主義が成熟を迎え欲望が商品化される一方で、政治的な主張も拡大していきました(大正デモクラシー)。そうした中で前衛のアーティストたちが数々の実践をし(彼らは海外の情報もかなり同時代的に吸収していきました)、「美的アナキズム」と呼ばれる考え方が強まってきました。美的アナキズムとは、より創造的な自分に生まれ直していくことを目指す思想で、「私自身であろうとする衝動」とは有島武郎の言葉です。そこでは、「自己表現」に最も価値がおかれました。
そうした思想が、どのような問題と接続していくのか。副題である、「関東大震災から大戦前夜における芸術運動とコミュニティ」の一文は、3.11以後の現在とも密接に結びついていくこと、現在の視点から改めて当時を捉え返していくことが示唆されています。あくまで冷静に、じっと、目を背けないこと。ここにはキュレーションをするときにぶつかるたくさんの壁と同じざらつきがあります。
- 著者
- 中ザワ ヒデキ
- 出版日
- 2014-11-21
中ザワヒデキによる「現代美術史」は、彼独自の循環史観に基づいて、日本の戦後美術から現在までを追った労作です。「前衛」→「反芸術」→「多様性」という循環が戦後美術にあるのだ、という点から歴史を捉え返す非常に面白い本なのですが、一方で、彼自身がその歴史の重要な一部として登場することにアンフェアさを感じる向きもあるようです。
彼の歴史記述それ自体が作品なのだと言ってしまうこともできますが、彼の作品と彼のこうした振る舞いは完全に一致しているわけではないと思います。自身のセルフコントロールの手段として、キュレーションという職能の一部が援用されていると考えるとどうでしょうか。歴史化、アーカイヴの構築、評価設定といった試み自体が様々な局面、様々な力関係のもとで行われていることに注目すると面白いかもしれません。
- 著者
- 藤原 工
- 出版日
- 2014-06-26
最後に紹介するのは、かなり専門的で、かつ技術的な一冊です。タイトル通り、展覧会における照明についての技術指南書です。ただ、この本を読むことで、展覧会において、作品ごと、空間ごとに様々な技術が動員されていることをうかがい知ることができます。とくに、美術館での展示については、作品保護の観点などから、一定の制約(例えばかなり暗くしないといけない、など)の中での最適解としての照明になっていることに気づきます。本当は作品はもっと違った顔をしているかもしれないし、美術館でみる作品が唯一不変の姿ではない、ということです。そこにはキュレーターの意図があり、様々な限界と妥協があります。別の言い方をすれば、たくさんの可能性があるのです。
展覧会の関連イベントでこうした照明のプロの方に話を伺うことがあり、とても勉強になりました。
(こちらを参照 http://togetter.com/li/1023121)